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2006年秋 - 上武国境・父不見山[2/2]


2006年10月28日(土)
場所
埼玉県秩父郡小鹿野町、秩父市(旧・秩父郡吉田町)、群馬県多野郡神流町(旧・中里村、万場町)
コース
10月27日
新宿=所沢=飯能=西武秩父(前夜泊)
10月28日
西武秩父=小鹿野役場バス停=坂本バス停…股峠…987m峰…矢久峠…坂丸峠…父不見山…土坂峠…塚山…馬立沢下降…太田部入口バス停
参加者
単独行
天気
くもり
参考文献
06上武国境・父不見山の地図

 大塚から下って登りかえすと父不見山。この区間にはウルシらしき植物が繁茂しており閉口した。あとで図鑑で調べたらこのウルシらしき植物はウルシ科のヌルデという植物だった。ヌルデはウルシと違ってかぶれないらしいが、見た目の気持ち悪さもあって私は触りたくない。このあたりは一般ルートなのでもっと歩かれていると思ったが、人も大塚で会った一人だけ、道もヤブが少しかぶっていてあんまり人が入っていないようだ。上武国境は西の端三国山1834mから東にいくにつれ低くなり、この父不見山1047mが最後の1000m峰である。父不見山は前に山火事があって展望があると聞いていたが山頂は何も展望がない。標がいくつか立っているだけであんまり感慨のわかない山頂だ。

父不見山
10/28 父不見山にて筆者。
父不見山から東側
10/28 父不見山から東側を眺める。真ん中やや右は竹ノ茅山か。

 父不見山で休んでいると大塚で休んでいたおじさんが追いついてきた。写真を頼まれて1枚撮って出発する。東へ踏み出すと初めは比較的歩きやすい。スピード出して歩く。すぐ右手埼玉側の景色が開ける。どうやらこの辺りが山火事にあったところらしい。しかし歩くところはススキやらウルシやらが枝を伸ばしていて歩きにくい。しかしリンドウが咲いているのを見つけられた。

 ヤブがうっとうしくなってくると杉ノ峠。稜線の最低鞍部ではないのだが、なぜかここが峠らしい。看板が2カ所にあり、はじめの看板はヤブに埋まりつつあった。その下にほこら、その隣にもう一つの看板があった。杉ノ峠からは埼玉側へ長久保、群馬側へ生利への道が分かれている。長久保への道は比較的分かりそうだったが、生利への道はいきなり笹で覆われており続いているのかあやしかった。私が目指す土坂峠は稜線沿いにさらに下って行くのだが、この道はない。看板もない。しかもヤブが濃いので迷った。結局群馬側に出て植林帯の下に踏み込んだ。埼玉側に比べてヤブが薄いからである。

杉ノ峠
10/28 杉ノ峠。生利への道はいきなりヤブ。
最低鞍部
10/28 最低鞍部。少しヤブがかかっている。

 杉ノ峠からしばらくで最低鞍部。最低鞍部からはヤブはほとんどなくなり歩きやすくなる。最低鞍部からは秩父市(旧秩父郡吉田町)と小鹿野町との境にもなっている大久保山980m峰に登る。けっこう急なところが多く、岩が出ているところもある。岩が出ているところは概して両側急な崖になっており、岩とヤブで特徴づけられる西上州らしさを感じた。

 大久保山980m峰を過ぎてもときどき岩が現れる。アスレチックのようにそれらを越えながら下って行く。848m峰まではけっこう長い。848m峰は尾根のどん詰まりのようになっていて下る場所が分かりにくい。適当に見当つけて下ると誤って群馬側の小尾根を下ってしまった。すぐ先の土坂峠を車道がトンネルでくぐっているはずだが、下っていると車道が見えたためトンネルのある稜線から外れていることに気がついた。はじめは埼玉側に下っているのかと思ったが地図とコンパスから群馬側に下っていることが分かった。トラバースして軌道修正。

大久保山980m峰の登り
10/28 大久保山980m峰の登り。岩が出ているところ。
土坂峠
10/28 土坂峠。しっかりした道が横切っている。

 下り着いたところが土坂峠かと思っていたら何も看板がない。峠を越える道もない。廃れてしまったのだろう、と思いさらに竹ノ茅山へ向かう。しかし、ヤブのかぶった道をたどりこぶを一つ越えると真の土坂峠に着いた。切り通しのように峠は低くなっており、看板はないものの群馬側、埼玉側両側に下る道とほこらがあった。

 竹ノ茅山へ向かう。はじめは急な登り道。道はあるが少しヤブがかかっている。登りきってからしばらく平坦な道が続き、また登ると905m峰の肩に出る。少し下って上の峠。竹ノ茅山の下の鞍部といった感じで峠道が通っていた感じがしないが、群馬側には車が走れるくらいの幅の道があり上の峠が終点になっていた。ほこらなど特に峠を示すものもなく、知っていなければ峠と気づかずに過ぎてしまいそうだ。25,000分の1地形図には何も書いていないが、エアリアマップには上の峠という名前がついているので私は後で気がついた。

上の峠
10/28 上の峠。群馬側から車道が伸び、ここで終点になっている。
竹ノ茅山
10/28 竹ノ茅山978m。木の後ろに電波塔。

 上の峠から竹ノ茅山978m。約80mの登り。上の方はガスがかかっていてそれ以上に高く見える。この登りですっかりばててしまい、ゆっくり登った。登っている斜面は植林帯だったが、山頂に着くとその先は広葉樹林になっていて明るかった。山頂の群馬側には電波塔らしき鉄塔が建っており車道が通じているようだ。ザックを下ろして今日3回目の休憩とする。時刻は14:20。神流川沿いの国道462号線を通る最終バスは17時台だったはずなのでたぶん間に合うだろう。休んでいると少し寒くなった。天気予報によれば今日は晴れということだったが、少なくとも私が歩いたところは1日中くもりだった。

 竹ノ茅山から塚山へ。植林帯と広葉樹林の間の下りやすい道を下る。1分くらい下って場所が気になり地図を取り出すとこの道は塚山へ至る道ではなく、埼玉側太田部集落へ下る道であった。しかたなく竹ノ茅山を登りかえす。途中で面倒になってトラバース。無事県境稜線にたどりついた。県境稜線は群馬側が植林帯でまだ丈が2,3mしかない木が緩斜面一面に植えられていた。その林を県境稜線に平行に切り裂くように電線が伸びており、おそらく竹ノ茅山の電波塔に通じているのだろうと思った。展望はあるのだが、塚山はガスに包まれて見えない。

群馬側の植林帯と送電線
10/28 群馬側の植林帯と送電線。塚山はガスで見えない。
塚山
10/28 塚山山頂。

 下り着いたコルのあたりから群馬側に林道が伸びている。25,000分の1地形図、エアリアマップともこの林道は載っておらずどこから来ているのかはよく分からない。稜線には岩もあり落っこちると砂利道に叩き付けられるので越えるのに用心する。907m峰に登り、さらに塚山手前の920m峰に登る。920m峰には針金で作った大きなパラボラアンテナのようなものが群馬側に建っていた。林道はおそらくここまで通じているのだろう。

 県境はこの920m峰から稜線を離れて北へ馬立沢を下り、神流川にたどりつくと神流川沿いに下って行く。塚山は県境から離れて埼玉側に少し入ったところなのだが、三角点峰なので往復しておく。

 今日最後の登りである塚山は思ったより急な山だったが、すぐ山頂にたどり着いた。山頂には三角点と標が2つ木に打ち付けられている。杉ノ峠以来の標であった。写真を撮って来た道を引き返す。コルから920m峰へ登りかえしたところで馬立沢の下降に入る。

 未知の沢の下降は行わない、というのが沢登りの鉄則であるが、この馬立沢は沢の左岸に沿って車道が伸びており、流程の半分ほどをカバーしているので実際に沢を下降するのは水平距離約1km、標高差350mである。そこまでガケ記号もないし、いざとなれば左岸の尾根に登って左岸の尾根伝い、神流川まで下るという手もあった。また、沢を下らず登るために逆コースをとると、今回の行程は全体的に登りになってしまうため、それを避ける目的もあった。

馬立沢
10/28 馬立沢の下降。割と急。
馬立沢源頭
10/28 馬立沢源頭。

 コンパスで方向を合わせて下る。はじめはただの斜面だが、だんだんと谷の地形になってきた。15分で沢の源頭につく。ここから沢沿いに下って行く。急ではあるが木があちこちに生えているのでサルのように木をつかみながらバランスをとって下る。幸い土の質が礫なので滑ることもなくぬかるみもない。それでも靴がボロい安全靴なので何度か水の中に足を入れてしまい中に水がしみてきた。

 やがて沢が右に大きく曲がり、そろそろ車道が現れるなと思ったがなかなか車道は現れない。そうこうしているうちに左岸から枝沢が入ってくる。地形図を見ると左岸に枝沢が入ってくるのは標高660m付近と500m付近。まだ車道が現れていないことから考えて標高660m付近なのだろう。がっかりしながら下る。するとすぐ右岸に枝沢が入ってくる。標高660m付近には右岸から沢は入ってこないので500m付近なのだろうか。車道は廃道になってしまったのだろうか。もうどこだかよくわからない。

馬立沢の滝
10/28 馬立沢の滝。車道まで大きな滝はないが、道はない。
何となく道っぽいもの
10/28 馬立沢右岸の何となく道っぽいもの。

 そこから10分ほどで右岸に何となく道っぽいものを発見する。けもの道ではなくそれなりに幅を持った道だが、ヤブがうるさくところどころ崩れている。ひょっとしたらこれが25,000分の1地形図に載っている車道かもしれん、と思い、これをたどる。たとえ車道でなかったとしても沢の中よりはよっぽど歩きやすいのでいくぶんスピードは増した。途中で念のために水を汲んでおく。

 何となく道っぽいものをたどって10分。前方に白いものが見えてきた。堰が出てきたらまずいなと思いながら下るとそれは長径1mくらいの岩の積み重なりだった。その先は念願の車道であり、無事日暮れ前に車道にたどり着くことができた。車道を下ると馬立沢を右岸へ渡り、道はさらに登って行く。これはおかしいと地図を広げるとこの道は地形図に載っていない。澤本庭石という看板とそこら辺に転がっている岩から考えてここは庭石業者の岩の置き場所らしい。道を引き返す。

 道を引き返して少し登ると三叉路に出た。どうやら私が歩いていた道が澤本庭石へ通じる枝線で残り2つの道が地形図に載っている道のようだ。安心して道を下る。車道は一度折り返して神流川沿いの橋に出た。車道に折り返しがあったことから私が車道に出たのは標高430m付近だったらしい。地図では車道終点は570m付近だったので、車道に気がつかなかったのか、車道が沢よりだいぶ高いところを走っていたのか。少なくとも車道はさらに上まで伸びていたのでよく探せば見つかったのかもしれない。

 あとは神流川の右岸に沿って下り、太田部橋を渡って国道に出てバス停を探すだけである。17時近くまわりはかなり暗い。日が暮れる前に無事下界にたどり着けてほっとした。しかし、人気のない道を歩いていることとバスの時刻が近いことから安心はできない。特にバスの時刻は17時台としか覚えていなかったので17:01とかだったら逃してしまう可能性がある。車道なのでそれなりにスピードを出して歩き、簗場の集落を過ぎてから立派な吊橋の太田部橋を見つけたときはだいぶ気が休まった。すでに日は暮れ、夜はすぐそこだった。

 太田部橋を渡り、すぐバス停を見つけられた。バス停の名称は太田部入口。時刻は17:08、終バスは17:33だった。バスに間に合ったという喜びと真っ暗になる前に下山できた喜びでホッとしてバス停の下に座り込んだ。バスが来るまでの間ストレッチし、バスに気づかれるようヘッドランプを点けてバスを待った。今日の行程は8時から17時までの9時間。それもヤブのかかった道だったのでなかなか充実した気分であった。

 バスは17:36にやってきて終点のJR上越線新町駅で列車に乗り換えて家路にたどり着いた。

おわりに

 この山行で三国山から神流川までの上武国境稜線を3区間に分けて単独で歩き通したので達成感もひとしおである。そのどれもがしんどい道のりであったが、人が少なく一人で楽しむことができた。今回も二子山で10人ほど見かけた以外は父不見山でおじさん一人にあっただけで静かな山行であった。

 このルートを歩く人はあんまりいないと思うがコースメモを残しておく。

(2006年10月21,22日記す)


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