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2006年夏 - 北アルプス・穂高岳[2/3]


2006年7月29日(土)〜31日(月)
場所
長野県松本市(旧南安曇郡安曇村)/北アルプス南部
コース
28日
新宿23:00発バスさわやか信州号乗車(車内泊)
29日
上高地バスターミナル…横尾…本谷橋…涸沢ヒュッテ(貸テント泊)
30日
涸沢ヒュッテ…北穂高沢…北穂高岳南峰…涸沢岳…穂高岳山荘…奥穂高岳…穂高岳山荘(小屋泊)
31日
穂高岳山荘…奥穂高岳…紀美子平…岳沢ヒュッテ…上高地バスターミナル=(松本電鉄バス)=新島々=(松本電鉄)=松本=(高速バス)=新宿
参加者
馬渡さん、高橋さん、山田さん
天気
28日曇り一時雨、29日晴れ時々曇り、30日晴れ時々曇り
参考文献
06北ア・穂高岳の地図

2日目

2006年7月30日(日)

涸沢ヒュッテ…北穂高沢…北穂高岳南峰…涸沢岳…穂高岳山荘…奥穂高岳…穂高岳山荘(小屋泊)

コースタイム
涸沢ヒュッテ4:00起床
5:22
北穂高沢2450m5:53
5:58
2600m6:35
6:53
2800m8:10
8:24
北穂高岳南峰9:15
10:00
北穂-涸沢岳鞍部
手前3000m
11:30
11:46
涸沢岳13:10
13:24
穂高岳山荘13:47
14:13
奥穂高岳14:55
15:23
穂高岳山荘
小屋泊
16:00
20:00就寝

 4:00起床。天気は快晴で星空がよく見える。望み以上の天気になりそうな日であった。テントでスープをつくり、パンと一緒に朝飯とする。テントから出て荷造りをするころには夜は明け、出発する頃にはすっかり明るくなっていた。もっと早く起きればよかったと少し後悔する。明るくなってみると北穂東稜から涸沢岳、奥穂、前穂北尾根まで涸沢カールを囲む稜線がよく見えた。

涸沢の雪渓を渡って北穂高岳へ
7/30 涸沢の雪渓を渡って北穂高岳へ登る。天気はよい。
北穂高沢沿いの道
7/30 北穂高沢沿いの道を登る。時期が早くまだ雪渓が残っていた。軽アイゼンがほしいところ。

 北穂高岳へ向かって出発。まず涸沢小屋へ向かう。涸沢小屋の横から出ている道をたどり、北穂南稜と北穂東稜の間の北穂高沢の雪渓を登る。道は雪渓の左端についており、雪渓の融解が早いところはやや危ない。雪渓に入る前に馬渡さんと山田さんはアイゼンをはめていた。一カ所雪渓の際が解けて道が不詳なところがあったが、それを除けば順調に進めた。雪渓から離れるところでアイゼンを脱ぐために一本。

ハイマツの中の道
7/30 雪渓を離れてハイマツの中の道を登る。
急登に疲れて2600m付近で一本
7/30 急登に疲れて2600m付近で一本。

 雪渓を離れてからは緑の中の道を登って行く。ところどころ岩の出ているところもあり、通過に時間を割く。小沢を横断するところもあった。小沢の一つを越えるところで一本。日はいよいよ高くなり、日差しが暑い。肌の白い馬渡さんは日焼け止めクリームを重ねて塗っていた。

 北穂南稜の下のガレ場みたいなところを登ると、左手に北穂南稜に取り付く道がついている。ここが北穂南稜で一番面倒なところ。鎖が続き、最後にはしごで終える。水平距離200mほどだが渋滞にもなりやすそうなところだ。私たちのペースは遅かったので適宜後ろの人に抜いてもらった。先を行ってしまった高橋さんはそのまま先を行ってもらうことにした。

長い鎖場
7/30 長い鎖場。渋滞する。
東稜側のガレ場
7/30 2800mあたりの東稜側のガレ場を登るあたりで一本。

 はしごを登り北穂南稜に出て高橋さんと合流し、さらに登って行く。登っても登っても上部の岩峰はなかなかなくならず、結構しんどい。道も鎖場こそないが急である。傾斜が少し緩み、東稜側のガレ場を登るあたりで一本とる。

 ゆっくりペースだが、あと1時間ほどで山頂に着くだろうというあたりまで来られた。涸沢はずっと下にあるが、見えなくなることはなく、テントも一つ一つが判別できた。目を正面に移すと前穂北尾根があり、一般に前穂北尾根の取り付きに使われる5・6のコルはここと同じかややここより低いくらいの位置にあった。前穂北尾根も一度行ってみたいものだ。北穂東稜にはちょうど核心部のゴジラの背を通過している人たちのシルエットが見え、こちらも一度行ってみたいと思った。

 歩き始めて正面真上の方向に裁縫に使うミシンのような形の岩を見かける。これを目標にして登る。気がつくとミシンのような形の岩は同じくらいの高さにあり、そのあたりから傾斜が緩やかになってきた。稜線伝いに登って行くと北穂小屋のテント場。小屋からはだいぶ離れたところにあるテント場だ。手続きも水汲みも大変に違いない。私たちが着いたときには昼だったのでテントはひと張りもなかった。

前穂北尾根を背にして登る
7/30 前穂北尾根を背にして登る。
北穂高岳南峰
7/30 北穂高岳南峰。大休止するがほとんど人が来なかった。みんな小屋のある北峰へ行くのだろう。

 北穂小屋のテント場からしばらくで三叉路。左は北穂南峰を経て涸沢岳・穂高岳山荘へ、右は北穂北峰・北穂小屋を経て大キレットへの道であった。今回は北穂の南峰だけでよいと考えていたので北峰へは行かず、直接南峰に登った。北峰への道は稜線の信州側を巻き、雪渓を登って頂上へ達しているようだった。小屋があることからも北峰の方が本峰と認識されているのだろう。ただ高さで言えば南峰の方が背が高そうだ。

 三叉路からひと登りで北穂南峰。今回の山行で最も急な道を登りきり、疲れが出たが、頂上の眺望は期待を裏切らないものであった。北を見れば槍ヶ岳から双六岳、三俣蓮華岳に薬師岳。西には笠が岳、東には常念岳、蝶が岳、そしてこれから歩く南には涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳が控えていた。前穂高岳は奥穂高岳に比べて輪郭がすっきりしていて、見るには奥穂高岳よりも美しい山だと感じた。前に来たときはガスだったのでこのあたりの記憶はほとんどない。後輩の車が北穂北峰でデジタルカメラの扱いに困ったことと涸沢岳の登りで頂上直下でザックが岩にぶつかり進みにくかった思い出があるだけだ。

 北穂南峰でたっぷり45分休む。ついでにみかんの缶詰を出したら好評であった。写真を撮ったり、思い思いの行動食を食べていたら45分の大休止もあっという間であった。しかし、休んでいる間通り過ぎる人はおらず、有名な穂高岳にあって静かな時間を過ごせた。

 さて北穂南峰から涸沢岳へ向かうが、この道は一般に難路として扱われている(例えば「アルペンガイド15 上高地・槍・穂高」P.63の地図ではバリエーションルートの記号が使われている)。岩場が多く、通過が危険であるからだ。しかし、ここまでのペースを見ていてそんなに問題あるとは思われなかったし、私自身、前回は雨で景色も何も見られなかったので計画通り進むことにした。

北穂高岳から涸沢岳、奥穂高岳を望む
7/30 北穂高岳から涸沢岳、奥穂高岳を望む。
北穂高岳の下り
7/30 北穂高岳の下り。ここが一番急なところ。

 しかし、下り始めてすぐ、山田さんが非常に遅いことが分かる。怖いらしい。山田さんは登山初心者、泊まりがけの山行は雲取山くらいと言っていたので岩山の経験がないのだろう。ちょっとだけ来た道を戻ろうかとも考えるが、時間もあるし、穂高岳山荘までは何とかたどり着けるだろうと考え、計画通り進むことにした。そこで北穂南峰から一段下ったところで山田さんの荷物の一部を私が持つことにした。ザックに振られて滑落したら大変だし、ザックが軽ければペースも速くなると考えたからだ。

 はじめは後ろに渋滞を引き起こしていた山田さんだが、下るにつれ慣れてきたので、停止することもなくすこしずつペースは伸びてきた。

 北穂高岳からの下りで1カ所鎖場があり、鎖をつかんで下るところがあった。北穂高岳から涸沢岳にかけて最も渋滞したところだ。鎖を使わなくても下ることはできるが、初心者には鎖に頼るしかないようなところだ。山田さんは予想通り、下るのに困難そうだったが、無事下ることはできた。

急な鎖場を下る
7/30 急な鎖場を下る。必死の山田さん。
正面に涸沢岳
7/30 だいぶ下ったところで正面に涸沢岳。どこから登るのかよく分からない。

 そこを下ってからはそんなに難しいところもなく、ゆっくり着実に進む。逆コースの人は少なく、鎖場などで先方が来るのを待つこともなかった。

 途中、北穂-涸沢岳鞍部手前の3000m付近で一本とる。飛騨側にわずかに休めるスペースがあり、そこで休んだ。前来たときは始終飛騨側の風が冷たく休む場所にも困ったが、今回は条件がよく、すぐ休めるポイントを見つけられた。北穂高岳南峰で快晴だった空はだんだんと雲に覆われてきて、ガスになりそうだった。それでも3年前に来たときよりはずっといい天気である。前のときは雨はやまず、飛騨側から吹き付ける風で休んでいても休んだ気がしなかった。

 出発してしばらくで笛の音が聞こえた。涸沢側で休むおじさんが縦笛かオカリナを吹いていたようであった。みんなで曲目を探るが誰も分からなかった。出発して10分ほどで北穂-涸沢岳鞍部。鞍部を示す看板があった。涸沢側には雪渓が残っていた。ここから涸沢岳の登り返し、標高差150mが始まる。正面にそそり立つ涸沢岳は急な壁のようでなかなか登れる道は目でたどれない。中腹に光る棒のようなものが見えてそれが何なのか話すが、よく分からない。

 とにかく道なりに進んで行く。涸沢岳の登りは北穂高岳の下りと同じくらい険しく、途中2カ所のハシゴがあった。先に見えた中腹で光る棒のようなものはハシゴの側面であった。途中、ガレているところがあり、そこでは落石を起こしてしまった。しばらく遭難対策委員会のような名前の腕章をつけた2人が前後していたが、そこで浮き石を落として道を整備していた。急な登りもところどころにある涸沢側の雪渓の一つにイワヒバリを見つけ、少し気休めになる。

涸沢岳の登り
7/30 涸沢岳の登り。ハシゴに鎖場が続く。
涸沢岳西尾根に出たところ
7/30 涸沢岳西尾根に出たところ。

 あれほど込んでいた北穂高岳の下りだが、涸沢岳の登りにかかると人は少なくなり、抜かれる場所に困ることもなく進んだ。ここは一本道であり、途中で分かれる道はないので、意外とみんな苦戦して遅くなっているのかもしれない。急なルンゼを登りきると涸沢岳北西稜の肩に出る。前はこの辺でザックの頭が岩に引っかかり、登りにくかった思い出があるのだが、今回はすんなりと登れた。

 南へしばらく稜線をたどると涸沢岳山頂。今日の宿、穂高岳山荘がすぐ眼下にある。少し休んで下ると20分ほどで穂高岳山荘についた。高橋さんは絶好調で私と2人で先行し、後続の馬渡さんと山田さんが見えなくなると止まって後ろを待った。

 穂高岳山荘で宿泊(素泊まり)の手続きをし、ザックを部屋に置く。部屋の名前は「カモシカ」であった。しかし、後に食事の時間になると浅間山、谷川岳、槍ヶ岳といった山の名前が割り振られた他の部屋の人を呼ぶアナウンスがあり、穂高岳にいながら他の山の名前とはややこしいと思った。翌日予定していた白出沢の下り道の様子を受付で聞くと「雪が残っているのでアイゼン、ピッケルが必要」というつれない返事が返ってきたので、岳沢経由で下ることにする。

 時間はまだ14時前であり、天気のいい今日のうちに奥穂高岳をピストンしておく。高橋さんが準備よくナップザックを用意していたのでそこに水と食料と財布など貴重品を入れ、全員カッパ上着を着て出発する。

足下には涸沢
7/30 足下には涸沢。7月末とあってまだ雪が多い。
奥穂高岳へ往復
7/30 宿泊の手続きを終えて穂高岳山荘から奥穂高岳へ往復する。はじめのハシゴ。

 奥穂高岳に登るのは3回目だ。奥穂高岳ははじめが急で険しく、後が稜線歩きで楽である、という記憶通りではじめに2カ所のハシゴがあった。この時間、穂高岳山荘から往復する人たちが多いが、渋滞が起こるというほどではなく、ゆっくり私たちのペースで登ることができた。はじめの急な部分も北穂高岳から涸沢岳までの縦走を終えた私たちにはさほど難しくなく、むしろ空身で楽に登れた。はじめの急なところを過ぎて、登りがしんどいところは正面のピークが目標のピークに見えてくるので、みんなに「正面に見えているのは奥穂高岳ではありません」と釘を刺しておく。

穂高岳山荘と涸沢岳
7/30 急な登りを終えて。背後には穂高岳山荘と涸沢岳。
奥穂高岳山頂
7/30 奥穂高岳山頂。

 登り道をしばらく歩いて行くと山頂のほこらが見えてくる。しかし手前のピークの方がなんとなく高く見える。なぜだろうと思いながら登って行くと、山にはよくあることで手前のピークの方が仰角が大きく、高く見えるだけであった。そのピークは飛騨側から巻き、山頂には行かない。飛騨側から巻くところで尾根を乗っ越すともう登りもわずか。ひと登りで奥穂高岳に着いた。

 天気は周囲を積雲に囲まれイマイチ。それでも風もなく雨もないので条件はいい方であった。飛騨側から岳沢側へ雲が移動し、西側のジャンダルムが雲に隠れたり出たりしていた。奥穂高岳は今回の一番の目的でもあり、のんびりと過ごす。山田さんが持っていた携帯電話で地上との交信を試みるが、失敗する。そばにいた夫婦は「Docomoなら電波が通じる」と言っていたのだが、山田さんの携帯は通じなかった。彼女は「movaだからかもしれない」と言っていたが、auの古い機種を使っている私には違いがよく分からなかった。

 のんびり山頂で過ごした後はのんびり下る。登りでは高橋さんが「君を乗せて」、トトロの主題歌などジブリのメドレーを歌っていたが、下りでは山田さんの高校の応援歌を皮切りに、私の「千葉高の校歌」や「ラジオ体操の歌(テノールパート)」などみんな好き勝手にいろんな歌を歌っていた。

小屋に戻ってストレッチ
7/30 小屋に戻ってストレッチ。
小屋のテーブルでカレー作り
7/30 小屋のテーブルでカレー作り。

 穂高岳山荘に戻ってくるともう16時。ストレッチした後は食事の支度をする。晩飯はカレーライス。食後にメロンを食べるため4合の予定を3合炊いた。飯を炊く鍋はほとんど振動がなく、すぐ炊けたと思ったらまだまだで芯が残っていた。へこみながら改めて火をつけると今度はうまく食べられる米になった。小屋の晩飯は海老フライらしく、豪華そうな飯が食卓に並んでいた。私も子供のときは親に連れられて小屋泊で小屋の飯を食べていたが、山で食べるには豪華すぎるなと改めて思った。一方で食卓へ向かう人たちの中には私たちのカレーの香りをかいで「おいしそう」と言ってくれる人もいて、飯がうまそうかどうかは人それぞれだなと思った。

 寝る部屋は片側2段、片側1段であり、一度に30人ほど入る部屋であった。私たちは1階の部屋「カモシカ」の8,10,11,12を割り当てられた。9がないのは不吉な数だかららしい。4もなかった。ふとん1枚につき2人寝る。幸い満員ではなく、私の隣は不在だったので私はよく眠れた。しかし、反対側は壁まで人が詰まっており、窮屈で眠れない人もいたようだ。実に10年ぶりの営業小屋泊まりだが、やはり荷物が増えてもテントの方が楽だと感じた。


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