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今年の年末は剱岳早月尾根になった。
剱岳早月尾根は剱岳西面に伸びる尾根であり、白萩川と立山川にはさまれている。起点の馬場島から剱岳山頂までは6.9km、標高差は2240mに及ぶ。室堂から登る別山尾根のルートに比べ、距離、標高差が大きく、またタクシーしか入らないため交通の便が悪いルートである。しかし冬季には立山黒部アルペンルートが閉鎖され室堂からも黒部ダムからも入山できないため、もっとも人気の高いルートとなる。
2009年に公開された映画「劔岳 点の記」にも示されるように、剱岳は険しい山である。冬季は特に厳しい。
冬の剣は厳しい。日本海から直接吹き抜ける北風、そして多量の降雪。深いラッセルと巨大な雪屁、痛烈な地吹雪と至る所に待ち受ける雪崩の罠。岩を登ればホールドを覆う油氷と海老の尻尾。
柏瀬祐之、岩崎元郎、小泉弘編「日本登山体系 剣岳・黒部・立山」(白水社,2000)p.21
剱岳早月尾根の積雪期初登攀は1993年(昭和8年)3月同志社大学山岳部による(山と渓谷. No.890. June. 2009. p78)。
私の親が富山に住んでいたこともあり、私も小学生のときに富山県高岡市にいたことがある。そのため冬季の剱岳というと毎年のように登山者が遭難する険しい山というイメージがある。そのイメージは未だ変わらないし、登った後も変わらない。無事下ってこられてよかったと思う。
この年は9月、10月とほぼ2ヶ月おきに剱岳に登っており、晩夏、秋、初冬それぞれの剱岳のようすを楽しんだ。
0日目 |
2009年12月25日(金) |
上野=急行能登(車中泊)
急行能登に乗って富山へ向かう。上野集合組と大宮集合組に分かれて集合する。私は上野集合。発車する16番線には一眼レフと三脚を構えた人たちが線路の末端に陣取っていた。たぶん急行能登が来年3月のダイヤ改正で定期運行を取りやめるからだと思う。
16番線ホームに入るとすでにYさん、Hさんが集まっていて、今回風邪で不参加のSさんから食料等を受け取っていた。Sさんにあいさつののち、ホームを出て缶ビールを買って戻ってくるとSさんもやってきて急行能登も入線。やがて急行能登発車。
大宮集合組はKさん、Iさん、Kさんの3人。しかし大宮ではKさんが乗車してこない。京浜東北線が遅れているようだが、その影響かどうか連絡もない。Kさんの姿が見えないうちに急行は発車。しばらくして遠くの車両からKさんが歩いてきた。どうやらギリギリの列車に乗り、遅れた埼京線に乗ってギリギリ乗り込んだようだ。
列車は高崎でしばらく停車し、発車すると消灯になった。年末の帰省と重なると思っていたが、思ったほど混雑はなく、各自あいた席で就寝。Kさんは車両端の壁と座席の間に挟まって器用に寝ていた。
1日目 |
2009年12月26日(土) 雨のち雪 |
滑川=上市駅=剣青少年研修センター=馬場島…松尾平…早月尾根1600m(泊)
剣青少年 研修センター | 7:40 |
8:00 | |
馬場島 | 9:30 |
10:00 | |
松尾平975m | 11:08 |
11:15 | |
早月尾根 1080m | 11:58 |
12:21 | |
早月尾根 1380m | 13:15 |
13:31 | |
早月尾根 1600m | 14:15 |
19:10就寝 |
5:27滑川駅到着。駅には駅員さんがおらず、改札の切符入れに切符を入れる。接続する富山地方鉄道本線は6:16宇奈月行きなのでしばらく駅舎休憩室で過ごす。地下道を抜けて地鉄に乗り換え、上市へ。上市では予約していた旭タクシーの人が待っていた。すでに雪が積もっているとのことだったのであらかじめプラスチックブーツを履いておいた。
8:40に剣青少年研修センター先のゲートでタクシーを降ろされる。路面は一車線分除雪されてアスファルトが現れているものの、周囲は雪に覆われていた。出発準備をして馬場島へ向かう。ゲートから馬場島へは4kmほど。歩いていると石油を運ぶ車と工事車両が通り過ぎていった。年末だがまだ仕事はあるらしい。発電所のあたりまでは除雪されていたが、発電所からは雪の上を歩く。
12/26 剣青少年研修センター奥のゲートでタクシーを降りる。 |
12/26 馬場島に到着。剱岳は雲の中で見えない。 |
ゲートから1時間半で馬場島。馬場島で県警に入山の申告。発信器のついたヤマタンを受け取り、各自首にかける。この年末26パーティーが剱岳への入山届を提出しており、うち18パーティーが早月尾根とのこと。すでに3日前に九州大学のOBが入山し、昨日同じく九州大学の現役が入山し、私たちは九州大学に続いて2パーティー目ということであった。この土日から入山するパーティーが多いと思っていたが、意外と少ないようだ。偵察のときに26日に入山すると言っていた龍谷大はまだ入山していないそうだ。逆に龍谷大を見なかったか県警に聞かれたが、上市には私たちしかいなかったのでまだ来ていないようだ。
馬場島からは早月尾根の2000mくらいまでしか見えず、山頂や小窓尾根は見えなかった。天気はくもりから小雨に変わってくる。気温は5℃と高い。何人かはザックカバーをかけていたが、私はザックカバーの用意はなく濡れるままだった。ザックには防水スプレーをかけていたが、すぐ雨がしみてきてあまり意味がなかった。
12/26 小雨の中、松尾平を歩く。 |
12/26 斜面の登りになると雪が増えてきたのでわかんを履く。 |
松尾平へ登り、雪の中歩く。積雪は1mほど。トレースは残っているのだが、ある程度埋まってしまい、途中からわかんを履く。松尾平にはなぜか青いテントが1張あったが、人のいる気配はなかった。ところどころQUACの赤布があるが、おそらく九大山岳部の布だろう。
12/26 松尾平を過ぎて急な斜面を登る。 |
12/26 1600m付近に幕営。 |
松尾平を過ぎて急坂になる。1380m付近で一本とる。歩いていればオーバー手袋でも大丈夫だが、休むと寒い。雨も雪に変わってきた。気温も下がっているのか、北陸の湿雪ではなく、さらさらした乾いた雪である。1380m付近からはガスも濃くなり、西風も吹いてきた。
1551m峰を過ぎてしばらくの1600m平らなところを見つけ、そこで幕営。山と木にはさまれた良好な幕営地である。2張のテントを設営し、新しいエスパースナノにはKさん、Hさん、Sさん、私、古いエスパースにはYさん、Iさん、Kさん。この晩はカレーライスを食べて19:10に就寝。
2日目 |
2009年12月27日(日) 快晴 |
早月尾根1600m…1920.7m三角点…早月小屋…早月尾根2600m付近…早月小屋(泊)
早月尾根 1600m | 3:00起床 |
6:20 | |
早月尾根 1920.7m三角点峰 | 7:57 |
8:20 | |
早月小屋 | 10:13 |
11:25 | |
早月尾根 2400m | 11:55 |
12:09 | |
早月尾根 2470m | 12:30 |
12:55 | |
早月尾根 2550m | 13:25 |
13:37 | |
早月小屋 | 14:40 |
20:10就寝 |
3時起床。端で寝ていたが、夜は暖かかった。となりのテントは3人しかいなかったため寒かったようだ。6:20出発。外は晴れだが暗い。歩いていくうちにだんだんと明るくなってきた。少し登ると展望が開け、立山川の向こうに大日岳が見えた。1920.7m三角点峰の下まで来ると登ってきたところが開けて見えてくる。空は快晴、標高1500m付近から下は雲海に覆われており、雲海の向こう側に猫又山や赤谷山が見える。途中平らなところでトップの順序を変わってもらい写真を何枚か撮る。
12/27 振り返ると富山平野に雲海が広がっていた。 |
12/27 池が2つ連なったところを稜線沿いに歩く。(マウスオーバーで10月のようす) |
急坂を登りきると1920.7m三角点峰。風もなく天気もよいためひと休み。山頂と小窓尾根のギザギザした稜線がよく見える。小窓尾根は上からマッチ箱、ドーム、ニードルと要所が指呼の間にある。去年5月に2008年春 - 北アルプス・小窓尾根に登ったのが思い出される。
1920.7m三角点峰からは傾斜は緩くなる。標高2050m付近の池が2つ連なったところは夏道は一番低い池のそばを歩くが、冬は立山川寄りの稜線部を歩く。
12/27 1920.7m三角点峰を過ぎて急な道を歩く。 |
12/27 2224m峰に登り着いた。 |
やがて2224m峰。すぐ下の鞍部に早月小屋が見える。早月小屋にはすでに到着した九州大学のテント2張があり、その横では県警の人がトイレの前の雪を除けていた。早月小屋に到着し、テントを設営する。今日はまだ時間があり、天気もよいため今日中に登れるところまで登り、偵察しておく。
12/27 2224m峰から見る早月小屋。 |
12/27 テント設営後、偵察に出かける。 |
偵察に歩き始めて30分、2400mに九州大学がおいていったと思われるわかんが道の脇にあった。私たちもここでわかんを外し、アイゼンに履き替える。履き替えている間、南風が吹いてきて硫黄臭い。おそらく地獄谷からはるばる風に乗ってやってきているのだろう。私以外の人たちもにおいを感じていた。
12/27 早月小屋から見上げる早月尾根。 |
12/27 雲海を背にして登る。 |
2470m峰に登り東を向くと、剱岳山頂が正面にかまえる。稜線の筋すらはっきりせず、難攻不落の砦のようだ。しかしその上部、シシ頭に取り付く3人のかげが見えた。どうやら九州大学のようだ。しかし13時の時点でシシ頭を越えていないとなるとかなり遅い。登頂できるのだろうか。
12/27 2470m峰から見る剱岳。 |
12/27 2470m峰からさらに登る。 |
もう少し時間があるので2550mまで登ってみることにする。右手から毛勝谷の源頭が稜線に迫っているところで片側がスパッと切れ落ちている。急登を越えて2550mまで登ると平らになっていてその先にまだ稜線が続いていた。Iさんはさらに先をめざして登っていく。Kさん、Hさんもせっかくの晴れなのでIさんを追いかけて登っていった。Yさんはさっさと帰り、Kさん、Sさんは念のために登攀具を装備して下山、私は写真を何枚か撮って下った。
12/27 2550mにて筆者。 |
12/27 早月小屋へ戻る。見渡すと雲海。 |
来た道を慎重に下る。尾根の下、富山平野は雲海に覆われており、爽快であった。
早月小屋に着くと県警の人たちがトイレの前の雪をすっかりキレイにどけていた。またテントがひと張り増えており、話を聞くと今朝馬場島から上がってきた富山大・金沢大混成パーティーということであった。ラジオの天気図をとり気象予報と合わせて考えると、明日は日本海に低気圧が発生し、天候は荒れそうだった。明日は停滞という雰囲気に包まれながら20:10就寝。
3日目 |
2009年12月28日(月) 雪 |
早月小屋(停滞)
早月小屋 | 7:30起床 |
19:40就寝 |
この日は予報通り雪と風が強く停滞する。停滞の間、テントの中で仮眠したり、Kさんが歌詞カードを作成したり、停滞用おしるこを食べたりして過ごす。
1日で1mほど雪が積もり、昨日県警ががんばって除雪した早月小屋トイレ前はまた埋まりそうになっていた。夜は雪も風が弱くなり、明日への期待が持てた。
12/28 雪のため停滞。一番奥で幕営中なのはこの日到着した富山大・金沢大混成パーティー。 |
12/28 昨日雪かきしたのに早くも埋まり始める早月小屋トイレ。(マウスオーバーで昨日のようす) |