山ノ中ニ有リ>山行記録一覧>2004年山行一覧>沖縄里ワン[8/8]
|
2004年3月7日 |
辺戸名=名護=那覇(自由行動、安宿に泊)
このあとはアフターになるので、簡単に述べる。
朝の第一便で名護へ移動。さらに那覇へ。那覇へ着いてみるとまだ10時ごろであった。初めに宿を探し、素泊まり2000円の宿を見つけ、そこに荷物を預け、私と荒井は首里城へ、ケンイチはみやげを買いに国際通りへ向かった。首里城は太平洋戦争時に軍の司令部が置いてあったため、完全に破壊され、現在再建中である。首里城の本丸みたいなところは別料金で、琉球王朝のいろんなものが置いてあって最後に沖縄サミットで各国首相が食べた料理の内容が示されているそうだ。私は金をケチって入らなかったので、見ていない。それよりも近くにある県立博物館の方が充実しているのではないだろうか。
宿に戻ってから3人集まって打ち上げ。うみぶどうに、ラフテーに、ソーキそばに、ゴーヤーチャンプルーに、泡盛に、したつづみを打った。
翌日8日は個人行動。しかし、全員同じように糸満など沖縄本島南部に行った。私は観光バスを利用し、荒井とケンイチは路線バスで、各自別々に摩文仁の丘へ向かった。特筆すべきはケンイチである。早起きして徒歩で旧海軍司令部壕まで(約4km)、適当なゆいレールの駅まで戻り(約2km)、首里へ。首里城で昼飯を食べ、ゆいレールとバスで摩文仁の丘のある平和祈念公園に向かったあと、ひめゆりの塔へ歩き(約3km)、バスがないとかで糸満市の西崎というところまで徒歩(約10km)。バスに乗って那覇バスターミナルまで行き、そこから国際通りを歩いて(約2km)、宿に戻ってきた。ケンイチは疲れてないのか?というわけで、ケンイチはおそらく沖縄本島を縦断していると考えられる。
終わってみて思うのは1年生が意外に強いということである。私は初日から最終日までひざが痛いと泣き言を言っていたのだが、1年生2人は疲れてはいるものの、体に故障をきたすこともなく、元気に歩きつづけた。初めの2日間の天気があまりよくなかったことと、予定を1日つめたことを考えると、けっこう強いと思う。特にケンイチは一日にまったく休まないこともあるようで、7時に出て目的地に11時ごろに着いていることもあったようだ。アフターなのに20kmくらい歩いていたこともある。
今回、4年生の私は卒論であまり計画を立てる余裕がなかったこともあり、私が大まかな指示を出し、1年生に具体的な計画を立案してもらった。計画を立てるのは山を登るのも同じだし、一通りの手順がわかったと思う。あとは歩く道に傾斜があってもペースを落とさず歩ければ、山に登るのは容易だと思う。1年生に潜在性を感じさせる里ワンだった。