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2003年秋 - 日光・根名草山[1/2]


2003年11月22日(土)、23日(日)
場所
栃木県日光市、塩谷郡栗山村/奥鬼怒
ルート
11月22日
日光湯元温泉バス停…金精山…金精峠…念仏平避難小屋(泊)
11月23日
念仏平避難小屋…根名草山…加仁湯…女夫淵温泉=鬼怒川温泉
参加者
中山(B4, 単独行)
参考

日光・根名草山の位置

はじめに

 予定は日光白根山〜鬼怒沼山のヤブ山縦走を行い、これまでに歩いた日光白根山〜袈裟丸山の縦走路(参考:日光白根山〜皇海山袈裟丸山)とつなげるつもりだった。しかし、いろいろあってできず、予定を変更してまっすぐ女夫淵温泉に下ったのだった。この記録はそのあきらめるまでの過程を示すものである。なお、私は雪山の経験がない上、雪山の道具を一切持っていないことに注意してほしい。私は冬は里ワンパーティーである。

0日目夜〜1日目

2003年11月21日夜〜22日

日光湯元温泉バス停…金精山…金精峠…念仏平避難小屋(泊)

1日目コースタイム
湯元温泉バス停10:00
10:15
尾根上1900m11:05
11:17
金精山の登り12:05
12:10
金精山12:20
12:32
念仏平避難小屋14:08
17:05就寝

 前日22日の金曜日。午前1時に寝てから4時半に起きる。眠い。朝2番目の列車に乗る。予定の列車がなかなか来なくて浅草で都営浅草線の駅から東武の駅まで走るはめになってしまった。5分の乗換えでけっこう危険だったものの、改札を抜けると浅草6:20発東武日光・新藤原行きの快速の発車ベルが鳴っていた。滑り込みセーフ。前2両東武日光行き、後ろ4両新藤原行きらしいので前の車両に移動する。北千住でたくさん人が乗ってきた後は下今市までずっと寝ていた。東武日光駅に着いてバスのキップを買ったあと、バスに乗り込む。このバスも長いので寝る。中禅寺湖の湖畔で起きる。竜頭の滝を過ぎると白いものがちらちらと見えるようになってきた。男体山はくっきりと見えるのでまさかと思ったが、バスが湯の湖にさしかかって疑いは明らかになった。雪が降っている。

 バス終点、湯元温泉で下車。雪が風にのって舞っている。ここにくるのは2回目だ。前は日光白根山〜皇海山の縦走。前回は前白根山へ直接登るルートをとったが、今回は同じ道を歩きたくないので、北側の尾根からアプローチする。とりあえず、バスの待合室で水を汲み、着替えて出発。バスの乗客を見ると山に登るのは私一人だけのようだった。ちょうど3連休初日なので、みんな温泉に入りに来ているらしい。

日光湯元温泉
日光湯元温泉バス停から歩き出す。写真には写らなかったが、雪が風に舞っていた。
登山口
登山口。

 なにか名前のついた道を西へ突き進む。歩いていてあまりの寒さにジャージの上を着ることにする。それまで山のシャツ2枚だけだった。やがて登山口に着く。金精山南側にガレていて危険と警告する看板があった。計画書入れがあったが、用意された用紙に書きこむための台は雪で濡れており、書かないで出発した。はじめは非常に平坦な道。新雪が積もっており、私の前をひとりかふたり歩いているのがわかった。雪の降りが激しくなってから尾根に取り付く。いきなり急な傾斜だ。しかし、登っても遠くに見える金精道路と同じくらいの高さだ。まだまだ登る。ちょうど尾根に出たあたりで一本とる。

 雪はやみ、下の湯元温泉と湯の湖が見えた。反対側の外山側がまだ高い。五色山のほうを見ても雲をかぶっていてどれだけ登るのかよくわからない。先行く人に追いつこうと出発する。まわりは木々と笹の斜面。そこに雪が1センチメートルほど積もっている。歩いていてもなかなか主稜線につかず、うまくペースがつくれない。一人だとどうしてもペースが速くなって息切れしてしまう。道はやがて小さな峠のようなところに出た。そこを越えると国境平というちょっとだけ平らになったところについた。ここは五色山を経て奥白根山に至る道と金精峠を越えて北へ伸びる道との分岐になっている。今回、白根山には登らないので、金精峠への道をとる。歩き出してすぐ、足跡がなくなったのに気がついた。どうやら白根山のほうに向かったらしい。私は誰も足跡をつけていない金精峠への道を行く。

 しかし、国境平に出てから群馬側の風が冷たい。吹きつける風、舞い散る雪、低い気温、寒い。ここまで上は長袖Tシャツ+半袖Tシャツ、下はジャージ、そして軍手なしで歩いていたが、寒い。こけたり、岩をつかんだりすると素手に雪がついて指先から体温が抜けていく。いっぺん足を滑らせて思いきりひじを打ち、右腕の薬指と小指の感覚がなくなってしまった。寒くて感覚がないのかしびれて感覚がないのかわからない。これでは低体温症になってしまう、仙丈ケ岳の二の舞は嫌だ、とカッパを着る。と、カッパの下をはくとき、ジャージのすそがごわごわしていることに気づく。雪で凍ったらしい。ということは気温は氷点下か。それに風も秒速10メートルくらい吹いているから体感温度はマイナス10度?考えるだけで寒い。できれば軍手もつけたかったが、軍手はやや深いところに入れてしまったので、あきらめた。

湯の湖
湯元温泉そばの湯の湖が見える。
金精山
金精山山頂。気がつけば景色はモノトーン。

 なんとか金精山に着く。栃木側の少し風の弱いところで休む。看板にあった金精山南側の「危険箇所」は気がつかなかった。空を眺めると厚い雲が群馬側から栃木側に過ぎていく。日にかぶるたびに暗くなる。少し物を食べるが、寒くて水は飲めない。飲みたくないので飲まない。動かないとこごえるので金精峠へ下る。これでは燕巣山、鬼怒沼山への縦走は難しそうだ。

金精山の空
金精山の空。群馬側から厚い雲がいくどもやってきて太陽を覆う。
金精峠
金精峠へ下る。正面には温泉ガ岳が見えるはずだが。

 金精峠への下りは急で、岩に氷がついてその上に雪がかぶさっていて滑る。しかし、氷が薄いのでアイゼンをつけていてもあまり意味がないかもしれない。アイゼンは持ってきてないので、慎重に歩いて通過する。やがて妙な社のある金精峠。湯泉ガ岳の登りにとりかかる。入るとあたらしい足跡を発見。追っていくとすぐ追いついた。中年夫婦2人が先を歩いていた。湯元温泉から車道を歩いて金精トンネルのところから峠まで登ってきたらしい。私と同じく念仏平避難小屋泊まりだそうだ。夫婦を抜いて先を行く。道は急登だが、さほど長くは続かず、温泉ガ岳南の平らな林の中に入る。暗い針葉樹林の中に雪が積もって白い道ができている。まっさらな新雪の上に足跡を刻んで歩く。私が感性豊かな人間なら詩の一つでもできそうだが、残念ながらただの凡人には、言葉にできない何かを味わいながら黙々と歩くことしかできない。道は温泉ガ岳の東側を絡んで北側へまわる。ピークは踏まない。小さな山がたくさんあってどこに行くのだかよくわからないところを行く。道がついてなければまず迷う。

温泉ガ岳近く
温泉ガ岳近くの道。踏み跡のない道を行く。
念仏平避難小屋の水場
念仏平避難小屋の水場。小屋から徒歩30歩くらいの流水。

 やがて急な下りに出て落ち着いて下る。下りつくと沢が流れている。水場があるということはすぐ小屋だ。ひと登り、30秒で念仏平避難小屋だった。小屋に入ろうとするが、手がけが見つからない。引き戸のようだが。約2分、思案する。やっと扉に目立たない手がけを見つけ、ひく。しかし、立て付けが悪いらしく、なかなか開かない。辛抱強く開ける。ザックを下ろすと「着いた」という気分になる。

 すぐ、水を汲みに行く。ポリタンだけではうまく汲めず、コップを取りに戻った。小屋の中は上下2段にわかれており、どちらも6人くらいずつ入るだろうか。トイレはない。上段に入って置いてあったマットを敷き、その上に銀マットを敷いてシュラフにもぐる。いまいちおいしくないおにぎりをコッヘルに入れて水を足し、湯漬けにして食べた。食べていると後続の中年夫婦がやってきた。話を聞くと明日は来た道を金精峠に戻るらしい。でも明日の朝早いとかで、そのあと何か予定があるのだろうか。私はもう予定のルートを行くことをあきらめていた。直感的に無理だと感じていた。理性的に理由を並べれば、装備の不足。ヤッケとオーバー手袋とインナーシュラフが足りない。新雪が積もっていて滑落の可能性がある。私の能力を考えるとこのような昼でもとにかく寒い、雪のついた山は初めてなので危険である。私は来た道を戻るのも嫌なので、北へ女夫淵温泉に下ることにした。

念仏平避難小屋
念仏平避難小屋。中は2段になっている。
根名草山への道
根名草山への道。雪に覆われている。

 中年夫婦はザックを置くとしばらく写真を撮りに出かけていった。ひと寝入りする。だいぶ気持ちよく眠れた。15時半ごろ、夫婦が戻ってきたので、起きる。気象図を描く。見事な西高東低の気圧配置。寒いわけだ。しかも日本海から北西風が吹いてきているので谷川岳とかこのあたり一帯に雪を降らせているのだろう。

 気象図をとり終わるころ、もう一人客がやってきた。この人も私と同じく単独行らしい。ずいぶん遅くまで行動するものだ。ひょっとしたら一日で日光白根山から縦走して来たのかもしれない。メシは炊いたご飯とレトルトのハヤシライス。レトルトを温めるために使ったお湯をすべて飲んだら2度トイレに行かねばならなかった。


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