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2002年夏 - 黒部川上ノ廊下[7/8]


2002年8月5日(月)〜11日(日)
場所
富山県中新川郡立山町、上新川郡大山村、長野県大町市、南安曇郡安曇村、岐阜県吉城郡上宝村
ルート
8月4日
JR中央本線新宿駅=松本駅=JR大糸線信濃大町駅(泊)
8月5日
JR大糸線信濃大町駅=扇沢=黒部ダム堰堤…平ノ渡し…奥黒部ヒュッテ…熊ノ沢出合(泊)
8月6日
熊ノ沢出合…下ノ黒ビンガ…上ノ黒ビンガ…金作谷出合…立石(岩苔小谷出合)(泊)
8月7日
立石…薬師沢出合…赤木沢出合…祖父平(泊)
8月8日
祖父平…岩苔乗越…水晶岳(往復)…鷲羽岳…三俣山荘(泊)
8月9日
三俣山荘…三俣山荘…三俣蓮華岳…双六小屋…西鎌尾根…槍岳山荘(泊)
8月10日
槍岳山荘…南岳…大キレット…北穂高岳…穂高岳山荘(泊)
8月11日
穂高岳山荘…奥穂高岳…紀美子平…岳沢…上高地=松本(解散)
参加者
C.L.中山(3), 永谷(3), 車(2), 初川(OB)

黒部川上ノ廊下の地図

6日目

2002年8月10日

槍岳山荘…南岳…大キレット…北穂高岳…穂高岳山荘(泊)

6日目コースタイム
槍岳山荘3:00起床
5:38
中岳下の雪渓6:38
6:54
南岳小屋7:39
7:54
大キレット
最低鞍部北
8:45
9:00
2841m峰南10:10
10:31
北穂高岳北峰11:16
11:40
北穂・涸沢岳
コル
12:39
12:50
涸沢岳13:50
14:00
穂高岳山荘14:13
18:00就寝

 朝起きると幸い雨はやみ、朝の1時間ほど晴れた。わずかな晴れ間を狙って槍ヶ岳に登って行く色とりどりのカッパの列が見えた。

 まず、正面に見える大喰岳に登る。登って行くとガスに包まれて視界がなくなってしまった。大喰岳をすぎ、中岳を越えて、中岳南側斜面の雪渓の水場で一本とる。水は石ころの斜面を流れており、コップですくった。

 風が強いばかりでたいして急なのぼりもなく南岳に出る。下って南岳小屋。西から風が吹くので小屋の東側で休んだが、風が小屋の北側からまわりこんできてあまり意味がなかった。永谷君がトイレに行ったとき、外の温度計を見ると気温8℃だったらしい。それに風の体感温度もあるから寒い。これから大キレットを越えるのだが、人が少なかった。

 まず小屋の南の小ピークを越え、下る。けっこう急ではしごが3ヶ所くらいあった。ざらざらに崩れたところがあってこれは怖かった。ほぼ下りきって小さな峰を越えていく。そこで雷鳥を見つけた。その距離1mほど。こんな間近で見るのは初めてだ。雛が3羽いた。人間がいるのに逃げないから不思議だ。もっとも翌日穂高岳山荘にも逃げない雷鳥がいたらしいのでだいぶ人に慣れているらしい。その先で一本。

南岳小屋
南岳小屋前で。風が寒い。気温8度。
大キレット
大キレット。北穂の登り。飛騨側が寒かった。
でも天気が悪かったおかげで人は少なかった。

 最低鞍部の少し北らしい。東側はなだらかなカール状になっていた。そこで北へ向かう外国人に会った。登山者の全数が少ないが、北穂高岳の登りでも外国人を見たし、海外でも有名なのかもしれない。次は2841mの先まで。鎖場がたくさんあったが、集中力さえあればたいしたことはなかった。特にナイフリッジということもない。この一本で北穂高小屋まで行けると思ったがとても無理だった。

 昼飯を食う。ちょうど飛騨側で寒い。北穂高小屋からから人が来たので話を聞くと下りで50分かかったらしい。登りで1時間10分ほどか。人が少ないので待たなくてもいいが、登りがガスの中、永遠に続くようでつらい。 岩に鉄の杭が打ちつけられたところが多かった。それをつかんで登る。この山行でおばちゃんが降ってくることがなかったのが幸いである。信州側に巻いて行くと岩に「小屋まで200m」とあった。水平方向かと思ったら鉛直方向も合わせた空間的な距離のようである。すぐに仰角45度の方向に小屋が見えたがなかなか着かなかった。約15分の急登だった。

 北穂高小屋を通りすぎ、北穂高岳北峰へ。山頂は見事なガスで何も見えなかった。なぜか風は吹いておらず、長く休むことができた。北穂高小屋に穂高岳山荘にテントが張れるかどうかを聞きに行く。白出のコルにテントが張れるようなスペースがあった気がしないのだ。聞いてみると張れるそうだ。そこで穂高岳山荘まで行く。考えてみると北穂高小屋はテントをどこに張るのだろう。小屋自体も狭いところを整地してコンクリートで固めて何とか2棟にしているのに。大キレットで前後した夫婦に山頂で会った。車がシャッターを押していたが、デジタルカメラでとまどっていた。4類のくせに。と言ったら「機械を使うんじゃなくてつくるんですよ」と言っていた。

北穂高岳
北穂高岳山頂。ガスってる。
大キレットでは風が吹いていたのに、山頂では風がなかった。

 北穂高岳から穂高岳山荘へ向かう。2本といったところか。いったん、涸沢への道を分け、中央方のわきを通り、下りながら涸沢岳とのコルへ。ここは大キレットと同じように登り下りが激しい。コルのあたりで一本。途中ですれ違った人にヘルメットを見られ、「岩?」と聞かれた。「黒部の上ノ廊下です」といったら「あんな遠くから」と驚かれた。そんな風に驚かれるとちょっとうれしい。

 涸沢岳へは急登だった。何度かザックが引っかかって歩きにくかった。できれば一本で穂高岳山荘まで着きたかったが、さすがに疲れて山頂で一本とった。正面の奥穂高岳は一瞬だけ山頂が見えたが、あとは雲をかぶって見えなかった。右にジャンダルム、左手には前穂北尾根、そして松本平が見えた。どうやら下界は晴れているようだ。山の天気が悪いのは山が気圧の谷間にすっぽり入っていてちょうど上昇気流を集めているからだろう。

 穂高岳山荘は近かった。テント場は小屋の北側で、ヘリポートの一段上にテントを張った。小屋に行って幕営料を払う。一人600円。500円が相場なのを考えると高い。スタンプ一回10円も変わっていなかった。水は1リットル150円。疲れたのでしばらくボーっとし、テントを張った。テント場はけっこう狭いのにどんどん混んできた。土曜日だからだろう。朝に上高地と新穂高温泉に着いた人たちが登ってきたのだろう。

 テント場代が高い代わりにトイレが充実していた。洗面所のようなものがあった。この日は16時ぴったりにメシができ、気象通報を聞いてメシをくい、カレー紅茶を飲んで停滞前線や等圧線を描いた。祖父平や三俣山荘でもそうだったが、カレー紅茶を早く作りたそうなまなざしを受けながら、一人で飯を食うのは参った。もう少し遅くメシを作ってくれよ。

 この日の晩は車がほとんど兄弟げんかをしたことがないことを聞いた。家に帰ったらちゃんとけんかするように諭し、寝た。永谷君が予定の西穂・焼岳に行かず、前穂から岳沢・上高地に下りたがっていた。


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