山ノ中ニ有リ>山行記録一覧>2013年山行一覧>三宅島・伊ヶ谷泉津の簡易水道
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禊教の雨乞いの碑が伊ヶ谷にあると聞いて探しに行った。
禊教とは神道十三派の一つ。教祖の井上正鐵は異端として三宅島に配流されたそうだ。島民を指導したり、医療を施すなどしたということである。
なかでも島民の渇望する水の確保については終始心を砕き、伊ヶ谷泉津の地を開発して現在の簡易水道の源を造ったことは特筆される事績である。
三宅村指定旧跡 井上正鉄の墓 案内板(抜粋)
空栗沢の左岸上流に雨乞いの石碑があると聞いたのだが、結論をいうと見つけられなかった。その代わり下記のものを見つけることができた。
また、近くにある下記のものを見てきた。
2019年1月20日追記:2019年1月に清水沢を下降している際に雨乞いの碑を見つけた。
日帰り |
2013年5月18日(土) 晴れ |
空栗沢管理用通路…泉津都行造林地看板…環状林道…伊ケ谷林道…井上正鐵の墓…空栗沢管理用通路
空栗沢管理用通路入口 | 9:11 |
泉津都行造林地看板 | 9:36 |
富賀浜村道終点 | 11:23 |
11:46 | |
井上正鐵の墓 | 12:39 |
井上正鐵大人泉津山祈雨之道 | 13:03 |
空栗沢管理用通路入口 | 13:17 |
空栗沢管理用通路入口に車を停める。A型バリケードが置いてあるが、通路の両側から笹が覆っていて車が入った形跡はない。通路終点まで見てから引き返し、山に入った。
以下は写真で説明する。
5/18 空栗沢管理用通路を歩く。 |
5/18 通路から外れて山に入る。 |
5/18 入ってすぐ苔むした石垣を見つけた。ここに水を貯めていたのだろうか。 |
5/18 道は踏み跡というより古い道にヤブがかかった感じ。山は切通したようすで足元は不安定な石もない。 |
5/18 未だヤブのかからぬところもある。 |
5/18 「御成婚記念泉津都行造林地」と書かれた看板。美智子様なら昭和34年だが、昭和43年植林とはこれいかに。 |
5/18 ヤブのかかるところも多い。 |
5/18 昔の簡易水道とおぼしき鉄管が小ギャップにかかっていた。 |
5/18 道っぽい場所。 |
5/18 開けた箇所から空栗沢上流を眺める。 |
5/18 標高300mを越えたあたりから道も鉄管も見つからなくなる。雨乞いの石碑はこの辺りにあると聞いたのだが。ついでに携帯電話を落とし5分ほど捜索ののち見つけた。 |
5/18 標高350m付近ののっぺりしたところを歩く。 |
5/18 カジイチゴを見つける。甘いけど、あと1週間くらい置いたほうが甘そうだ。 |
5/18 木々の間から雄山が見えた。 |
5/18 雄山環状林道に出た。一休みする。 |
5/18 伊ヶ谷林道経由で車を回収する。環状林道でバルブのついたコンクリート構造物を見かけたが、水溜めだろうか。そういえば簡易水道の起点には貯水池があると予想したが見つからなかった。 |
5/18 ところ変わって伊ヶ谷にある禊教三宅島分院。 |
5/18 井上正鐵の墓にお参りする。 |
5/18 空栗橋北にあった碑。右が「井上正鐵大人泉津山祈雨之道」の碑。左は「従足 阿古村■■ 五ヶ村■中」(■は読めず)と書いてあった。ここは伊ヶ谷なんだけど。 |
5/18 「井上正鐵大人泉津山祈雨之道」の碑から上がっていくと社があった。ここでも雨乞いしたのだろうか。 |
目的の雨乞いの碑は見つけられなかったが、井上正鐵の史跡を探訪することができた。また、空栗沢付近の山に入ることもできてよかった。久しぶりの藪こぎで疲れたがいい運動になった。
(2013年5月18日記す)