山ノ中ニ有リ>山行記録一覧>2006年山行一覧>北アルプス・穂高岳[1/3]
5月16日、高校の山岳部の同期の馬渡さんから就職先が決まったというメールが来た。そのメールには学生最後となるこの夏に2度(高1、高3)断念している穂高岳に一緒に行ってくれる人を捜しているということが付されていた。
私は誘われた山は断らない主義なのでまずは行ってもいいと考えた。一方で沢登り最盛期である夏にただの縦走に行くのはあまり気が乗らないのも事実だった。考えた末、まだ夏の予定も決まっていないし、予定は早いもの順と考えて、誘いに乗って穂高岳に行くことにした。
メンバーは発起人の馬渡さんの調整のもと、やはり高校山岳部の同期の高橋さんと、高橋さんと同じ研究室の山田さんと私の計4人になった。
ルートは信州側涸沢から、同じく岳沢から、飛騨側白出沢からの3ルートを検討し、上高地…横尾…涸沢…北穂高岳…穂高岳山荘(奥穂高岳往復)…白出沢…新穂高温泉と計画した。上高地からの入山は新穂高温泉行きの夜行バスがなかったためである。岳沢経由を避け、涸沢経由にしたのは岳沢ヒュッテが今年営業していないためである。雪の重みで宿舎がつぶれてしまったそうだ。下りは無料の温泉があるという新穂高温泉に行くために白出沢を選んだ。
結果的には白出沢の道が残雪多くアイゼン・ピッケル無しで下るのは難しいという穂高岳山荘の人の助言に従い、下りに白出沢の道をやめ、岳沢経由の道を選んだ。それ以外は計画通りである。
0日目 |
2006年7月28日(金) |
新宿23:00発バスさわやか信州号乗車(車内泊)
前夜発のバス、さわやか信州号の集合場所を私たちの集合場所にした。場所は新宿、京王プラザホテルと都議事堂の間。はじめ地上の道路に出てしまったが、集合場所は地下であった。地下はさわやか信州号をはじめとするいくつかの夜行バスの出発地になっており、山に行くたくさんの人が集まっていた。行く先は立山室堂、尾瀬などいろいろだ。着いた時刻は21:10。21:30集合だったが、一番乗りであった。
無料雑誌R25を読んだりしてしばらく待つが、なかなか人が来ない。集合時刻の21:30近くになっても誰も現れない。ひょっとして日付を間違えただろうかと不安になる。するとちょうど21:30ごろになって馬渡さんがやってくる。どうやら日付はあっていたらしい。その後しばらく待つと山田さんと集合場所を求めて長らくさまよっていた高橋さんが現れ、無事集合できた。高橋さんは私よりも早く新宿に着いていたにもかかわらず私たちが乗るものとは別のさわやか信州号の集合場所で待っていたそうだ。
手続きを済ませ、乗車。滞りなく発車。甲州街道に沿って西へ向かう。寝ようとするがなかなか眠れず、最初のトイレ休憩のサービスエリアまで眠れなかった。
1日目 |
2006年7月29日(土) |
上高地バスターミナル…横尾…本谷橋…涸沢ヒュッテ(貸テント泊)
上高地バスターミナル | 5:40 |
6:40 | |
明神 | 7:25 |
7:37 | |
徳沢 | 8:22 |
8:40 | |
横尾 | 9:38 |
10:05 | |
本谷橋 | 11:08 |
11:18 | |
涸沢 2100m | 12:20 |
12:42 | |
涸沢ヒュッテ テント泊 | 13:15 |
18:30就寝 |
サービスエリアでの休憩の後は眠れた。起きると4:30ごろで沢渡。ここで低公害バスに乗り換え。空はくもり、梓川の濁った流れから判断してこの夜は雨だったようだ。低公害バスに乗り換えて再度寝ようとするが結局眠れずうつらうつらして終わった。
上高地バスターミナルに到着。各自トイレに行ったり、カッパを着たりし、みんなで荷物を分担したり、登山届を出したりする。天候を見ながらカッパ着るかどうか考えたりしていたら出発まで1時間かかってしまった。
7/29 上高地バスターミナル。左から高橋、中山、馬渡。山田さん撮影。 |
7/29 明神〜徳沢間の梓川のようす。うすぐもり。 |
本日の宿泊地涸沢へ向かって出発。気温はそこそこ高く、裸にカッパで歩くと少し暑い。弱い雨が降っているがそんなに気にならない。小梨平キャンプ場に入るあたりで小さな川を渡るがそこに魚がいた。私は気づかず通過してしまったが、後続が来ないのでようすを見ると川に魚がおり、みんな写真を撮っていた。
私は歩いていて暑かったのでカッパのファスナーを半分ほど開けていたが、他のメンバーに変態だと言われてしまい、少しへこむ。明神で一本とり、次は徳沢へ。
明神から徳沢の間で道が崩れた場所が一カ所あった。もともとの道が梓川沿いの崖の上にあり、崖の崩壊に伴い、山側に迂回路が付けられていた。とはいえそれは車の通れる道ではなく、横尾へはどうやって食料を運んでいるのか気になった。対岸の明神岳は雲の下でピークは望めなかった。
徳沢で一本。ゆっくりする。山の登り下りの人がたくさんおり、お盆でなくても込んでいるものだと思う。高校の山岳部とおぼしきパーティーも2つほど見かけ、今回のパーティーが高校山岳部の同期で作られていることもあり懐かしく思った。
徳沢から横尾まではそれまでより長い一本となるがゆっくり歩いていることもあって一本で行くことにした。幸い雨も降ったりやんだりで順調に横尾に着くことができた。下りだといやになるくらい長い河童橋〜横尾間だが、意外と気持ちよくたどりつけた。
7/29 横尾大橋。奥に前穂北尾根の末端。 |
7/29 横尾から本谷橋へ。 |
横尾からはいよいよ登り道になる。これまで車が通れる幅だった道も細くなり、登山道らしくなる。架け替えられた横尾大橋を渡り、本谷橋へ。道は屏風岩を巻く横尾谷に沿っており、はじめは緑に覆われていた屏風岩が、その周りを歩くに従いだんだんと露岩を見せて行く。途中で天候をうかがうクライマーの集団を見た。時刻は10時を過ぎており、今雨がやんだとしても取り付くには遅いと思うのだが。
7/29 屏風岩。 |
7/29 本谷橋を渡る。 |
本谷橋は思いのほか遠く、横尾からたっぷり1時間かかってしまった。しかも本谷橋に近づいてくると雨も本降りとなり、休むにも辛い。それでも本谷橋はマイルストーンとしては顕著なものなので多くの人が休んでいた。横尾本谷へ向かう横尾谷左岸の道を探したが石に×印が付けられているのを確認した他は明瞭な道は見当たらなかった。
本谷橋を渡って10分休み、改めて出発。歩き始めて20分ほどで雨がやみ、周りの風景は日差しを浴びて夏らしくなってきた。道の真後ろにあたる横尾谷右俣には雪渓が詰まっており、周囲の緑と美しいコントラストをなしていた。雨が上がれば奥の天狗原の稜線まで見えた。機会があれば行ってみたい谷だ。
道が真南から西へ折れ曲がるあたりの2100m付近で一本とる。休んでいると下から観光客のカッコをしたおじさんが歩いてきていた。何でも上高地から横尾までのつもりで来たが、横尾まで来てついでに涸沢まで行ってしまおうと思い、涸沢へ向かっている途中だと言う。強いおじさんだ。上高地から涸沢往復というと8時間はかかる立派な1日ルートなのに。私が地図を見ていると「あんた地図持ってんのかい?」と興味を示し、現在地と涸沢の位置を確認して先へいった。
7/29 涸沢沿いの道になり横尾本谷が背後に見える。雨のあと。 |
7/29 涸沢ヒュッテ下の雪渓。奥の十字架みたいなのが涸沢ヒュッテと涸沢小屋の分岐。 |
休んだところから10分ほどで雪渓にぶつかる。例年は涸沢まで雪の上を歩くことはないので、今年の冬は雪が多かったようだ。馬渡さんと山田さんは軽アイゼンを持ってきていたのでここで履いてもらう。高橋さんと私はアイゼンを持ってきていないので、足跡を慎重にたどっていく。雪渓は見かけより傾斜が急で早足で歩くと息が切れる。途中途中で写真を撮ったりしながら登った。向かう先の穂高岳は雲に隠れ、残念だがピークは見えなかった。
雪渓はいったん途切れるがすぐまた大きな雪渓に出る。この雪渓の上部には涸沢ヒュッテと涸沢小屋の分岐を示す看板があり、雪渓に埋まっていた。その辺りから涸沢ヒュッテへは雪渓に階段が付けられており、歩きやすかった。涸沢ヒュッテの人が階段を作ったのだろうが、大変だったろうと話す。
そして本日の宿、涸沢ヒュッテに到着。ここではテントを借りることができ、4人用1張り6000円。1人あたり1500円。それに幕営料1人500円で計一人あたり2000円。素泊まりが1人6000円であることを考えればだいぶ安い。加えてテントはすでに張ってあり、朝出るときにたたむ必要もない。
7/29 涸沢のテント村。貸しテントに泊まる。 |
7/29 テント内で豚汁をつくる。 |
この日は天気が安定しなかったのでテントの中で豚汁をつくり、おいしく食べることができた。残念なことに持ってきたメロンはみんなお腹いっぱいだったために明日に持ち越すことになった。