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6日目 |
2006年12月31日(日) 晴れ |
北鎌コル…北鎌独標(P10)巻き…P11付近(泊)
北鎌コル (7・8のコル) | 3:30起床 |
7:30 | |
天狗の腰掛(P9) | 10:00 |
北鎌独標(P10)巻き始め | 11:30 |
P11付近 | 17:00 |
21:45就寝 |
この日は1日中天気がよかった。テントをたたんでいる間、KさんとSさんが先行してスタートする。私はアイゼンを履くのに手間取りその少しあとから登った。
12/31 北鎌コルから出発。この日は晴れた。 |
12/31 天狗の腰掛(P9)までの途中。比較的なだらかなところ。 |
北鎌コルから稜線に沿って急な登りである。夏道も稜線を巻くものの急な登りである。ところどころかん木の出た雪の斜面を登る。後ろからHさん、Kさんが追いついてきた頃、後ろに人影が見えたらしい。3人くらいらしいが、私は近眼だったのと振り返る余裕があまりなかったのとで見つけられなかった。
天狗の腰掛(P9)まではところどころ45度くらいの傾斜がある。急傾斜の登り方を知らない私はかなりビビりながらアイゼンを蹴り込んでいたが、下からピッケルのピックをつかんでピックに体重をかけて登る方法を教えてもらい、それに従って登った。アイゼンは前の2本爪だけで立つので疲れる登り方だ。でも槍の穂先をはじめとして多用する登り方であった。
12/31 P5, P6, P7とHさん。 |
12/31 天狗の腰掛(P9)までの途中。急な斜面を登るSさん。 |
天狗の腰掛(P9)は比較的平坦だ。稜線は千丈沢側からぐるりと回っているので正面に北鎌独標がよく見える。去年の夏に登ったときはガスに包まれていてその全貌はよく見えなかった。今日はよく見えるがいったいどこから登るのだろう。夏は巻いたのでよく分からないが、冬は巻いても直登してもよいらしい(「日本登山体系」による)ので直登ルートが気になった。
天気はよく、東の空に太陽が見える。Kさんが太陽に虹があるのに気づいたが、それは虹ではなくて日暈のようだった。虹なら太陽に背を向けた方向に見えるはずだが、この虹は太陽のまわりを囲っている。日暈を見るのは初めてであった。
12/31 天狗の腰掛(P9)から独標(P10)を望む。 |
12/31 天狗の腰掛(P9)から独標(P10)へ向かう。 |
このあたりでヘリコプターが一機飛んでいた。31日なのでまだ捜索願を出すには早い。誰かが遭難したのではなく、マスコミの取材かなんかだろう。北アルプスではないが、下山したら信濃毎日新聞の1月1日朝刊の1面に八ヶ岳の12月31日の写真が載っていた。
天狗の腰掛を下って小ピークを一つ越え、次の小ピークをどう越えるかを迷っていると後ろから人が。後続に追いつかれた。彼は単独行で板橋の山岳会と言っていた。単独行氏は次の小ピークをすたすたと乗り越えて行った。
とうとう追いつかれたという少し残念な気持ちとともに出発。単独行氏と同じルートで小ピークを越える。小ピークを下りにかかると単独行氏はすでに次の小ピークの雪壁を登っていた。ゆっくりと単独行氏を追いかける。
小ピークをいくつか越えると独標が大きい。独標の基部で単独行氏がどうするか思考しているようなので、その少し手前で一本。単独行氏が直登を始めたようなので我々も独標の基部に向かう。
12/31 独標基部に達する。私たちは千丈沢側をトラバースした。 |
12/31 独標を千丈沢側からトラバースする。 |
単独行氏は見えない。どこから登ったのか私には分からなかった。「日本登山体系」によれば「独標の登りは、基部からルンゼを直登するものと千丈沢側をトラバースした後ルンゼを登るものとがある。後者は回り道だがより確実である」とあるので、より確実なトラバースを選ぶ。
独標の基部の雪のないところに残置ロープが見えたのでそこがトラバースの起点と分かる。しばらくノーザイルでトラバースした後、ザイルを出してトラバース。ここのトラバースは夏道と一緒なので覚えがあった。2ピッチで独標から千丈沢側(硫黄尾根側)に伸びる支尾根のテラスに出る。
12/31 2ピッチで右手の支尾根のテラスに出る。 |
12/31 独標への登り道を探すKさん。ルートは見つからず、さらに千丈沢側を巻く。 |
このあたりから登れそうなルンゼを探すが見つからない。支尾根に沿ってKさんが登りルートを探しに行くが、残置ピンはあるものの通行は危険である。Kさんが逆に支尾根に沿って下り、さらにトラバースを試みた。これは行けそうなのでトラバースを続ける。テラスから後ろを振り返ると2パーティーが独標を直登していた。
1ピッチトラバースした先はまた支尾根のテラス。雪が溜まっていて平らになっている。その先のルンゼはよく見えない。1ピッチトラバースしてかん木を支点にピッチを切る。そこのルンゼを見るが登れそうにない。さらにもう1ピッチトラバース。もう一本別のルンゼがあったがこれは急なので見送り、次の支尾根に取り付く。
12/31 トラバース4ピッチ目。 |
12/31 支尾根を1ピッチ登る。 |
支尾根を1ピッチ登るとハイマツの出た斜面に出る。そこでやっと槍の穂先が見えた。見ると穂先はけっこう近い。大槍から小槍へつながる尾根も見える。P11からP14のいずれにあたるか分からないピークも黒い岩肌をこちらに見せている。
さらに槍ヶ岳側のルンゼに下りてルンゼを直登。2ピッチで稜線に復帰した。ルンゼに下りるあたりは岩がもろく怖かった。残置ピンなどがないところを見ると一般ルートではないらしい。途中でアイゼンがはずれあせったが、その場で直すことができた。
12/31 ルンゼを直登。稜線に復帰。 |
12/31 稜線に出て槍ヶ岳が見える。幕営地を整地する(左下)。 |
稜線に復帰したのは16時過ぎ。トレースがなくまだ支尾根にいるのかとあせったが、振り返ると独標にテントが3張。どうやら単独行氏を含む3パーティーを追い抜いてしまったらしい。場所はP11のあたりらしい。日が落ちる時間は近いのですぐテン場を探す。小ピークを2つほど越えた小さなコルを整地してテントを張る。テントを設置する頃には日は暮れていたが、満月に近い月が私たちのテントと槍ヶ岳を照らしていた。
12/31 テント。 |
12/31 凍傷の右手人差し指、中指、薬指。 |
テントに入って落ち着いてからはSさんがひどく心配していた。というのは12月30日までに下る、と奥さんに告げ、1月1日には奥さんの実家に行く予定になっていたからだ。携帯電話が何とか通じないか試していたがダメであった。私の親も雪山は2日、3日遅れるものだと知っているはずだが、今回の山行前にその可能性があることを口頭で伝えていないので分からない。もっとも私は下山しても特に予定がないので私自身は遅く下りても問題なかった。