山ノ中ニ有リ>山行記録一覧>2006年山行一覧>北アルプス・穂高岳[3/3]
3日目 |
2006年7月31日(月) |
穂高岳山荘…奥穂高岳…紀美子平…岳沢ヒュッテ…上高地バスターミナル=(松本電鉄バス)=新島々=(松本電鉄)=松本=(高速バス)=新宿
涸穂高岳山荘 | 3:00起床 |
4:10 | |
奥穂高岳 | 5:10 |
5:36 | |
奥穂-前穂最低コル 手前3000m | 6:40 |
6:55 | |
紀美子平 | 7:25 |
7:30 | |
2505m峰 | 8:24 |
8:40 | |
岳沢ヒュッテ | 10:17 |
10:33 | |
岳沢1740m付近 | 11:55 |
12:10 | |
岳沢登山口 | 12:32 |
上高地バスターミナル | 13:05 |
13:20 | |
新島々駅 | 14:25 |
14:48 | |
松本 | 15:20 |
16:20 | |
新宿駅 | 19:30 |
3時起床。今日は東京に帰るので早めに出発する。飯の支度で少し手が空いたときに外へ出てみると満天の空。数えきれないほどの星が夜空に浮かんでいた。今日は少なくとも朝のうちは晴れるに違いない。しかもこれだけの晴れにも関わらず放射冷却を感じるほど気温は低くなく、北アの夏の朝としてはずいぶん暖かい方であった。今日も奥穂高岳で展望が望めると思うとうれしくなった。近年北アルプスを訪れた際は2回連続で天気が悪かったのだ。他の3人の喜びようは私以上で「天の川の星をこんなに見られたのは初めて」「流れ星が多い」など興奮したようすで話していた。
4時近くになると東の空がうっすら明るくなってくる。しかしヘッドランプなしでパッキングするにはまだ光が弱い程度である。この日は小屋泊まりでトイレが近いこともあって起きてから1時間10分で出発できた。
昨日登った道をたどって行く。私たちより先にヘッドランプを点けて登っている集団があり、その様子は富士登山のようであった。登り始めて道が分かりにくいこともあって、私が先頭に立つ。すぐ先行する集団に追いついたが、こちらも後続が遅いのでしばらく待っていると集団から離されてしまった。
7/31 日の出間近。槍ヶ岳が見える。 |
7/31 日の出。手前から涸沢、屏風の頭、常念岳。 |
はじめの急な斜面を終えて尾根歩きになるといよいよ周りは明るく、ヘッドランプはいらなくなる。東の空は刻一刻と赤みを増し、日の出は今か今かと期待する。奥穂高岳のほこらが見えるあたりで、とうとう日が昇り始めた。場所はちょうど常念岳の右肩である。雲海からはじめは三日月のように、その形はやがて半円になり、気がつけばまぶしくて直視できない真円になっていた。おもわず写真を撮るために小休憩する。
7/31 奥穂高岳山頂で記念写真。左から山田、馬渡、中山、高橋。 |
7/31 高橋さんと槍ヶ岳。天気がよい。 |
もう少し登って奥穂高岳山頂。昨日は雲に覆われていてイマイチの展望だった山頂も今日は文句なしの快晴である。北側は槍ヶ岳から薬師岳まで、南は乗鞍岳から木曾御岳までよく見えた。遠くは雲海がどこまでも続いており、東側に見えるはずの八ヶ岳も南アルプスも富士山も見えず、どうやら霞んでいるようであった。写真家とおぼしき人がチャンスとばかりにほこらの東の平地に三脚をすえ、槍ヶ岳方面の写真をたくさん撮っていた。足下には梓川の河童橋付近が見え、あそこまで1700mを下るのだとみんなをおどす。
7/31 奥穂高岳から前穂高岳へ。 |
7/31 前穂高岳への下り。 |
奥穂高岳から前穂高岳への吊尾根は下り中心の道。奥穂から下り始めてしばらくで急なところを下る。鎖が備えられているが、北穂高岳から涸沢岳への道に比べると簡単な道である。岳沢側へ派生する支尾根が岩と緑で段々に彩られており、変わっているなと話したら山田さんに「横浜の傾斜地の都市模型みたい」と言われた。なるほどそのようにも見える。ちょうど吊尾根の涸沢側から日がさし、稜線を歩く私たちの姿がその支尾根にシルエットになっていたので手を振ると、映る影も手を振っていた。
奥穂-前穂最低鞍部の手前で一本とる。日は高くなり、昨日日焼けした首周りが痛い。みんな日焼け止めを塗るので私も少しもらい、首筋に日焼け止めを塗った。最低鞍部からは前穂高岳への直登ルートがペンキで示されていたが、道は見えなかった。登ることはできそうだが、下るのは難しいかもしれない。
前穂高岳下の紀美子平まで前のときはだいぶ登ったように感じたが、実際には登りは少なく、ほぼトラバースに近かった。途中、下りにくいところも混ぜながらトラバースしていく。
紀美子平には30分で着いた。今回は早く下山することを念頭においているので前穂高岳の往復はカット。ザックは下ろさず、少し写真を撮って出発する。
7/31 紀美子平からの下り。今日中に帰京するので前穂高岳はカット。 |
7/31 登山道にいたカモシカ。 |
紀美子平から岳沢への下りは急な鎖場から始まる。先頭の私はすたすた下って止まり、後続の様子を見ながら下るが、振り返ると日焼けした首後ろがちょうど直射日光に当たって暑い。できるだけ日陰を探して下った。登りのハシゴを一つ登り、下り道が少し緩やかになってくると正面にカモシカがいた。道の行く先に立っており、こちらを見ている。カモシカを見るのは去年の北鎌沢出合以来2回目である。まさかこんな人通りの多い登山道に現れるとは思っていなかった。カモシカはこちらに興味があるらしく、こちらをじっと見つめて動かない。カモシカの写真を撮る絶好の機会なのでカメラを取り出し、一枚パチリ。運悪く、それでデジカメのメモリが満杯になってしまい、2枚目を撮ることはできなかった。多くの場合、山の動物は人間を見ると全速力で逃げ出すので写真を撮ることは難しいが、今回のカモシカは立ち止まる時間が長く、こちらが動いてもなかなか逃げなかったので写真を撮るには貴重な機会であった。写真を撮ってからこちらが動くとカモシカはやがてハイマツの中に消えて行った。ハイマツの中に隠れたカモシカはもはや見つけることができなかった。
カモシカと別れてから稜線の下部に見える傾斜のなだらかなところで一本とる。日差しが暑かったので私はカッパのフードをはずし、フードだけかぶっていたが、童話「赤ずきん」に出てくるおばあさんの振りをしたオオカミのようだと言われてしまった。赤ずきんなのはカッパのフードが赤だからなのだが、童話に出てくるおばあさんは赤ずきんをかぶっていないのに。心外である。休んだあたりでは奥穂高岳から上高地へとヘリコプターがひっきりなしに飛んでいたが、岳沢の上が航路にでもなっているのだろうか。
下っても下ってもなかなか近づかない岳沢ヒュッテへの道を下る。途中から今朝上高地バスターミナルに到着したと思われる複数のパーティーとすれ違った。この果てのないような道を登りにとるとはがんばる人たちである。下る途中では韓国人の集団と前後したが、彼らの半分は「こんにちは」、残りは「アンニョンハセヨ」とあいさつをしていた。郷に入っては郷に従え、私はニュージーランドを歩いていたとき「こんにちは」とあいさつしたことはないぞ、と思うが、外国人の意識はそんなもので日本人だけが相手に合わせようとするものなのかもしれない。
長いハシゴや鎖場も再度現れ、ずっと下に見えていた岳沢の雪渓がやっと目の前に来ると岳沢ヒュッテまでの長い道のりも終わりと安心する。植生はすっかり下界の木々と草になっており、アルプスらしさはない。雪渓は足跡が明瞭でなく、グリセードの跡もあった。私も真似をして、ぎこちないスケートみたいに滑っていたら最後に転んでしまった。あとから馬渡さんの悲鳴も聞こえ、彼女も転んだらしい。
7/31 重太郎新道下部のハシゴ。 |
7/31 岳沢下部の流れ。 |
水のない岳沢を渡って岳沢ヒュッテに到着。岳沢ヒュッテは前評判通り、小屋がなく、再建中であった。半壊したようすがあればどんな風に壊れたのか予想ができるが、材木は片付けられ残念ながら壊れた様子はわからなかった。谷の地形なので水はあるだろうと思ったら有料であった。
岳沢ヒュッテから河童橋までさらに標高差700m、水平距離3kmの道を歩く。これも岳沢を渡り返し、岳沢左岸に移ってからは変化のない下り道が続く。岳沢ヒュッテ往復と思われる人たちも現れ始める。途中、前明神沢からのガレが登山道の上に広がり、道がはっきりしないところがあったが、赤布が取り付けられており、迷うことはなかった。その下では大量の水が流れたらしく、草が一方向に寝ていて、砂が溜まっているところがあった。今は晴れており水は全くないが、増水すると恐ろしいようだ。
途中、倒木を乗り越えるときに足をすべらせて思いっきり転んだ。1回転ほどしたがザックの頭で着地したためにけがはほとんどなかった。その後風穴という涼しい風の出るところを越え、少し歩いたあたりで一本とる。高橋さんは稜線で動かなかったカメラを取り出し、ときどき立ち止まっては写真を撮っていた。どうやら寒さのためにバッテリーの電圧が低下していたらしい。このあたりにくるともう傾斜は弱くなり、散歩道に近い。岳沢下部の細い水流をいくつか渡るともう梓川の平地は近い。木の根っこの上を水が流れる不思議なところを過ぎるとそこが梓川右岸の道路であった。
道路に出るとそこはもう下界。観光客がひっきりなしに行き来している。馬渡さんは足が疲れたとのことでゆっくり後から着いてくることにした。河童橋の手前は上で見た通り梓川がS字を描いてカーブしており、その地形がよく分かった。まるで先ほど見ていた模型の中に入り込んだようであった。
人で混雑する河童橋を渡り、上高地バスターミナルに戻ってくる。幸い15分後にバスがあり、これに乗る。バスはあまり込んでおらず、4人横一列に席を取ることができた。新島々乗り換えで松本へ。バスの中でバスの中で「新島々」という変わった名前について聞かれるが、「新島々」と「島々」の関係については答えられても「島々」という名前の由来については答えられなかった。新島々駅のそばには旧島々駅舎が移築されていることに初めて気がついたが暑かったし、時間もなかったので入らなかった。
1年ぶりに来た松本駅は工事されてだいぶ変わっていた。東西自由通路ができ、きれいになっていた。すこし戸惑うが外は同じであった。高速バスターミナルのあるエスタへ移動し、16:20松本発新宿行き高速バスを予約し、そのビルの7階のレストランでご飯を食べる。注文が出てくるのに時間がかかり、バスに乗るまでが慌ただしかった。
バスでは寝ようと思ったが、なかなか眠れず結局眠らなかった。新宿には予定通り19:30に着いたが、途中だいぶ飛ばしているようでバスに乗っていて心配になった。バスは新宿西口に停車し、そこで解散した。京王線に乗るときに食料費を払っていないことに気づき、慌ててJRの乗り場へ移動し、500円の食料費を払って改めて別れた。私は新宿から近いので20時頃に家に着くことができた。その日は洗濯をしてゆっくり寝た。
この季節にただの縦走、それも歩くのは一般ルートのみという点であんまり乗り気でなかったのだが、思いのほか天気がよく、十分楽しめた。北アルプスで天気がよいのは久しぶりだったので、改めて北アルプスのよさを知った思いである。いずれ行きたいと思っている前穂北尾根、北穂東稜の観察も十分できたのでまた涸沢周辺に行きたいと思う。
(2006年8月2-3日記す)