山ノ中ニ有リ>山行記録一覧>2011年山行一覧>帝釈山脈・黒岩山〜馬坂峠
帝釈山脈は帝釈山(2060m)を中心に黒岩山(2163m)、四郎岳(2156m)などを連ねる主脈に男鹿岳から南へ鹿ノ又岳、日留賀岳の支脈、黒岩山から西北西へ赤安山、桧高山の支脈が伸びている。
越後宏治編「日本山岳地図集成 第1集」(学習研究社,1980)P.108
「帝釈山脈」は立派な名前のわりに、会津駒ケ岳や燧ヶ岳、日光白根山といった、より標高の高いピークが近くにあるせいか、いまいちぱっとしない山域である。交通の便が悪く、登山道が帝釈山、田代山、荒海山くらいしか開けていないのも理由だろう。一応、福島・栃木の県境をなす山脈であり、阿賀野川・鬼怒川を分ける中央分水嶺にもあたる。
昨年、群馬の県境である上信越・野反湖〜稲包山と浅間山周辺・鳥居峠〜車坂峠に登った。また一昨年、三県境の黒岩山を含む尾瀬・尾瀬沼〜物見山を登っており、このあたりの群馬県の県境は歩いている。次はどこに登ろうかと考えたが、群馬県内で初秋に登るほど標高が高く、登山道もない区間はあまりない。登山道があるところや短い取りこぼしの区間はあとまわしにするので、他の場所を探すことにした。そこで、帝釈山脈に目を付けた。
帝釈山脈へアプローチするには、西から、帝釈山林道の通る馬坂峠、田代山林道の通る峠、安ヶ森林道の通る安ヶ森峠、福島側に登山道のある荒海山、国道121号線の通る山王峠がある。いずれも公共交通機関が遠い。どこを登るか考えていたが、尾瀬の大清水行きの夜行バスが10月8, 9, 10日の3連休で終わってしまう上、その3連休は別用が入っているので大清水から歩ける黒岩山〜田代山とした。大清水からの入山は夜行バスを使えるのでアプローチの時間を稼げるのと、縦走路が概ね下り調子なのが利点である。下山が湯ノ花温泉まで長い車道歩きなのが欠点である。
実際には寒冷前線の通過に伴う降雨に遭い、途中の馬坂峠から檜枝岐へエスケープした。
0日目 |
2011年9月29日(木) |
池袋=(夜行バス・車中泊)
池袋を23時に出る夜行バスで大清水へ向かう。
黒岩山から田代山までは3日間かかる行程であり、帰りはどこへ下るにしても車道歩きが長い。ヒッチハイクさせてもらうことを考え、下山を日曜に設定し、休みをとって木曜夜から出発することにした。
サンシャインビル下のバス駐車場発だったが、木曜夜ということもあり人が少なかった。23時は尾瀬行きのバス1台だけであった。
となりの席が空いていたにも関わらず、なかなか眠れず最後に時計を見たのは0:20であった。
1日目 |
2011年9月30日(金) くもりのち雨 |
大清水…奥鬼怒林道…トンネル直上コル…黒岩山…孫兵衛山…孫兵衛山東2000m付近(泊)
大清水バス停 | 4:55 |
5:08 | |
鬼怒沼トンネル西口 | 7:04 |
7:20 | |
トンネル直上コル | 8:37 |
8:51 | |
黒岩清水 | 9:57 |
10:21 | |
黒岩山 | 11:00 |
11:17 | |
黒岩山北コル | 12:33 |
12:50 | |
1980m峰 | 13:05 |
1962m標高点 | 13:24 |
孫兵衛山南峰 | 14:03 |
孫兵衛山三角点峰 | 14:30 |
孫兵衛山南峰 | 15:05 |
15:17 | |
孫兵衛山東2000m付近 | 15:48 |
19:30就寝 |
戸倉でいったんバスが停車し、鳩待峠行きの人たちが乗り換える。大清水へ向かう人は私含めて4人だけであった。大清水へ着くと真っ暗。トイレに寄ってから歩き始める。
実は、黒岩山へのアプローチをどうするかは計画段階でずいぶん悩んだ。一般登山道をたどる方法だと3つが思い浮かぶ。
しかし、いずれも黒岩山までが遠い。距離的かつ高低差的に最短と思われる大清水から北岐沢を遡行することも考えたが、沢伝いでは歩みが遅くなるし、沢タビが必要になるのでやめた。
地図をじっくりみると、鬼怒沼山の北側に奥鬼怒林道という林道がある。林道は群馬県の大清水と栃木県の加仁湯の間をつないでいるが、県境尾根はトンネルで抜けている。林道をたどり、トンネルの入口付近から一気に県境尾根に取り付くのが一番早いと判断し、このルートをたどることにした。トンネル入口から稜線まで水平距離1.3km、標高差330mくらいだろうか。登山道はない。アプローチには大清水からと女夫淵温泉からの2方向があるが、夜行バスの使える大清水から入ることにした。
結果的に大清水から黒岩山まで5時間で達することができ、このルート選択は成功したと思う。
ゲートを抜けて奥鬼怒林道を延々と歩く。だんだんと夜が明けてくる。雲は高く、天気は悪くなさそうだ。道は砂利道だがでこぼこもなく、左右は刈り払われていて歩きやすい。途中、背後でフラッシュがたかれ、驚く。入山する車か人を撮るのだろうか。薄暗がりだと雷かと思うので心臓によくない。シカよけの柵が山と中ノ岐沢を隔てるように続いており、途中で網を外して通るところがあった。シカがいるのかと思っているとシカが4頭ほど驚いて逃げていった。正面には袴腰山が高く見える。これから向かう黒岩山があの山より高いと思うと気が重い。
途中で中ノ岐沢を渡り左岸に移る。ここから道は急になる。さらに東岐沢を渡るといよいよ急になり、道も雨裂が入り荒れてくる。道はやがてブナ沢沿いになり、奥鬼怒トンネル西口に着いた。
9/30 奥鬼怒林道から見た袴腰山。天気はよさそう。 |
9/30 奥鬼怒トンネル西口。少し戻って左側から尾根に取り付く。 |
トンネルの入口は工事のずり出しのためか広くなっている。トンネルは真っ暗だが、向こう側に栃木県側の口が明るく見える。一休みして稜線にどこから取り付くか考える。どこを見てもヤブっぽい。トンネル左側の笹ヤブから取り付くことにする。
笹ヤブに突っ込むとけっこう濃いヤブ。視界はないし、傾斜は急だし、こんなヤブが続くとしたら1時間や2時間では稜線につかない。そう思っていると笹ヤブを抜けた。シダの生えた歩きやすいヤブだ。傾斜は変わらないのでシカ道を探して歩く。赤テープなどはない。
長く感じる急登であった。地形図では登山道は群馬側をトラバースしているが、思ったより稜線近くを走っていた。トンネル直上のコルまで下り、そこで休む。西風が吹き、少し寒い。寝不足であくびが何度も出る。
9/30 奥鬼怒トンネルの上の尾根を登る。ヤブは薄い。 |
9/30 黒岩清水で6リットルの水を汲む。 |
黒岩山へ向かって平たい尾根を歩く。道はくねくね曲がりながら続き、倒木があると避けるために道を見失う。歩き始めてどうしても眠くなり、途中の登山道で寝る。日当たりのあるところでザックを置いて仰向けになり、15分ほど寝ると眠気も少しとれた。樹林帯を進み、小松湿原分岐や前回泊まったところは注意していたが気づかなかった。
黒岩山へ少し登ると黒岩清水に出た。ここで2日分6リットルの水を汲んでおく。段差が小さいので水を汲むにはコップが必要だ。稜線で水を汲めるのはうれしい。少し登ると黒岩山の直登路と巻き道の分岐。直登路を進む。直登路はあまり整備されておらず、歩きにくい。やがて黒岩山三角点峰に出た。
9/30 黒岩山の登り。あまり歩かれていないようだ。 |
9/30 黒岩山三角点峰にて中山。これからヤブ漕ぎなのにすでに疲れている。 |
時刻は11時。大清水から5時間。やっと福島県・栃木県の県境縦走のスタートラインに立った。それでもバス停から黒岩山に5時間でたどりつけるルートはこれが最速ではないかと思う。天気はくもり。特に西の空が暗く、燧ヶ岳は雲をかぶっていた。前日の天気図から寒冷前線が近づいているのが分かっている。天気が崩れるのは時間の問題のようだ。ざわざわと西風が木々を揺らす音が聞こえた。
9/30 黒岩山三角点峰から行く先は潅木のヤブ。 |
9/30 黒岩山から先の県境稜線。Mouseoverで地名表示。 |
黒岩山は今回の縦走路で展望のある数少ない地点だ。この先は台倉高山ままで展望はない。向かう先を見ると孫兵衛山、1981.7m三角点峰、台倉高山、帝釈山が見える。思ったほど遠くはなさそうだ。
9/30 黒岩山三角点峰からしばらく赤テープの踏跡が続く。 |
9/30 黒岩山の北で大岩の間を乗っ越す。 |
黒岩山三角点峰からは細い稜線を行く。潅木が通せんぼしているが、何となく踏み跡っぽいのをたどっていく。やがて稜線が広がるが、赤テープがあり人が入っているようだ。ヤブは薄いので歩きやすいところを歩く。大岩があり、2つの大岩の間を越える。ここも赤テープがついている。「なんだ、けっこう人入っているじゃないか」とだいぶ気が楽になる。しかし、その安心は黒岩山の下りからだんだん不安へと変化してくる。
9/30 黒岩山の下り。ヤブの薄いところ。 |
9/30 黒岩山北1960mコル。2000mをきるあたりから笹ヤブ。 |
2130m付近で赤テープは福島県側に下ってしまう。花沼湿原へ向かうのだろうか。私は県境をたどるべく、まっすぐ急斜面を下る。黒岩山の下りは長く、標高差が200mある。下っても下ってもまだ下り、尾根も平らになってくるので高度計をにらみつつコンパスを切りながら歩く。標高2000m付近から笹ヤブになる。
1960m鞍部らしきところに出ると雨がパラパラ降ってきたのでここでカッパを着る。着ているものを濡らしたくなかったのでジャージとシャツは脱ぎ、カッパだけを着る。
9/30 黒岩山北1960mコルにポリタンが吊るしてあった。 |
9/30 1980mピーク付近。笹ヤブの薄いところを縫って進む。 |
そこからは笹ヤブのすき間を縫って歩く。赤テープはなく、地形図とコンパスに頼って歩く。歩きはじめて5分で手つきポリタン2リットルが枝にかかっていた。その枝の伸びっぷりを見るとかなり前にかけたようだが、なぜポリタンを置いていったのだろう。1962m標高点付近は地形図では尾根が細くなっているように見えるが、あまり感じなかった。孫兵衛山の登りで幕営適地を見つける。焚き火の跡もあったが、まだ時間が早い。先を急ぐ。
9/30 孫兵衛山の登りで幕営適地発見。 |
9/30 孫兵衛山の登りで赤テープを見つけるが、道はなし。 |
孫兵衛山の上部は笹ヤブになり、急になる。だんだん緩やかになり、孫兵衛山南峰付近に着いた。孫兵衛山は県境稜線を外れた北に三角点峰がある。県境ではないのでいくかどうか迷ったが、こんな山2度と来ないだろうと思い、往復することにした。
ザックを置き、何となく道っぽいところという場所を覚えておき、孫兵衛山へ向かう。500mほどの距離だ。標高差は20m下って20m登るだけなので大した労力ではないだろう、と思ったら大間違いだった。笹ヤブが広い尾根を覆っており、歩きにくい。登り調子になっているので近づいているはずなのだが、三角点峰にたどりつかない。方角を確認しながら約30分で孫兵衛山三角点峰にたどり着いた。
9/30 ザックを置いて孫兵衛山を往復する。笹ヤブが阻む。 |
9/30 孫兵衛山にあったM.W.Vの青い看板。 |
そこには三角点と残雪期に設置したらしい高い看板、M.W.Vの青い看板があった。このワンゲルはよく県境の山でプレートを見かける。記録を見返してみると米子頭山を昭和58年6月24日、孫兵衛山を同年9月2日に登っていた。よくまあ飽きもせずこんな山を次々登るものだ。
ザックを置いた孫兵衛山南峰に引き返す。帰りも30分ほどかかる。が、置いたはずのザックが見つからない。尾根が平たいのが災いした。場所が分からない。雨も本降りになり、濡れたヤブを漕ぐと体もどんどん濡れる。寒冷前線だけあって、気温も下がってきた。寒くて震える。まずい。ザックを見つけられないとこのまま低体温症で動けなくなってしまう。焦りながらも北側からジグザグに見てまわる。10分ほど彷徨した結果、黒岩山よりにザックを見つけた。ザックを見つけた瞬間は安堵した。すぐにシャツを着て体温を温存する。ザックを置いて空身で動くにはもっとわかりやすいところにザックを置かなければならないと今さら感じた。
9/30 孫兵衛山南峰。笹ヤブ。 |
9/30 孫兵衛山東2000m付近に幕営。寒かったので焚き火。 |
ひと休みして先を急ぐ。孫兵衛山南峰からコンパスをきって東の笹の斜面を下るが、北側に尾根が見えたので、そちらにトラバース。下って行くと平らになり、標高2000m付近に少し開けたところを見つけた。木の下なので雨も直接当たらない。もうそろそろ気象通報の時間だし、ここで幕営することにした。予定は引馬峠までだが、夜のうちに雨をやり過ごすことができれば、この遅れを取り戻すことはできる。
そう決めたらツェルトを張ることにした。しかし、時刻は16時になりその手を止めて天気図記入を行なった。書き上げた天気図を見ると、秋田付近と稚内付近に低気圧があり、正午に寒冷前線が現在地付近を通過中であった。朝起きて寒冷前線が過ぎ去っていれば晴れるだろうが、どうだろうか。
そのあとでラジオを聞いていると日本海側は昼まで雨、その後はくもりということだった。新潟県では1500mほどの山に雪が降るかもなどと伝えており、ドキッとする。こんなところで雪に降られたら体が濡れるわ冷えるわヤブ漕ぎどころではない。しかも現在地は行くも戻るも登山道のあるところまで5時間はかかるのだ。雪だけは降らないよう祈る。
天気図をとり終わり、寒いので焚き火をすることにした。幸い、木の下なので薪はそんなに濡れていない。倒木の枝を折ると乾いた音がする。固形燃料を1つ使うと簡単に火が着いた。火を焚くとあたたまる。夜はレトルトのカレーライスを作って食べたが、まだ空腹感があった。行動食もあまり食べていないし、体も冷えたからだろうか。
寝る前に焚き火にあたり、濡れたものを少しでも乾かす。パンツやカッパは乾いたが、靴下や軍手は乾かなかった。それでも体が温まったので楽に寝られた。ザワザワと樹冠が風で揺れる音が続く。高木から落ちた雨粒が地面を打つ音を聞きながら19:30就寝。
2日目 |
2011年10月1日(土) 雨のちくもり |
孫兵衛山東2000m付近…引馬峠…台倉高山…馬坂峠…檜枝岐=会津高原尾瀬口駅=浅草
孫兵衛山東2000m付近 | 4:30起床 |
6:00 | |
1915m標高点 | 7:13 |
引馬峠 | 7:50 |
1981.7m三角点峰 | 8:12 |
8:25 | |
1938m標高点 | 8:57 |
1895m標高点 | 9:38 |
台倉高山 | 10:33 |
10:50 | |
2033m三段田代 | 11:35 |
馬坂峠 | 12:16 |
12:56 | |
檜枝岐上の原バス停 | 15:50 |
17:00 |
夜、0時頃雨が強くなる。4時半に起きると、防水性のないツェルトの内側は濡れ、シュラフはつま先と腰のあたりが濡れていた。このまま今日も同じシュラフで寝ることはできないと判断し、今日中に下ることを決める。
頼みの天気は依然として雨。笹も濡れている。幸い雪は降っていなかった。
朝はインスタントラーメンを食べた。シャリバテしないよう餅を2つ入れる。びしょ濡れのツェルトをたたみ、明るくなった6時に出発。
10/1 ツェルトたたんで歩き出す。 |
10/1 孫兵衛山東の2010mのでっぱり付近。ヤブが薄い。 |
東へ2010mのでっぱりを目指す。笹ヤブは背丈より低く、さほど濃くはないので比較的容易に歩けた。2010mのでっぱりで90度右に曲がり、次の2010mのでっぱりを目指す。ヤブは薄くなり、歩きやすい。
2010mのでっぱりから1915m標高点の下りで迷った。地形図では尾根が平たくはっきりせず、現地では福島県側1927m標高点へ下る尾根が明瞭である。等高線もゆるいため、高度計が参考にならない。尾根に沿って歩いていると北へ向かっていることに気づいた。しかし、ガスが立ち込め周囲に尾根は見つからない。斜面には小さな沢まで現れた。ヤブ漕ぎでは貴重な水だが、昨日から降り続く雨のため水はまるまる4リットル余っている。おそらく火打石沢の源頭であろう。
10/1 1927m標高点の尾根に迷い込み、火打石沢源頭に出る。 |
10/1 1915m標高点の登り。ヤブは薄い。 |
思案した結果、基本に立ち戻り引き返すことにした。1927m標高点の尾根に乗っていると判断し、南寄りの尾根を探してなんとか戻ることができた。尾根は笹ヤブで覆われていたが下るとすぐヤブは薄くなった。快調に歩を進め、1915m標高点を通過する。
10/1 1925m標高点から引馬峠までの稜線にコルのような所があった。 |
10/1 引馬峠の下り。 |
1925m標高点から引馬峠までは明瞭な尾根を行く。稜線は笹ヤブが繁茂しているので福島県側の際を歩く。引馬峠の下りは尾根から外れるようになるのでコンパスをきって下る。引馬峠は平らかな峠で樹林に覆われ見通しがつかない。名前こそ「峠」だが、いまは峠道はない。1981.7m三角点峰寄りに水準点と看板を見つけた。ここも孫兵衛山同様2度と来ることはないと思うので、記念撮影しておく。福島県側火打石沢の方にピンクテープが2つ見えた。峠道としては廃れていると思うが、舟岐川林道まで続いているのだろうか。
10/1 引馬峠で記念撮影。だいぶ疲れている。 |
10/1 引馬峠から1981.7m三角点峰へ登る。ヤブは薄い。 |
1981.7m三角点峰へ登る。笹ヤブはなく、歩きやすいところを歩く。登りきって東寄りの端に三角点を見つけた。東側は笹に覆われているが、三角点のまわりは笹が生えていなかった。木に看板が打ち付けられていたが、文字は消え読めなかった。休むが、全身濡れて寒い。しかし、予報通り雨は上がったようだ。
10/1 1981.7m三角点峰。 |
10/1 1981.7m三角点峰から倒木帯を歩く。 |
1981.7m三角点峰から北へ向かう。倒木が多く、歩きにくい。栃木県側が笹ヤブに覆われているので福島県側を歩く。1938m標高点の次の1950m付近まで割に楽に進む。下りは急なのでルートを誤らないよう慎重に下る。ふと右手を見ると台倉高山が見えた。思ったより大きく高い。登り返しが大変そうだ。1895m標高点手前コル付近から笹ヤブが出てくる。
10/1 1950mピークの下りから台倉高山を眺める。 |
10/1 台倉高山南の湿地帯。 |
1895m標高点から下ると樹林帯の笹ヤブの中に泥の湿地がとびとびに現れる。地形図で示された湿地があるかと思いながら進んでいくと左手に草地が見えた。木がなく明るい。ここが地形図の湿地のようだが、乾いているのか草が生えていた。その後もドロドロの湿地がいくつかあり、靴が飲み込まれないよう際を歩いた。
やがて台倉高山の登り。ここを登れば登山道が待っている。初めは笹ヤブがなかったが、だんだん笹ヤブが濃くなる。途中で赤テープを見つけ、それに従って登る。何となく踏み跡っぽいのがあった。やがて傾斜が緩やかになり、笹ヤブから潅木帯になるので山頂が近いかと期待するが、なかなか到着しない。苦しんで何とか台倉高山にたどりついた。
10/1 台倉高山の登りで赤テープを見つけた。 |
10/1 台倉高山で記念撮影。カッパズボンが破けている。 |
台倉高山は笹ヤブで覆われた狭い山頂だった。看板と三角点があり、周辺は笹が刈りこまれていた。振り返ると黒岩山からたどった稜線が見える。なだらかで高低差のない稜線は特徴がないが、たどってきた困難を思うと思いはひとしおである。考えてみると、一番困難な区間である黒岩山から台倉高山までの雨が降っていたことになる。
10/1 台倉高山から歩いた稜線を振り返る。Mouseoverで地名表示。 |
10/1 台倉高山から先を眺める。向こうに帝釈山。 |
山頂の気温は低く、西風が吹く。ときおり日差しがさすが、太陽は数秒で雲に包まれてしまう。じっとしていると寒いので出発することにした。行く先には2033m標高点、帝釈山、田代山が見える。
道はピークをうまく巻きながら進んでいく。拓かれて数年のようで木の根っこが張り出しているところもある。それでも湿地帯には木道が通してあり歩きやすい。「奥会津名山」によると、檜枝岐村が整備したようだ。
2033m標高点付近は湿地帯が続き、三段田代と名前が付いていた。2033m標高点からは急な下りが続き、1898m標高点の巻き道で水場を通過する。下り着くと馬坂峠であった。
10/1 2033m標高点付近に三段田代という湿地帯があった。 |
10/1 馬坂峠ではトイレ工事中であった。 |
馬坂峠には建築中のトイレがあり、業者のプレハブ小屋があったが、土曜日とあって工事は行なっていなかった。峠には車が1台あり誰かが帝釈山へ登っているようであった。
さて、シュラフが雨でびっしょりなので今日中に帰るつもりだが、どうやって帰るか。馬坂峠から下るのは決まりだが、選択肢は2つ。福島県側の檜枝岐へ下るか、栃木県側の川俣に下るか。前者は14.5kmと看板に書いてある。後者は書いていないが、地図を見ると20kmくらいありそうだ。一方、帰りのことを考えると檜枝岐から帰るのはかなり遠い。川俣のほうが少し東京が近い。栃木県側を見るとA型バリケードがあり、こちらは車が通行できないようだ。帰りに車に乗っけてもらう可能性を残すため、檜枝岐へ下ることにした。
檜枝岐まで舟岐川林道14.5kmを延々と下る。途中、水戸ナンバーが峠へ向かい、30分くらいして下ってきた。運転手さんが車を止めて話しかけてきたので期待するが、会話は「どこ登ってきたの」「檜枝岐まで歩いて下るの」ということだけだった。車内も3人乗っていて4人目の席には荷物がごちゃごちゃ置いてあったので乗せるのは難しいのだろう。でもそれなら「歩いて下るの」なんて聞かなきゃないいのに。期待してしまうじゃないか。ひょっとしたら無理やり詰めて乗っけてくれるつもりだったのかなあと思いながら延々と下る。
稜線歩きでは無事だった足も、林道歩きが2時間を過ぎたころから痛くなってくる。つま先とかかとが靴擦れしてきたようだ。広窪集落は人の住んでいる家はなさそうだった。またススキを刈って立ててあるのをたくさん見かけた。何に使うのだろうか。途中買い物かごを押して歩いているおばあさんがおり、追い抜くときに檜枝岐までどのくらいか尋ねる。何キロくらいかと聞いたら「わかんない」と言われたので、歩いて何分かと聞いたら「30分くらい」ということだった。その言葉に勇気づけられ檜枝岐へ下る。
結局馬坂峠から3時間で檜枝岐の上の原停留所に着いた。時刻は15:50、バスは17:00。近くの燧の湯に入り、そばを食べてバスに乗った。バス停で着ているものを払うとコメツガの葉がたくさん付いていた。
あとは会津高原尾瀬口駅で野岩鉄道会津鬼怒川線に乗り、新栃木、浅草で乗り換え、家に着いたのは24時だった。
寒冷前線のおかげでなかなか厳しい山行であった。予定は田代山までの縦走だったが、シュラフが濡れてしまったので馬坂峠で檜枝岐へエスケープしてしまった。この点はツェルトからテントへ装備を改めたほうがいいかもしれない。
それにしても雨のヤブ漕ぎは体力的にも精神的にもつらい。濡れた笹は体温を奪い、見通しの利かない稜線は焦りを生む。雨が降ると分かっている場合は極力ヤブ漕ぎは避けたほうがいい、と思った。もっとも上信・四阿山や上信越・野反湖〜稲包山でも感じたことなので私が学習していないだけかもしれない。
歩き残した帝釈山〜田代山〜田代山林道の峠をどうやってアプローチするかが悩みどころである。ルートは大したことないが、入山も下山も林道が長すぎる。
あとはこのルートを無雪期に歩こうという奇特な方へのメモ。