山ノ中ニ有リ>山行記録一覧>2004年山行一覧>沖縄里ワン[5/8]
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2004年3月4日 |
恩納村の浜辺…伊武部ビーチ…許田…名護市内(泊)
朝。荒井の選択した茶漬けを食べる。風は依然やまず、天気はくもりである。テントを撤収する際は風でテントがひしゃげていた。山の上ならともかく、下界でこの風はかなり強い。鍋のふたをもう一度探したがやはりなかった。潮汐が沖へと運んでしまったらしい。残念だが、これ以降フタ1枚でなんとかした。また、使っているガスがかなり減っているので、名護で調達することにした。
今日は名護まで。名護は沖縄本島中北部最大の都市である。名護まではえんえんと海岸沿いの道を行く。海岸沿いには万座毛をはじめとしていくつかの岬があり、その間がビーチになっている。いくつかのビーチにはムーンビーチとか名前がついており、背の高いリゾートホテルがある。浜のあたりは低いが、岬になっているあたりは少し登る。道はよく整備されていて、歩道にはほとんど人がいないし、歩きやすい。
さすが沖縄、ドラゴンボールが売られていました。 1個300円。願いをかなえたい人は2100円もって沖縄へゴー。 |
ケンイチと海。この日もくもり空。 |
天気はくもりで、見える海は明るくない。風もあり、カッパは手放せない。そのうち、伊武部(いんぶ)ビーチを過ぎ、万国津梁館のある岬の入り口を過ぎる。伊武部ビーチは5年くらい前に里ワンパーティーがテントを張ったところであり、我々の3日目の幕営地の予定だった。また、万国津梁館とは4年ほど前に沖縄サミットが開かれたとき、各国の首脳が会議したところである。考えてみると、あのとき、2千円札を新造して守禮門の図を入れることになった気がする。国道から少し離れたところにあったので、行かなかった。
やがて海岸沿いの道は湾のようなところに入っていく。ここ、許田(きょだ)は高速道路の終点であり、狭い土地にコンクリートの支柱が立っている。ぐるりと湾を回ると、目的の名護が見えてきた。名護は本部半島の付け根にあり、そこそこ大きな都市だ。この名護へいたるほぼ直線の5kmほどの道がこの日の核心部であった。歩いても歩いても名護が近づかないのだ。そしてゆるくカーブした道の上ではほとんど進んでいないように見える。許田と名護の間に街がなく、道の駅しかなかったのもその原因だろう。天気はだんだんよくなり、日差しが見えるようになる。
整備された道。歩きやすい。 |
今回の里ワン屈指の難所、名護への長い道のり。 |
なんだかんだで名護に着く。歩いていれば着くものだ。さて、名護の入り口付近を集合場所にしており、ケンイチがすでに座っていた。すぐ近くのホームセンターのようなところでガス缶を買う。3本しか置いておらず、危なかった。それもコールマンだった。初めてのコールマンである。
しばらくで荒井も追いつく。少し相談する。辺戸岬へは名護の東側の端の道を歩くのだが、この道沿いには公園などの宿泊地と食料品店がそろっているところが少ないのだ。そこで、さらに30分ほど歩いた小さなダムのそばを候補として考えた。しかし、着いてみると貴重な水源とあってフェンスがあり、入れない。しかも食料品店とふんでいた店が雑貨しか売っておらず、さらに歩くこと30分。今度はA-coopという里ワンですでに何回かお世話になったスーパーマーケットで食料を買う。3日目なので、1年生2人に買いに行かせた。そしたら、カレールーが12皿分と多く、じゃがいもが3つあった。「3人には多いだろう」と言ったが、あとでちょうどよかったことがわかる。
テント場を求めて名護市内をさまよう。結果的にこの日の歩きが予定を一日縮めた。 |
何だか変な神社にテントを張りました。 |
さらに歩くこと20分ほど。高台の上の神社のようなところを見つけ、ここにテントを張った。近くの公園には水がなく、今度は農協の小さな店にお願いして水を6リットルいただいた。
簡単に沖縄でテント場を探す際に気づいたことを2点あげよう。
しばらく昼寝して飯を作る。作る際にルーを半分だけ入れたカレーを見るとなんだか少なさそうである。そこでカレールーを全部入れる。そして、全部食べてから食べ足りなかった私は残ったじゃがいも一つをゆでて食べた。するとちょうど買った晩飯がすべてなくなった。このテントを張った神社はなぜか人が訪れることがまったくなく、トラブルがなかった点でよかったものの、逆に不気味な印象を受けた。草は刈ってあり、ていねいに管理されているのだが。
この日で、予定を1日つめたことになり、6日間の予定が5日間でできることがわかった。明日は国頭村辺戸名、あさっては終着辺戸岬である。