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2004年8月25日 |
荒川小屋…大聖寺平…赤石岳…百間平…大沢岳…中盛丸山…兎岳避難小屋(泊)
荒川小屋 | 2:00起床 |
3:42 | |
2840m台地 | 4:50 |
5:03 | |
3030m峰 | 5:45 |
6:10 | |
赤石岳 | 6:55 |
7:40 | |
百間洞山ノ家 | 9:20 |
10:00 | |
大沢岳 | 11:05 |
11:35 | |
中盛丸山・ 小兎岳コル | 12:30 |
12:45 | |
小兎岳南コル (水場) | 13:12 |
13:50 | |
兎岳 | 14:28 |
14:38 | |
兎岳避難小屋 | 14:47 |
18:30就寝 |
空は晴れてきて暑い。それまで着ていたカッパを脱ぐ。とりあえずザックをおろすが、もう少しトラバースすると沢があったのでそこまで移動した。ここで水を補給しておく。テント場はたくさんあったが非常に小さいものもあった。9時過ぎで天気も晴れということもあり、張ってあるテントはなかった。もっともここを訪れる人は少ない。多くの人は荒川三山と赤石岳、聖岳と光岳をセットにして登るが、この赤石岳から聖岳の間は高低差と距離ばかりがあって敬遠されている。エスケープルートも少ない。地形図には百間洞から北へ広河原小屋に下る道があるが廃道らしく分岐に気がつかなかった。歩くのは私たちのような学生が中心で、それもここで会う人には南アルプス全山縦走を試みている人が高い。もし赤石沢を遡行していればここに出てくるんだなあと自分たちのまた違った運命を考えた。
8/25 百間洞山の家のテント場で一本。次の一本で大沢岳まで登ります。 |
8/25 大沢岳の登り。急登です。私の左の山靴の底もココではがれました。 |
大沢岳への登りに取りかかる。道は沢沿いとか稜線沿いとかではなく男らしく2814mピークに直登している。樹林帯をすぐ抜けて明るいハイマツの斜面を登っていく。荒井がやや遅れ気味なのでついつい先に行ってしまう。岩のゴロゴロしている斜面を登っていると、左足を引っ張られる感覚に気づく。何かと思ったら山靴の靴底がはがれ始めているではないか。ニュージーランドに行ったとき山靴が壊れたのが思い出される。これは別の靴だが。幸い頑丈な重登山靴で靴底のゴムがはがれても木の板が打ち付けられているので足が抜けることはない。とりあえずこれ以上はがさないように慎重に歩く。
2814mピークに登るのかと思ったら道は直前で南側にそれていく。2814mピークと大沢岳の鞍部で荒井に休むかと聞いたら「いや、大沢岳まで行きます」と力強い返事をもらった。大沢岳へもう一つ急登をこなし、大沢岳山頂に到着。
8/25 ナンバーワン!大沢岳の山頂。 |
8/25 中山と百間平と赤石岳。左の方には荒川岳東岳。 |
この大沢岳は赤石岳や荒川三山よりも強く印象に残った。天気がよかったのが理由の一つだが、それだけではない。西側がすっぱり切れており見えない伊那谷までの青い山々がずっと広がっている。この地形的条件を生かし、いろいろと危険な写真を撮る。がけっぷちでポーズをとっている写真だ。振り返れば百間平とその向こうに大きな赤石岳。さらに左には荒川岳が見える。行く先の南側には山らしい形をした中盛丸山とその向こうに丘のような兎岳が見えた。
大沢岳から少し下ると平坦なところになり西に大沢渡への道を分けた。ずっと向こうには山腹をからむ車道が見え、遠くにしらびそ峠の何か建物が見えた。もっとも向こうに下りても公共交通機関はないだろう。百間洞山の家から道を合わせて中盛丸山の登り。いい形しているだけあってけっこうしんどい。中盛丸山の下りは急で靴底はがれた身には非常に下りにくい。下るごとに向こうの兎岳が高くなってくる。意外にも160m下って同じくらい登ることになる。
8/25 伊那谷をみつめる中山。 |
8/25 中盛丸山と兎岳。登り下りがうっとおしい。 |
中盛丸山・小兎岳コルで一本とった。暑い。今回の山行はじまって以来の感覚である。小兎岳の登りでまたついつい荒井を追い抜いてしまい、この日は小赤石岳の登り、大沢岳の登り、兎岳の登りと何度も荒井を追い抜いてしまった。しかし、この区間はやはり人が少ないからか雷鳥を3度も見ることができた。あるときにわたっては道の真中に雷鳥が歩いており、邪魔することもできず立ち止まってカメラで撮影していた。雷鳥はだいたいつがいか子供連れで一羽見つけるとどこかでガサッと音がした。
8/25 赤石岳〜聖岳は人が少ないからか、雷鳥を3回見かけました。これは小兎岳の登りで。 |
8/25 小兎岳南コルの水場へは大井川赤石沢側へハイマツをかき分けて行きます。コップもしくはコッヘルなど水を掬うものが必要です。小兎岳−兎岳最低鞍部でなく、小兎岳から下って最初のコルなので注意。テントを張った跡もあります。ここで追い抜いて行った京都産大さんは気付かなかったので、教えればよかった。 |
小兎岳まで登ると残りの登りらしい登りは兎岳だけになる。その前に小兎岳から下ったところで水を汲みに行く。特にマークはないが、ハイマツの中に道らしきものがあり、またここでテントを張ったような跡があるところだ。ザックをおろし、水を汲みに行く。ハイマツの中の道は足元だけ切り開かれており、腰のあたりはかき分けていく。急な下りを行くとハイマツ帯を抜け、草地の急斜面に出る。やがて水場にぶつかる。水場といっても沢の源頭でコップがないと水を汲むことができない。また上流で荒井が動くと水が濁る。なのでお互いに水を乱さないようにして、私が水を汲んだ。コップは一つしか持ってこなかったので。水がたまっていく間、正面の大きな聖岳を見たり、荒井とこんな水場どうやって見つけたのだろうと話し合った。
急な下りだった分、登りもつらい。結局下り2分、登り5分といったところだった。それでも稜線からこれだけの往復で水が得られるなら楽なもんである。今日の幕営地、兎岳避難小屋まではあと一本、ついでに休む。休んでいたら荒川岳東岳の往復で会った京都産大の2人組みが快調なペースで過ぎていった。水場ここだよと言おうかと思ったが、百間洞で十分汲んでいるかもと思い、つい躊躇してしまった。
さて重い腰を挙げて最後の一本を歩き始める。すぐ京都産大に追いつくが、すぐ水場どこにありますかと聞かれる。やっぱり声をかけておけばよかった。場所を告げてコップかコッヘルを忘れないように言い、先を急いだ。兎岳直前のコルだと思ったらしい。確かにそっちの方が低いし、奥赤石沢最奥のコルに当たるからそう思うのも無理はないだろう。兎岳まで最後の登りをこなし、休む。振り返れば荒川岳東岳からこの兎岳まで続く稜線が指呼のうちにある。さらに南を向くと上河内岳から茶臼岳を経て光岳に至る平坦な稜線が連なっている。兎岳ということもあってうさぎ跳びをしている写真を荒井に撮ってもらおうとしたが、シャッターが押し切れておらず撮れていなかった。せっかくハイジャンプしたのに。
8/25 来た道を兎岳山頂から振り返る。 |
8/25 光岳の方向。茶臼岳から先は行ってないから山の名前はやや適当。にしても平坦だな。 |
ここまでくれば兎岳避難小屋は遠くない。東へ下っていくと分岐があって避難小屋は分岐から少し入ったところにあった。小屋までの道には2張りほど張れるスペースがあり、小屋の前にも2張りほど張れるスペースがあった。14:47兎岳避難小屋到着。この山行最長の11時間行程になった。どうせなら小屋で寝たいなと考えコンクリート造りの小屋をのぞいてみるが、中では半畳ほどの板敷きが鋲のようなもので留められており、小屋テンはできない。そもそも汚いし小屋で寝るのはやめた。
とりあえずテントを張り、これまでで濡れたものを干す。私は細引きを使って壊れた山靴を直し、荒井は寝ていただろうか。しばらく待っていても京都産大は来なかったのでどうやら手前のテント場で張っているようであった。トイレはテント場の先にあった。別に設備があるわけではなくて暗黙の了解としてその周辺がトイレになっていた。無論水はなく小兎岳南コルもしくは聖平小屋から背負わなければならない。
そうやってだらだら過ごしていると他の2人パーティーがやってきた。新潟大探検部の人たちで、私たちは広げていた荷物を片付け空きスペースを広げた。16時になって荒井は気象図、私は飯作りと決まった分担を行う。最後に私が歯磨きに外に出たときに少し話をした。新潟大さんは光岳から北岳の南アルプス全山縦走を目指しており、寸又峡温泉から寸又川林道36kmを2日かけて歩いたそうな。エアリアマップには載っているがまさか実行する人がいるとは。三伏峠でサポート隊が来るそうで今日で5日目と言っていた。京都産大は塩見岳から光岳までだったし南アルプスは長期間縦走する人が多い。
幕営可能数 | 30張りくらい |
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水場 | 幕営地から徒歩1分、沢の水。 |
トイレ | たぶん小屋。 |
料金 | 泊まってないからわからぬ。 |
備考 | 2人用テントが張れるかどうかというサイズのテン場もあった。 |
幕営可能数 | 標準2張り、最大で2人用テント4張り。場所は小屋の前と縦走路。 |
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水場 | 小兎岳南のコルから赤石沢側に5分。コップもしくはコッヘルなど水を掬うものが必要。小兎岳−兎岳最低鞍部でなく、小兎岳から下って最初のコルなので注意。テントを張った跡もある。または聖平小屋からボッカ。 |
トイレ | なし。西よりが汚い。 |
料金 | 無料。 |
備考 | 小屋そのものはボロい。中では半畳ほどの板敷きが鋲のようなもので留められており、小屋テンは不可。小兎岳南のコルにはテントを張った跡があり、4張りほど張れる。 |