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2006年春 - 奥多摩・笹尾根


2006年3月31日(金)・4月1日(土)
場所
山梨県上野原市(旧北都留郡上野原町)・東京都西多摩郡檜原村/奥多摩
コース
3月31日
JR中央本線上野原駅=(富士急山梨バス)=石楯尾神社バス停…三国山…熊倉山…浅間峠(泊)
4月1日
浅間峠…土俵岳…丸山…笹ヶタワ峰…槙寄山…数馬の湯/温泉センターバス停=(西東京バス)=JR五日市線武蔵五日市駅
参加者
稲垣さん(D1)
天気
晴れ
06笹尾根の地図

はじめに

 三頭山から西南西に続く尾根は笹尾根とよばれている。なぜそう呼ばれているのかは知らないが、稜線に若干の笹が生えているからだろうか。ただ、行ってみて「笹尾根」を名乗るほどには笹はなかった。大菩薩峠のあたりの方がよっぽど笹が多い。この笹尾根は顕著な山はないが非常に長く、和田峠まで35kmほどほぼ西南西に方向を変えず伸びている。どこまでを笹尾根と呼ぶのか知らないが、ここでは他の山域(高尾山稜)を分ける和田峠までを笹尾根と呼ぶ。三頭山から和田峠までの間には大沢山、槙寄山、丸山、土俵岳、熊倉山、三国山、生藤山、連行峰、醍醐丸と多くの山を連ねているが、それぞれのピークがさほど高くなく尾根歩きの一部であることと、笹尾根がほぼ直線なのとであんまり目立たない。したがってそれぞれのピークを単独に登ることは三頭山を除きあまりなく、途中から笹尾根に取り付きしばらく笹尾根を歩いて里へ下るルートが多い(例えば「アルペンガイド 奥多摩・奥秩父・大菩薩」)。

 また、笹尾根は東京都と山梨県、東京都と神奈川県を分ける県境でもある。それが私が選んだ理由の一つでもある。行政区の境になっているのはおそらく多摩川と相模川の流域界になっているからだろう。東京都の秋川が多摩川支流、山梨県の鶴川と境川が相模川支流である。流域界になっているものの、笹尾根は両側の里を大きく隔てる程高い尾根ではなく、笹尾根には多くの峠がある。笹尾根の山越えには3時間くらいを要すると思うが、昔の人にとっては大した労苦ではなかったのだろう。多くの峠があるので登山者にとっては自分の実力に応じた区間を選んで歩くことができ歩きやすい。そういうわけで今回エスケープも簡単な笹尾根を歩くことにした。

 研究室の後片付けも何とか済んだ3月30日。翌日は研究室の稲垣さん御希望のテント一泊山行を実施することにした。稲垣さんの注文を全面的に受け入れて計画したのだが、注文が多い。テントで一泊、下山後温泉、それなりにきつい。意外とこれらを満たす条件は少ない。しかも私は一度いったところを繰り返し登るのも嫌いなので、私がまだ行ったことのないところを選ばなければならない。この作業は少し頭を使った。はじめに考えたのは丹沢・大山+広沢寺温泉。しかし、日帰りなのと稲垣さんが行ったことがあるとのことで棄却。次に私の県境縦走で残している区間、三頭山〜三国山を三頭山→三国山の向きに計画した。これならば三頭山避難小屋に泊まることができるし、全体として下りなので歩きやすい。しかし、下山した先に温泉がない。そこでこの逆コース三国山→三頭山で笹尾根をたどることにした。ただし、この区間のうち槙寄山〜三頭山は歩いたことがあり、しかも槙寄山から下れば数馬の湯があるため、槙寄山〜三頭山は歩かず、歩く区間は三国山〜槙寄山とした。

1日目

2006年3月31日(金)

JR中央本線上野原駅=(富士急山梨バス)=石楯尾神社バス停…三国山…甘草水…三国山…軍刀利神社…熊倉山…浅間峠(泊)

コースタイム
JR中央本線
上野原駅
11:28
石楯尾神社バス停11:50
12:02
尾根に出る12:50
13:01
三国山
(甘草水往復)
13:50
14:32
軍刀利神社14:43
熊倉山14:58
15:03
浅間峠15:40
19:10就寝

 3月31日。10:54上野原駅集合。東京発大月行き特別快速に乗る。山に登るには遅い時間だが、これも「昼頃登り始めたい」という稲垣さんの注文の一つである。バスは11:28発井戸行き。しかし、下車してトイレによってアクシデントに気付く。稲垣さんが大月行き特別快速に乗っていない。どうしたのだろうと思ってメールを出すと一本あとの列車に乗っていたらしい。上野原駅で聞くと大月行き特別快速に乗っていたにもかかわらず、誤って高尾で降りてしまい一本あとの列車に乗ったそうだ。しかし無事バスには間に合った。

 バスに乗って約20分。井戸行きのバスは1時間から2時間に1本しかなく、ほとんど客が乗っていないだろうと思ったら私たち2人を含めて10人程乗っていた。しかもほとんどが終点ひとバス停手前の石楯尾神社で降りた。私たちも降りる。410円。東京のバスカードは使えなかった。

石楯尾神社バス停前
3/31 石楯尾神社バス停前で出発写真
都県境尾根取り付き部
3/31 都県境尾根取り付き部。急傾斜な上、ヤブがうるさい。

 稲垣さんは神社の暗がりでズボンをジャージに着替え、出発写真を撮って出発する。普通石楯尾神社から三国山に登るには境川源流の東へ伸びる沢をたどって尾根に出て北へ向かうが、今回は県境縦走であるので違ったルートをとった。まずバスの終点であった井戸へ向かう。東相模ゴルフ場の入口にもなっている左カーブから車道を離れ、右の小さな谷に下る。水はなく、谷の地形があるだけだ。ここから北東に向かう谷沿いに登っていく。地形図で表現されているほど谷の地形が顕著でなく、やや南側から回るが、どうもそれは間違いだったようだ。針葉樹下のヤブを越え、広葉樹のヤブを越えて水平な仕事道に出る。そこはもはや谷の地形ではない。仕事道を北へ向かうと谷の地形を見つけた。途中、変な石組みの穴があり、のぞいてみるが暗くて底が見えなかった。入口は狭く、こぶし一つくらいしかない。なんだろう。仕事道の奥まったあたり、下の方に崩壊地があり、上も急だが谷状の地形が続いている。どうやらここが県境の谷らしい。気分を改めてこの谷を登る。植林されており、急なものの人の手が入っているので歩ける。上の方は若干のイバラがあったがなんとか尾根に出られた。

都県境尾根670m付近から931m峰を望む
3/31 都県境尾根670m付近から931m峰を望む
931m峰への登り
3/31 931m峰への登り。

 尾根に出て息が上がっているので一本とることにする。場所は県境尾根670m峰。地形図上では山になっておらず、尾根の台地になっているが、実際には丸い山になっている。正面には尾根と道が合流する934m峰が高い。石楯尾神社が400mなので270m登ったことになる。これからまだまだ登る。それでも尾根伝いなので比較的登りやすいだろう。そう思ってみるとこの尾根にも何となく踏みあとがあるような気がする。

 931m峰へ向かう。広い670m峰からわずかに下ると小さな鞍部。神奈川側は植林、山梨側は葉を落とした広葉樹林になっている。鞍部からは何となく道があり、道は尾根に対してジグザグにつけられている。枯れ葉の積もったその道をゆっくり登る。しばらく登って730m付近の水平なところに出る。このへんは尾根の両側とも植林で見通しはない。750m付近から急登。道は乏しい。やがて931m峰西尾根と合流するあたりになると山梨側は再び広葉樹林となり明るい。西尾根に到達するとほぼ水平な道が続く。のんびり歩いていくと931mピーク。ただしピークは広く、しかも登山道はピークの東側を巻いているため、すぐ道は見つからなかった。ここからはずっと登山道を歩く。

 さて登山道に出て次にやることは水の確保。しかし、目的の甘草水がどこにあるか分からない。資料はアルペンガイドの旧版(1997年発行)だけ。よく分からんが三国山へと歩を進めることにする。おそらく931m峰と三国山の間に甘草水があるだろうという読みだった。しかし、ほとんど登りもないうちに三国山到着。甘草水を気付かず通過もしくは尾根に出た931m峰がすでに甘草水より三国山よりだったらしい。水がないと今日は泊まれないのでポリタン持って甘草水へ水を汲みに往復することにする。その間稲垣さんには三国山で待っていてもらった。三国山は展望もあり、大休止するにはいい場所である。私は来た道をかけて戻った。

 小走りで下りながら甘草水がどんな場所にあったか思い出そうとする。甘草水は以前来たことがあるからだ。そのときは石楯尾神社〜三国山〜醍醐丸〜陣馬山〜和田バス停というルートで、甘草水への分岐点を通過した。ただその時は水が充分あったので汲みには行かなかった。下りながら気付かずに通過したのか、ひょっとしたら水が涸れているかもしれないと不安に思った。

 931m峰を下りにかかると明るいところに出て、そこが甘草水の分岐であった。ベンチもあって眺めもよいところだが、人はいない。平日だからだろう。分岐はあまり気にせずすぐ水を汲みに行く。「甘草水まで100m」という看板を確認し、たどりついた。水が流れている音がしないので不安になったが、水は出ていた。斜面のくぼ地に水槽のようなものがあり、そこからパイプで水がちょろちょろと出ていた。水槽のようなものの上には石が積み重ねられており、どうなっているのかよく分からない。とにかくクリティカルパスである水汲みを行う。水量がちょろちょろだったもので待っているのがじれったい。それでも10分程度で4リットル入ったので400ml/min程度の水量か。こんな稜線近くでこれだけの水が手に入るのだから運がいいというものだなどと思う。パイプからの落差は小さいので最後の数百mlはコップでついだ。汲み上がったところでポリタン&ペットボトルにふたをしてすぐ出発。20歩ほど歩いて写真を撮り忘れたことを思い出すが、戻っていると1分くらいのロスになるので写真を撮らずに戻った。戻る際は登りになるのでゆっくり歩いて帰った。結局水を汲む時間を入れて三国山から往復30分であった。

奥多摩・三国峠
3/31 奥多摩・三国峠
軍刀利神社跡
3/31 軍刀利神社跡

 稲垣さんはのんびり待っていてくれた。待っていて寒くなったようでウインドブレーカーを着ている。体が冷えているようなのですぐ出発する。しかしパッキングに手間取り、出発まで10分ほどかかってしまった。出発時に稲垣さんが私のザックを背負いたいというのでザックを交換する。熊倉山までザックを交換した。

 三国山から先はいよいよ笹尾根。しかも東京都の県境で歩いていない最後の山の区間である。見通しはあるものの、それぞれのピークが小さく、別に遠くに三頭山が見えるわけではない。眺望の点では富士山が見えることを期待していたのだが、霞んでいるのか全く見えなかった。のんびり下りにとりかかると登ってくる単独行のおじさんが来た。おじさんは明らかに日帰りの格好で、明らかに日帰りでない格好の我々を見て少し驚いていた。三国山から2つめのコブの手前で井戸への道を分ける。2つめのコブは軍刀利神社跡。鳥居と小さな社があって隣に看板がある。なんでも北条氏の兵士の狼藉で社が壊されてしまったらしい。それでもこのピークは広く、南側が開けており、昔建物があったことを思わせる。広いし眺めもいいので、ここでテントを張るのもありだなと思うが、まだ15時だし先を急ぐ。このピークから秋川側に尾根が伸びており、このへん歩いてみてもいいなと思う。

 軍刀利神社跡から下って登ると熊倉山。軍刀利神社跡と違って狭い山頂にベンチが3つほど。眺めはいいがテント張るには狭い。そして15時なのでテント張る場所を探しながら歩く。熊倉山西の肩からは広い尾根が続く。しかし途中で急な下り坂になり、稲垣さんがこけた。ザックを背負っていたのでズボンは汚れていないが、ザックとザックに固定していたシュラフが少し汚れた。あとはなんだかぱっとしない登り下りを経て881m峰を秋川側から巻き、浅間峠に着く。

 浅間峠には屋根だけのあずまやと防火用水らしいドラム缶があり、広い。ここでテントを張るのは容易だ。しかし稲垣さんが上にテント張らないか、ちょっと見てくるというので行ってもらう。時刻は15:30。そろそろテントを張らないと気象通報を聞き逃す。ややあせっていると稲垣さんが戻ってきた。浅間峠の三頭山側にいいテント場があるようだ。ザックを背負って最後のひとふんばり歩く。登ってみると北側が小さい尾根になっていて少し広く、なかなか快適である。峠よりも眺めがよい。ここに張ることを即決する。

浅間峠あずまや
3/31 浅間峠あずまや
浅間峠上に幕営
3/31 浅間峠上に幕営

 テントを立てて入ってみると寝床に杭があったが、今さらテントを動かすのも面倒なのでそこで我慢して寝ることにした。気象図を描くのは今年はじめてでうまくかけるかどうか不安だったがラジオの読み上げがまともだったので無事描けた。晩飯は稲垣さんが用意したカレーライス。ガスのヘッドが2つしかなく、鍋もコッヘル2つしかない都合、米1合、米1合、カレーの3回に分けてメシを作った。1回目はいきなり米を焦がし、自らの飯炊き能力に失望する。カレーは溢れそうになるが何とか作れた。できたカレーライスはいまいちの味であったが、餌だと思ってちゃんと食べた。稲垣さんは特に感想を述べなかったが可もなく不可もなくといったところなのだろうか。あとはのんびりビールを飲んで寝る前に外の様子を見た。秋川側に街道の明かりが連なっており、少し明るい。月は消えそうなほど細く、木々の間に隠れていた。南側は上野原のまち明かりが見えるのだろうが、針葉樹が邪魔して見えなかった。ぼんやりと夜を味わって就寝。

2日目

2006年4月1日(土)

浅間峠…日原峠…土俵岳…丸山…1080m藤尾分岐…数馬峠・上平峠(1121m峰手前鞍部)…田和峠…槙寄山…数馬の湯/温泉センターバス停=(西東京バス)=JR五日市線武蔵五日市駅

コースタイム
浅間峠5:30起床
6:48
日原峠7:22
7:25
土俵岳7:39
7:55
丸山8:35
1080m藤尾分岐9:03
9:20
数馬峠・上平峠
(1121m峰手前鞍部)
9:35
9:59
田和峠9:55
9:40
槙寄山10:15
10:42
数馬の湯/
温泉センターバス停
11:40
13:21
JR五日市線
武蔵五日市駅
14:25

 4月1日。夜は寒かった。持って来たものをすべて着込んでも2回ほど起きた。しかし、眠れない時間が長いわけではなかったのでどちらかといえばよく寝たのだろう。対照的に稲垣さんはあんまり眠れなかったようで夜の寒さを強調していた。着るものはたくさん用意しておいてと言ったのだが、夜中何度か重ね着していたようだ。

 朝は明るくなった5:30に起きた。フライシートを明けてみるとちょうど正面に朝日が見えた。今年最初のテント泊ということもあって日の出を見るのは久し振りだ。普段は夜明け前4時頃に起きて明るくなる30分ほど前に行動を開始するが、今回はのんびり山行ということで目覚ましはかけなかった。日の出とともに起きるというのも忙しくなくのんびりしていてよい。朝は稲垣さんに用意してもらうつもりだったが連絡がうまくできておらず、稲垣さんは自分の分しか朝食を用意していなかった。なので私は行動食のビスケットとインスタントのポタージュスープで朝飯にした。こういう朝飯も悪くない。とにかく温かいお湯が飲めれば、私にとって朝飯の要件は足りている。テントをたたんでいるとフライシートの内側が若干結露していた。稲垣さんに「寒かったけどテントの中の方が外より温かかったってことだな」と言われてそういう自覚がなかったことに気付く。確かに温度差なんてないように感じるけど、テントに付いた水滴が空気中の水分由来であるとしか思えない以上、その通りである。テントはやはり暖かいのかと妙に感心した。外では朝っぱらからライダーがエンジン音をうなせらせていた。

 朝飯づくりに時間がかからなかったので起きてから1時間20分後の6:48出発。私はどうせすぐ暖かくなると思いシャツ一枚、稲垣さんは寒いといってシャツにウインドブレーカーを着ていた。実際歩き始めても10分間くらいはずっと寒く、腕を組みながら歩いていた。

 841m峰先の鞍部は鶴川側が緩やかな斜面になっており、下れそうだ。しかし、秋川側は急で難しい。登り返した877m峰は道が鶴川側を巻いており、もったいないので稜線を歩いた。917m峰は針葉樹林に覆われており、秋川側から巻いて登る。稜線に登り付くと直角に曲がるよう方向指示板があった。そこからちょっと下って日原峠

 日原峠には秋川側人里、鶴川側日原へ下る道が交わっている。なぜかその十字路のど真ん中に古びたお地蔵さんがおり、その存在を主張している。普通、お地蔵さんとか庚申塔って道の傍にあるものだと思うのだが。日原峠には日本山岳耐久レースの24.7km看板があった。全長70km余りのレースだからこれでやっと1/3か。ずいぶんと長いレースだ。他の看板を見ると秋川側に水場があるらしい。道が土俵岳の東斜面を巻いているのでそこで手に入るのだろうか。昭文社エアリアマップには水場の表示はないのでひょっとしたらないのかもしれない。実際に調べたわけではないのでなんとも言えないが。その看板には秋川側の道に「人里(ヘンボリ)、笛吹(ウズシキ)」と書いてあり、稲垣さんが「人里」の読みに驚いていた。私はどちらも知ってはいたものの、どちらとも読めないので「笛吹」読みを強調したが、稲垣さんは「笛井(ウスイ)さんて人がいるじゃん」とあまり驚いていなかった。

日原峠
4/1 日原峠
土俵岳山頂の防火用水ドラム缶
4/1 土俵岳山頂の防火用水ドラム缶

 日原峠を出ると土俵岳まで登りが続く。100mの登り。緩やかな笹尾根の中では急登だ。途中、何の特徴もないところに日本山岳耐久レース25kmの看板があった。土俵岳に登り付いて浅間峠から1時間なので一本とる。日はだいぶ昇ってきたがまだ寒いので休みはじめると同時に上着を着る。土俵岳も平坦なピークで看板と低い丸太のベンチと防火用水のドラム缶5つがある。ドラム缶の中の水は凍っていた。でも氷のきわは凍っていないので気温は0℃以上あるらしい。それでも寒いので10分ほどで出発する。

 土俵岳からしばらくは平坦な地形を歩く。このへんで単独行のおじさんに会った。右手に大きなスーパーの袋を持って歩いていたのでゴミ拾いをしていたのかもしれない。右側の尾根が近付いてくると小棡峠の登りになる。1046m峰を巻いて小棡峠につく。小棡峠は笹尾根の他の峠に比べて両側が切り立っている。特に鶴川側が急である。しかし、木が茂っていて眺めはよくない。小棡峠からは秋川側笛吹に下る道を分ける。小棡峠から緩やかに登り丸山。丸山は地形図上では道が秋川側を巻いているが、道なりに歩いていくと丸山山頂についた。名の通り、丸い山頂である。頂上手前で沢渡へ下る道をわける。その看板が白い十字架でできており、稲垣さんがなぜ山に十字架があるのかとビビっていた。丸山はやっと笹尾根らしく、笹に覆われている。笹尾根の名にも関わらず、これまでほとんど笹を見ることはなかった。南側が少し開けた山頂である。丸い山頂なので下りも少し迷った。右に直角に曲がるようにして下りはじめる。下っていると遠くに三頭山が見えた。

小棡峠
4/1 小棡峠
丸山
4/1 丸山

 のんびりと下っていくと笛吹峠。針葉樹に囲まれたやや暗い峠である。「大日」と書かれた石がおいてある。まだそんなに疲れていないのと、もう少し歩いておけば次の一本で西原峠までたどり着けるのとでさらに歩く。1060m峰を越えて1121m峰への登り、鶴川側藤尾から道が合流するあたりに明るい平坦地があったので、ここで休む。9時になって日もだいぶ高くなり、暖かくなる。稲垣さんの写真を撮ると何だかだいぶ疲れたような写真になってしまった。

 1121mヘの登りは緩やかで笹に覆われた斜面であった。いかにも笹尾根らしい。1121m峰手前の峠は数馬峠・上平峠と名付けられていた。数馬は秋川側、上平は鶴川側の集落の名前である。この数馬峠・上平峠は南側の景色がよく、鶴川の向かいの山がよく見える。ベンチもあって、ここで休めばよかったと残念に思う。その先でまた峠にぶつかる。この峠も秋川側は数馬、鶴川側は上平に下っている。ただ数馬峠・上平峠と違うのは秋川側に「数馬の湯」という看板があったことだ。先ほどの道は数馬下へ、今度の道は数馬上に通じているからだろう。また、地形図では稜線から尾根沿いに数馬に下る道が出ているが、実際にはいったん斜面をからんで下るようだ。

笛吹峠
4/1 笛吹峠
数馬峠・上平峠から鶴川側を望む
4/1 数馬峠・上平峠から鶴川側を望む

 この峠のあたりから道は秋川側を巻くようになる。もともと登り下りの少ない道なのでこの巻道はほとんど水平である。鶴川側は植林で暗く眺めはないが、秋川側はよく手入れされていて切られた枝が束ねられて切り株の隣に重ねられていた。おかげで日射しが明るい。どこだか気がつかないまま笹ヶタワ峰1157m峰を通過。巻道を歩いていたのでひょっとしたら巻いてしまったのかもしれない。そして田和峠1130m。地形図にある数馬へ下る道は方向指示板にはなかった。田和へ下る道はある。ここも数馬峠・上平峠同様鶴川側の眺めのよい峠であった。緩やかに登って1178m峰。広い茅野原になっており、三頭山と御前山と大岳山がよく見えた。笹尾根で秋川側を見るのには一番眺めのよいところかもしれない。道は秋川側を巻いて西原峠に至る。

 西原峠には団体が2つほど休んでいて騒がしかったので槙寄山に登る。8年前の記憶では槙寄山は眺めのよい休憩ポイントだった気がするからだ。団体がいるところを見ると、どうやら数馬行きのバスの第一便が着いたらしい。彼らはこれから三頭山に登るのだろうが、我々はもう下る。こういうラッシュを避けた登りも悪くない。槙寄山はほとんど記憶に残っていなかったが、眺めがよいことは正しかった。この槙寄山からは三頭山が大きく見える。笹尾根の中でもっとも標高差のあるところだ。だが、残念なことに富士山は見えなかった。2日間晴れだったのに富士山が見られなかったのは残念である。そして、槙寄山で休んでいたら集団が登ってきた。人数で圧倒的に不利な我々は端っこのベンチに座って休んでいた。せっかく人がいるのでついでに写真を撮ってもらった。地図を広げてみると一応これで東京都の都境のうち山の部分、つまり草戸山から雲取山、安楽寺までの区間を歩いたことになる。そう思うと感慨深い。また神奈川県の県境と合わせて湯河原から甲武信ヶ岳まで歩いたことになる。県境縦走に自信がついた。

槙寄山
4/1 槙寄山

 充分休んで西原峠に戻り、数馬の湯へ下る。始めは斜面をからむ道、やがて尾根沿いとなり、数馬と仲の平の分岐を過ぎ、仲の平の集落についた。仲の平の集落は急な斜面に茶畑を作っているという記憶しかなかったのだが、どうも鴨沢の記憶とごっちゃになっているようだった。実際下ってみるとかなり急な斜面に集落が形成されていた。傾斜地の畑は猿と鹿の侵入を防ぐためかフェンスがあり、さわるな危険と書かれていた。写真を撮ろうと道の端によってシャッターを押す時、どうやらそのフェンスに触れてしまったようで静電気のようなショックを受けた。てっきりただのフェンスだと思っていたので驚いた。よく読むとどうやら電気が流れているらしい。ビビりながら下る。車道に出ても急坂は変わらない。南秋川を渡って檜原街道に出て傾斜が弱くなる。温泉センターにたどりついて行動終了。

 温泉は800円。まだ12時前と風呂は空いていた。ゆっくり浸かってそばを食べてバスに乗って帰った。バスも先週に比べて人が少なく、気持ちよく帰れた。大岡山に戻ってテントを干し、ガスを2つばかりくすねて帰った。ちょうど1年生が沖縄から帰って来たところで部室にはテントが立てられていた。辛島と少し話を交わし別れた。

おわりに

 何とか東京都の都境の山の区間を歩きつぶすことができてよかった。これで区間が切れていた関東県境の湯河原〜奥多摩三国山、槙寄山〜甲武信ヶ岳の間を結ぶことができた。これでさらなる県境縦走にはずみがつく。次のターゲットは甲武信ヶ岳〜奥秩父三国山〜御座山以北と西上州二子山〜塚山である。

 しかし県境縦走を進めることは逆にいえば、普通の縦走をするべき区間が減ったことを意味する。私は沢登りが本業だし、一度行ったところはあまり行く気がしないからだ。普通の縦走をしないと他の人を連れていくこともできないのでひたすら単独行を続けることになり、それも寂しい。だがその問題も解決できそうだ。奥多摩のエアリアマップを購入し、アルペンガイドにはない多くの尾根を見つけることができたのでたとえ毎週奥多摩に通ったとしてもあと1年くらいはルートを重複せずに登ることができそうだ。


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