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3日目 |
2006年12月28日(木) 雪 |
P2取付…北鎌尾根P2…P3…P3-P4間(泊)
P2取付 | 4:00起床 |
7:15 | |
P2 | 11:10 |
11:15 | |
P3 | 12:40 |
P3-P4間小ピーク | 13:30 |
P3-P4間 | 16:00 |
26:30就寝 |
今日からいよいよ北鎌尾根の登攀がはじまる。樹林帯の中も明るくなり始めた7:15、出発する。
P2取付からはいきなり急登である。1時間ほどラッセルを交代しながら登ると露岩にぶつかった。ここから3ピッチ連続でザイルを出す。ところどころ怖いところがあった。はじめの2ピッチはKさんが、最後の1ピッチはKさんがリードした。最後の1ピッチの下は大岩の下で、大岩を左から巻くようにして登る。そこはときどき淡雪がサササササと音もなく落ちて行く斜面でかなり怖い。しかし赤布がそこに続いているため、そこを登った。
12/28 明るくなるころP2取付を出発。 |
12/28 P2で一本。 |
ザイルを出した後は20分くらいのラッセルで北鎌尾根の上に出た。日本登山体系ではP2と記されたところ、吉川氏の記録ではP2の肩と記されたところである。ここでは日本登山体系の記述に従いP2と呼ぶ。そこは少し平坦になったピークでP1側も尾根の上側も急な斜面になっている。
ここから尾根に沿って登って行く。北西からの季節風のためか積雪が多い。傾斜も大きいことも手伝って雪の深さは腰から胸ほどに達した。そのためラッセルはザックを置いて行い、ラッセル交替後に置いたザックを取りに戻りながら尾根を登った。
12/28 P2からいよいよ北鎌尾根を登る。 |
12/28 P3の下り。標高差10mほど。 |
1時間30分ほどのラッセルで小ピークに立つ。日本登山体系で言うところのP3である。いくらか木が少なく、展望があった。右手にはP4の前衛峰が見えたが、剣のようにそびえ立ちどこから登るのか見当がつかなかった。
目出帽をかぶりながらメガネをかけているとメガネがくもる。パーティーで同じくメガネをかけているKさんを見るとKさんはメガネを外していた。私はふだん朝起きてから夜寝るまでメガネをかけているのでメガネを外して行動するということは考えられなかったが、試しにメガネを外してみると意外と見えることが分かった。文字を読むなど細かいことでなければ私のような相当な近眼でも行動できることが分かった。この後、槍ヶ岳を越えて飛騨沢でメガネをかけるまではテント内を除いてずっとメガネを外していた。メガネをほぼ一日中外すのは中学生以来のことだった。
12/28 P4の前衛峰が見える。 |
12/28 P4の前衛峰の登り。 |
P3の後に小ピークを越えてP4の前衛峰に取りかかる。はじめから傾斜は急で、Kさんがトップでラッセル。樹林にからみながらいったん平坦なところに出る。そこで私は木の枝を大股でまたごうとしたが、その枝の小枝にカッパのズボンを引き裂かれてしまった。初心者がアイゼンで破きやすいというカッパのズボンであるが、その1号はアイゼンではなく枝によるものになってしまった。
平坦なところに出ると尾根は右に曲がり、次いで左に曲がる。そこがまた急な傾斜であった。上の方には露岩も見える。そこはHさんがリードでザイルを出す。露岩を左からまわり、ルンゼを直登しながら左のリッジへ移動。リッジに出たらリッジ右の岩根をトラバースするように登りリッジの肩みたいなところに出た。急な斜面で落ちてしまうのではないかと心配な登りであった。場所はP3とP4の間である。
12/28 幕営地手前の急斜面でザイルを出す。 |
12/28 幕営地手前の急斜面の登るHさん。 |
16時に着いたので、この日はここで泊まることにする。雪かきしてテン場を作る。雪は軽く尾根から離れると腰くらいまで沈む雪であった。テン場を踏み固めてからKさんとSさんは明日のルートにザイルをフィックスし、残りのメンバーはテントの組み立てに入った。私はテントの組み立てに加わったのだが、組み立てたポールを手に持っていたら落っことしてしまった。ポールは登ってきたルンゼの方向へ一直線。あっというまに見えなくなってしまった。
リーダーのKさんはKさんにフィックス中のザイル回収を指示、Kさんは少し下って落ちたポールを探しに行った。すでに暗くなり始めたこともあり、残念ながらポールは見つからなかった。
残ったポール1本でドーム型のエスパース2(4,5人用)を張り、張り綱を引いて少しでも空間を広げた。テントに不備があればここから先の山行を続けることはできない。そのため明日は下山となった。テントが狭くて眠りにくいこともあり、この日は夜遅くまで酒を飲んでいた。またこのテントの欠陥(出入口のファスナーが凍って開かなくなる)がここで露呈し、ポールを落とした私になぐさめとなっていた。この日、最後のザイル出しての登りが怖かったこともあり、私は下山することに少し安心していた。