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2004年春 - 沖縄里ワン[4/8]


2004年3月1日(月)〜7日(日)
場所
沖縄県那覇市〜国頭郡国頭村/沖縄本島
ルート
3月1日
羽田空港=那覇空港=沖縄県庁近くのホテル(泊)
3月2日
沖縄県庁近くのホテル…浦添市…北谷町…嘉手納町兼久海浜公園(泊)
3月3日
嘉手納町兼久海浜公園…読谷…仲泊…恩納村の浜辺(泊)
3月4日
恩納村の浜辺…伊武部ビーチ…許田…名護市内(泊)
3月5日
名護市内…真喜屋…塩屋湾…大宜味村役場…国頭村辺戸名(泊)
3月6日
国頭村辺戸名…辺野喜…宜名真…茅打バンタ…辺戸岬=辺戸名(泊)
3月7日
辺戸名=名護=那覇(自由行動、安宿に泊)
参加者
中山(B4)、荒井(B1)、鈴木(B1)

沖縄の地図

2日目

2004年3月3日

嘉手納町兼久海浜公園…読谷…仲泊…恩納村の浜辺(泊)

 朝。雨は依然として降り続いていた。朝飯には前日ケンイチの選んだ「ジューシー」なる沖縄の炊き込みご飯を食す。なかなかうまかった。7時に歩き始めるころには朝一番の戦闘機が飛び立つ音がした。おちおち寝てられないところだ。今日は恩納村恩納まで。この日はずっと雨で、一番しんどかったように思う。

 カッパを着て黙々と歩く。初めは嘉手納の街の中心へ。街の中心には直径100mほどのリング状の道路があり、これがロータリーになっている。このロータリーからは今までの那覇からの道、そして北の仲泊へ抜ける道、東の沖縄市に抜ける道と3つの道路が伸びている。私たちは仲泊への道を行く。仲泊へは残波岬を巻き、山の中の道になる。片側3車線は2車線に減る。

 嘉手納の街を離れると、あまりきれいでない川を渡り、読谷(よみたん)へと入る。このあたりで初めて住宅が途切れた。那覇からこのあたりまでは町の境はなく、ずっと店や住宅地、基地のどれかが続いていたのだ。川を渡るとまた住宅地になる。この道はずっと登り道である。ふと、住宅の塀に目をやると、「石敢当」(ただし「当」は旧字体)と書かれた表札のようなものがすねくらいの高さにある。初めはこういう苗字の人なのかと思ったが、それとは別に表札があったりして、関係がないらしい。わからないまま歩く。あとで首里の県立博物館に入ったところ、なんでも魔よけの一つらしい。もとは中国の武将の名前であるとか、いろいろ説があるらしい。帰りに乗ったバスの運転手さんに聞いたところ、玄関に限らず、家・建物・車庫などの角にあるらしい。角も門も同じ「かど」と読むからか、魔物が入って来やすいそうだ。

石敢当
石敢当。ほとんどの家にある。
読谷の町
読谷の町を歩く。雨の中、長くゆるい登りが続く。

 歩くとひざが痛い。沖縄に行く4日前に足慣らしに奥多摩を日帰りで歩いたのだが、そのときの下りで痛めたらしい。しかし、休むとまた痛いので休まないようにして歩く。やがて読谷の住宅地を抜けて本格的に森の中の道になる。ハブがいそうだ。そんな中、琉球村なる観光施設の入り口が見えた。その下には「歓迎 中日ドラゴンズご一行さま」と書かれた横断幕が掲げられていた。この時期、各球団は暖かい九州、沖縄でキャンプを行っているのであろう。しかし、こんな雨の日は室内で軽く練習するだけなんだろうな、と思いながら冷えた体で歩く。

 道はだんだんと下り道になり、また東シナ海に出る。そこから仲泊の街は近かった。仲泊でほぼ半分であり、一本とる。一本とる間に道路地図を見ると雨が地図に染み込んでいた。少しへこむ。長く見ていると、もっと濡れてしまうので、5分ほど車止めの石に座って休んで出発する。

 仲泊の街は那覇から読谷までとは異なった雰囲気である。読谷までは那覇や基地のベッドタウンのような住宅が多かったが、仲泊では通勤することなくそこに住んでおり、街なかの商店経営や近くのリゾートホテルに勤めているようだった。端的にいうと、田舎っぽい雰囲気である。コンビニはあるものの、ファーストフード店は皆無である。

マングローブ
恩納村役場近くで見かけたマングローブ林。たぶんマングローブ。
2日目の幕営地
2日目の幕営地、万座毛北の浜。

 あまり記憶にないが、海沿いの道をずっと行き、恩納村に着いた。恩納と書いて「おんな」と読む。その名も「おんな売店」という小さなスーパーマーケットで食材を買い込み、ここの村役場から1kmほど先の浜を幕営地と定めた。水はケンイチがローソンの店員さんに頼んで手に入れた。

 浜なので、満潮時が怖かったが、6時間様子を見れば満潮時のラインがわかるので、ザックを置いてしばらく万座毛という景勝地を見に行った。万座毛とは「万人が座して拝する」とか何とかそんな意味で、要はただの崖である。ただ、崖の形が象の鼻のように見える写真があり、それを期待していた。崖を見るためには崖から離れた海岸線に行く必要がある。北側のJALのリゾートホテルのある岬に向かい見るが、象の鼻の形に見えない。場所を変えてみてもダメである。結局あきらめてザックを置いた浜に戻った。ガイドブックを開いて見ると、崖の上も見えており、どうやらヘリかなんかで崖より少し高い位置から写真を撮影したようである。残念。

おんな村
おんな村だから、おんなだらけです。
テントを張る
満潮におびえながらテントを張った。

 夕方になり、テントを張る。幸い、満潮でも沈まないところがあった。雨はやんだが、風が強くなった。フライシートがバタバタとうるさい。フライが飛ばされないか不安である。那覇からの2日間、両日とも雨が降っているし、これ以上悪天候が続いたら続行できるだろうか。しかし、行程としては実に順調である。予定では1日目に北谷、2日目に仲泊だったのだ。すでに半日ほど予定より先行している。そんなことを思いながら晩飯のマーボー春雨を食べ、就寝した。

 夜22時ごろ、ケンイチに起こされる。何でも外に置いておいた鍋のふたが1枚飛ばされたらしい。しかたないので全員で探すが、暗いこともあって見つけられなかった。懸念のフライシートは飛ばされていなかった。


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