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2004年春 - 沖縄里ワン[7/8]


2004年3月1日(月)〜7日(日)
場所
沖縄県那覇市〜国頭郡国頭村/沖縄本島
ルート
3月1日
羽田空港=那覇空港=沖縄県庁近くのホテル(泊)
3月2日
沖縄県庁近くのホテル…浦添市…北谷町…嘉手納町兼久海浜公園(泊)
3月3日
嘉手納町兼久海浜公園…読谷…仲泊…恩納村の浜辺(泊)
3月4日
恩納村の浜辺…伊武部ビーチ…許田…名護市内(泊)
3月5日
名護市内…真喜屋…塩屋湾…大宜味村役場…国頭村辺戸名(泊)
3月6日
国頭村辺戸名…辺野喜…宜名真…茅打バンタ…辺戸岬=辺戸名(泊)
3月7日
辺戸名=名護=那覇(自由行動、安宿に泊)
参加者
中山(B4)、荒井(B1)、鈴木(B1)

沖縄の地図

5日目

2004年3月6日

国頭村辺戸名…辺野喜…宜名真…茅打バンタ…辺戸岬=辺戸名(泊)

 さあ、最終日。全行程の4/5を済ませ、最後の行程である。天気はまたくもりに逆戻り、風も吹く、カッパの手放せない天気になってしまった。それでも1日のサイクルには慣れ、夜明け頃に辺戸名を出発。国道へと戻る。国道58号線の看板には辺戸岬まで20kmと示されている。今まで60kmとか50kmとかいろんな看板を見てきたが、もうそれだけに減ってきたのである。心の中ではカウントダウンが始まっていた。

最終日、辺戸名を出発
最終日、辺戸名を出発。残り20km。
岬が見えてきた
岬が見えてきた。ただし、目的地辺戸岬はあの裏側。

 中間地点の辺野喜(べのき)まで3人いっしょに歩く。道には何もないから退屈なのである。ここまで来ると車通りも少なくなる。前日はファミリーマートのトラックが走るを見て、「まだ先にコンビニがあるのか」と安心していたが、もうコンビニはない。少し心細い。過ぎる車はダンプカーの割合が増えた。先で工事しているのだろうか。与那へトンネルを抜け、謝敷(じゃしき)、佐手(さて)を過ぎる。佐手の小学校は廃校になるそうである。この辺りはもう人が少なく、おそらくバスで近くの別の小学校に通うことになるのだろう。辺野喜で一本とる。海からの風が冷たいのでコンテナの後ろ側で風をよけた。

 辺野喜から歩き出す。海には何のためかわからないがクレーン船が浮かんでいた。歩いていくうちにだんだんと遠ざかり、見えなくなってしまった。辺野喜からは集落がほとんどない。宇嘉(うか)を過ぎると宜名真(ぎなま)まで5kmほど家もバス停もない。宜名真の少し手前になぜかバス停があった。人の影はない。あるのは電話ボックスだけである。電話ボックス備え付けの電話帳は配られたときの袋に入ったままで誰も開いていなさそうだ。昔は人がすんでいたからバス停と電話ボックスがあるのかもしれないが、なんで撤去しないのだろう。特に電話ボックスは維持費がかかりそうなものだが。ひょっとしたらトンネル内の非常電話のような役割があるのかもしれない。あまりに人がいないから。

電話ボックスだけ
人が住んでいないのにバス停と電話ボックスだけ。
電話帳はあけられた形跡がありませんでした。
座津武トンネル
座津武トンネル。さっきの電話ボックスの北側。

 この辺りは北海道の知床と雰囲気が似ている。知床の羅臼〜相泊間である。山から一気に海になっており、斜面には木がまばらに生えている。ときどき崖のようなところもあり、トンネルで通過する。ふと、道のはたにさとうきびが落ちているのに気が付いた。トラックで運ぶときに落ちたのだろうか。沖縄では田んぼを見ないかわりにさとうきびがあちこちに植えられている。ほとんど手をかけなくても育つらしく、雑草も生えていた。で、荒井はそれをおもむろに拾い、曲げたら汁が出てきた。荒井がなめてみる。甘いらしい。いきなり拾い食いを行う荒井に驚きつつ、私もなめた。甘い。あまり気にしていなかったが、歩いていて、1時間に2本ほどさとうきびが落ちていた気がする。

 そして沖縄本島西岸の最北の集落、宜名真へ到着。本当はその北にもあるみたいなのだが、そっちは小中学校があるだけで人家は見えなかった。宜名真の北端は茅打バンタという高さ100mほどの崖があり、辺戸岬へはこれを巻く必要がある。見ると、森の中に緩やかに登っていく道が見える。けっこう登るようだ。へこむ。その道に入ると、「スクールゾーン」なる標識が。この道は集落の上を通っており、家は初めに少しあるだけで、どうやらここにすんでいる小中学生は約4km離れた学校に茅打バンタを越えて毎日通っているらしい。大変だ。

植生が見える距離に
沖縄本島西岸の最北の集落、宜名真。
茅打バンタの植生が見える距離に近付いた。といってもさらに4km。
茅打バンタ
茅打バンタから見る宜名真集落。

 ようやく茅打バンタに着く。バンタとは崖のことで、茅を打ち払うとすぐ広がって波に飲まれるから茅打バンタというとか。展望台になっており、宜名真の集落がよく見える。タクシーなんかも停まって、けっこう人の来る観光名所らしい。と、大型バスがきて大量の観光客を吐き出し始めたらしい。騒がしい。さっさと写真を撮って立ち去る。立ち去るときにポカリスウェットを入れたポリタンを忘れてきてしまった。不審物扱いになってしまっただろうか。

 辺戸岬へ。歩き始めるとすぐ左手に広い駐車場と公衆トイレがあった。まわりは斜面と原野が広がっていて、停まっている観光バスが似合わない。しばらく歩くと、左手に北国小中学校があった。沖縄本島最北の学校である。宜名真の子供たちは1時間かけてここまで通っているのかと荒井と感心する。

 道は下り気味でやがて国道58号線と交差する。その上にある青い看板には「←辺戸岬」の看板が。ついに王手である。起伏のある原野の中にポツポツとさとうきび畑のある道だ。ひざが痛くてゆっくり歩く。荒井の少し後をついていく。ケンイチはずっと待ちぼうけだと思うが、何しているだろうか。道はうねりながら私を岬へ導いていく。

 11時半ごろ、レストハウスのある辺戸岬に到達。ケンイチは入ってすぐ右手の屋根のある休憩所のようなところにいた。岬だけあって風が強く、寒い。行動中からカッパを着ていたが、それでも足りないくらいだ。とりあえず、連絡人をお願いしている佐藤さんに電話する。しかしauの携帯電話では電波はとどかず、荒井のdocomoの電話を借りた。1日予定をつめたので、佐藤さんは驚いているようすだった。佐藤さんとヒゲ談義を交わして電話を切った。

そして、辺戸岬
終着点、辺戸岬に着いた。喜びを表現する荒井(上)と鈴木(下)。
中山
鳥の像と喜びを分かち合う中山。

 ザックをそこの休憩所に置いて岬を見に行く。辺戸岬は東向きに突き出しており、これもまた茅打バンタと同じく断崖絶壁となっている。鋭くとがった岬ではなく、やや丸い形をしているので、どこが突端かははっきりしない。とりあえず、北よりの碑へ向かう。そこで写真を撮る。碑を読むと、沖縄が日本に復帰する前に、鹿児島県南端の与論島とこの辺戸岬の間の海上で、沖縄復帰の運動を行っていたそうだ。

 それと別に鳥の像があるのでいっしょに写真を撮る。さらに別の崖で集合写真を撮る。この岬周辺は秋吉台のように草地に岩が点在している。地球惑星地学科の岩石分野志望の1年、荒井に聞くと、沖縄本島はサンゴ礁でできた島で、石灰石でできているからだそうだ。

 風がビュービューと寒いので、壁のある休憩所に入って休む。バスの時刻表があったので見ると、14時半ごろでまだ時間がある。休憩所には、近くにある金剛石林山なる奇岩ばかりの山の紹介があり、荒井が行きたそうにしていた。また、ドリーネやウバーレなど地形の説明があり、荒井とじっくり1時間近くかけて見ていた。辺戸岬は御嶽とよばれる沖縄の聖地の一つであるそうで、そのパネルもじっくり拝見した。その間ケンイチは座ってただ待っていた。

 休憩所内のベンチで退屈に待つ。自動販売機を物色していると、「ゴーヤー茶」なる茶があるのに気づく。これはそそられる。暖かいものも置いてあり、荒井と2人で金を出しあって買ってみる。荒井が初めに飲む。不思議そうな顔をする。味は普通のお茶と変わらないらしい。私も飲んでみる。確かに普通のお茶であり、あと味にゴーヤーの苦味がわずかに残る。むしろ、ゴーヤーの苦味ばかりでお茶の味がまったくしないようなものを望んでいたのだが。私なぞは寒い寒いと待っていたのだが、観光にきていると思われる米軍の一家族はなんかみんな半そでのTシャツを着ていた。感覚が違うのだろうか。

集合写真
集合写真を撮った。左から鈴木、荒井、中山。
ゴーヤー茶
「こちらが本日ご紹介する健康食品、ゴーヤー茶でございます」荒井はセールスが似合うなあ。

 14時少し前になってバス停へ。バス停は先ほど横切った国道58号線にある。また黄土色がうねる原野の中を10分ほど戻る。バスはすこし遅れてやってきた。

 バスの運ちゃんはいろいろと話しかけてきた。家のかどに見られる「石敢当」と書かれた石は何か聞いたのだが、読み方がわからないらしく、「『せきがんとう』だったか『せきだんとう』だったか」と困っていた。その前に大学生だということを告げていたので、逆に私に尋ねてきたが、沖縄来るまでこんなものを見たことがない。「知らない」というと「大学行ってんのにわかんないのかあ」と言われてしまった。沖縄だけでなく、本州にもあると言っていたが、私は見たことも聞いたこともない。辺戸岬入口バス停で同乗した、愛知県から来たというおじいさんも知らないといっていた。

 バスは終点辺戸名へ。今朝出発したところだ。運転手さんにテントに泊まると言ったら、港にトイレのあるところがあると教えてくれた。結局乗客は辺戸岬で乗った我々と、同じく辺戸岬で乗ったおじいさんの4人だった。このバスは30分ほど停車したあと、名護行きのバスになるのだが、私たちは乗らなかった。というのも歩いてきた道を日の差す時刻に見ていきたかったからだ。私が提案したのだが、他の2人も賛成してくれた。

 運ちゃんの言っていたところに行くと、雑草の刈られたトイレのすぐそばの快適なところを見つけた。バス停からも食料品店からも近いし、文句ない。運ちゃんいわく、「北海道から来た夫婦が1ヶ月くらい滞在していた」という場所だ。地元の人は何も言わないのだろうか。場所を決めて食料を買いに行き、テントを張って血食いを行った。

 1年生のつくる飯は別にまずくないのだが、遅いのが気になっていたので、スピードを見せてやることにした。上級生が私一人だけなので、一人で作る。久しぶりに飯を炊いたが、なかなかの出来。1杯目はマーボー豆腐。1杯食べ終わって大変なことがわかる。なんと米が残り1回分しかないのだ。3杯やろうと思っていたのに。嘉手納で5kg買った米を減らすべく、普段朝は一人半合しか食べないところを1合食べていたからだろう。残念だが、2人に1合半ずつ盛り、血食いは2杯で終わりとした。2人ともよく食べた。この日の晩は地元のヤンキーが近くで酒盛りをしていたようで、大変うるさかったが、からまれなかっただけ助かった。


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