山ノ中ニ有リ>山行記録一覧>2008年山行一覧>北アルプス・剱岳小窓尾根[1/2]
都県境・多摩川原橋〜川崎市麻生区向原二丁目←|→北アルプス・剱岳小窓尾根[2/2]
剱岳は北アルプス北部にある標高2,998mの山である。富山Hからすっくと立ち上がり、ギザギザの稜線をもって立山へと連なっている。その形は富山Hからもはっきり見分けられるくらいだ。その剱岳のすばらしさは何といっても岩と雪により形成された山容の厳しさにある
(柏瀬祐之,岩崎元郎,小泉弘.日本登山体系5 剣岳・黒部・立山.白水社.2000.p.19)。
今回積雪期に初めて登ったが、その言葉を実感した。稜線上あちこちに岩峰があり、凹部には雪がへばりついている。剱岳を構成する要素はそれだけでハイマツなどの草木も見えず、強いてあげるなら群青色の空があるだけである。その無機質な山容に厳しさと美しさを感じた。
剱岳には別山尾根と早月尾根という一般登山道があるが、一般登山道を除くと源次郎尾根、八ツ峰、北方稜線、剱尾根、小窓尾根や平蔵谷、長次郎谷など多くのルートが存在する。今回歩いた小窓尾根は早月尾根と並んで剣岳西面を代表する尾根ルートで、早月尾根以上に体力と登攀技術を要求される
(柏瀬祐之,岩崎元郎,小泉弘.日本登山体系5 剣岳・黒部・立山.白水社.2000.p.269)ルートである。
剱岳には一度登ったことがあるが、それは14年前小六のとき家族で剣山荘から別山尾根をたどったときだけである。学生のときには文登研で剱沢前進基地まで来たが、天気が芳しくなく別山の岩場や源次郎尾根の岩場を登っただけで山頂を踏むことはなかった。そのため強く再訪したいと考えていた山である。
剱岳の「つるぎ」の字には「剣」「剱」「劍」「劔」「劒」など多くの異体字があるが、以下では二万五千分の一地形図の表記に従い、「剱」の字を用いる。
0日目 |
2008年4月25日(金) |
上野駅集合=急行能登乗車(泊)
23時上野駅16番線ホーム集合。5月の連休前日にしては意外に人は少ない。「連休の前半は休みを付けないと4連休にならないし、自由席にはたくさん並んでいるでしょ」とはWさんの言葉。乗車するころには指定席にもいくらか人が並んでいた。発車すると車掌さんが魚津で下車する人をひとりひとり尋ね回り、魚津では下車のアナウンスがないことを告げていた。ごくろうさまである。少しビールをいただき、高崎付近で就寝。
1日目 |
2008年4月26日(土) 晴れのち雪 |
魚津…新魚津=上市駅=馬場島…白萩川雷岩…小窓尾根1900m付近(泊)
馬場島 | 7:15 |
7:57 | |
白萩川取水口 (徒渉) | 8:55 |
9:35 | |
雷岩1100m | 10:50 |
11;08 | |
小窓尾根 1400m | 12:04 |
12:17 | |
小窓尾根 1650m | 13:10 |
13:28 | |
小窓尾根 1850m | 14:04 |
14:15 | |
小窓尾根 1900m | 14:45 |
20:00就寝 |
JR黒部駅付近で起床。JR魚津駅で下車し、地鉄の新魚津駅に乗り換え。天気はよく、立山連峰がよく見える。天気予報は雨と伝えていたが、これなら想像以上の天気だ。魚津で地鉄に乗り換える人間は私たちだけであり、馬場島へ向かう山ヤはいないようだ。6時発の列車を30分ほど待ち、上市駅へ。
上市駅までまた睡眠。上市駅で予約していた旭タクシーに乗る。駅にはほかにもタクシーの運転手が並んでいたが、下車した山ヤは私たちのほかに1パーティーだけだった。やたら腰の低い旭タクシーの人に案内され、馬場島へ。タクシー代は7,410円。馬場島へ来るのは初めてだが、剱岳が目の前に迫る。そこにギザギザの山の端が見えている。それが小窓尾根だ。Wさんが「アレがドーム、マッチ箱」と説明してくれたが、あんなところをいくのかという驚きと恐怖でどれがどれだか分からなかった。馬場島には車が15台ほど並んでおり、数パーティ−が準備をしていた。列車より車で来る人の方が多いようだ。身支度を済ませて出発。
4/26 馬場島から見た小窓尾根。鋸の歯のようだ。 |
4/26 白萩川取水口。右岸から左岸に徒渉する。 |
車道を少したどり、立山川と分かれて白萩川に入る。白萩川の広い河原は半分ほど雪に覆われており、歩きやすい雪の上を選んで歩く。ブナクラ谷と分かれるところで橋を渡る。私たちの直前に2人パーティーが橋を渡っていた。この2人パーティーとは三ノ窓まで前後する。
ブナクラ谷を分けるあたりから雲行きが怪しい。ポツリポツリと雨も降る。途中、単独の軽装のスキーヤーが下ってきた。日帰りだろうか。取水口の手前で2人パーティーが止まっていたので何かと思うと、車道が行き止まりである。Kさんが取水口の上を空身で巻くが、その上の堰を越えるには徒渉しなければならず、下で徒渉した方がいいと判断した。河原に降りて靴を脱ぎ、徒渉の準備。準備をしている間に若い4人ほどのパーティーもやってきた。白萩川はだいぶ人が入っているようだ。
浅いところを選んで徒渉する。雪解け水が冷たい。気温が高い分、厳冬期ほどではないが、それでもしびれるような冷たさだ。対岸の雪の上に上がり、タオルで足を拭く。サンダルを持っていない人は寒そうだった。プラスティックブーツを履いて雪面を登り、川の屈曲に従って右に曲がる。そこから白萩川は狭い谷になっており、また徒渉。
4/26 白萩川徒渉。雪解け水が冷たい。 |
4/26 白萩川のゴルジュ。 |
その先は雪に覆われており、徒渉はなかった。スノーブリッジを越えて白萩川を登る。途中、池ノ谷を右に分けるはずだが気づかずに通り過ごす。池ノ谷はあまりに険しく、「『行けぬ谷』がなまったもの」(日本登山体系P.78)らしいので一目見ておきたかったのだが残念である。このため小窓尾根も末端からではなく白萩川を少し遡ったところから登る。小窓尾根取付点の雷岩に到着して一本とる。雷岩のところで少し水が流れているが、ここから上流は雪に覆われているようだ。
アイゼンを履き、小窓尾根のルンゼに取り付く。雷岩に到着したとき、ルンゼには単独行の人が取り付いていたが、私たちが登り始めるときにはもう見えなかった。かなり急なルンゼをアイゼンを蹴り込みながら登る。途中2回雪渓の切れたところがあり、上の雪渓に乗るのに苦労した。
4/26 雷岩で一本。 |
4/26 雷岩から小窓尾根に取り付く。急な雪のルンゼを登る。 |
小窓尾根1400mに出る。出たところは思いのほか狭く、池ノ谷、白萩川とも切り立っている。樹林帯だが、尾根上は雪に覆われている。急登を越えてつらいのでここで息を整える。
ここから小窓尾根をたどる。尾根はほとんど雪に覆われており、歩きやすい。KさんとWさん曰く、例年より雪が多く、ヤブ漕ぎをしないで済むので楽な方らしい。それでも尾根自体はけっこう急な登りだ。途中ペンキも見られる。Wさんの話によると池ノ谷の下降点もあったようだ。
4/26 小窓尾根に出たところ。樹林帯だが、地面は雪で見えなかった。 |
4/26 1614m標高点。 |
やがて1614m標高点に達する。ちょうど池ノ谷側から4人パーティーが現れた。リーダーらしき人が私たちに「池ノ谷に下るんですか?」と聞いてきたので「いや小窓尾根を登ります」と否定したが、はじめ意味が分からなかった。彼らは池ノ谷に下り、池ノ谷の岩場を登るのだろうか。小窓尾根の行く手には雪の尾根がずっと伸び、上部はガスに隠れている。
1614m標高点先の1650m付近の薮の中で一本とる。だんだんと天気が悪くなってきた。雲は低くなり、薄暗い。冷たい風も吹いてくる。そして1850m付近の平坦地で一本とる。ちょうどここで先行する単独行氏がテントを張っていた。単独で小窓尾根とはすごい人だ。しかし、この単独行氏とはこの後会わなかった。一人ならザイルも出さず速いはずだが。
私たちはさらに先を進む。まばらに木の生えた斜面を行く。1990m峰に出るあたりで天気はいよいよ悪くなり、遠くで雷鳴が聞こえた。1990m峰には笹くらいしか生えておらず、雷を避けることはできない。そこで少し戻り、1900m付近の斜面に幕営することにした。
4/26 1990m峰へ登るが雷鳴が聞こえたので木のある1900m付近に戻りテントを張る。 |
4/26 整地して幕営。風よけに雪のブロックで囲む。 |
スコップで整地し、周りに風よけのブロックを積んでテントを張る。テントに入って落ち着くと雨が降ってきた。後続の2人パーティーは登って来ず、もっと下でテントを張ったようだった。天気図をとると低気圧が日本海に入ってきたところで天気は悪くなりそうだった。またラジオでは富山県全域に雷注意報が発令されたことを伝えており、ビビる。ただ19:00前の気象概況によると明日の天気はよさそうであり、低気圧が夜のうちに日本海を通過することを祈って就寝。
2日目 |
2008年4月27日(日) 雪 |
小窓尾根1900m付近…ニードル…ドーム…マッチ箱手前コル(泊)
小窓尾根 1900m | 4:40起床 |
9:10 | |
1990m峰 | 9:30 |
2121m峰 | 10:05 |
10:23 | |
ニードル基部 | 12:35 |
ドーム頂上 | 14:00 |
ドーム・マッチ箱コル 2350m | 14:25 |
20:30就寝 |
4:40起床。夜の間は池ノ谷側から強い風が吹き、テントがひしゃげた。ちょうど池ノ谷側で寝ていた私は少し寒かった。夜中、外に置いた鍋のふたが飛ばされていないか不安になったが、朝起きるとふたはちゃんと置いてあった。
天気はガス&みぞれ。視界30mほどの濃い霧である。外に出てもルートが分からないため、しばらく待機。その間に2人パーティーが私たちを追い越していった。ちょうど私たちの誰かのう○こトレースをたどったためにう○こを踏みそうになってしまったらしい。一人が声を上げていた。出発できる段になってフライを片付けて待機するが、ガスもみぞれも止まない。それどころかみぞれが水っぽく、テント本体にしみ込み、足下に水たまりができてしまった。しかたなくまたフライシートを張る。
9:00になってようやくガスがとれてきたので出発。昨日登った1990m峰までのトレースをたどる。それでも1990m峰付近はガスに覆われており、視界は狭い。ここからは狭くなった尾根を登る。ところどころ笹とかん木が出ている。
4/27 2121m峰へ登る。 |
4/27 2121m峰からの下り。 |
やがて2121m峰。先行する2人パーティーが休んでいた。曰く、ルートが分からないと。確かに2121m峰は周りより高く、尾根がどちらか分からない。一見尾根に見える方はすぐ西仙人谷に落ち込んでいる。正解ルートは急に落ち込んでいてガスのため先が見えない。私たちも休みを取り、その間Kさんが北の尾根に見える方を踏査し、そちらでないことを確認して、正解ルートへ出発した。私たちより若干早く2人パーティーが先行し、急な雪の斜面を下る。
鞍部から大きな雪壁を登る。2人パーティーはザイルを出さずに取り付いていた。上部は雪がかぶっていて登れず、左へトラバースしていた。私たちはザイルを出し、Kさんリードで取り付いた。壁はあまりに急で、少しうつむくと鼻の頭が雪面にくっつきそうだ。ビビりながらも無事トラバースし、直上して尾根に出た。
4/27 2121m峰先の鞍部から大きな雪壁を登る。 |
4/27 雪屁の切れ目みたいなところを左から巻いて登る。 |
樹林帯の斜面をしばらく登り、また雪の斜面に出る。上部が雪屁の切れ目みたいに垂直に切れており直登できない。2人パーティーは右の若干傾斜が緩いところを登り、私たちは左から雪屁の割れ目を使って雪面に上がった。
尾根を登る途中、平坦なところで2人パーティーを追い越す。右から来る尾根を合わせるとニードルの登り。右からぐるりと巻くように尾根をたどり、ニードルの池ノ谷側を巻く。ガスが薄くなる瞬間、名の通り鋭い尖塔が見えた。ザイルを出し、私がビレイ、ラストで登る。いきなり急だが、見かけほど難しくはなかった。ニードル基部にたどり着くが、肝心のニードルはガスか岩に隠れて見えなかった。なおニードルは地形図上では2320m付近のようだ。
4/27 ぼやけたニードルの影。 |
4/27 ニードルとドームの間の鞍部への下降。 |
ニードル基部からドームとの鞍部へ2ピッチ懸垂下降。斜めにトラバースするように下りる。鋸岳の大ギャップのように深く切れ込んだ鞍部である。ときどきガスの切れ間に見えるドームの登りがまた急である。
4/27 ドームの登り。 |
4/27 ドーム頂上付近。 |
ドームは名前の通り、登りはじめが急で、上部は丸くなっている。急な尾根を息を切らしながらコンテで直登し、ドーム頂上へ。ドーム頂上は平らでガスに覆われているので雪原にいるかのような錯覚に陥る。ドームから降りていき、ドーム・マッチ箱のコルでいい時間なので幕営する。
幕営するために整地していると2人パーティーに追いつかれる。2人パーティーは雪の続いている右の斜面を登るようだ。整地が済むとKさんが私を連れて明日のルート工作のためにザイルをフィックスしに先へ向かうという。しかし、登れそうな右の雪面はすでに2人パーティーが登っている。
そこでKさんが選んだのは正面の壁だった。パッと見ると岩場ばかりで登れそうにない。これは登れるのか?今日空身で登れても、明日ザックを背負って登れるのか?疑問に思いながらKさんについていく。ルートには残置ザイルがあり、少なくとも無雪期はここがルートのようだ。ところどころ残置ザイルに頼りながら登る。1ピッチ登ったところで私がビレイヤーになり、Kさんが2本目のザイルをフィックスしに向かう。Kさんは私のすぐ隣の雪の斜面を直上して見えなくなってしまった。見えなくなってしまい、しばらくしてからなかなかザイルが伸びない。難しいところがあるのだろうか。待っている間池ノ谷側からの風が寒く、もう一枚防寒着を着ておけばよかったと後悔した。
4/27 ドームとマッチ箱の間のコルに下る。 |
4/27 ドームとマッチ箱の間のコルに幕営。 |
30分ほどビレイ点で待っているとKさんが戻ってきた。一か所、難しいところがあるとのこと。Kさんにそんなこと言われると不安が倍増する。そんな思いとともに懸垂下降しながらテントに戻る。戻る間に浮き石を踏んでしまい、落石を起こす。すぐ下にテントがあるので「ラーク、ラーク」と叫ぶが、どうなったかはガスで見えない。テントにたどり着いてみると見事にフライと本体に長さ30cmほどの穴が空いていた。落石はすぐ隣のクレバスにWさんが捨てており、見ると拳2つ分くらいの石が落ちていた。幸いけが人はいなかった。
リペアシートと裁縫道具を用い、Hさんと私でテントと本体を縫い合わせる。北鎌尾根ではポール落とすし、凍傷になるし、何かしらやらかしてしまって申し訳ないやら恥ずかしいやらである。幸いまだ明るいため暗くなる前に縫い合わせることができた。
夜になる前、外を見ると池ノ谷側のガスが晴れ、谷から登ってきた風がドームの雪を巻き上げていた。その先は雲がなく、薄紅色に染まっている。どうやら山だけが天気が悪いようだ。また明日の好天を祈って就寝。