山ノ中ニ有リ>山行記録一覧>2007年山行一覧>奥多摩・御岳山
2006年夏に穂高岳、同年秋に尾瀬に、千葉高山岳部の同期の馬渡さん、高橋さん、高橋さんの友人の山田さんと行った。それをやはり同期の産形さんや1つ下の吉田君に伝えたところ、「私も連れて行ってほしい」と参加希望を返してきた。確かに、馬渡さん達と一緒に行って産形さん、吉田君を誘わないというのは不公平であるので、次回はできるだけ多くの人に声をかけようと考えた。そこでこの3月に千葉高山岳部OBをできるだけ集めて山行を計画しようと考えた。3月を選んだのは2つ理由がある。雪がなくなり山へ行きやすくなる点と、異動が多く計画書を作成する際に新所属および連絡先を知ることができるためである。
場所には奥多摩を選んだ。千葉に住んでいても東京に住んでいてもアプローチが容易であるためである。高校を卒業してしまうと千葉を離れてしまう人が多く、住所がみなバラバラなので各人の移動距離の総和が最小となる山を想定すると奥多摩になった。
登山コースは短いものを選んだ。各人の体力がバラバラな上、足並みが揃ったメンバーでも人数が多いと隊のスピードが落ちるためである。ただせっかくたくさん集まったので、山の上で豚汁を作ることにした。
日帰り |
2007年3月24日(土) くもり |
JR青梅線御嶽駅…ケーブル下バス停…御岳神社…日の出山…日の出つるつる温泉=武蔵五日市
JR青梅線御嶽駅 | 8:59 |
9:14 | |
ケーブル下バス停 | 10:00 |
御岳神社 | 11:00 |
11:25 | |
日の出山 | 12:00 |
13:25 | |
日の出 つるつる温泉 | 14:30 |
16:10 |
前日25:30まで豚汁の材料を調えるのとおにぎりを作っていたため、朝6時に起きると眠い。朝ご飯を食べて6:30出発。7時に新宿に着く。ホリデー快速おくたま号が発車する9番線に上がる。7:30先頭車両付近に集合と言っていたのでまだ誰もいない。と、ホームで場所を確認するとおくたま号とあきかわ号の順序が変わっている。3週間前、奥多摩・浅間尾根に行った時はおくたま号が先頭だったのに、今日はあきかわ号が先頭である。おかげで集合場所を変更しなければならなくなった。どうやら3月18日のダイヤ改正で両列車の順序が入れ替わったようだ。
しかたがないので当初の集合場所であったホームの先頭車両付近で待つ。ちょっとトイレに行き、戻ってくると藤井先生がいた。子供連れで私を少し覗き込んで確認し、話しかけた。あとで聞くと私の顔が少し丸くなったから分からなかったと言っていた。集合場所の変更を告げ、ホームの真ん中あたりに行ってもらう。続いて西槙君が来たので彼と少し話す。山田さん、菅井先生、産形さん、佐々木君と続々と来るので、一人一人に集合場所が変わったことを話す。
7:40ごろ先頭付近で誤って列車に乗っている人がいないかどうかを確認し、遅くなった有村先輩と合流してホーム中程に移動した。結局、計画した13人のうち、3人が欠席、1人(藤井先生の子供)が計画外の出席で計11人の山行になった。
全員ホリデー快速に乗り込み、各自歓談。私は菅井先生と話す。菅井先生は現在、非常勤の高校の先生をしているそうだ。
JR青梅線御嶽駅に着いて簡単なミーティング。1列で歩く必要はなく、3,4人の小グループで歩いてほしい、地図のない人にエアリアマップのコピーの配布、日の出山で豚汁の用意があるなど。
御嶽駅を出て各自トイレに寄り、出発。すぐ多摩川に架かる橋を渡る。多摩川ではカヌーしている人たちがいた。この寒いのに、と思ったが、ヨットの経験がある藤井先生に聞くと「ドライスーツ着ているんだろう」と言われ納得する。
3/24 ケーブル下から表参道の車道を登る。 |
3/24 途中でケーブルカーをくぐる。 |
途中から大沢川の道に入り、ケーブル下に着く。途中でバスが追い抜いて行った。ケーブル下で体温調整のためにザックを下ろして各自服を脱ぐが、菅井先生は勝手に先へ行ってしまった。この大沢川の道が御岳山の表参道だが、私はこの道は初めてだ。ずっと舗装された道だが思いのほか傾斜は急だ。ジグザグの途中でケーブル軌道をくぐる。これでケーブル下から御岳山の集落までで半分を越えたあたりである。見上げると青いケーブルカーがゆっくり登って行った。
御岳山の集落が近づいてきて下からクール宅急便の車が登ってきた。ところどころで切り返しながら器用に登って行く。そこからしばらくで御岳山の集落。7年ぶりに御岳山に来たが、よくこんな山上に集落を築けたものだと思う。職業柄、飲み水をどのように確保しているのか気になる。風呂を提供している宿もあるので下から圧力をかけて引いているのだろうか。集落の住所は「青梅市御岳山」であり、これはみんな驚いた。
3/24 御岳山の山上集落。 |
3/24 御岳神社に参拝する。 |
集落を抜けて隣接する御岳神社へ。階段を200段ほど登り、神社に着く。ここで一本。休むと寒いのでみんな上着を着る。菅井先生は(自称)カッパを着るが、これはカッパでない、と某Iスポーツ店員でもある有村先輩が指摘する。それを発端としてカッパ・非カッパ論争が繰り広げられる。それを端から見ていた私が一言、「定義の問題なんじゃ」、さらに隣に座っていた佐々木君が「むしろ定義『だけ』の問題だと思う」と突っ込んでいたが、当事者たちはそんなこと関係なく、「ゴアテックスは裏地が…通気性のある…」「使っているうちに裏地が取れちゃったんだよう」と(端から見て)不毛な議論を続けていた。
3/24 御岳山から日の出山へ向かう。 |
3/24 コーヒーをいただく有村先輩。 |
神社で25分休んでから出発。日の出山へ向かう。神社の階段を下り、人が2人並んで歩けるくらいの歩きやすい道を下って行く。ところどころ畑や墓地があり、ハイカーが入らないように看板があった。奥多摩のあちこちにある山上集落は狭い土地でよく耕作を行うものだといつも感心する。最低コルから日の出山に登る。階段もあってけっこう疲れる。
日の出山の直下に出るとそこにはトイレがあった。新しく、最近できたようだ。すぐ山頂に達し、休憩にする。山頂は予想通り人が多く、鍋を作る場所がない。屋根のあるベンチが一番よいのだが、そこには人がいる。しかたがないので少し平らなところでガスと鍋を置いて豚汁を作り始めた。鍋作りには年少の西槙君と原君の手を借りた。
3/24 鍋づくり部隊。左から中山、西槙、原。鍋は西槙君の提供。 |
3/24 元顧問陣。左から菅井先生、藤井先生。 |
鍋は4.5リットルも入れたので時間がかかる。その間、みんなで歓談していた。菅井先生は持ってきたガスでコーヒーを作ってくれ、有村先輩は佐々木君の着ている服、履いている靴が石井スポーツで買ったものであることを看破し、藤井ようすけ君は日の出山の標柱によじ上ってみんなから喝采を浴びていた。
鍋ができるまでは1時間かかってしまった。その分かみんなには好評であった。鍋を食べきって後片付けの後、つるつる温泉へと下る。下り道ははじめは急で階段が多い。菅井先生は下りにくい道だと言いながら下っていた。下り始めて少しで金比羅尾根との分かれ道に出る。金比羅尾根へは180度曲がるようなコース取りで、耐久レースの際、藤井先生は一度誤ってつるつる温泉へ少し下ったことがあったらしい。分岐からつるつる温泉への道へ入ると比較的歩きやすくなった。藤井先生から尋ねられた「めんどくさがり屋でもできるデジカメの写真の保存方法」について佐々木君と答えながら下って行く。
3/24 日の出山の標柱によじ上り拍手を受ける藤井ようすけ君。 |
3/24 日の出つるつる温泉近くに咲いていた紅梅。 |
車道に出てあとは道なりに下って行き、最後に少し横道に入ってつるつる温泉へ。日の出つるつる温泉についたのは14:30ごろだったので休憩含めて約5時間の山行であった。バスは15:10、16:10の2便が候補にあったのでここで解散とし、各自好きなバスで帰ることにする。私は有村先輩と風呂でのんびり話していたのだが、どうやらみんなに置いて行かれたようで16:10の便に乗ったら他に知っている人が誰もいなかった。ひょっとしたら15:10と16:10の間に臨時便が出たのかもしれぬ。
武蔵五日市駅についてからはビールを買い込み、ホリデー快速に乗って新宿へ戻った。
今回の山行の目的は登山が主というより、千葉高山岳部同窓会が主であると言ってもよい山行だったのでその目的は十分に達成できたと思う。このような山行を計画するのは初めてだったので鍋を作る時間などタイムスケジュールが心配であったが、ちょうどいい時間に下山でき、よかった。
何人かから「また呼んで」と言われたが、けっこう計画・調整が面倒だったので今はその気はない。でも山のつらさと同じで、計画の煩雑さを忘れた頃、また計画を立てるかもしれない。
(2007年3月25日記す)