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2005年春 - 奥多摩・雲取山〜飛竜山


2005年4月30日(土)、5月1日(日)
場所
山梨県北都留郡丹波山村/奥多摩
ルート
4月30日
JR青梅線奥多摩駅=鴨沢バス停…七ツ石小屋…雲取山…三条ダルミ(泊)
5月1日
三条ダルミ…飛竜山…前飛竜…サオラ峠…丹波…丹波山温泉=JR青梅線奥多摩駅
参加者
荒井(3)、澤(1)、菊地(1)、辛島(1)、中山(M2)、三井(M2)

奥多摩・雲取山〜飛竜山の地図

はじめに

 荒井がカラーチラシなど例年にないアイデアでいろいろとがんばったおかげで3人の1年生を獲得することに成功した。まずは荒井、お疲れ様。

 さて恒例の新歓であるがこの年は雲取山になった。3年前までは柳沢峠のワンゲル小屋に集まるようにパーティーを編成していたものの、自家用車を出さないと非常に不便な位置にあり、近年の部員減少に伴い車を出せる部員がほとんどなくなったため、2年前から柳沢峠を避けている。具体的には2003年奥秩父両神山、2004年奥秩父甲武信ヶ岳といった具合である。今年はどう決めたかというと荒井の「新入部員がやめない程度のつらさの山」「日本百名山に選ばれるような有名なピーク」という条件のもと、雲取山が選ばれた。

 始めは私は行かないつもりだったので「ふーん」と我関せずを決め込んでいたが、テント生活などを教えるにあたって一人では無理だという意見にしぶしぶ折れた。私が行きたくなかった理由は3つある。雲取山は連休中に非常に込む山であるから、3月に行ったから、連休中に群馬・埼玉県境を歩きとおしておきたかったから。

 で、自分も行くからには三峰か飛竜か、私の行ったことのないところに行きたいと条件をつけた。で、ルートは鴨沢…七ツ石山…雲取山…飛竜山…ミサカ尾根となった。

0日目

2005年4月29日

JR青梅線奥多摩駅=鴨沢バス停…七ツ石小屋…雲取山…三条ダルミ(泊)

 今年のゴールデンウイークは4月29, 30日、5月1, 3, 4, 5, 7, 8日と3連休+3連休+2連休という豪華な編成になった。最初の3連休にこの雲取山に行ったのだが、29日夜発で5月1日下山となった。普通は4月28日夜発で30日下山にするべきなのだろうが、荒井のアルバイトとか1年生が27日に装備を購入してから必要な準備の時間とかで29日に空きの日ができた。山を下って1日空けたい私はここでも文句をつけたが体調を整えるためにはよかったのかもしれない。というのは25日から28日まで観測のために都区内を駆けずり回っていて週末にはけっこう弱っていたので。

 とにかく29日、昼に起きてから大学に行き、だらだら論文を読んで20時半に部室集合。菊地が高速で地図に磁北線を引き、たたむのを待ってから出発。菊地は行動食の量に不安があったらしく、駅前のコンビニでカロリーメイトを購入していた。二子玉川、溝の口、立川で乗り換え、青梅線に。しかし、青梅で30分待ちにあってしまった。青梅0:00発奥多摩行き最終列車に乗り、終点で下車。列車はすいていたが奥多摩駅はすでに寝ている人で込んでいた。バスターミナルの方で寝ようかと思ったが、車がやってきてターミナル前の自動販売機によるのでやめて駅の軒先で寝た。1時就寝。1年生は寝られたのだろうか。

1日目

2005年4月30日

JR青梅線奥多摩駅=鴨沢バス停…七ツ石小屋…雲取山…三条ダルミ(泊)

1日目コースタイム
鴨沢バス停6:42
6:57
小袖集落7:52
8:03
堂所9:00
9:17
七ツ石小屋10:02
10:27
七ツ石山10:57
11:17
雲取奥多摩小屋
(水汲み)
11:49
12:20
小雲取山12:57
13:04
雲取山13:22
14:48
三条ダルミ15:07
19:05就寝

 5:30起床。6:10ごろの鴨沢西行き朝一番のバスに乗る。始電が到着したあとで、立つ人が出るくらいのそこそこの込み。鴨沢でみんな下車した。着ているものを適当に脱ぎ、6:57出発。隊列は中山、菊地、澤、辛島、三井、荒井の順。1ヶ月ぶりの道だが、どうも歩いている道が前と違うような気がする。ひと月の間に草木が伸びたからだろうか。歩いていくとちゃんと小袖乗越に出た。

奥多摩駅で駅寝
4/29 JR青梅線奥多摩駅で駅寝。手前は眠くて銀マットかぶって二度寝する筆者、中山
鴨沢バス停で下車
4/30 鴨沢バス停で下車。地図を開いて現在地確認。

 車道をしばらく歩き、また登山道に入る。車で来て出発準備をしている人がいた。小袖集落に出て2軒目の家で一本とる。一本とっている間にけっこう人が通り過ぎていく。やはりゴールデンウイーク、ちょうど雪がなくて1泊2日で行ける手ごろな山ということで雲取山に来る人が多いようだ。なお、私が雲取山を避けたかった理由に、人の多い山が嫌いだということもある。水は共同装備、ということにやはり1年生は驚いていたようだ。

小袖集落にて菊地
4/30 一本目、小袖集落にて菊地。

 次の一本で堂所まで。たらたら登っていく。途中、水場のところで確認のために三井君と荒井が遅れたものの順調に進む。ときどき軽装備の人が我々を抜いていく。堂所は道が小袖川側から尾根に出るところ。特に展望はないが、小広くなっており休むのによい。ここで永谷君差し入れの巨大板チョコレートを食べる。20cm×40cmくらい。荒井は差し入れをピークで一度に消費しなければならないものと考えていたらしく、堂所でチョコレートを出すのに渋っていた。チョコレートはけっこう甘く、三井君は「あー、虫歯になりそう」と言っていたが、そう感じるならもう虫歯だと荒井と二人で主張した。チョコレートは板状だったため、この一本で2/3ほどを食べることができた。

 七ツ石小屋へ登る。天気はくもりだがかなり明るい。片倉谷と小袖川との間を行ったり来たりしながら片倉谷側で七ツ石山の巻き道と分岐。さらにしばらくで七ツ石小屋。荒井がへばってしまい、1年生といっしょに七ツ石小屋でしばらく待った。菊地もばてており、菊地には水を飲ませる。きつい登りではないが、それまでより傾斜が大きくなる一方でペースはそのままにするからばてるのだろう。先月もここでばてた人がいたのを思い出した。もっとも荒井は3kg缶を2つ、ビールを6缶、もちろん水も4リットル持っているのでもともとしんどいのだが。

 七ツ石小屋の看板は山岳マラソンの名札入れが張ってあり、看板の内容を隠していた。小屋の主人と思しき人が「一言いってくれりゃ、そこの小屋の壁にでも張らしてやるのに、これじゃ看板が読めないじゃないか」と誰かにぼやいていた。そこにはザックが8つほど置いてあり、どこかにピストンしているようだった。しばらくするとその集団が戻ってきてその様子を眺めていた。「何分着、何分に出発します」「Aさんは鍋をBさんに、Cさんはビール8本をDさんに渡してください」とか何かえらく統制のとれたパーティーだった。しかし、七ツ石山を七ツ石小屋からピストンするのって、いったいどういうコース取りなのだろうか。七ツ石小屋泊、翌日石尾根を下るとかだろうか。でもまだ10時ごろだったし。山の上で装備の再分配しているし、よく分からないパーティーだった。

 七ツ石山に向けて出発。小屋から少し登ると片倉谷の源頭の水場。少し水を飲んで再度登る。すぐ七ツ石山と千本ツツジとの分かれ道になり、前者をとる。やはり菊地がしんどそうに登るが、ちゃんと追いついた。石尾根に出たところで急ぎ足で下ってくる軽装の男性に会った。「これからマラソンの人が来るんでよろしくお願いします」とすれ違いざまに伝えていった。マラソンって今日だったっけ?とか思いながらまた登る。しばらくで先頭ランナーと思しき人が下ってきた。社を過ぎたところで元気な澤と辛島にピークダッシュを許可する。ちゃんと走っていった。まだまだ元気なようだ。

 七ツ石山は雪もなく、不思議な感じがした。雲取山は冬に登ることが多いから緑のイメージが湧かない。簡単に地形図を読んでもらい、雲取奥多摩小屋で水を汲むかどうか荒井に判断してもらい、先へ向かう。

 ブナ坂へは雪がないために下りにくかった。やはり雲取山は冬に登る山だ。のんびり登っていくとヘリポートを過ぎて雲取奥多摩小屋。ここで水を汲みに行く。水量は豊富で3つのポリタンがすぐ満タンになった。

 雲取奥多摩小屋から巻き道を分けて1813m峰へ登る。登ると雪が少しだけあった。澤と辛島は雪があることに驚き喜んでいるようだった。小雲取山まで急登をゆっくり登っていくと、上からポツリポツリとランナーが下ってきた。よくまあこんな急な坂を下るものだ。雲取山までのしんどい登りとしてはこれが最後だと元気付けながら登る。小雲取山で荒井を待ち、5分の休憩。その間もランナーが来て富田新道と七ツ石山との道を確認して下っていった。

 ここから雲取山まではもうほとんど平坦な道だ。すぐ雲取山山頂の避難小屋が見え、最後のひと登りで雲取山避難小屋に着いた。ピーク缶を出して山頂へ向かう。三井君が走り出したので追いかけたが、先に三角点を取られてしまった。フルーツポンチの缶詰はなかなかおいしく、途中おたまなどの道具も用いながら無事完食した。荒井が放心状態なので、パーティー全体もそのままボケ−っと休む。さてどこに泊まるか。荒井が推すのは避難小屋から少し戻った道端。これは「戻りたくない」という点と「人通りが多いから日がすっかり落ちないとテントを晴れない」という2つの反対にあった。結局先に進み、三条ダルミか狼平でテントを張ることにする。狼平は雲取山の山頂から見る分には平坦そうだ。

雲取山山頂で記念写真
4/30 雲取山山頂で記念写真。フルーツ缶を持っているのは澤。
フルーツ缶を開封する辛島
4/30 雲取山山頂でフルーツ缶を開封する辛島。

 雲取山の避難小屋で休んでいたら知っている人を見かけた。高校のときの顧問だったS先生である。私もそうだが、先月来た雲取山にまた来ていた。今度は一杯水避難小屋から長沢背稜をたどり、雲取山からは私と同じ飛竜へ行くと行っていた。山岳マラソンについても詳しく、本日30日6時に青梅を出発、軍畑から高水三山に登り、棒ノ折嶺、蕎麦粒山、長沢背稜とたどり雲取山に達しているそうだ。雲取山の制限時間は出発12時間後の30日18時とのことだった。このあとは鴨沢に下り、三頭山を登り返し、笹尾根を下って高尾に下山するらしい。24時間100kmとクレイジーな山岳マラソンだ。

 先生は雲取山避難小屋に泊まるらしく、適当に話を切り上げて山頂を辞す。西へ下る。急な下りでひざをいためそうだ。しかし、下りはそう長くは続かず、30分で三条ダルミに着いた。都合よく三条ダルミには3張りほどのスペースがあり、だれもテントを張っていなかった。そのスペースは水平になっており、テントを張るには十分なので狼平までいくことなくここでテントを張ることにした。

三条ダルミでテントを張る
4/30 三条ダルミでテントを張る。右は一人ツェルトで寝る中山。
テント張り終わってひと休み
4/30 テント張り終わってひと休み。

 テントはダンロップV6。しかし、6人入ると居住性が悪くなるので私は一人でツェルト。テントを建ててからテント内で菊地にニンジンの切り方を教えたりしてツェルトに引っ込んだ。澤は高校での山の経験があり米を担当、菊地・辛島が三井君の指導のもとカレーを作っていた。飯作りの時点ですでに3kgメンマ缶が開けられており、各人すこしずつ食べていた。荒井に至っては気象図を描きながら食べていた。

メンマ
4/30 メンマ3kg缶開封。
メンマ頂きます
4/30 三井「メンマ頂きます」

 ツェルトに引っ込んでから呼ばれて起きる。晩飯。飯もカレーもなかなかのできだった。肉を忘れたため物足りなかったので代わりにメンマを入れる。メンマはすっかりカレー味になって単調な味から開放された。飯をすべて分けなかったのでお替わりをし、そのあとカレー紅茶。荒井のしょってきたビールを飲むと菊地のようすが少しおかしくなった。語る性質なのだが、断片的でしかも筋が通っていないので誰もついていけない。あとはトイレを済ませてツェルトに引っ込んで寝た。風もなく雨もなくツェルトでも十分快適な夜だった。何だか隣のテントはにぎやかで一人ツェルトにいるとさびしく感じた。大勢の中にいるときの方がむしろ孤独を感じるものだと思った。

 (2005年5月1日記す)

2日目

2005年5月1日

三条ダルミ…飛竜山…前飛竜…サオラ峠…丹波…丹波山温泉=JR青梅線奥多摩駅

2日目コースタイム
三条ダルミ2:30起床
4:33
三ツ山付近5:33
5:48
飛竜山6:52
7:10
前飛竜下1760m付近8:20
8:45
サヲラ峠9:40
10:33
丹波11:55
大丹波温泉12:13
14:20
JR青梅線奥多摩駅15:15
15:26

 2時半起き。空には半月、そこそこ明るい。朝はインスタントラーメンにメンマを投入し、めでたくメンマの処理に成功した。ラーメンで割と早く飯ができたので二度寝してテントをたたむ。4:30出発。出発地であるここの現在地確認で手間取る。

 はじめは平坦な道。よく整備されており、ゆるい登り下りがある。1826m峰を巻き、狼平に出る。広いコルになっており、20張りくらい張れそうだ。ここから三ツ山の登りになる。登っていくと鹿が逃げていった。今朝最初の登山者なのだろう、4度ほど鹿を見ることができた。だいぶ登ってくると稜線の南側を巻く道になる。ところどころ板の渡された危険なところをトラバースするが、要所要所に板が渡してあるので難しくない。ただ休むところが少なく、三ツ山の次のコル付近でむりやり一本とった。幸い朝早く登山者とすれ違うことはなかった。

 調子よく高度を稼ぎながらトラバースして登っていく。その代わり、どこを歩いているのか確証を持てない。飛竜山のほうを見ると白く滝のようにまっすぐ落ちている雪渓が2つ見えた。やがて三条の湯から登ってくるコルに出た。その三叉路には一人用のテントが一つ。寝ているかと思って静かに通り抜けると中の人はすでに起きていた。そして先ほど見た雪渓を慎重に横切る。1年生の澤も率先して他の1年生に歩き方を指示していた。力強い1年生だ。

 道は依然として稜線を巻いていく。飛竜山に直登する道があると聞いたんだけどな、と不思議に思いながら歩いていくとある尾根を乗り越すところで「飛竜山近道」という看板を発見。ここを登っていく。これまでも続いていた巻き道に比べれば細く急だが、十分たどることのできる道だ。やがて道はなだらかになり、三角点ピーク2069.1mに達した。荒井に休むかと聞いたら「西のピークの方が高い」という指摘を受け、もう少し行くことにする。気づかなかったが確かに2077mというピークがある。山頂はやたら平坦で道がなければとても歩けなさそうだ。歩いていくがそれらしきピークはない。特に広いあたりで私が斥候としてピークを探しに行くが1分ほどで道はやがて下っていく。戻ってそれを荒井に告げると、ここで一本ということになった。

 さて、新歓のイベントとして大事なアレがまだ残っている。部歌指導だ。三井君が恥ずかしい伝統だと言う中、荒井と二人で歌う。さすがに1年生はこれを覚えるというと驚いていた。飛竜山の山頂は木で覆われ展望はなく、どこからか吹く風が冷たかった。一回だけ歌って下ることにする。

 だんだんと道は下り、飛竜権現に出る。しばらくヤセ尾根のようなところを行き、草の斜面に下ると、次は前飛竜の登り。じわじわと登っていく。前飛竜を過ぎると急な下り。一歩一歩慎重に下るよう1年生を見ながら歩く。途中岩岳尾根の方へ下らないように道がついていた。急な下りを終えたところで一本。小広くなっており、休むのによかった。子供のときのマンガの話で世代間較差を実感していると下から単独行の人が登ってきた。まさかこの尾根を登りにとる人がいるとは思わなかったが、テント装備で確かに登ってきた。いったいどこまで縦走するのだろう。

 この前飛竜の下りをこなすとそれほどの急な坂は登り下りともなくなる。熊倉山で少し登るが、さほどではない。必然的に部歌指導に熱が入る。荒井が何度も歌って教えていた。三井君はそんな集団が恥ずかしいのか、一番後ろを歩いていた。そしてサオラ峠。このまま尾根を親川まで下っていくのか、丹波へ下っていくのかの分かれ目だ。部歌がちゃんと歌えれば丹波へ下る、歌えなければ親川まで部歌指導が続く、と何だかよく分からない荒井の判断のもと、1年生がそれぞれ歌わされる。ちゃんと計画書どおり行動しろよとも思ったが、所詮ゲストの身だし、OBは新歓山行についていくものじゃないし、言わなかった。で、OBにとっては大休止。1時間近く休む。

 何だかよく分からないまま丹波に下ることになる。しばらく山腹を南へからんだ後、砂地のいやらしい斜面をジグザグに下る。また西側にトラバースしながら下り、大きなジグザグを繰り返して下る。やがて894m峰手前のコルに出て一本。1年生がまた部歌を歌っていた。下っていくとやがて奥秋集落の上に出る。何度か鹿よけの扉を開けて丹波集落に下りつく。

 しばらく歩いて丹波山温泉に入る。一人600円。まあ普通の値段だが、「村内者と村外者の値段を分けるってせこいよな」と三井君が苦言を呈していた。風呂から上がると荒井が1年生に飯をおごっていた。丹波発奥多摩駅行きのバスはすでに込んでいた。親川で待っていた一部の人を乗せてバスは直行奥多摩行きに。バスの運ちゃんは途中鴨沢西のバス停で待機していたもう一つのバスに親川まで行くよう指示していた。そのぎゅうぎゅうのまま奥多摩駅に到着。それでも渋滞に巻き込まれないだけよかった。奥多摩駅であわただしくホリデー快速おくたま号とホリデー快速ハイキング号に分かれ、解散した。

 まあ1年生が山についてこられるだけの体力があることが分かっただけ十分かなと思った。改めて荒井君、お疲れ様。

(2005年5月5日記す)


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