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2006年秋 - 北アルプス・槍ヶ岳東鎌尾根[3/3]


2006年11月3日(金)〜5日(日)
場所
長野県松本市(旧・南安曇郡安曇村)、安曇野市(旧・南安曇郡穂高町)
コース
11月2日
新宿=(特急あずさ35号)=松本=沢渡(泊)
11月3日
沢渡=上高地バスターミナル…明神…徳沢…横尾…槍沢ロッジ…槍岳山荘(泊)
11月4日
槍岳山荘…槍ヶ岳…槍ヶ岳山荘…水俣乗越…西岳…大天井岳…燕山荘(泊)
11月5日
燕山荘…燕岳…燕山荘…合戦小屋…中房温泉=有明=松本=小淵沢=高尾(解散)
参加者
L.Kさん、Kさん、H光代さん
天気
3,4,5日とも晴れ
参考文献
06北アルプス・槍ヶ岳の地図

3日目

2006年11月5日(日) 晴れ

燕山荘…燕岳…燕山荘…合戦小屋…中房温泉=有明=松本=小淵沢=高尾(解散)

コースタイム
燕山荘4:40起床
6:55
燕岳715
7:53
燕山荘8:15
8:19
合戦小屋8:51
9:10
中房温泉10:32
11:20
JR大糸線
有明駅
12:00
12:03

 最終日の今日の行程は短い。燕岳を空身で往復してから中房温泉に下るだけである。行動時間は4時間くらいである。

 この日も前2日同様天気がよく、槍ヶ岳がよく見えた。出発前に燕山荘のトイレによって外に出てからその景色に心を奪われた。槍ヶ岳はずっと遠く、北鎌尾根は朝日を受けて明るくなっている。北側には燕岳があり、槍ヶ岳に比べてだいぶ近い。すぐ登れそうだ。なおトイレは紙もあり、水洗であった。燕岳は花崗岩の山でザラザラのもろい岩でできている。

 荷物をまとめてから燕岳を往復する。南アルプスの甲斐駒ケ岳も花崗岩でできているので最近甲斐駒ケ岳に登っていないのに気がついた。最後の登りの直前で岩にできた孔を見つける。花崗岩はもろいから孔があくのだろうか。そういえば甲斐駒ケ岳の隣の鋸岳にも鹿窓という人間大の孔があった。

燕山荘
11/5 燕山荘へ行くKさん。奥に槍ヶ岳が見える。
燕岳へ往復
11/5 燕岳へ空身で往復。

 やや狭い燕岳の山頂に着く。狭いので看板と三角点が目立つ。私たちが着いたときには若者たち5,6人がいた。大学生かと思っていたら大町高校の山岳部だそうだ。顧問の先生もいた。ルートは前日合戦尾根から燕山荘、今日は燕岳を越えて東沢乗越から中房川を下るらしい。11月に3000m級の山に登るとは地元ながら強い高校生たちだ。それどころか私たちの足元を見て「やっぱりこの時期はプラスチックブーツかあ」と言っていたのでおそらく雪山もやるのだろう。少なくとも私が高校生のときは雪山をやっていなかったので、その頃の私はプラスチックブーツなどというものを知らなかった。

 燕岳からの展望は最高であった。高瀬川をはさんで槍ヶ岳から三俣蓮華岳、鷲羽岳、立山、剣岳が見えた。東側には山は分からないが、戸隠山、草津白根山、四阿山らしき山が見えた。文句なしの景色であった。

燕岳
11/5 燕岳山頂で記念撮影。
合戦小屋
11/5 合戦小屋。

 燕岳から道を戻る。燕山荘でザックを回収し、合戦尾根を下る。しばらくは稜線沿いの下りで正面に有明山を見ながらのなかなかいい景色である。合戦沢の頭からは樹林帯に入り、急な下りとなる。急な下りの途中で合戦小屋に出る。ここで一本。合戦小屋はすでに小屋じまいしていたがケーブル周辺で作業している人たちがいた。おそらく最後の荷物を中房温泉に下ろすのだろう。水はなかったがトイレはあった。

 中房温泉に下る。けっこう登ってくる人がいる。どうやら燕岳を日帰りで登る人が多いらしい。元気な子供連れもいた。急な道をえんえんと下って行き中房温泉に到着する。中房温泉周辺は葉っぱを落とした山の木と違ってまだ少し紅葉が残っていた。

 中房温泉に浸かってから下る。中房温泉は去年まで日帰り入浴をやっていなかったらしく、今年から登山口にある温泉で日帰り入浴ができるようになったらしい。1人700円払って温泉に入る。今年から営業をはじめただけあってきれいな温泉であった。しかもかけ流しで、水を注いで冷まさず空気にさらして冷ましているらしい。源泉そのままの成分ということである。山に登って入った温泉の数は多いが、源泉そのままのお湯に入ったのは初めてだと思う。満足する。

 中房温泉からはタクシーで下山。最寄りの有明駅へ向かう。助手席に座ったのでタクシーの運転手さんと少し話す。穂高岳は後に付けられた字でもともと「武尊」の字を当てていたそうだ。実際、安曇野市(旧・南安曇郡穂高町)にある神社は「武尊神社」である。武尊神社の奥宮が上高地の明神にあり、その奥に穂高岳があるということらしい。武尊神社のある穂高町には穂高駅があり、ときどき穂高岳に登る登山者が間違えて穂高駅にやってくるらしい。

 また安曇平に住んでいる人は西の方から来た人間らしいことを教えてくれた。その理由として以下の2つを挙げてくれた。

  1. 有明山という名前の山が安曇平にあり、九州にある有明海という名前と同じである。
  2. 上高地の明神池の武尊神社奥宮で行われる祭りは「御舟祭り」と呼ばれ、街にある武尊神社の山車は舟をかたどったものである。安曇平は海が遠く、湖もない。また安曇平周辺を見てもこのような習慣のあるところはないことから、安曇平に住む人は海のあるところから移動してきたのだと推測できる。

 なるほど、それならば「武尊」の名前もうなづける。「武尊」といえばヤマトタケルノミコトを指し、大和朝廷から東国へと遠征した人物の名前である。とすれば西国から来たヤマトタケルノミコトがその名を安曇平の神社と山に残して行ったのかもしれない。あるいはヤマトタケルノミコトがこの辺りを平定した後、移住してきた人が「武尊」の名や「有明」という地名をそこらにつけたのかもしれない。いずれ穂高岳と上州武尊山のつながりも調べてみたいものだ。

 幸い有明駅発12:03の列車にギリギリで間に合った。次の穂高駅では普通の乗客に混じって登山客もいくらかいた。松本で10分乗り換え。普通小淵沢行きに乗る。あとは小淵沢で普通高尾行きに乗り換えて高尾で解散した。

おわりに

 3回目にして晴れの槍ヶ岳山頂に登ることができて達成感はひとしおである。雪も少なくほとんど夏道と同じ感じで登ることができた。また夜も毛下着のおかげで温かく過ごせた。ただ燕山荘直前ではバテてしまったので体力をつけなければならないと思った。

(2006年11月5日〜8日記す)


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