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2009年秋 - 上信・四阿山


2009年10月17日(土)〜18日(日)
場所
長野県上田市(旧小県郡真田村)・須坂市・上高井郡高山村・群馬県吾妻郡嬬恋村
ルート
10月17日
上野=上田=菅平口バス停…鳥居峠…的岩山…四阿山…パルコール嬬恋スキーリゾート第四リフト終点(泊)
10月18日
パルコール嬬恋スキーリゾート第四リフト終点…浦倉山…土鍋山…破風山…毛無峠…御飯岳…御飯岳北コル…上信スカイライン…万座温泉=万座・鹿沢口駅
参加者
中山(単独)
参考文献

はじめに

 四阿山(あずまやさん)は長野県と群馬県の県境にある標高2354mの山。関東地方では日光白根山、浅間山に次ぐ高さを誇り、日本百名山にも数えられている。この変わった名前は深田久弥「日本百名山」によれば日本武尊が東征からの帰り、鳥居峠の上に立って東を振り返り、弟橘姫を偲んで「吾妻はや」と歎かれた。そこで峠のすぐ北にそびえる山を吾妻山と名づけた、と言われる深田久弥「日本百名山 新装版」新潮社,1995,P.186)。長野県側の菅平高原や県境の鳥居峠から登るルート、群馬県側のパルコール嬬恋スキーリゾートのゴンドラを使うルートなどがあり、今回は県境縦走を目的としているため鳥居峠から入山した。

 これで3週連続の1泊2日の山。9月の5連休は主任試験の勉強で登れなかったし、もう冬が近いので雪が積もる前に県境を登っておこうと計画した。場所は上信国境・四阿山。おととしも計画したものの、雨の予報に諦めた山である。2週間前に草津・長笹川ガラン谷に行き、草津峠〜オッタテ峠を歩いたので、四阿山から草津峠までの山行を計画した。

 上野信弥さんの記録Web上の記録から道もありそうだし、ゆったりのんびりの山行を期待していたが、クマに遭ったり、雨に降られたりして思いのほか厳しい山行になった。特に浦倉山・土鍋山の笹ヤブと黒湯山西の笹ヤブが濃く、体力を消耗したため横手山まで縦走する予定を変更し万座温泉に下山した。

1日目

2009年10月17日(土) くもりのち雨

上野=上田=菅平口バス停…鳥居峠…的岩山…四阿山…パルコール嬬恋スキーリゾート第四リフト終点(泊)

コースタイム
菅平口バス停8:54
9:02
鳥居峠10:14
10:25
的岩山分岐10:56
的岩山11:38
的岩12:04
12:18
古永井分岐2040m
(熊と遭遇)
12:48
13:58
嬬恋清水分岐14:30
14:43
四阿山15:03
パルコール嬬恋スキーリゾート
第四リフト終点
16:15
18:40就寝

 上野駅で朝一番の長野新幹線、あさま501号に乗り、上田へ。上田に行くのははじめてだ。上田駅で新幹線を下車し、バス乗り場へ向かう。バス乗り場には現在公開中のアニメ映画、サマーウォーズの広告がかかっていた。信州上田が舞台のモデルらしい。今回利用できそうなバスは2系統、菅平高原行きと上渋沢行きである。が、2つある時刻表の表記が一致せず、上渋沢行きが土曜日に運行するのかどうかよくわからない。しかたないので停まっていたバスの運転手さんに聞き、休校日の土曜日は運行していないことが分かる。上渋沢行きの方が鳥居峠に近いのだが、しかたがない、菅平高原行きに乗る。

 上田駅から菅平口まで910円。菅平口バス停はチェーン脱着場のある、谷間の寂しいバス停であった。ここで靴を履き、鳥居峠へ。鳥居峠を越えて群馬県長野原へ通じる国道144号線はけっこう車が多い。休みなので行楽の車も多い。渋沢の集落を越えて山のひだを巻いていく道を行くと鳥居峠に出た。鳥居峠にはドライブインが2軒あったがどちらも閉まっていた。

 菅平口バス停から1時間歩いたのでここで一休み。鳥居峠から北には林道が伸びており、手前にゲートがある。ゲートは開いているようで、あとから来たライダーが手で押して開けていた。計画は今日中に浦倉山・土鍋山コルまでなのだが、すでに10時なので難しいかもしれない。でも黒岩山のときみたいに道があれば日が暮れても歩けるだろうと甘く見る。天気は晴れ。雲も出ているが気持ちのよい秋の空だ。林道のカラマツが黄色に色づき、美しい。

 出発してすぐゲート横に登山届入れがあるのに気づく。計画書を家に置いてきてしまったので、備え付けの紙に記入し投函。出発。25,000分の1地形図には鳥居峠からの道は2本示されている。県境を登るルートと、群馬県側の林道をたどって途中から稜線に取り付くルートとある。私は県境を登るルートをたどりたかったし、エアリアマップは前者を示していたので、林道に分岐の標識があるかと思ったが、標識どころか道も見当たらなかった。

鳥居峠
10/17 鳥居峠から四阿山に登る。林道にはゲートがあるが手で開けられる。登山届入れあり。
落葉
10/17 的岩山登山道。下部は車のわだちが残っているが、だいぶ笹に覆われてきている。上部は急な登り坂。ときどきある林野庁の境界見出標が目印。

 途中で地元っぽい人に会い、「四阿山の登山口はこちらですか」と聞いたら「この林道の先に登山口の看板がある」と教えて下さったのでそれに従って林道を歩くことにする。まずは四阿山に登らなければ、細かいことを気にしても仕方ない。

 林道から四阿山へ登るダート道に入り、やがて的岩山の分岐。的岩山を経て四阿山へ登るルートはエアリアマップでは破線で示されているが、登路はあるだろうと取り付く。少し戻るようにしてトラバース道を歩くと県境沿いの道に出た。土の道だが、わだちがあったので昔は車が通行したのだろう。少し登ると左に分岐する道がある。直進する道は稜線の右へそれていきそうだったので左へ行く。しかし左ルートは巻き道らしくあんまり登っていかない。仕方ないので笹ヤブにつっこむ。笹ヤブは薄く、見通しもとれるが、傾斜が急で、山が丸く稜線がはっきりしない。しかもあちこちにピンクテープがあるのでルートがよく分からない。稜線の右へ戻るようにして歩くと踏み跡に出た。

 もう道というよりは踏み跡程度しかなく、林野庁の境界見出標を目印に登る。かなり急な登りののち、丸い的岩山山頂に着く。山頂は平たく、道はなく、三角点は見つけられなかった。防火帯なのか、真ん中あたりは木がなく草原になっていた。木のないところを歩いていくと長野県側の尾根に迷い込みそうになった。正面に高い山が見えなかったので振り返ると高い山があり、間違いに気づいた。

的岩山山頂
10/17 的岩山山頂は平坦。長野側の尾根に迷い込みそうになる。
的岩
10/17 的岩。的岩というより幕岩とか屏風岩と呼んだ方がいいくらい長い。

 的岩山から的岩までも道はなく、平たい稜線の真ん中の1mほど盛り上がった稜線みたいなのをたどって歩いた。鳥獣保護区の標の横を通り、だんだん登り道になると的岩が見えてきた。「的岩」というから的みたいに1点にあるのかと思ったら200mほどの長さに渡って屏風のように伸びていた。的岩の基部を歩き、的岩が終わると先ほど分かれたダート道からの登山道に合流した。ここで一休み。だいぶ遠回りした気がする。的岩山なんて浦倉山〜土鍋山の前座程度にしか考えていなかったが、思いのほか迷ったり、急傾斜だったり時間をくってしまった。

紅葉
10/17 的岩上から見た群馬側の眺め。錦色の紅葉の向こうに浅間山が雲に見え隠れする。
古永井分岐
10/17 六角堂の建つ古永井分岐。この先でクマに遭い、六角堂で進退を考える。

 的岩から笹原の展望のよいところを抜ける。見ると、山肌が赤と黄色が混合した色のじゅうたんを敷いたようになめらかに広がっていた。遠くには雲に囲まれた浅間山が見えた。薄暗い樹林帯に入り、登り道になる。登りきると古永井分岐。2040m標高点でもある古永井分岐には六角堂が建っており眺めもよく、休むにはよい。ただ私は的岩で休んだばかりなので先を行く。

 古永井分岐からゆるい下り道を行くと中高年の登山者4人が立ち往生していた。話を聞くと行く先の斜面に熊がいるという。私は目が悪くて全然見えないのだが、登山道の横をうろうろしているようだ。的岩山で時間くってもう13時になるのに、なかなか進まない。中高年登山者たちは15分ほど思案した結果、命の方が惜しいだろうという結論に達し、来た道を引き返していった。私も思案し、こちらの存在を示せば逃げていってくれるのではないかという希望を持って進むことにした。コルまで下ると登山道の脇に熊が見えた。熊は立ち止まって地面を詮索しながらのそのそと動いていた。私が手を叩いて注意を引くと、熊は首をこちらに向けて「何ですか?」という顔をするが、私がようすを見ていると「人騒がせな」といった感じでまた地面を詮索して歩いていた。

 熊が人を恐れるという習性を利用したつもりだったが、全然ダメである。私も命が惜しいし、いったん古永井分岐に戻って作戦を練り直す。さっきの中高年登山者同様下ろうかと考えるが、四阿山を踏まずに下るのも悔しい。空身でコルに戻ってようすを見ると熊がいない。どこへ行ったのかよく分からないが、登山道から見える範囲にはいなかった。今のうちと思い、古永井分岐に戻り、ザックをとって四阿山へ向かう。

熊
10/17 古永井分岐の先にいた熊。何かしきりに地面を探索していた。怖くて間合いに近づけないのでこれが精一杯の写真。
吾妻清水
10/17 吾妻清水で水を汲む。秋でも涸れていなかった。

 念のためまた手を叩きながら歩く。ちょうど下り客もいて、あいさつがてら熊を見なかったか尋ねたが見なかったそうだ。熊は山の上へ行ったわけではなさそうだ。安心して四阿山へ向かう。結局、熊騒動で1時間ロスしてしまった。

 樹木の少なく開けた稜線を登る。しかし群馬側から出てきた雲で眺望はない。やがて樹林帯に入る。ところどころ木道が整備されていたりして歩きやすい。嬬恋清水分岐に出て水を汲みにいく。稜線が近いし、秋なので水が涸れているかと思ったが、確かに水が出ていた。ここで全部で5.5リットル水を汲む。嬬恋清水から先、人には会わなかった。

 嬬恋清水分岐からしばらくで笹と針葉樹の林。ガスが出てきて行く先が見えない。根子岳からの道と合わさると、稜線沿いに木がなく、木の階段が続いており、吹きっさらしで寒い。思わずカッパを着る。登りきると四阿山の山頂であった。

 四阿山の山頂には点々とほこらがあり、それぞれ石垣で囲われていた。ときはすでに15時。日帰り登山が一般的な四阿山には登山者の影はない。エアリアマップには「展望よい」と書かれているが、山頂はガスで覆われ何も見えない。ただ冷たい風がほおをなでていくだけで登頂の感動はなかった。

四阿山
10/17 四阿山山頂。ほこらがある。
パルコール嬬恋スキーリゾート第四リフト終点
10/17 パルコール嬬恋スキーリゾートの第四リフト終点。冷たい雨の中ではまさに避難所であった。

 四阿山から浦倉山へ向かう。山の北側には雪がわずかに残っていた。最近雪が降ったのだろうか。最高点から少し離れたところに三角点があった。ほこらなどはなく、最高点に比べて寂しげである。狭い稜線の鎖場を下り、平坦になってくると茨木山への分岐を分ける。浦倉山へ向かうと雨が降ってきた。冷たい雨である。上下カッパを装備し、ザックにはザックカバーをかける。だんだん雨が強くなってきてカッパの内側まで濡れてきた。寒い。歩いているうちはいいが、止まったら低体温症になりそうだ。そう思いながら平坦な道を歩いていくと少し下って平坦なところに出た。そこにはパルコール嬬恋スキーリゾートの第四リフト終点があった。リフト終点にはトタンの立派な覆いがかかっており、そこへ逃げ込む。雨も風も遮られた空間に安心し、今日はここに泊まることにする。

 リフト終点の内部を見回すとリフトの運転室があった。鍵はかかっていなかったので、こちらにおじゃますることにする。運転室の中は快適ですきま風もなく温かい。勝手ながらここで一晩を過ごさせてもらうことにする。濡れたものを天井にかかったネットにかけ、寝床を作ってから飯炊き。6時すぎには晩飯も終わり、寝床についた。外は雨と風がバタバタとトタンの覆いに叩き付けていたが、運転室の中は温かく快適であった。スキー場の上だからか携帯電話も通じたのでメール確認したらジャンクメールが1通入っていた。明日雨降っていたら群馬側のバラキ湖へ下ろうかなと考える。リフト運転室に感謝しながら18:40就寝。

2日目

2009年10月18日(日) 晴れ

パルコール嬬恋スキーリゾート第四リフト終点…浦倉山…土鍋山…破風山…毛無峠…御飯岳…御飯岳北コル…上信スカイライン…万座温泉=万座・鹿沢口駅

コースタイム
パルコール嬬恋スキーリゾート
第四リフト終点
5:45起床
6:56
浦倉山7:05
浦倉山北
1915m付近
8:07
8:12
浦倉山・土鍋山最低鞍部9:33
9:50
土鍋山10:32
10:37
破風岳11:12
毛無峠11:28
11:40
毛無山11:50
御飯岳12:34
12:40
御飯岳北コル
1899m標高点
13:08
13:29
御飯岳北コル
300m西
13:44
13:46
万座峠14:30
14:39
万座プリンスホテル15:00
16:05

 目覚ましを5時に仕掛け、5時に起きるが、「どうせ笹が濡れているし、歩いたらびしょ濡れになっちゃうよ」と自分を納得させ、二度寝。5:45に起きる。起きたらしばらくしてお日様が出てきた。昨日の雨はどこへ行ってしまったのか、天気は快晴だった。見える群馬側には雲海が広がっている。二度寝を後悔するが先立たず。飯を炊き、みそ汁で食べて6:56出発。いつもの出勤時刻より遅くなってしまった。

 気持ちのよい笹の刈り払いの道を行く。遠くには草津白根山や志賀高原の青い山並みが見えた。しばらくで夏も営業しているゴンドラの終点を横切る。しかし私は目の前の草津白根山に目を奪われゴンドラの駅にまったく気がつかなかった。撮った写真を後で見返すと駅の屋根が写り込んでいるのに。このあとの浦倉山から土鍋山の道が見つけられなかったことといい、この日の私はちょっとおかしかったのかもしれない。

 ゴンドラ駅からしばらくで浦倉山に到着。平坦な山頂で刈り払いはあるが、展望はない。間違えて群馬側の野地平へ下りそうになるが、土鍋山へ至る道が山頂から伸びていたのでこちらを下る。少し下ると米子瀑布への下り道との分岐。一見すると米子瀑布への道の方が稜線沿いで、土鍋山への道が群馬側へ下る道のように見えるが、これは土鍋山へ下る道が稜線の少し群馬より、山腹を絡みながら伸びているためのようだ。米子瀑布への道はきれいに刈り払いがあるが、土鍋山への道はだいぶ笹が茂っていて踏み跡程度である。看板には土鍋山まで180分とあった。エアリアマップでは難路と示されている。

浦倉山
10/18 浦倉山山頂。平らで看板の右手に土鍋山への道が分かれる。
土鍋山
10/18 浦倉山北から見た土鍋山。非常に平らか。奥は御飯岳。

 土鍋山への道をたどり始めてすぐ道が分からなくなる。道っぽいところにも笹が生え、目印もないので道が分からない。しかも浦倉山北はのっぺりした山腹が広がり、稜線もはっきりしない。Webで調べると2003年9月、2007年9月、2009年6月に浦倉山〜土鍋山間を歩いた記録が見つかるのだが、いずれも道に迷った記録は見当たらない。みんな道を見つけて1時間足らずでコルまで下っているようだ。しかし現実に私の前に道はない。戻ったところで道が見つけられる気もせず、ヤブを漕いでコルへ向かうことにする。

浦倉山
10/18 米子瀑布と土鍋山の分岐から見た土鍋山への道。笹が茂っており、この先ですぐ道が見つからなくなった。
浦倉山
10/18 浦倉山から浦倉山・土鍋山最低鞍部へ道が見つからず、笹ヤブを分けて下る。笹が濡れていてカッパを着ていても濡れる。あとどこへ下ればいいのかよく分からない。

 しかし、このヤブ漕ぎが大問題だった。浦倉山の北側斜面はのっぺりと広く、稜線がはっきりしないため現在位置が分からない。しかも長野県側に1886m標高点へ続く顕著な尾根があるため、引き込まれやすい。このためルートファインディングには細心の注意を払いながら下ることにする。笹ヤブは胸くらいの高さで見通しはとれるが歩きにくい。笹は前日の雨でびしょ濡れ、軍手は濡れるし、カッパの下のジャージも濡れる。2002m標高点を過ぎてからは長野県側へ迷い込まないよう北寄りに歩く。1分歩いては地図を確認するという作業をくり返した。緩斜面が続くことを利用し、急傾斜があると近くの緩斜面に逃げながら下った。幸いときどき眺望があり、正面に土鍋山と西の1952m峰が見えるのでそれを目印に歩いた。

 のっぺりした斜面で、正直なところ正確に現在地をつかめたとは言いがたいが、一度赤沢川源頭の涸れ沢左岸で急傾斜に出会い、左岸から右岸に渡り、下っていくと左側の尾根が高くなってきたので、再度赤沢川源頭の沢を右岸から左岸に渡った。ここの源頭には水が流れていた。ひょっとしたらこれを下ると道に出られたのかもしれない。左岸を登り返すと笹の台地。見渡す限り笹笹、ときどき松かなんか針葉樹。ゴルフ場みたいな笹の海をひたすら漕いでいく。笹の背丈は胸くらい。うんざりするような笹の海を越えるとコル直前に20m急に下るところがあり、急斜面の際に沿って歩くと登山道に出た。登山道ははっきりしており、コルまで容易に下れた。

赤沢川源頭
10/18 赤沢川源頭と思われる流れ。
笹海
10/18 笹の海。正面に見える1952m峰へ向かってひたすらヤブを漕ぐ。

 樹林帯を抜けると浦倉山・土鍋山最低鞍部に出た。しかしそこは鞍部という感じではなく、広い平原である。笹原の真ん中に刈り払いの道が続いており、若干笹が伸びているが道は明らかである。笹原の真ん中で休む。時計をみれば9:33。浦倉山を出てから2時間半が経過していた。エアリアマップでは浦倉山から土鍋山までで2時間半。Web上で見られる1時間足らずの記録に比べて大幅に遅れている。私自身もすっかり疲れた。Google Mapにも明瞭な道が見られるので、単に私が道を見つけられなかっただけだろう。西上州上越の国境稜線などルートファインディングには自信を持っていただけにくやしい。


↑浦倉山北斜面の道 大きな地図で見る

 ちなみに上野信弥さんによれば最低鞍部にフカフカの草原が広がっているらしいが見当たらなかった。鞍部東側の茶色いところだろうか。

 浦倉山・土鍋山間の最低鞍部には、地図に荒地の記号が付された平地がある。もしかしたら草原になっているのでは? 期待しつつ着くと、案の定、冬枯れのフカフカの草原が広がっており、ここ泊まりに即決定!

上野信弥「関東ぐるり一周山歩き」(白山書房,1998)P.79

 今までで一番よかった幕営地である。広く平らな鞍部は、マットを敷かずとも靴を脱いで寝そべったりできる一面フカフカの草原で、水場の沢も近い。

上野信弥「関東地方全県境踏破の旅1」山と渓谷,No.840,6月,1998,P.194

↑上野信弥さんが泊まった草地? 大きな地図で見る

 打たれ弱い私は「道あるけど、この先もまたすぐ道がなくなって土鍋山の登りに4時間くらいかかるんだ、エスケープもできないんだ、もうダメだ」と弱音を吐きながら、土鍋山に登ることにした。登らないと帰れないし。

浦倉山・土鍋山最低鞍部
10/18 浦倉山・土鍋山最低鞍部。真ん中に道がある。正面は1952m峰。
浦倉山
10/18 1952m峰の登りから振り返る浦倉山。奥には四阿山が少しだけ顔を出している。

 道ははっきりしていて笹が覆いかぶさっているところもあるが、足下に笹が生えていないので道は分かる。少し登ってまた広い笹原みたいなところを歩く。振り返ると浦倉山の斜面が見えた。いったいどこを通ってきたのだろうと考えるがまったく分からない。1952m峰への緩い斜面を登っていく。途中で林の中に入り見通しは利かなくなる。でも道は続いている。道は1952m峰の東斜面を巻いていき下りに出ると、向こうに平坦な土鍋山が見えた。笹に覆われた道をゆるやかに登っていくとだんだん平たくなってきて、笹の平原を行くと平らな土鍋山三角点に出た。

土鍋山三角点
10/18 土鍋山三角点。土鍋山には三角点のあるところと眺望のよいところの2つの山頂の標がある。
御飯岳
10/18 破風岳への道から見た御飯岳、毛無山の稜線。

 この山頂には三角点しかなく、あとは浦倉山・バラギ高原の道を示す看板があるだけだった。あまりに平たく、展望もない。暑くなったのでカッパを脱ぎ、靴ひもを直して先を進む。ここからの道もいまいち笹がかぶっているところがあったが、急にはっきりした刈り払いに出た。しかし刈り払いが交錯していて道が分からない。とりあえず北へ向かうと土鍋山の看板と御飯岳が見えた。北側斜面が切れ落ちており展望がいいので、ここも山頂になっているようだ。うろうろして急な下り道を見つけそこを下り、となりの破風岳へ向かう。

 下り始めると単独行の70過ぎのおじいさんに会う。70過ぎて山に登るなんて元気な人である。御飯岳を背景に一枚写真を撮ってもらう。笹原の刈り払いの道を下り、登り返すと乳山牧場からの道を合わせて笹の斜面に出る。破風岳へ登る道と毛無峠へ下る道に分かれるので、ザックを下ろし破風岳を往復する。破風岳も眺望がよく、毛無峠から御飯岳へ至る稜線がよく見える。群馬側には小串硫黄鉱山跡の赤茶色の斜面が見えた。

 分岐に戻り、ザックをとって毛無峠へ下る。毛無峠へはジグザグ道を下ってすぐ。毛無峠には長野側から車道が通じており、車が何台か停まっており、ライダーもいる。ラジコンの飛行機を飛ばしている人もいる。硫黄鉱山の影響か木がなく、展望がとれてよい。峠には群馬側から長野側へ硫黄を運んだと思われる滑車付の鉄塔が5基並んでいた。赤銅色に錆びて味がある。廃墟好きにもオススメのポイントだ。

鉄塔
10/18 毛無峠に建つ滑車付の鉄塔5基。小串硫黄鉱山の遺物だろうか。
破風岳
10/18 毛無峠から振り返る破風岳。

 毛無峠でしばらく休み、毛無山を経て御飯岳へ向かう。毛無山までは名前の通り木がなく歩きやすい。硫黄の影響だろうか。県境歩きとしては稜線沿いずっと笹が枯れていれば助かるのだが。途中、ハイマツに囲いがあり、となりに「這い松母樹防鳥網」という看板が立っていた。ハイマツは強いからほっといても勝手に繁茂すると思うのだが、「防鳥」ということは鳥が松を食べちゃうのだろうか。雷鳥はハイマツをすみかにするが、ハイマツに害をなす鳥もいるのか。そこからしばらくで毛無山。毛無山の山頂にはハイマツと赤っぽい苔が生えていた。何やら不思議な風景だ。遠くには緑色の御飯岳までゆったりとした山稜が伸びていた。

御飯岳
10/18 毛無山から見た御飯岳への稜線。
御飯岳山頂
10/18 御飯岳山頂付近。平ら。

 ここからまたエアリアマップの破線、すなわち難路が続く。しかし「眺望よい」という記述もあり、浦倉山〜土鍋山間よりは人が入っていそうだ。御飯岳への鞍部を経て御飯岳1950m付近までは笹原が広がり、うっすらと道が見える。これなら容易に登れそうだ。実際、パタパタと毛無山をかけおり、御飯岳にゆっくり登り返す。御飯岳へは登ったり平坦だったりをくり返しながら高度を稼ぐ。振り返ると四阿山がはるか遠い。樹林帯の道を登っていくと単独で下ってくる人とすれ違った。人と会ってほっとする。

 緩やかに登り、下り始めるあたりで御飯岳山頂に着いた。三角点付近が刈り払われており、ベンチ代わりに丸太が並べられている。北側に踏み跡があり、黒湯山から万座山、草津白根山が見えた。横手山は雲に隠れて見えない。ここから上信スカイラインのある北の1899mコルへ笹ヤブを分けて下る。背丈ほどの笹ヤブで急な傾斜が続き滑りながら下る。滑り落ちるときに脇腹を木の枝に引っかかれ痛い思いをする。ときどき赤テープがあるが、積雪期のものらしく、道はまったくない。だいぶ下ってくると傾斜は緩やかになってくる。しかしなかなか車道に出ない。ときどき樹間から走る車が見えるのだが、距離感がつかめない。稜線はだんだんと東に曲がっていくので、それに合わせて東に曲がっていく。笹ヤブにうんざりしてきたころ、左下から車のエンジン音が通り過ぎていくのが聞こえたのでそっちに下ると1899mコルの100mほど西の車道に出た。車道をたどって1899mコルへ。

御飯岳
10/18 御飯岳北の下り。道はなく、笹ヤブの急斜面を滑るように下る。
御飯岳北
10/18 御飯岳北の1899mコル。長野側の車道を少したどってヤブに入る。

 1899mコルで一本。12時を過ぎてだいぶ疲れてきた。1899mコルから東には黒湯山が控えている。明日月曜日は休みをとっているし、もしうまく行けるようなら今晩途中で泊まって山田峠まで行けないかとも考える。上信スカイラインが群馬側に伸びているが、県境縦走をするならば県境の稜線を行きたいところ。地形図で確認すると1899mコルには長野側にも車道が伸びており、この道を使って最初のコブを越えることにする。この車道が少したどり、稜線からそれてきたところで枯れた草地を見つけここから登る。が、てっぺん付近は背丈を越える笹ヤブで覆われ見通しがきかないだけでなく、笹が寝ているので思った方向へ行けない。しかたないので笹の寝ている方向へ下っていくとまた上信スカイラインに出た。出たところは先ほど休んだ1899mコルの東200mほどのところだった。

笹薮
10/18 1899mコルの東、黒湯山西の小さなコブの笹ヤブ。あまりに濃いので敗退を決める。
笹薮
10/18 万座温泉に下山。奥は草津白根山。

 このヤブに閉口し、黒湯山に登ることを断念する。もう少し体力が残っていて、荷物が軽くないと突破できない。今日はすでに浦倉山〜土鍋岳のヤブでだいぶ体力を消耗しており、御飯岳の下りでもヤブを漕いでいる。もう14時近く、下山にはいい時間なので上信スカイラインをたどって万座温泉に下ることにした。山田峠まで行こうとの思いもすっかりなくした。

 いざ車道歩きとなると肩の荷が下りた気分で歩く。車道から見える黒湯山の斜面は背丈を越える笹に覆われており、稜線を歩くのはかなり難しそうだ。標高2007mの黒湯山には2007年に東側から道が拓かれたようだが、コルからははっきり道は見えなかった。でもたどるとしたら先に道をたどって山頂を踏み、下りながら稜線をたどった方がヤブ漕ぎが楽だろう。その次の万座峠との間のピークは長野側がガケで切れ落ちており、その際をたどればヤブを漕がなくてすみそうだ。

 万座峠で一休み。万座峠は北側の見晴らしがよく、笠ヶ岳や横手山が見える。車を停めて眺めを楽しんでいる人にあいさつしたら「大学生?」と聞かれた。いやもう28歳の社会人ですと答える。ザックを背負って歩いているとどうも大学生に間違えられる。あいさつのあと手作りのおやきをいただいた。これが乾きものしか食べていなかった体にたいへんうまく感じる。ありがとうございますと礼を述べた。

 そこから万座温泉まで車道を歩く。稜線の万座山はスキー場になっているのでところどころヤブがないのではないかと希望を持つ。万座プリンスホテルにつき、風呂に入って16:05発のバスに乗って万座・鹿沢口駅に向かった。万座プリンスホテルの風呂は1100円と高かったが、他にバス停近くの風呂を見つけられなかった。万座・鹿沢口駅からJR吾妻線に乗り、高崎乗り換えで帰京した。

おわりに

 思いのほか厳しい山行だった。下記の4点が想定外であった。

 四阿山で降られた冷たい雨についてはリフト運転室に逃げ込めたので問題なかった。また熊との遭遇についても熊と接触することもなく、時間が遅れたものの結果的に雨の中リフト運転室に泊まれたのでよかった。

 問題だったのは浦倉山〜土鍋山で道を見つけられなかったことと、黒湯山西のヤブが非常に濃かったことである。後者はしかたがないが、前者は私の努力次第であり、天気がよく見通しがあったにも関わらず見つけられなかったのは実にくやしい。

 鳥居峠〜御飯岳の県境を縦走するにあたっていくつか気づいた点を述べておく。

的岩山の稜線
登りは道が分かりにくい。的岩から鳥居峠へ下った方が道が見つけやすい。
浦倉山〜浦倉山・土鍋山コル
道があるようだ。しかし入口から笹が覆っており、私は道が分からなかった。あらかじめ¥Google Mapなどでルートを確認しておくとよいだろう。道に頼らずヤブを漕いで下るのは稜線がはっきりせず迷いやすいのでGPSなどを持たない限りお勧めしない。参考までに私は2時間半かかった。
浦倉山・土鍋山コル〜土鍋山
踏み跡がある。ただ笹が伸びてきて道を覆っているところがほとんどなので慣れていない人は道が分かりにくい。
毛無峠〜御飯岳
道がはっきりしており、迷う心配はない。
御飯岳〜御飯岳北コル
道はないが、ときどき赤テープがある。たぶん積雪期用。
黒湯山西
背丈を越える笹ヤブ。かなり密で簡単には越えられない。

 なお、水場は吾妻清水、浦倉山・土鍋山コル南の赤沢川源頭、黒湯山西の沢(太田堰源流之地碑)にある。

(2009年10月19日記す)


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