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2006年冬 - 八ヶ岳・赤岳主稜


2006年12月10日(日)
場所
長野県茅野市/八ヶ岳
コース
12月9日
立川駅(集合)=美濃戸口(泊)
12月10日
美濃戸口…行者小屋…赤岳主稜…赤岳…文三郎道…行者小屋…美濃戸口
参加者
K、中山
天気
曇り
参考文献
06八ヶ岳赤岳主稜の地図

はじめに

 この赤岳主稜に行く2週間ほど前にKさんから誘われた。おそらく冬の合宿が北鎌尾根と決まり、私が経験不足なのを鑑みて計画してくれたのだと思う。少なくとも私はそう考え、雪山の経験が足りない(雪山は赤岳主稜の前の週に富士山に登った1回のみ)ことも自覚しているので、お誘いに乗ることにした。

 八ヶ岳は東京からのアプローチがよいこともあり、雪山の登攀対象として人気がある。その中でも赤岳は八ヶ岳の最高峰(2899m)であり、人気が高い。赤岳主稜は赤岳から北西に伸びる急峻な稜線であり、一般ルートではない。しかし、雪山を登る人の間では人気らしく、私たちのほかに少なくとも3パーティーが登っていた。

 私は八ヶ岳はほとんど登ったことがなく、2004年夏に阿弥陀南稜に登った1回だけである。なので八ヶ岳の地理には疎く、赤岳主稜と言われてもどこだかわからなかった。それが一般ルートかどうかも分からなかった。書籍も探してみたが、雪山のルート集のような本は少なく、バリエーションルートの載ったものは見つけられなかった。エアリアマップにも記述はない。そのため登る尾根がどこだか分からないような、まったく準備不足で臨んでしまった。

 結果としてかなり怖い思いをした。準備不足という点もあるが、アイゼンを履いての登高は初めてで何度も落ちるかと思った。北鎌尾根の前ステップとしては適当かもしれないが、雪山初心者の2回目の山としてはかなり厳しかった。その点で北鎌尾根もまだ不安である。

0日目

2006年12月9日(土)

立川駅(集合)=美濃戸口(泊)

 立川駅21:30集合。前日午後から職場の係の旅行で石和温泉に行く。夕方戻ってきてザックを背負い、また家を出て立川に向かった。係の行き先は温泉とはいえ、少々疲れてしまい、家を出るときはかなりやる気を失っていた。

 中央道を西へ向かい、諏訪南インターチェンジで高速道路を下りる。八ヶ岳ズームラインをたどり、美濃戸口の駐車場にテントを張って就寝した。美濃戸口についたのは23:45、就寝は0:10と遅かった。

1日目

2006年12月10日(日) くもり

美濃戸口…行者小屋…赤岳主稜…赤岳…文三郎道…行者小屋…美濃戸口=立川駅(解散)

コースタイム
美濃戸口4:25起床
5:28
美濃戸山荘6:15
6:26
行者小屋8:10
8:30
文三郎道・
赤岳主稜取付点
9:13
9:45
赤岳13:35
14:05
文三郎道・
赤岳主稜取付点
14:50
行者小屋15:05
15:20
美濃戸山荘16:20
16:35
美濃戸口17:11
17:20

 4:25起床。少し疲れていた上に睡眠時間が短かったからか、かなり深く眠っていた。あまりに気持ちよく眠っていたので起きたときは自分が山にいるということに驚いてしまった。インスタントラーメンに餅と卵を入れて朝食とする。テントをたたみ、5:28出発。

 今回は夜行日帰りであり赤岳を登るには強行日程である。水平距離は片道8kmほど、美濃戸口と赤岳の標高差は1400mほどと1泊2日でもおかしくない行程である。しかし日帰りなのでテントやシュラフなど宿泊に必要な装備は背負う必要はなかった。

 美濃戸口から車道をたどり車道終点の美濃戸山荘へ向かう。夜はあけておらず、ヘッドランプをつけて歩く。冬はあまり水を飲めないので朝にたらふく水を飲んだが、それが胃で落ち着かず気持ち悪い。それに4時間ほどしか寝ていないので眠い。そんな体の不調から吐きでもして帰らせてくださいとKさんに言おうかと思ったがさすがにかっこ悪いのでやめた。

 半分眠っているような状態で美濃戸山荘に到着。ここにも駐車場があるが、駐車料金が美濃戸口の500円に対してここでは1000円だそうだ。そもそも日曜日の朝とあって泊まりがけの登山客で駐車場は満杯であった。美濃戸山荘で薄明るくなってきたので、ヘッドランプを外し、ザックにしまう。

 車道終点の美濃戸山荘からは登山道が2方向に伸びている。1つは行者小屋に通じる南沢沿いの道、もう1つは赤岳鉱泉に通じる北沢沿いの道。ここでは行者小屋に向かうので南沢沿いの道をとった。前日は下界で雨だったため、登山道には雪が積もっておりトレースのない登山道をたどった。南沢にかかる2つの堰を左から乗り越し、南沢を2度渡って右岸を高く登るそのあたりから雪は増え、南沢は雪の下に隠れてしまった。積雪15cmほどの急な道を登る。やがて平らな白河原に出て左岸の樹林帯を歩く。登山道を下り、阿弥陀岳へ向かう足跡を見つけたが、これは阿弥陀北西稜を登る人の足跡であろうか。美濃戸山荘から1時間40分、さすがに一本とりたくなったころ行者小屋についた。

行者小屋
12/10 行者小屋にてハーネス等を装備する。
文三郎道
12/10 赤岳主稜取付きまで文三郎道を登る。

 行者小屋にはテントが10張りほどあり、赤岳かどこかに出発している人たちもいた。ここでカッパを着て手袋をはめ、スパッツとアイゼンを着けてハーネスを締めた。西の空には青空が見えるが、目指す赤岳も隣の阿弥陀岳も雲に隠れて見えない。天気がよければよかったのだが残念である。針葉樹林帯の道を赤岳へ向かう。木々は雪の重みでしなっており、いかにも冬の風景であった。先週登った富士山は木がほとんどなかったので、このような風景は見られなかった。

 阿弥陀岳・中岳のコルへの道を分け、文三郎道に入る。文三郎道は急な道でやがて鉄の網でできた階段になる。雪がかぶさっているので一部しか金網は見えないが、アイゼンが金網にはさまって歩きにくい。やがて赤岳主稜取付点。赤岳主稜はガスに覆われてよく見えないが、先行パーティーが向かっていくところを見るとそこが赤岳主稜らしい。ここでザイルを出したり、ヘルメットを装備したりして準備。人が多そうなので途中で待つことが多いかもしれないと、何か一枚着るようにKさんに言われる。カッパの下にフリースを着ておく。その間に山岳ガイドらしき人と連れられた中年女性2人のパーティー、女リーダー+2,3人の男のパーティーが赤岳主稜に取り付いていた。一瞬、ガスが晴れる瞬間があり、そこには石灰岩より白く、美しくも厳しい岩山が見えた。まるで白い城壁を見ているようだ。そのとき、とてもじゃないが登れそうにない、と感じた。しかし、そのときに撮った写真からは13人の人間が赤岳主稜に取り付いているのが確認でき、人が登れるルートであるのもわかった。

赤岳主稜下部
12/10 赤岳主稜下部。人が多い。
赤岳主稜上部
12/10 赤岳主稜上部。

 私が自分のハーネスにダブルザイルの末端を着けるために、もたもたしている間にKさんはさっさとトラバースして赤岳主稜に取り付いていた。私も後を追ってトラバースする。ただ、あせるなとKさんに言われているので慎重にトラバースした。取付点にたどりつくと1ピッチ目を先行パーティーが登っていた。その後ろについてセルフビレイをとる。その間別パーティーが右側のルンゼから1ピッチ目をカットして登っていた。彼らは慣れているのかそのルートを「バイパス」と呼んでいた。

 先行パーティーが1ピッチ目を登って私たちの番になる。私たちのパーティーは経験の差からKさんがリード、私がビレイが基本である。1ピッチ目もKさんがリード。Kさんはチョックストーンのある岩壁を登っていき、やがて右に曲がって岩陰に隠れてしまった。やがて「ビレイ解除」という声が聞こえ、私の番。セルフビレイを解除して登る。登れるのかあやしいがとにかく取り付く。沢登りと違って岩に雪が積もっており、ホールド・スタンスが雪に埋まっているように見える。そのためどこに手足をかければいいのか分からず登るのに困る。どうやって登ったかよくわからないが、なんとか登り、右に曲がる。曲がった先は雪の斜面になっており、足を蹴り込みながら登る。その先にはKさんが岩角に支点をとってビレイをしていた。そこまでたどりついて礼を言う。

1ピッチ目
12/10 1ピッチ目。凹部を乗り越える。
1ピッチ目
12/10 1ピッチ目上でビレイするKさん。

 そこから少し右上に移動して2ピッチ目の下。先行パーティーが2人待っている。先行パーティーが登るのを待って私たちの番。先行パーティーは岩壁を直接登っていったが、Kさんは岩角を左側から巻いていった。私が登るときもKさんのルートに沿っていった。その少し上でピッチをきる。

 その先は傾斜の緩い雪稜なので私が先行する。3ピッチ目になるのだろうか。高さ5mほどの岩壁にぶつかったところでストップ。Kさんからちゃんと「ビレイ解除」とか声出しするよう言われる。ビレイをとってKさんに岩壁を登ってもらう。これが4ピッチ目。岩壁を越えた先はまた単調な雪稜なので私が先行、5ピッチ目。途中で左側の木に支点をとる。右へ右へと移動して6ピッチ目の下。

何ピッチ目か
12/10 何ピッチ目かの登攀。
筆者
12/10 いっぱいいっぱいの筆者。6ピッチ目を登る先行パーティーを待っている間。

 6ピッチ目の下には先行パーティーが2人待っていた。すでに誰かがトップで登っているらしい。Kさんと私も2人で待つ。その間に一瞬南側のガスが切れて中岳が見えた。中岳は白い雪で覆われており、雪山らしい姿であった。待っている間、Kさんはあまりの眠さにうずくまって寝てしまった。待っている間、少し寒かったが風は弱く富士山ほどではなかった。

 6ピッチ目に取りかかる。この6ピッチ目が赤岳主稜の核心部であった。ほぼ垂直で上に岩がはさまっている。先行パーティーも乗り越えるのに苦労していたが、Kさんも乗り越えるときに「あ、これ、難しいわ」と言い捨てて登っていった。そんなこと言われたら登れないんだけど、と不安になる。ザイルがほぼいっぱいになるがKさんの声が聞こえない。しかたがないので上でビレイをとったと判断し、私も登る。いきなり難しいところ。どうやって登るか考えたが、両足を広げて岩の上にピッケルのピックを打ち込み、岩を抱えるようにして乗り越えた。ここは冷や汗をかいた。

6ピッチ目
12/10 6ピッチ目を先行するパーティーのビレイヤー。
登りきった
12/10 赤岳主稜を登りきったあたり。

 その上でランニングビレイが2本、ザイルを伝って落ちてきた。どうやら岩角にかけたシュリンゲが外れたらしい。この先も難しいようだ。そこからトラバース気味に左壁に沿って登り、右のルンゼに移る。このルンゼも6ピッチ目の難しいところ。取り付いて2mほど登ってホールドが見つからず行き詰まる。登れないかと思ったが、そこは火事場のバカぢからでなんとかなった。あとは逃げるようにルンゼを登り、6ピッチ目を終えた。

 核心部を抜けてここからは比較的容易である。7ピッチ目は私が先行する。緩い斜面を登っていき、岩に挟まれたところで支点を見つけ、ビレイをとって登った。その上に残置ビレイがあったのでそこでピッチを切る。ビレイをとろうともたもたしているうちにKさんが登ってきてしまった。そのままKさんが先行。8ピッチ目。大して難しくない岩壁を登る。

 その先は緩やかな雪稜が続いていた。このあたりが赤岳と横岳の間の稜線だろうか。雪稜をゆっくり登っていくと看板が見えた。それは赤岳頂上小屋のそばの方向指示板であった。そこをすぎて赤岳頂上小屋の陰で休む。赤岳主稜の登攀終了。かかった時間は待ち時間含めて約4時間であった。テルモスのお茶を飲み、ダブルザイルの一本を解除してザックにしまう。少し休んで出発。

エビのしっぽみたいな看板
12/10 エビのしっぽみたいな看板と奥に赤岳頂上宿舎。
赤岳頂上
12/10 赤岳頂上で記念撮影。

 下りは文三郎道を下る。赤岳頂上で写真を撮って行者小屋に下る。ガスが出ていて道が分からない。Kさんに指示されながら文三郎道を下る。急な斜面では雪が少なく、巻き上がった雪が前の人の足跡を消してしまうので道が分かりにくい。ところどころについている鎖をたどって下る。私の下り方が危なっかしいのでKさんから鎖にランニングビレイをとりながら下るよう言われる。50mくらいの間隔で、と言われたが、10mくらいの間隔で、と聞こえてしまったのでランニングビレイをとってすぐまた次のビレイを取ろうとしたら諭された。そうこうしているうちにメガネがくもり、歩きにくくなったのでKさんが先を歩くことにする。

 幸いそこからは傾斜が緩やかになり、歩きやすい。それでもだんだんとKさんとの間は離れてしまった。赤岳主稜取付点付近でザイルを解除。Kさんがザイルを回収してさっさと下る。そのあたりになるとガスもなくなり傾斜も緩やかになって安心して歩けるようになる。Kさんはさっさと先に下ってしまい、私は遅れて行者小屋についた。

 行者小屋でギアを解除し、美濃戸口へと下る。すでにテント村は1張りほどしか残っておらず、みんな下ってしまったようだ。残念ながら振り返っても赤岳はその姿を見せなかった。結局下山まで赤岳を遠望することはなかった。何人かを追い抜きながら美濃戸山荘に下る。美濃戸山荘に下りつくと阿弥陀岳が残照に照らされ赤く色づいていた。その背景は青空でどうやら晴れたようだ。登っている間はずっとガスだったので展望はなく残念である。

 車を置いた美濃戸口に戻る頃にはすっかり日は暮れ、真っ暗であった。帰りは温泉に入って中央道をたどり、立川で解散した。温泉は17時以降300円と非常に安かった。

おわりに

 この前の週の富士山でも感じたが、登るのに必死で能力的にいっぱいいっぱいであった。同じ気象条件、同じメンバーでももう一度登れるかどうか分からない。それでも北鎌尾根のトレーニングにはなっていると思うし、そのくらいのことを行わないと準備にならないと思うので仕方ない。

 雪山は経験が少ないこともあって、今回は事前の調べが足りなかった。もう少し雪山のルートを勉強しようと思う。

(2006年12月11日〜12日記す)


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