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2005年春 - 甲相国境・月夜野〜藤野


2005年4月16日(土)
場所
神奈川県津久井郡津久井町・藤野町・山梨県南都留郡秋山村・北都留郡上野原町/道志の山
ルート
三ヶ木=(津久井神奈交バス)=音久和バス停…神ノ川キャンプ場(往復)…神ノ川入口バス停…音久和キャンプ場(道志川渡渉)…730m峰…平野峠…入道丸…奥牧野…440m峰…田野入…天神峠…堤川橋…JR中央本線藤野駅
参加者
単独行
天気
くもり

甲相国境・月夜野〜藤野の地図

はじめに

 関東外県境のうち神奈川県部分もあと一区間になった。月夜野から藤野までの区間である。とっかかりが今年1月の神ノ川キャンプ場〜籠坂峠だったので、約3ヶ月で達成したことになる。大した山があるわけでもなく、そのかわりこの辺の記録があるわけでもなく、ヤブを覚悟して望んだ。

 この月夜野、さすが県境とあってバスの便がほとんどない。路線は神奈川県の三ヶ木から月夜野行き、山梨県都留市駅から月夜野行きの2路線、しかもどっちも終点。かつて中央本線藤野駅からのバスが存在したが、その路線もいまはない。

 で、東京から行くなら三ヶ木経由なのだが、三ヶ木発月夜野行きのバスは土日は2本、6:50と夕方ごろの一本。朝発ち日帰りにはどちらも適さない。逆コースで藤野→月夜野も考えたが、15時台の三ヶ木行きを逃すとタクシーになりよろしくない。しかたないので、三ヶ木のバスターミナルに泊まり前夜発日帰りとした。なお、前に神ノ川キャンプ場に行ったときは人数がまとまったので藤野駅からタクシーを使った。津久井神奈交バスに分社化される以前はもう少し本数があったのだが、しかたない。

日帰り

2005年4月16日

JR横浜線橋本駅=三ヶ木バスターミナル(泊)=音久和バス停…神ノ川キャンプ場…音久和キャンプ場…730m峰…入道丸…奥牧野…440m峰…田野入…JR中央本線藤野駅

コースタイム
三ヶ木バスターミナル6:30起床
6:50
音久和バス停7:30
7:32
神ノ川キャンプ場8:10
音久和キャンプ場8:50
9:05
730m峰9:50
9:58
平野峠10:00
入道丸
714m三角点ピーク
10:02
大平山
510m三角点ピーク
10:55
11:00
奥牧野11:40
440m峰12:20
12:35
田野入13:00
天神峠13:30
JR中央本線藤野駅14:58
15:10

 15日金曜日、輪講とかCREST関連のミーティングとかで時間はあわただしく過ぎていく。午後9時、研究室を出て行く。他の人たちは4月から就職した人たちと飲みに行き、すでにいなかった。山がなければ行ってもよかったな、単独行だし簡単に中止にはできるな、とも思ったがいろいろと立て込んでいて悩みもしなかった。

 田園都市線はいつも込んでるな、まあ地下鉄を除く私鉄最混雑の路線だからな、とか思いながら長津田で乗換え。横浜線に乗って橋本駅で下車、三ヶ木行き終バスに乗り込む。金曜夜とあって込んでいた。ザック抱えて寝る。もっとも終バスの後にも運賃が倍額になる深夜バスがあるのでそれの方が込んでいるかもしれない。

 三ヶ木のバスターミナルは3度目。高1の丹沢主脈縦走、高3の丹沢主稜〜主脈縦走で焼山登山口に下ったとき以来。屋根も壁もある待合室があり、ここに泊まることを想定した。着いてから追い出された際の次善策として公園等を探すが見つからなかった。で、待合室で銀マットひいてシュラフカバーに入って寝た。最後の深夜バスが着く前に寝たようだった。0時就寝。

 夜中は寒かった。翌朝6時、バスの職員の人たちが待合室を掃除しにきた。まずい、追い出されると思ったら「あ、寝ててもいいよ」と温かい言葉。月夜野行きのバスは少ないので他にも同じ事をする人がいるのかもしれない。最近は駅などで寝ると嫌がられるばかりので、ありがたかった。

 月夜野行きバスの乗客は4人。タクシーで三ヶ木まできた夫婦と1人の若者と私。夫婦は焼山登山口で降りていった。私は音久和で下車。若者は月夜野まで行ったようだった。路線バスだけで東京から大阪まで行こうとかそういうやつだろうか。

 音久和で降りてまず神ノ川キャンプ場を往復する。この区間は前に来たときタクシーでショートカットしてしまったので歩いておかねばならない。神ノ川への道の分岐に来たら「神ノ川入口」というバス停があったので、こっちで降りればよかった。国道413号線を離れて登っていくと音久和の集落。音久和と書いて「おんぐわ」と読むらしい。そこそこ人の住んでいるところだった。集落の端で犬が吠えながらついてきて困った。途中、交通標識で見たことがなかった「その他の注意」看板を発見。路肩注意とのことだった。そういや落石注意の看板はあるけど、路肩注意の看板はないのか。

 30分ほどで神ノ川キャンプ場に着いた。見るとキャンプ場下の堰で釣りをしている人がいた。どこから下ったのだろう。厳密に言えば、歩いてきた神ノ川林道でなく道志川が県境なので河原を歩くべきなのだろうが、河原歩きは不確定要素が多いので避けた。メインは月夜野〜藤野だし。

 さて神ノ川入口に戻って山梨県側へ向かい、県境の両国橋の手前、音久和キャンプ場で道志川へ下る。靴と靴下を脱ぎ、両手に靴を持って渡渉。やや冷たいが耐えられる。それよりも意外と流速があるのと河床がぬめっているのが危なかった。水深は30cmほど。

 渡って足が乾くまで一本とする。行動食をほおばっていたら対岸のキャンプ上の管理人さんらしき人が「何かあったのか」「けがでもしたのか」と声をかけてきた。心配されてしまった。ただ山に登るだけだ、藤野まで歩いていくと伝え、登ることにする。

 県境はここから道志川北岸の730m峰に向けて尾根沿いに伸びている。尾根に取り掛かると造林用と思われる踏み跡を発見。ときどき迷いながらジグザグに登っていく。始めははっきりしなかった急な尾根で、砂みたいな斜面だったので、下りにとるのは難しそうだ。ときどきイバラがある。やがて尾根も明らかになり傾きもなだらかになってくる。まわりも広葉樹林で明るい。と、正面を明るい茶色の小動物が横切っていくのを見た。後ろ姿だったので判断つかなかったが、輪郭が狐より丸かったし、暫定的にたぬきということにした。結局よくわからない。

 やがて西から尾根が合流し、少し下って少し登るとやや荒れた巻き道に出た。さらに県境に沿って直登していくと平野山730m峰に達した。別に名前もないし測量用の鋲みたいなのがあるだけだった。北側に阿寺沢の集落が見える。しばらく休んで県境に沿って出発。

 御正体山から連なる道志川北岸の山々はこの730m峰に至ってはっきりしなくなる。北に伸び県境となっている入道丸・大平山の方が尾根としてはっきりしている。730m峰から東に下って平野峠。稜線沿いに677m峰に向かう道、入道丸に向かう道、道志川に下る道と四叉路になっている。電源開発の小さな看板があった。送電線の管理道だろうか。入道丸へ。

 入道丸への道に入り、また小さな峠。北の阿寺沢へ下る道だ。大した登りも下りもなく入道丸714mに到着。三角点と国土地理院の標があった。小広いピークで神奈川県側は植林、山梨県側は広葉樹林で、里も見えいかにも里山という雰囲気だった。平坦な歩きやすい道を歩いていくと送電線の鉄塔があり道は急に北に下る。テープがなければわからなっただろう。さすが里山、ルートファインディングが難しい。

 やがて綱子峠。山梨県側に下る方には「秋山温泉」とあり、惹かれるがまだまだ尾根は続く。554mピークの次もまた右の尾根に引き込まれそうになるがここにもテープがあり助けられた。その次のピークには西側に巻き道のようなものがあったが、下りそうなので稜線沿いに登った。イバラがあって痛い。やっと大平山、510m三角点ピークに到達。ハイキングクラブの作った小さな看板があった。

 軽く一本とり、奥牧野へと下る。大平山の次のピークで急斜面を下り、だんだんと道もはっきりしなくなってきて最後の416mピーク。ヤブを漕いでいると何かが逃げていく物音にビビる。そして東側の綱子川に下るピンク色のテープの道を発見し、下った。幸い綱子川はひとっとびで越せるサイズだった。道をたどって登り車道に出てほっとする。車道に沿って下ると看板が。昔も相模と甲斐の境だったらしく、武田信玄と北条氏がここで戦ったとか。そもそもなんで山でもなく人の住んでいて生活圏の切り離せないところが国境になっているのだろうか。

 秋山川にかかる橋に出てみると封鎖されている。遠めに見て車だけが渡れないのかと思ったら、木の板が釘で木製の橋に打ち付けられている。別に落橋しているわけではないので飛び越えてそっと渡る。きしんでいる音がする。たかだか大人一人分の重さなら死荷重に比べて誤差みたいなもんだが、きしむ音が怖い。とにかく揺らさないようにそっと速く歩いた。渡ってみれば橋は落ちることなく渡る前と同じようだった。金田一少年の事件簿で渡ろうとしたら橋が落ちたケースがあったけど、そんなのまずないよなと思った。橋桁が抜けるくらいならあるかもしれんが、釣っているロープが切れる橋って風雨でとっくに落ちてるだろう。とかなんとかビビっていた5分前の自分に言い聞かせていた。

 さて、今回の山行も距離にして半分。次は奥牧野と田野入の間の名もない440mピーク。県境は小さな沢沿いだが、沢の左岸の何とか院跡というところを登っていく。カントウタンポポとセイヨウタンポポが混在する珍しい野原を過ぎる。ちなみに大学構内の緑ヶ丘はカントウタンポポがほとんどである。そして道がなくなり右から細い車道にぶつかる。ちょうど一本の桜の木が満開でつい眺めてしまった。なぜ日本人は桜に惹かれるのだろう。桜には論理的なものではなく心を奪われるような何かを持っているような気がする。で、車道もなくなりあとは沢沿いにトラバースする踏み跡をたどり、尾根に出た。尾根沿いにヤブの急登をこなすと送電線の鉄塔があり、その監視路が右から登っていた。さらに登っていくとひとしきりの登りの後、440m峰に出た。

 石碑のようなものが2つあり、一つには何も書いてなかったがもう一つには何か書いてあった。でも読めなかった。どっかと休んで先を眺める。方位磁針の指す向きを確かめてみると目的の尾根はない。急に下ったところから尾根が派生しているようだった。とりあえずその西隣の顕著な尾根を下る。が、これもかなり急で県境の尾根にトラバースするどころか尾根自体を下るのもつらい。木がなければ下れなかった。下れそうなところを適当に下り、県境尾根の西の沢に出た。倒れた笹に覆われており、歩きにくい。金山川に出るとごつごつしているものの一枚岩の河床になっている。岸の砂地には犬か何かの足跡があった。川は適当なところでジャンプして越えた。踏み跡をたどり車道に出る。

 田野入集落から金山沢沿いに下る。こんなところにもバス停があり驚いた。県境が川から離れて北に登って行くところは見事な岸壁だった。これは登れない。そのあとも道に沿ってガケが続く。県境は北の山を越えて沢沿いに相模川に向かって下っていっておりだんだん離れていく。もう6時間近く歩いているし、ヤブ山だし疲れてきたのでこの後は登らないで藤野駅まで車道を歩くことにした。日向集落を過ぎ、天神峠を越える。ここにハイキングコースの看板があり、どうやら491mピークは金剛山というらしい。尾根沿いには道があるようだ。

 あとは途中一本松山という337m三角点ピークを踏んだりしながら堤川橋を渡って神奈川・山梨県境を完歩。藤野駅まで歩き、中央特快東京行きに乗って帰った。

(2005年4月17日記す)


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