山ノ中ニ有リ>山行記録一覧>2009年山行一覧>八ヶ岳・阿弥陀岳北稜&石尊稜
年末以来の山。Kさんに誘われて八ヶ岳阿弥陀岳北稜と石尊稜を登った。八ヶ岳は2シーズン前の赤岳主稜以来である。
阿弥陀岳北稜は八ヶ岳では比較的容易なバリエーションルート。雪のついた尾根を登っていき、山頂直下で2ピッチの岩登り。
石尊稜は横岳の一峰、石尊峰の西面に伸びる小尾根で、「改訂 冬期クライミング」で1級と紹介されている。紹介文には下部岩壁と上部岩壁を緩傾斜の雪稜がつないだ構成になっている
、とある。
天気は両日とも快晴で快適なクライミングが楽しめた。私の実力には石尊稜がちょうどいいと感じた。
0日目 |
2009年2月13日(金) |
立川駅集合=もみの湯軒下(泊)
22:10、立川駅に集合。中央道を西へ行き、諏訪南ICで下りる。あいにくの雨でもみの湯の軒下を一晩借りて寝た。寝る前にワインを飲み、2:00就寝。
1日目 |
2009年2月29日(土) くもり |
もみの湯=美濃戸口…美濃戸山荘…行者小屋…阿弥陀岳北稜…阿弥陀岳…中岳ノコル…行者小屋(泊)
美濃戸口 | 8:05 |
8:40 | |
美濃戸山荘 | 9:45 |
10:20 | |
1960m付近 | 11:10 |
11:30 | |
行者小屋 | 12:55 |
13:50 | |
北稜岩場基部 | 15:00 |
阿弥陀岳山頂 | 16:05 |
16:20 | |
行者小屋 | 17:00 |
21:15就寝 |
7:30、もみの湯の従業員の方が出勤する音で起きる。起きると雨はやみ、晴れそうだ。テントをたたみ、美濃戸口に移動。
美濃戸口に車を停め、出発。美濃戸山荘への道は雪が積もっており、一部つるつるに凍っていた。柳川への下りで美濃戸山荘へ向かう車が2台引き返していた。
美濃戸山荘でひと休み。小屋の前に用意されている暖かいお茶をいただく。空には晴れ間が見えてきた。南沢に沿って行者小屋へ登る。途中、1960m付近で一本。気温が上がってきて暖かい。その先、凍った道に水が流れていた。雪が大根おろしみたいにゆるんでズボッと落ちるところもある。何だか疲れてしまい2回軽く休んだが、行者小屋に着いた。
2/14 行者小屋への登り。 |
2/14 中岳沢を登る。 |
テントを張り終わるともう14時近い。このままテントに潜り込むかなと思ったら、Kさんから「Iと中山、阿弥陀行ってこいよ」とアドバイスをもらう。Iさんと私で顔を見合わせてどうしようかと思っていたが、せっかく晴れているので行ってくることにした。
阿弥陀岳は行者小屋南西1kmほどのところに位置する八ヶ岳の一峰。行者小屋の一般ルートは中岳のコルを経ていくものがあるが、その一般ルートの夏のコースタイムは登り1時間25分、下り1時間10分、計2時間35分(「山と高原地図32 八ヶ岳・蓼科」)。阿弥陀岳北稜はバリエーションルートなのでこれ以上時間がかかるはずである。14時に出発して帰りは真っ暗か、とあんまり行く気は起きなかった。
しばらく中岳のコルへ登る道を行く。途中でアイゼンが2回はずれ焦るが、どうやらつま先の金具に雪がはさまりうまく装着できていないようだった。中岳沢が急になるところで阿弥陀岳北稜へ登る。足跡はあるが、踏みかためられてはおらずズボズボと落ちる。ハイマツの脇を歩いたときは腰まで落ちた。
2/14 中岳沢から阿弥陀北稜へ登る。 |
2/14 阿弥陀北稜はしばらく雪稜の登り。 |
稜線についてもしばらく雪稜でスタスタ歩ける。稜線なので雪も少なく、このまま阿弥陀岳まで行けてしまいそうだ。阿弥陀岳に近づくと樹林帯に入り、若干急になってくるが、キックステップで登れるし、樹木があるので掴んで登りやすい。やがて阿弥陀岳基部の岩場に到着。
私が岩場を避けて左の雪の斜面を登ろうとしたら、後ろからIさんに止められる。この岩場が阿弥陀北稜の核心部で、ここを通らないと意味がない。岩が嫌いな私はつい避けようとしてしまった。
2/14 阿弥陀北稜の岩場基部。岩場を避ける私。 |
2/14 2ピッチ目、阿弥陀北稜を登る私。 |
黒々した岩にとりつく。2ピッチあり、どちらもIさんリード。
これで終わり。見えている30mほど先のピークへ登ればそこが阿弥陀岳山頂であった。何やらあっけない。行者小屋から2時間15分。
2/14 阿弥陀岳山頂にて赤岳を背景に私。 |
2/14 阿弥陀岳から中岳のコルに下る。 |
登っていた北稜は日かげだったが、山頂は日なたで空は快晴だった。眺めはよく、となりの赤岳、翌日登る横岳西面、他にも硫黄岳、権現岳が見えた。遠くには富士山、アルプス、北アルプスも見えた。横岳西面は大同心、小同心をはじめ、タケノコみたいな岩壁が並び、その間に横縞が走っているのが見えた。いったいどこに登路があるのか分からない。
景色を楽しんだ後、中岳のコルを経由して行者小屋へ戻る。阿弥陀岳の下りは急で後ろ向きに下ったが、ザイルは出さずに済んだ。中岳のコルから中岳沢を下り、山頂から40分、17時に行者小屋に到着。無事日暮れ前に帰ってこられた。
2/14 中岳沢を下る。奥は横岳西面。 |
2/14 行者小屋に帰り着く。 |
行者小屋そのものは営業していないものの、水も出ており、トイレもあり、快適であった。夜、酒を飲んでいたら遅くに到着した学生パーティーがもめていた。先行パーティーが飯作っていなかったとか何とか。上級生の怒る声にテントで恐縮しながら酒を飲んだ。21:15就寝。
2日目 |
2009年2月15日(日) 晴れ |
行者小屋…中山乗越…鉾岳ルンゼ…石尊稜…石尊峰…地蔵尾根分岐…行者小屋…美濃戸山荘…美濃戸口=立川(解散)
行者小屋 | 3:30起床 |
6:00 | |
石尊稜取付 | 7:35 |
8:05 | |
石尊峰 | 13:10 |
地蔵尾根分岐 | 13:50 |
14:00 | |
行者小屋 | 14:35 |
15:18 | |
美濃戸山荘 | 16:27 |
16:40 | |
美濃戸口 | 17:22 |
18:10 |
この晩は暖かかった。姿勢を変えるために何度か起きただけで寒くて起きることはなかった。下界も土日とも暖かく、静岡では夏日を記録したそうだ。
テントはそのままで登攀道具を持って出発。日曜日に行く場所ははっきり決まっていなかったが、前夜話し合って結局4人で石尊稜へ行くことになった。石尊稜取付へ向かう。中山乗越を越えてすれ違った赤岳鉱泉からのパーティーがヘルメットをかぶっているのを見て、ヘルメットを忘れたことに気づく。Iさんもヘルメットを忘れていたため、2人でヘルメットを取りに行者小屋に戻る。30分のロス。
中山乗越から下ったところで谷を見つけ、そこを登ってみるがどんどん急になり、トップのIさんはまた中山乗越に登ってしまった。引き返して赤岳鉱泉への道を行く。中山乗越と赤岳鉱泉のちょうど真ん中あたりで赤い橋を渡る。そこがどうやら石尊稜へ向かうルンゼのようだ。
2/15 石尊稜へ谷を登る。 |
2/15 石尊稜を下から見上げる。 |
樹林に囲われた広い河原を歩いていくとだんだん横岳西面が近づいてくる。まるで壁のようだ。登る石尊稜も見えてきたが、稜線としてはっきりせずどこを登るのかよく分からない。三叉峰ルンゼを左に分け、鉾岳ルンゼを行く。途中で雪が転がり落ちてきてバラの花のようになったものを見かけた。面白い自然の造形だ。
雪面で登攀準備。トイレを済ませてハーネスを着ける。見上げるとすでに1パーティーが下部岩壁に取り付いていた。以下、ピッチごとに記述。
2/15 1ピッチ目、鉾岳ルンゼの斜面を登る。 |
2/15 2ピッチ目、下部岩壁。核心部。 |
2/15 3ピッチ目、雪稜を登る。 |
2/15 5ピッチ目、パーティーが多い。 |
2/15 6ピッチ目、稜線が見えてくる。右手の3つのコブが石尊稜。 |
2/15 7ピッチ目、上部岩壁。 |
2/15 7ピッチ目、上部岩壁。右へ回り、ルンゼを登る。 |
2/15 8ピッチ目、岩場を登る。風が強い。 |
2/15 9ピッチ目、緩やかな斜面を登る。 |
2/15 登り着いた石尊峰で記念撮影。 |
取付から石尊峰まで5時間。私たち以外に3パーティーが石尊稜に登っており、1パーティーははじめから先を行っていたが、2パーティーに途中で抜かれた。「改訂 冬期クライミング」には上部岩壁は岩稜沿いでも右のルンゼからでも登れる
とあるが、登れそうな「右のルンゼ」は見当たらなかった。
登った石尊峰は思ったより広く休むスペースはあったが、風が寒かったのでコンテで先を進む。帰りは地蔵尾根を経由して行者小屋へ。正面の赤岳は高く登攀意欲をそそられるが、時間がないので赤岳には寄らない。鉾岳は西から巻くが、下り道が見つからず少し時間を食う。日ノ岳を東斜面から下り、地蔵尾根分岐の手前で一休み。風が吹くので東側の斜面で休んだ。
2/15 赤岳への稜線を歩く。 |
2/15 地蔵尾根を下る。正面は昨日登った阿弥陀岳。 |
どこでなくしたのか、ザックの天蓋に入れておいたウェストポーチ(中に笛とコンパス)、ヘッドランプ、サングラスの袋がなくなっていた。登攀準備の際に落としたか、登っている最中に落としたのか、天蓋のファスナーの閉めが甘かったのだろう。
休んだ後、地蔵尾根を下る。地蔵尾根を下るのは初めてで道が分かりにくかった。急な尾根で右に下山路の小尾根が分岐するのに気がつかなかった。文三郎道みたいな単管パイプで組まれた道を下り、行者小屋へ。
小屋に着いたらすぐテントの撤収。行者小屋に戻ってみるとだいぶテントは減っていた。テントをたたみ、登攀具も片付けて出発。重くなったザックが肩に食い込む。折しも高山病の症状が出て頭が痛い。ふらふらになりながら一番最後を歩いた。
美濃戸山荘を経て美濃戸口にはなんとか暗くなる前にたどり着いた。車道は登りのときのと同じようにカチカチに凍っているかと思い、アイゼンを着けたままだったが、ほとんど解けていてまったく必要なかった。時間も遅いので美濃戸口の八ヶ岳山荘の風呂に入るが、女風呂が整備中で慌ただしく交代で入った。暗くなった中央道を走り、20時に立川で解散した。
私にとっては2回目の冬の八ヶ岳だったが、かなり厳しかった前回の赤岳主稜に比べ、今回の阿弥陀北稜、石尊稜は私のレベルに合っていると感じた。天気も非常によく、よかった。
ただ帰りの高山病はよろしくなかった。地蔵尾根の下りから家に着くまで10時間近く頭が痛かった。高山病がなければもっと登りたいと思うのだが、残念である。
(2009年2月22日記す)