山ノ中ニ有リ>山行記録一覧>2008年山行一覧>渋谷川源流探索
先に結論:渋谷川の源流はよく分かりませんでした。
私は川の源流に興味がある。
川はどこからやってきて、どこへ流れて行くのか。山から流れてきて海に注ぎ込む、と言ってしまえばそれでおしまいだが、それでも流れる水にとっては雨の一滴からはるばる遠い海までの長旅である。その旅の出発点と終着点に私はひかれる。
とりわけ出発点である源流に私は興味がある。川には大量の水が流れているが、もとをたどって行けば小川であり、ちょろちょろした流れであり、じわじわしみ出す一滴のはずである。でもその一滴を見たことのある人は少ないと思う。実際に沢登りをするとそれは一滴というより離散的な水たまりなのだが、それでも長い川のはじまりを見ると私は感動する。
また空から落ちてきた雨粒は稜線のあちらとこちらで流れる経路が変わってしまう。着地点がわずか数メートルの違いでも日本海に流れるか太平洋に流れるか分からないところもある。そんな初期値に対する鋭敏な依存性も興味のある理由である。
今まで私はいくつかの川の源流を見てきている。
これらは沢登りの趣味などで登ったのだが、最近は都市河川の源流にも興味が湧いてきた。ビル群の間を流れる川はいったいどこから流れてくるのか。里山から流れてくるのか、それとも都市開発されて源流はつぶされているのか。興味はつきない。一昨年の冬は実家近くの川の源流をたどった。昨年の冬は自転車で井の頭公園から神田川を下り、竹芝桟橋から古川・渋谷川を千駄ヶ谷までたどった。
その際、渋谷川の源流がどこだかわからず千駄ヶ谷駅の前で探索を打ち切ったのだ。その後ネットで調べると渋谷川の源流が新宿御苑にあることが分かった。また玉川上水の水を渋谷川に受けていたことも分かった。そこで新宿御苑の周辺で渋谷川の源流を探すことにした。また現在、渋谷川は下水道幹線化されており、ここでは渋谷川を下水道の千駄ヶ谷幹線とした。
…まあ、2日後の結婚式に出席するのに必要な白いネクタイを伊勢丹で買うついでなんだけど。
日帰り |
2008年2月9日(土) くもり時々雪 |
新宿御苑内下池…中ノ池…上池、新宿御苑正門…四谷四丁目交差点
新宿御苑は新宿区と渋谷区の間に位置し、上池、中ノ池、下池を結ぶ線が区境になっている。入口は千駄ヶ谷門、新宿門、大木戸門、正門があり、正門は現在工事中である。歴史的には信州高遠藩主内藤家の江戸屋敷である。
参考:新宿御苑[環境省]
新宿御苑には上池、中ノ池、下池という連続した池がある。下池は新宿御苑の南端にあり、地形的に低い外苑西通りに近い。また特別区の境になっていることから渋谷川の源流である可能性がある。
下池から上池に向かって遡って歩いた。下池、中ノ池、下池はすべてつながっていた。
上池の上流は定かではないが、北側の上池に突き出している管のあたりがゆるく窪んでいるためこのあたりは降雨時にも流れるのではないだろうか。
玉藻池は新宿御苑東端に位置し、玉川上水余水吐きに近い。渋谷川(千駄ヶ谷幹線)の源流の可能性はある。
デイリーポータルZでは玉藻池を渋谷川の源流としている。一方、東京の水 2005 Revisitedでは玉藻池は渋谷川の源流でないとし、新宿御苑西端の弁天池が源流だったとしている。
2/9 玉藻池。 |
2/9 玉藻池排水路。途中の遊歩道をくぐるところで放流先が分からなくなる。玉川上水余水 吐き(千駄ヶ谷幹線)に近いのでそちらに流れていると思うのだが。 |
玉川上水は江戸に上水を供給するため多摩川羽村堰から四谷大木戸まで掘削した水路である。後に玉川上水の余水を渋谷川(正確には上流の隠田川)に流すために四谷大木戸から渋谷川まで掘削し、水路となった。現在、水路は暗渠化し下水道の千駄ヶ谷幹線となっている。
なお現在、玉川上水は東村山浄水場の取水のため、それより下流ではほとんど水が流れていない。また玉川上水四谷大木戸付近では下水道管渠が入っている。
結論としては渋谷川の源流は分からなかった。
もっともすでに千駄ヶ谷幹線という下水道になってしまっている渋谷川の源流を定めるのが難しい。そもそも千駄ヶ谷幹線を渋谷川とするのかどうかも問題だろう。源流の一つと考えられる玉川上水もすでに下水道化している。
現在は上記に示した3つとも源流ではないだろうかと思う。
明治時代、江戸時代、それ以前の時代はまた別に検証する必要があるだろう。例えば江戸時代に新宿御苑は内藤家の庭園であったので、新宿御苑の池は造成したものだろう。江戸時代以前、原地形としてはまた別のところから流れていたのかもしれない。
以下、2008年12月7日追記
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の特別展の目録(特別展「春の小川」の流れた街・渋谷 ー川が映し出す地域史ー)によれば江戸時代における渋谷川の水源は以下の3つだそうだ。
以下抜粋。
江戸時代における渋谷川の水源は、大きく三つに分けられる。
一つは内藤屋敷地内の玉藻池で、池は現在でも当時の面影を残している。
二つ目は、その屋敷地と千駄ヶ谷村との境界付近の谷間の湧水を集めた流れである。現在、その付近は新宿御苑の池として造成されているが、かつてはその部分を水路が北西に向かってのびていた。その先端は、天竜寺境内の弁天池と呼ばれる池につながっていたという。
三つ目は、玉川上水の余水である。玉川上水は承応2年(1653)、江戸市街に多摩川の水を引くために作られた。そして内藤屋敷地の北にあった四谷大木戸の水番屋では、流れてきた浄水の水量を調節し、余った水を南に流していたのである。なお、玉藻池は玉川上水やその余水からも水を引いていた。
これら三つの流れが渋谷川の水源となっていた。
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 特別展「春の小川」の流れた街・渋谷 ー川が映し出す地域史ー P.25