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2006年冬 - 北アルプス・槍ヶ岳北鎌尾根[4/7]


2006年12月26日(火)〜2007年1月2日(火)
場所
長野県大町市・岐阜県飛騨市(旧・吉城郡上宝村)/北アルプス南部
コース
12月25日
新宿高速バスターミナル集合(車中泊)
12月26日
信濃大町駅前下車=葛温泉…高瀬ダム…湯俣…中東沢出合(泊)
12月27日
中東沢出合…千天出合…北鎌尾根P2取付点(泊)
12月28日
P2取付…P2…P3…P3-P4間(泊)
12月29日
P3-P4間…P4手前(泊)
12月30日
P4手前…4・5のコル…P7…北鎌コル(7・8のコル)(泊)
12月31日
北鎌コル…天狗の腰掛(P8)…北鎌独標(P10)巻き…P11付近(泊)
1月1日
P11付近…P15…槍ヶ岳…飛騨沢…槍平冬期避難小屋(泊)
1月2日
槍平冬期避難小屋…滝谷避難小屋…白出沢出合…新穂高温泉=松本(解散)
参加者
K、H、K、S、中山
天気
24日曇り、25日晴れ、26日晴れ、27日曇りのち霧、28日曇りときどき晴れ
参考文献
06槍ヶ岳・北鎌尾根の地図

4日目

2006年12月29日(金) 雪

P3-P4間…P4手前(泊)

コースタイム
P3-P4間6:00起床
10:20下降開始
10:35登攀開始
P4手前14:50
21:00就寝

 3時間半の仮眠の後、テントをたたみ、10:20下降開始。Kさんがトップで下る。Kさんが見えなくなってから「ポールがあった」と声があった。それが「ずっと下にポールが見えたが取りに行けない」という意味なのか「ポールを拾った」という意味なのか分からなかったので、それを尋ねると「ポールを拾った」らしい。セカンドのHさんからKさんに伝えられると、Kさんは「登る」ことを決めた。

 下降から登攀へ。私のせいでなくしたポールがみつかってホッとする反面、下山と思い込んでいた私は内心がっかりした。しかしポールが見つかり後退する理由はなくなったので指示に従って登った。昨日KさんがザイルをフィックスしたところをKさんリードで登る。途中で岩がなかなか越せず手間取った。その後続けてKさんリード。そこを登ると少しなだらかになっていた。

 雪が多いのでここでわかんを履く。わかんの履き方は買ったときに試したはずだが、その結び方ではテープが全く足りず適当な付け方になる。そのため履いていたのは1時間ほどと短い時間だったが2回ほどわかんが外れ、その度に履き直した。このあたり比較的穏やかな斜面だったのでP3から見たP4の前衛峰かもしれない(前衛峰と書いたのは私の命名、実際にはピークではなく斜面の一部であり下からはピークに見えるから)。

下山
12/29 前日テントのポールを落としたため下山すべく出発。しかしすぐに落としたポールを発見し、北鎌尾根を登ることにする。
P3-P4間の稜線
12/29 P3-P4間の稜線。

 木がまばらになってきたあたりでわかんを脱ぎ、アイゼンに履き替える。このわかん着脱、履き直しとアイゼンを履く一連の作業で何度かオーバー手袋を脱ぎ、時には素手で着脱を行っていた。この行為が手を冷やし、内側の手袋に雪を付着させ、凍傷の原因になったと私は考えている。実際、アイゼンを履き終わった時点でオーバー手袋と内側の手袋の指先は凍ってくっつき、オーバー手袋だけ外すということができなくなっていた。

 木が少なくなって北西風の吹く稜線を登る。アイゼンを履いてすぐKさんリードでザイル出して登る。そのあと小ピークをひとつかふたつ越えてなだらかな稜線が続くところに出た。この先はKさんの偵察によると雪が少なくザレていて、水平面がないため幕営はできないようであった。そのためこの日は4時間しか行動していないがここで幕営する。場所はP4の手前である。

 昨日私がポールを落としたテントだが、この日もテントには災難が訪れた。テントを立てた後、テントの縁を歩いていたKさんが足を滑らせ、テントのポールに体重をかけたらポールが折れてしまったのだ。ポールをいったん抜いてKさんが補修した。テントのポールは端をテンと本体の金具に入れるときもなかなかはまらず、みんなで苦労した。

 テントを張って中に入り、落ち着く。手袋を取るとかじかんだ右手の指4本の先が冷凍食品のように白くなっていた。驚き、しばらく指先を口の中に入れて温めるとだんだん血の通った色をしてきた。それでも感覚は完全に戻らなかったため、鍋のふたの開け閉めなどはうまくできなかった。

 指の色がもとに戻ったため、また凍傷がどのようになるのか知らなかったため他の人にはこの異変を告げなかったが、結果的にそれが失敗であった。このときすでに凍傷であったと思うし、他の人に話していればまともな手袋を貸してもらうなどの手だてが取れたかもしれないからだ。それは私のミスである。

5日目

2006年12月30日(土) 雪

P4手前…4・5のコル…P7…北鎌コル(7・8のコル)(泊)

コースタイム
P4手前3:30起床
7:45
4・5のコル9:30
北鎌コル(7・8のコル)15:00
20:00就寝

 朝起きると右手指先が水ぶくれになっていた。薬指の水泡は破けていた。リンパ液らしきものが薬指の傷口から出ているため、ばんそうこうを貼っておいた。指先が凍り付いていた状態ではなくなったため、容態は好転したと思い、自分の手袋で行動する。

 朝、出がけの用足しではSさんがやはり指先を凍らせた状態にしたらしくかなり驚いていた。おそらく昨日の私の指先と同じような状態になったのだろう。

 この日の天気はくもり。硫黄尾根側からの風が強い。歩き始めてすぐアイゼンがはずれたのでKさんに調節してもらう。幸い私のアイゼンは長さを調節するのに特殊な工具はいらない。見えているピークに登るとそこからの下りは雪が少ない。振り返ると千丈沢側から支尾根を合わせているのでおそらくこのあたりがP4であろう。

 強い横風にひるむ私を心配したKさんがそばについてくれた。Sさん、Kさんとザイルをつないで歩く。かん木がまばらに生えているが、葉はなく背も低いので風よけにはならない。

 1時間ほどで4・5のコル。P4とP5の間のコルだ。ここから見るP5はとても登れそうにない。「日本登山体系」によれば「P5の天上沢側を大トラバースする。非常に不安定である」とある。実際、左手の天上沢側(東鎌尾根側)は雪の溜まったけっこう急な斜面だ。かといって右から巻くには相当下らないとならないし、上は登れそうにない。結局日本登山体系の通り左からトラバースした。偵察などで手間取り、1時間近く4・5のコルにいた。待っている間、千丈沢側(硫黄尾根側)からの風に吹かれてかなり寒かった。

4・5のコル
12/30 4・5のコルから天上沢側をトラバース。後続を振り返る。
ビレイするKさん
12/30 ビレイするKさん。

 Kさんがリードしてトラバース。次に私。Kさんから足を鉛直に置くように、傾けて置くと足下が崩れる、と指導を受ける。おっかなびっくりでそーっと足を置きながら歩く。天上沢側は千丈沢側と違って風がなく、天気もよい。おかげで落ち着いて歩けた。

 途中のかん木でピッチを切って、Kさんがさらにリードを伸ばす。私がビレイした。Kさんはやや下ったあたりに落ち着いた。その間に後続も追いついた。

 またKさんのところまでトラバースする。そこからHさん、Kさんが天上沢側に伸びた支尾根の肩までラッセル。支尾根を越えたところからSさん、中山、Kさんとラッセルを交代し、5・6のコルに出た。雪の量が多いとラッセルはうまく行かない。Sさんと私はズブズブと沈んでしまい、時には腰まで埋まってしまう。他の人はそんなに沈まない。足を置く場所を固めながら、前足で蹴り込んで、と言われるままやっているつもりだが、全然できない。この山行中にこのラッセル技を会得したいと思ったが結局会得できなかった。

ラッセル
12/30 天上沢側に伸びた支尾根の肩までラッセル。
5・6のコル
12/30 5・6のコルを目指して急斜面を登る。

 P6からは千丈沢側(硫黄尾根側)を巻く。ある程度巻いて雪面を登り、ピークが見えるあたりでまたトラバース。コルに出る。

 コルから小ピークを登るが、そこで私は風にあおられ、バランスを崩してしまった。ザイルで確保されていたのとすぐ後ろにいたHさんが支えてくれたのとで滑落はしなかったが体制を立て直すのに手間取った。

 続いてP7。今度は風に飛ばされないように慎重に登った。今度は無事登れた。P7は狭くて細長いピークでそこから北鎌コルに向かって急に高度を下げている。北鎌尾根で最大の下りだと思う。ザイル2ピッチに分けてゆっくり下る。2ピッチ目のビレイを行うが、オーバー手袋が凍り付いて右手の中指、薬指、小指が動かせないのに気づく。親指と人差し指で何とかビレイしたが、リードしたKさんが落ちなくてよかった。

 たどり着いた北鎌コル7・8のコル、アルペンガイドでは「北鎌沢ノコル」)で15:00。ここの天上沢側(東鎌尾根側)斜面を整地してテン場とする。北鎌コルは夏のルートが合流するところである。夏のルートは天上沢から北鎌沢右俣を登り、このコルに達する。前年夏に北鎌尾根を登ったときもそのルートであった。

 北鎌コルにテントを張って、中に入って落ち着いてから私の右手の凍傷のことを告げる。人差し指から小指にかけての指先に水ぶくれができていた。Sさんも足の指先に凍傷があることを述べ、テントの雰囲気が一気に暗くなる。もっともここまで来てしまっては戻っても大変なので計画を続行して槍ヶ岳まで登ることになる。Sさんと私はHさんから塗り薬を借りて患部に塗り、それぞれHさん、Kさんから手袋を借りることになった。またこれ以降、私はテントの真ん中で寝るようにし、共同装備を一切持たないことになった。


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