山ノ中ニ有リ>山行記録一覧>2002年山行一覧>2002年夏 - 黒部川上ノ廊下[1/8]
行き先として考えていたのは、この黒部川上ノ廊下と日高山脈縦走だった。私はどちらも行きたいのでどちらでもよかったのだが、岩登りをはじめた永谷君が日高のヤブを嫌がったので、上ノ廊下ということになった。上ノ廊下だけでは1週間足らずで登れてしまうので、おまけに槍穂縦走を付け加えた。車にも意見を求めたかもしれないが、車がどこに行きたいのか希望を述べていたのかは覚えていない。
なぜ黒部川上ノ廊下かといえば、私が小学生の時に知っていたことによるのが大きい。私は小学生のとき富山県に住んでおり、そのときに立山や乗鞍岳に親につれられて登った。家には立山周辺のアルペンマップがあり、親に聞いたりして黒部川上ノ廊下なるところを知っていた。子供のときのイメージはとにかく難しくて危ないところ、でもスケールの大きい沢である、といったところである。行けるものなら行ってみたいという漠然とした憧れを抱いていた。
大学生になってから沢登りをやるようになっても、本を読むと5級と書いてあり、「難しくて自分には行けないだろう」と思っていた。だが、文登研でいっしょの班だった東京学芸大学の人が登っており、「全然難しくなかった」と言っていたことから、現実味がわいてきた。そこで、この合宿の機会に行動にうつしたのである。
OBの初川さんに計画を話すと、初川さんも行きたいところだったらしく、いっしょに行くことになった。これでメンバーは4人であり、1年生がいない、OBのいる、合宿らしくない合宿になってしまった。
情報収集は『ROCK & SNOW BOOKS 沢登り』(山と渓谷社,2001)などの本を見たり、文登研で一緒の班だった学芸大の石田君に電話で聞いたりした。
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2002年8月4日夜 |
15時部室集合。食料を詰めて出発。初川さんが50リットルザックにがんばって詰めていた。車のザックが一番重かった。すまんが、わたしがばてるわけにはいかんのだよ。まずかったら永谷君に持たせよう。新宿では4年生と宮川さんに見送られて出発する。なんかみんなめんどくさそうだったので、予定より早い列車に乗ったら、高尾で松本行きに乗ることができた。高尾からしばらくで座ることができ、長い列車のたびを宮川さん差し入れのバナナを食べながら過ごした。
この電車では三井君の2つの重大な忘れ物が発覚した。まず、コッヘルごとガスのヘッドを忘れる。大岡山でラジオを忘れたと思って五千円で買ったらウエストポーチから出てくる。ガスのヘッドは私のを貸した。これでは縦走パーティーは敗退かとみんな思った。
さて、茅野で列車が停車した。窓の外は雨が降っている。初川さんが「オレは一度も合宿で雨を降らせたことがないのに。誰だ雨男は」と言っていた。雨男というと車だろうか。初川さんは三井君に八つ当たりしていた。茅野で停車したのは上りの特急が故障したとかである。改札外のトイレに行き、戻ってくるとちょうど発車するところだった。
松本に着き、西寄りのホームで電車を待つ。大糸線も松本電鉄も同じはじっこの島式ホームだった。電車を待つ間、永谷君が三井君のザックを蹴っていたら、バックルかなんかが壊れた。縦走パーティーとはここでお別れ。松本電鉄の終電を見送り、大糸線に乗る。初川さんはロングシートに横になっていた。
信濃大町着。車は熟睡したらしく、4回強めにたたいてやっと起きた。たぶん数学の教科書に囲まれた楽園で幸せに勉強していたのだろう。少なくとも山に登る夢ではなかったに違いない。信濃大町で下りたのはもうひとパーティー。6人ほど。少し離れたコンビニに行こうとするとタクシーの運ちゃんが駅のロータリーを出たところで「コンビニつぶれたよ」とていねいに教えてくれた。外は雨も上がり、水たまりを避けて銀マットを敷き寝た。