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2004年夏。荒井を連れて夏合宿に出かける必要があった。場所は、荒井が提案してきたのは北アルプス双六谷。荒井は北アルプスに行ったことがなく槍ヶ岳や穂高岳に行きたいという願望があり、一方で私が沢に行きたいとごねた折衷案であった。しかし私は双六谷に反対だった。雨が降って増水していたりすると代替となる縦走ルートがないからだ。また槍穂の稜線はすでに行ったことがあるので、あまり行く気が起きなかった。
そこで私が逆に提案したのは南アルプス赤石沢だった。ここなら増水しても多くの縦走ルートをとることができ、私も行ったことのないところだった。しかも前年失敗した南アルプス全山縦走でいくらか調べたこともある。荒井に譲ってもらう形で南アルプス赤石沢と赤石岳以南の縦走をすることにした。
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2004年8月21日 |
東京=小田原=静岡=東静岡
前日部室に泊まる。というのは静岡から畑薙第一ダムまでのバスは1日2本しかなく、自宅を朝出るとどちらにも間に合わないからだ。6時ごろ蒲田駅集合で東京を出発する予定である。しかし待っても荒井は来ない。15分ほど時間をオーバーして荒井がやってきた。寝坊したらしい。蒲田駅は東海道本線は停まらない。目の前を列車が通り過ぎていった。どうしようか考えたものの、改札に入ってしまったので18きっぷにははんこが押されている。しかたないので今日は静岡に行って静岡で寝ることにした。
時間はたっぷりある。小田原でザックを置いて小田原城を見に行ったらザックがしょっぴかれていた。不審物扱いとしてJR東海の事務所に置かれていた。謝って取り返す。自分のせいだが、小田原が嫌いになってしまった。
ほか静岡まで特に見るところはない。静岡で降りて街中をぶらぶらしたいが、ザックの問題がある。しかたないのでコインロッカーに詰めることにした。ザックそのままの形ではロッカーに入らないので、中身をいったん出して詰める。もっとも大きなサイズとあって500円と高い。
午後3時ごろで市街地をぶらつき、結局映画館に入った。見た映画は「華氏911」。マイケル・ムーアがブッシュ大統領の施策を非難した記録映画だ。別の視点でイラク戦争を眺めることができてよかった。荒井は「テレビ見ていればブッシュと石油会社のつながりなんてよくやってますよ」と大して驚いてはいないようだった。
さて、どこで寝るか。静岡駅は明るいし、小田原駅の調子で不審者扱いされかねない。しかたないので隣の東静岡駅に行き、駅前の広大な駐車場の片隅で寝た。割と明るかった。
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2004年8月22日 |
東静岡=静岡=畑薙第一ダム…椹島(泊)
畑薙第一ダム | 11:15 |
11:50 | |
畑薙橋 | 13:10 |
13:20 | |
胡桃沢北の沢 | 14:17 |
14:27 | |
赤石トンネル出口 | 15:14 |
15:25 | |
牛首峠 | 16:17 |
17:10 | |
椹島幕営地 | 17:20 |
20:15就寝 |
朝起きる。静岡駅に行くと畑薙第一ダム行きのバス停の前で寝ている集団があった。結局私たちの杞憂だった。ダム行きのバスは豪華な観光バスだった。それも3時間半という長距離であることを考えればしかたないものである。乗る人は多く、車掌さんもダムまでずっといた。私は寝足りなかったのでバスでも寝続けた。
畑薙第一ダム到着。15人ほどの人が降りた。荷物代込みで3850円。往復すると1万円近い。時刻は11:15。すでに昼である。ここから赤石沢出合までは5時間半の道のり。実に1日行程である。普通の人は畑薙第一ダムの一つ手前のバス停でバスに乗り換える。しかしそのバスは椹島ロッジを経営する東海フォレストのものでこの会社の経営する山小屋に泊まる人しかこのバスには乗れないのだ。私たちはテント泊で山小屋に泊まるつもりはないのでバスに乗ることはできない。
畑薙第一ダムは重力式コンクリートダム。大きなコンクリートの壁がそそり立っている。少人数の人たちはさっさと歩き始めていたが、静岡駅で寝ていたパーティーと私たちは水を汲んだり手間取っていた。天気はくもり、よくなるか悪くなるか分からなかった。
静岡駅で寝ていた駅寝パーティーに少し遅れて出発。しばらくで沼平。ゲートがあり、一般車はここまでしか入れない。工事現場のようなプレハブ小屋が建っていた。1時間と少しで畑薙大吊橋。先行する駅寝パーティーが一本とっていた。どうやら茶臼小屋に向かうらしい。私たちも一本とる。ときどき雨がぱらつく。
大井川左岸の青薙山登山口の辺りまで来ると、ダムのバックウォーターも少なくなり流木が河床に散らばっていた。青薙山へはかなりの急登のようであった。しばらくで畑薙橋。鉄でできた赤いアーチ橋だった気がする。渡って少しでまた一本。向かいに崩壊地があり、扇状地状に土砂が貯まっていた。この畑薙湖の湖畔はその名に代表されるように「薙」と呼ばれる崩壊地が多い。ダムが早く埋まってしまうのではないかと思う。
土木工学的考察はその程度にして記録を先に進める。畑薙橋を渡ってしばらくで赤石ダムの地下水力発電所。登りがしんどい。そういうところをバスがピューッと通過していくのを見ると、金払うから乗せてほしいと思う。中ノ宿吊橋の横を通る。計画では静岡駅発2本目のバスに乗り、この辺で16時になるのでテントを張ってこっそり寝ようという魂胆だった。しかしまだ14時くらいなので椹島まで着けると考えまだまだ進む。
8/22 静岡駅からバスに揺られること3時間半、登山口の畑薙第一ダムに着く。大井川本流にかかる重力式コンクリートダム。 |
8/22 畑薙第一ダムから歩くこと5時間、赤石沢の堰の放流渠が見える。これを見るとかなりの水量だ。 雨が降ってきたこともあって赤石沢遡行をやめ、荒川三山からの縦走に切り替える。 |
胡桃沢の一つ北の沢のあたりで一本。椹島まであと2本といったところである。赤石渡で車道は大井川本流から離れ赤石沢沿いになる。赤石沢に入ってすぐ赤石ダム。堰堤高さまで登る。トンネルを抜けると堰堤のあたりまでたどり着いた。また一本。15時をまわり、くもり空が暗くなってきた。できれば椹島で気象図をとりたかったが、16時には着かなさそうだ。
聖平への道を分け発電所を過ぎたあたりで16時。荒井に天気図をとってもらう。大井川と赤石沢の間の牛首峠で待つことにして、私は先行し赤石沢の様子を見ておく。一人で歩いていると赤石沢から轟々と大きな音が聞こえてくる。何かと思って木々の間から沢をのぞいてみると、明らかに平常時以上の水量で白く泡立っている。赤石沢を右岸から左岸に渡る赤石沢橋を渡るところに赤石沢の堰から来る放流渠があり、赤石沢本流以上の水量を吐き出していた。これを見ると赤石沢にはあまり行きたくなくなる。橋を渡るとすぐ牛首峠に着いた。
荒井を待つ間に赤石沢に下りて様子を見る。赤石沢を遡行するとしたら沢の様子を調べておきたいし、河原で泊まった方が楽である。梯子があったのでそれに従って下る。途中滑りやすいところもあるものの無事沢にたどり着いた。大部分の水が堰から放流渠経由で下っているらしく沢自体はさほど増水していない。しかし堰があるということはゲートがあるかもしれず、沢の方に水を流し始めると一気に増水することになるので赤石沢遡行は止めたほうがよさそうだ。
梯子をのぼって戻り道路の片隅で荒井を待つ。暗かった空から雨が降ってきた。林の間に身を隠しカッパを着る。待てども荒井はなかなか来ない。17時過ぎに荒井が現れた。今回赤石沢を諦めて荒川三山からの縦走に切り替えることを告げると、天気図をとった荒井も明日は天気があまりよくないことをいい、合意した。
椹島へ降りるとそこは下界のようであった。いくつかの建物があり、道は整地され、テント場は広大な草地が整備されていた。建物の一つに入り、テント泊の手続きをする。1人600円と少し高い。ちょうどロビーのようになっておりテレビもあった。
ついでに畑薙第一ダムから先のバスがなぜ宿泊者しか乗せないのかを聞いたら行政の指導のためだそうだ。ダムより奥の道は「林道」であり、「林道」ではバスを営業してはいけないらしい。したがって運行しているバスは宿泊者へのサービスに過ぎず、宿泊料以上の料金をとっているわけではないそうだ。東海フォレストとしてはバスを事業として運営して、宿泊者以外の人間も乗せた方がもうかるのだが、そういう理由で宿泊しない人は乗せていないということだった。なお、南アルプススーパー林道に代表される「スーパー林道」はお金をとってバスを運行してもよいらしい。
テント場に戻って荒井にそれを話しながら飯を作った。もう赤石沢は諦めていたので椹島から千枚岳以降の道を調べた。明日は千枚小屋まで7時間の登りが続く。椹島のテント場は100張りくらい張れそうな広さだったが、テントは私たちともう一つだけだった。トイレも近く、水もすぐ手に入った。着いたのも遅かったので20:15、遅い就寝となった。
幕営可能数 | 50張りくらい |
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水場 | 幕営地から徒歩1分、蛇口。 |
トイレ | 幕営地から徒歩1分、水洗。 |
料金 | 1人600円。 |
備考 | テント泊には東海フォレストバスに乗る権利は与えられない。 |