山ノ中ニ有リ>山行記録一覧>2010年山行一覧>北アルプス・大天井岳[2/2]
4日目 |
2010年12月29日(水) 吹雪 |
大天荘冬季小屋…大天井岳…燕山荘…合戦小屋下(泊)
大天荘 | 4:40起床 |
8:30 | |
大天井岳 | 8:49 |
切通岩 | 9:35 |
2699m北 | 10:15 |
10:30 | |
大下りの頭 | 11:45 |
蛙岩 | 12:35 |
12:45 | |
燕山荘 | 13:45 |
14:20 | |
合戦小屋下 | 15:20 |
21:30就寝 |
快適な小屋泊まりで朝4時起きの予定が、4時40分起きとなる。でも標高が高いせいか前日飲み過ぎたせいか頭が痛い。ラジオをつけると明日29日夜から天気が荒れ、さらに31日から1月2日まで最強クラスの寒波が訪れるとのことで天候の好転は見込めないようだった。大天井岳の下りに不安が残るものの、来た道を戻るのが確実だし、かかる時間も短いので燕山荘に戻ることにした。
外は積雪が60cmほど積もっており、トイレに行くにも雪かきが必要なくらいだった。トイレの入口は掛け金がひとつ外れており、中にも雪が入っていた。雪の少ないトイレを探して使う。風は昨日ほど強くなかった。大天井岳の下りでザイルを使うことを想定し、あらかじめハーネスを装着する。さらにAさんの荷物をいくつか他の3人に振り分けた。私はザイルを持った。
12/29 大天荘冬季小屋でハーネスを装着する。 |
12/29 大天井岳からの下り、YさんからAさんに下り方の指導が入る。風が強い。 |
大天荘から大天井岳へ。夏道なら5分ほどの道のりだが、雪が多く、20分ほどかかってしまった。大天井岳山頂から中山、Yさん、Aさん、Hさんの順で、Aさんの前後をベテランが挟みながら下ることにする。前日滑落したのがアイゼンを斜面に平行に食いこませなかったことが原因のようなので、歩き方を指導しながら下る。稜線は昨日と同じくらい強い風が吹いており、たちどまって風をやり過ごしながら下った。
いざ下りに入ると意外に枝尾根が多い。天上沢側に伸びる枝尾根が3本ほどあり、ガスで視界がないと迷いやすい。加えてアイゼンの装着が甘いのかバックステップで下るとどうも右足のアイゼンに緩みが感じられる。慎重に下った。
12/29 切通岩へ下る。 |
12/29 切通岩の登り。 |
後方からHさん、Yさんのルート指示もありながらなんとか木杭、大天井ヒュッテへのトラバースの標示板を見つけ、切通岩へ下ることができた。切通岩は昨日よりさらに雪が積もり、ハシゴも鎖も見えない。その分雪を踏んで容易に上がれた。西側の夏のトラバース道を歩き、2660m付近の風の弱いところでひと休み。
12/29 為右衛門吊岩付近を越える。 |
12/29 大下りの頭への登り。西風が雪を頬に叩きつける。 |
その後、稜線は終始風が強かった。西風が常に左頬にあたり、感覚が失われていく。風を避けるために左手をかざして風を避けるが、その左手もだんだんと冷たくなってくる。ピッケル持つ右手もだんだんと冷たくなってくるので、手袋の中で指を引きぬき握って温めた。
大下りの頭を過ぎ、蛙岩に出る。先頭を歩いていたYさんが難しそうなところをトラバースしようとしていたので上まで見に行ってみたら蛙岩だった。蛙岩の中を通過し、少し先の風が弱いところでひと休み。みんな手がかじかんで菓子の袋が開けるのに苦労していた。まだかまだかと思いながら燕山荘へ近づいていく。燕山荘について玄関を開け、中で休ませてもらう。カウンターに入っていた従業員さんから「あ」という声が聞こえた。私を覚えていたようなので「大天井から逃げ帰ってきました」と答えた。
12/29 燕山荘に到着。 |
12/29 合戦小屋に下りる。 |
時刻は13時を過ぎている。そろそろ幕営地を決める必要がある。とはいえ強風の稜線上でテントを張るのは大変だし、明日の荒天でテントをたたむのも大変なので合戦小屋まで下りることにする。なお、このとき燕山荘に張っていたテントはなかった。小屋でその相談をしている間、小屋泊まりのパーティーと合戦小屋にテントを置いて燕山荘を往復するパーティーが入ってきた。29日になって年末も近づき人も増えてきたようだ。一方で荒天のため予約をキャンセルする電話もあった。一昨日-17℃だったので、今日は-20℃くらいじゃなかろうかと思ってみたが、-14℃であった。
合戦小屋へ下りる。27日に来たときと同様、燕山荘から下り始めると風が弱くなった。登ってくる日大らしき4人パーティーとすれ違う。ヘルメットを持っていたがどこか岩場へ行くのだろうか。また赤布つけた竹竿も持っていたのでどこか往復するのかもしれない。
積雪は1mほどあるが、トレースのばっちりついた歩きやすい道を下る。ときどき踏み外して股下まで落ちてしまう。Hさんが先頭で歩くが、Aさんが足の痛みで遅れ、Yさんが心拍のつらさで遅れ、ときどき待ちながら下る。
合戦小屋に着いて幕営地を探す。26日にテントを張ったところは1mほど新雪が積もっており、踏み固めてもなかなか平坦になりそうにない。しかもまだ雪は降りそうだ。あきらめてもう少し下まで下ることにする。しかし10分ほど下っても適地がなく、ちょっとした鞍部みたいなところにテントを張ることにした。ここもふかふかの雪が広がっており、踏み固めにくいがここで諦めた。
この日の晩は数の子や焼豚など各人が持ってきたスペシャルなつまみと大天井ヒュッテから回収した日本酒で遅くまで飲んでいた。Hさんの左頬に黒いあざのようなものが見え、どうやら凍傷を負ったようだ。ときおり木の上に積もった雪がバサっとテントのそばに落ちてみんなで驚いていた。
5日目 |
2010年12月30日(木) 雪 |
合戦小屋…中房温泉…宮城ゲート=穂高駅
合戦小屋 | 4:00起床 |
7:30 | |
第三ベンチ | 8:08 |
中房温泉 | 9:06 |
9:40 | |
スノーシェッド | 10:55 |
11:15 | |
宮城ゲート | 12:32 |
12:50 |
この日は宮城のゲートに下るだけ。朝4時に起き、テントをたたむ。下り始めると続々と人が登ってくる。最初に単独行が3人。1人目はそこそこ大きいザックを背負っていたのでどこかでテントを張っていたのかもしれない。3人目はなぜかナップザックで歩いていた。防寒着とか装備足りるのだろうか。その後もツアー登山らしきグループ、小屋に荷物を運ぶのか平べったい長方形の何かを背負っている人、ピッケルを持たない人など変わった人がたくさん歩いていた。中房温泉までで全部で20人くらいに会っただろうか。
12/30 合戦小屋下に張ったテント。 |
12/30 富士見ベンチ付近は身長を越える積雪だった。 |
中房温泉まで下るとだいぶ暑い。それでも温度計を見ると26日に来たときと同様-5℃。アイゼンを外して宮城のゲートに下る。宮城のゲートまでもたくさんの登山者がいた。装備を見て燕山荘まで行く人、紙袋をぶら下げて運動靴で雪道を歩いている人、ブルドーザーに乗って雪かきする運転手さん。さらにスキーで下る人、スノーボードで下る人、そりに荷物を載せて引いている人などいろんな人がいた。これだけ人が入るならば年末だけでもバスを営業させてもよさそうなものだが、閉鎖しちゃったらダメなのだろうか。
12/30 中房温泉に到着。 |
12/30 宮城のゲートに到着。 |
宮城のゲートに着いてタクシーを呼ぶ。風呂にはいるため、旧穂高町営のしゃくなげ荘へ行く。10分、2000円。風呂は400円だった。顔をゴシゴシ洗っているとHさんだけでなく、私も左頬に軽い凍傷を負っていることに気づいた。Yさんは両手の親指にあかぎれを負っているし、みんな何かしら故障していた。しゃくなげ荘から穂高駅へもタクシーで10分、1900円。穂高駅は帰省客でごった返していた。駅近くの酒屋でビールを買い、松本へ。松本のエスパで食材を買い込み各駅停車で帰京した。
4泊5日のうち、天気は3日目の午前を除き雪、燕山荘から大天井岳までの間は常に強風が吹いており、厳しい気象条件だった。
また、Aさんが滑落による右ひざ、左足首の故障、Hさん、私が頬に凍傷、Yさんが両手の親指にあかぎれとみんなが何かしらの故障を負ってしまった。Aさんは医者に見せたが、骨に異常なく、靭帯に若干の損傷ということで安静にするようにとのことだった。Aさんについてはこれまで雪山経験があり、大丈夫だろうと考えていたが、結果的にアイゼン歩行の経験不足が原因であった。パーティーの力量を見極められなかったリーダーの私の責任でもある。
判断としては大天井岳での引き返しは正しかったと思う。Aさんが滑落した時点で、計画通り槍ヶ岳へいく、常念岳へエスケープする、燕山荘へ戻ると3つの選択肢があったが、最も確実な燕山荘へ戻るのがよかったと思うし、悪天であってもさらなる強い寒気が来る前に燕山荘へ逃げたのが正しかったと思う。
結果的に計画は達成できず、燕岳から槍ヶ岳への縦走は宿題となった。今後再挑戦したい。