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2006年秋 - 尾瀬・燧ヶ岳[1/2]


2006年10月14日(土)〜15日(日)
場所
群馬県利根郡片品村、福島県南会津郡桧枝岐村
コース
10月13日
新宿(前夜発)
10月14日
大清水…三平峠…長蔵小屋…燧ヶ岳…温泉小屋(泊)
10月15日
温泉小屋…三条ノ滝…温泉小屋…下田代十字路…山の鼻…鳩待峠=新宿(解散)
参加者
馬渡さん、高橋さん、山田さん
天気
14日くもり、15日晴れ
参考文献
06尾瀬・燧ヶ岳の地図

はじめに

 尾瀬は群馬・新潟・福島県にまたがる山域である。尾瀬ヶ原や尾瀬沼といった広い湿地帯が他の山域にない特徴的であり、また燧ヶ岳や至仏山といった2000mを越える山がある。平坦地が多いので登山客だけでなく観光客も多く、他の山域より人が多い。

 この尾瀬に行った千葉高山岳部OBの同期を中心とするパーティーは夏に奥穂高岳に行ったパーティーと同じメンバーである。前回は馬渡さんが計画したのだが、その山行が楽しかったので今度は私が計画を立てた。幸い、みんな忙しい中集まってくれ、また天気にも恵まれよい山行となった。

 ルートには尾瀬の主峰である燧ヶ岳と至仏山を含めようと考えた。初日は群馬県の大清水から入って尾瀬沼を半周して燧ヶ岳を登り、温泉小屋泊。2日目は尾瀬ケ原を抜けて鳩待峠に出て至仏山往復。しかしパーティーのペースと時間を考えて2日目は至仏山往復を諦め、代わりに温泉小屋から三条の滝を往復した。なお燧ヶ岳と至仏山を結ぶ道から離れている温泉小屋を選んだのは単に「山で温泉に入りたかった」からである。ただこの判断が遠因となって燧ヶ岳の下りでは苦労した。

 天気に関して先週の奥日光・湯泉ヶ岳ではみぞれに降られたため、天気が心配であった。だが1日目はくもり、2日目は晴れと、雪雨に降られることもなく風に吹かれることもなく運がよかった。

0日目

2006年10月13日(金)

新宿前夜発

 21:50に新宿に集合。尾瀬・大清水行きのバスの集合場所が都議会の下なので現地集合とする。前回の奥穂高岳のときの上高地行きバスと同じ出発地点だ。同じ出発地点なので誰も迷わず遅れないと思ったら山田さんが少し遅れてきてちょっと心配した。

 受付をすませてバスに乗車。3台のバスの1号車に乗車する。8割ほどの座席が埋まっていた。なおバスにはトラベルイン社のバスを用い、行きの新宿→大清水が4500円、帰りの鳩待峠→新宿が4000円であった。高坂PAで休憩した後、バスはなぜか高速道路を降りて一般道を走り、尾瀬の玄関口、戸倉へと向かった。

1日目

2006年10月14日(土) 晴れ

大清水…三平峠…長蔵小屋…燧ヶ岳…温泉小屋(泊)

コースタイム
大清水4:55
5:25
一ノ瀬休憩所6:17
6:29
三平峠7:35
尾瀬沼山荘7:50
8:10
長蔵小屋8:41
8:44
長英新道
1730m付近
9:31
9:53
長英新道
2000m付近
10:52
11:11
ミノブチ岳12:00
12:10
燧ヶ岳・俎嵓12:40
12:45
燧ヶ岳・柴安嵓13:08
13:48
温泉小屋道1900m付近15:30
15:37
温泉小屋
1270m付近
17:08
21:00就寝

 起きると戸倉。外は真っ暗だが鳩待峠へ向かう人は別のバスに乗り換えていた。乗り換え先のバスが来ていないのか鳩待峠へ向かう人たちはいったんバスを降りてまた乗ってきて降りて行った。

 戸倉からしばらくで大清水。依然として外は暗い。各自水を汲んだり、着替えたり、朝ご飯を食べたりする。トイレはチップ式。外はまだ寒く、バス停横の休憩所は開いていたのでバスを降りた人が何人かそこで夜明けを待っていた。5:30にはヘッドランプがいらないほど明るくなってきたので車止めゲートを越えて歩き出す。歩き始めてすぐ中ノ岐川沿いの奥鬼怒林道を分ける。 木々の葉はすでに色づいており、尾瀬に入る前から美しい紅葉を楽しむ。馬渡さんが「林のいいにおいがする」と主張するが、私には分からない。なんでも甘い香りらしい。前方を歩く集団が「それがヤマブドウだよ」などと話していることから「いいにおいの原因=ヤマブドウ」かもしれないことになる。においが分からない私にはなんだかよく分からない。のちに山田さんが果物や実のかおりではなく何だったかの木そのもののにおいではないかと主張していたが、何の木だったか覚えていない。私はあんまり興味がないから覚えられないし、においにも気がつかないのだろう。

 やがて一ノ瀬休憩所に着く。休憩所は店を兼ねていて普段ものを売っているようだが、まだ朝早いからかシーズン終わりだからか店はまだ開いていなかった。休んでいると次々と人がやってくる。

 一ノ瀬休憩所から歩き始め三平橋で片品川を渡る。ここまでたどってきた車道は橋を渡ってすぐ車が通れないくらいに廃道化しており、しかもゲートがある。登山道は橋のたもとのすぐ左にあり、自由にとれる地図が置いてある。はじめから木道が整備されており、尾瀬に入る前から尾瀬らしい。しばらく冬路沢という小説にでも出てきそうな名前の沢の左岸に沿って歩く。冬路沢には美しいナメ滝がかかっているが、沢登りの対象として登るには傾斜が強そうだ。

 途中で冬路沢を渡り、だんだん登りが急になる。しかし道には木道が敷いてあって登りやすい。アルペンガイドの地図では三平橋で分けた車道が途中で横切るはずだが、車道あるいは車道跡は見当たらない。ひとしきり登ると三平見晴台に着く。天気はあまりよくないので遠くの山は見えないが、冬路沢対岸の山の林は黄色に赤に染まっており十分展望台の意味をなしていた。

冬路沢沿いの道
10/14 冬路沢沿いの道を登る山田さん。
三平峠付近の木道
10/14 三平峠付近の木道。

 そこから少しの登りで尾根上に出る。峠に登っているはずなので尾根に出たら三平峠だと思っていたが、その尾根は三平峠付近から派生する冬路沢とナメ沢(「ナメ沢」という名前の沢)の間の支尾根であった。登りは続くが傾斜はそれまでに比べてずっと緩く、木道も続いているので歩きやすい。赤テープが地上3mほどの高いところにあってなんだか異様だが冬はそこまで雪が積もるのだろう。特に三平峠付近は平坦で下草もないので木道がないと道に迷う。

 三平峠にたどりつく。そこは鋭い稜線ではなく、森の中の平坦地である。果たしてここが最低鞍部なのかも分からない。「国立公園 尾瀬」という大きな看板がそれを示している。「尾瀬」の下に「三平峠」が小さく書かれている。ここにおく看板なら「尾瀬」より「三平峠」を大きくした方がいいと思った。もっと峠らしい峠を想像していたので、三平峠から尾瀬沼と燧ヶ岳が見えると思っていたのだが森の中なので尾瀬沼は見えない。

 急な階段状の木道を下る。滑りやすい。標高1190mの大清水から標高を上げて三平峠で1750m。下に比べてだいぶ寒い。山田さんは腕が寒いといってチェックのシャツを前後ろに着ていた。下り着いて尾瀬沼山荘の建つ三平下。広場に出る直前に入山者カウンターがあり、カウンターに数えられないように走って抜けたらこけた。思いのほか痛かったが十分歩ける程度であった。

 休憩所の前のベンチで休む。休むと寒さはいっそう増すがTシャツ2枚の重ね着で何とかなるくらいである。休んでいるとすばしっこい小動物がうろちょろとしていた。小屋の前でいったん停まったようすを見ると胴が長いのでオコジョか何かであろう。

 尾瀬沼南岸の三平下から尾瀬沼を1/3ほど反時計回りに回る。三平下からは人が多い。みんな東武鉄道の「尾瀬夜行23:55」バッジを付けているところを沼山峠から入山したらしい。みんなバッジを付けていたが尾瀬の小屋で何か優待でもあるのだろうか。登山客は少なく観光客が多い。残念ながら尾瀬沼の対岸に見えるはずの燧ヶ岳は雲の中に隠れていてその形や高さは分からない。

 三平下からすぐ早稲沢。木道の下は湿地帯になっていて、木道から滑り落ちないように気をつけながら歩く。開けたところは黄色く色づいた草が生えており、美しい。馬渡さんは研究室で近く結婚するカップルにメッセージを書いた紙を持ってきており、黄色の草原を背景に写真を撮っていた。何とも手の込んだメッセージだ。

 尾瀬沼東岸に近づき道は2つに分かれる。よく分からないが沼沿いに歩いて行けば燧ヶ岳の登山口に着くので左の沼に近い道をとる。すぐまた湿原に出る。これも黄色一色で美しい。湿原の向こうには木々の間から長蔵小屋が見えた。

早稲沢付近の湿地帯
10/14 早稲沢付近の湿地帯。
大江湿原
10/14 大江湿原。少し登って振り返る。

 尾瀬沼東岸で一本とる。長蔵小屋は黒い木造でその外見は昔の小学校のようである。色が黒いので誰かがチョコレートみたいと言っていた。なかなか面白いたとえだ。ここでトイレに寄ってから外に出ると日がさし始めた。天気は快方に向かうようだ。

 尾瀬沼東岸からしばらく出ると大江湿原。その手前では木道の再敷設を行っていた。観光客のために土曜におつかれさまである。大江湿原は私の母がその絵を描いて家に飾っていたのでどのようなところか気になっていたが、黄色い草が一面に広がる美しいところであった。母の絵は夏の風景であり、今回私が訪れたのは秋であり景色はだいぶ違っていたが、美しいという点では変わらなかった。高橋さんがゴルフ場みたいと表現していた。ゴルフ場は人工的に作られているが、大江湿原は自然にできたものである。しかし、ゴルフ場は美しいとは感じられない。この違いは何なのであろう。

 大江湿原の真ん中を流れる川には体長10cmほどの黒い魚が50匹ほど群がっていて、人も橋の上に群がっていた。橋を渡るとそこには島のように2mほど盛り上がったところがあった。この島が平坦な大江湿原にアクセントを加えている。でも沖積平野の真ん中みたいなところに、なんでこんな島ができたのだろう。

 大江湿原を離れて森の中を歩く。すぐ浅湖湿原に出る。ここも大江湿原より小さいが黄色い草が一面に広がっておりここもきれいである。浅湖湿原の手前に燧ヶ岳へ登る長英新道が分かれており、ここから燧ヶ岳に登る。長英新道の入口には「ここから先は登山の領域なので、装備を整えずに登らないこと。また午前9時以降に登らないこと」という趣旨の看板が立てられていた。このときはまだ朝9:05。9時を過ぎているが最近の日の入りの17:30までまだ8時間半もある。時間のことはまったく検討せずに燧ヶ岳の登りに取りかかることにする。このときはまさか17時過ぎまで行動するとは思わなかった。

長英新道分岐
10/14 長英新道分岐。
長英新道下部
10/14 長英新道下部。樹林帯で倒木をくぐる。

 長英新道は30分ほど平坦な道を行く。ドロドロになったところもあり、そういうところでは道は広がっている。下草もあまりないのでガスになったり日が暮れたら道に迷いそうだ。倒木も多く、またいだりくぐったりする。大きな倒木にはコケが生え、草や小さな木の芽が生え始めていた。馬渡さん曰く、これは「倒木更新」というらしい。農学を勉強した人は山の中で強い。

 適当なところで一本とる。一本とっている間に下ってきた人がいた。9:30頃だったので朝5時頃小屋を出たのだろうか。何にしろ早い人だ。その後、足元が砂質土になると道は標高をあげていく。道はえぐれていて歩きにくい。左右の笹をつかみながら階段状の地形を乗り越す。やがて道は尾根らしくなってくると傾斜も増し、日差しも強くなってきた。登っていると下ってくる人が多い。みんなナップザック程度の荷物なので動きは軽快だ。やはり尾瀬に来るには小屋泊まり2食付きがよいのだろうか。にしてもあの中に水やカッパが入っているとしたらなかなかパッキングがうまいと言えよう。

長英新道中腹
10/14 長英新道中腹。笹の中の道。
尾瀬沼
10/14 休憩したところから尾瀬沼が見えた。

 左側に斜めにトラバースしながら登るようになって尾瀬沼の見える休み場を見つける。ここで一本。浅湖湿原がずいぶん遠い。尾瀬沼を囲む山の向こうは大気境界層上の積雲がもくもくと覆っていた。見えるはずの日光連山はその積雲の向こうである。

 しばらく雨水で削れた登りにくい道が続く。やがて標高2010m付近の湿地帯。地形図上では湿地帯だが、実際には干上がっていて笹と赤い灌木の緩傾斜の尾根になっていた。それでも一カ所細い水の流れはあった。ただ飲用できるほど水量はなかった。おそらく尾瀬沼北岸に流れるオンダシ沢の源頭であろう。木々の間から見える俎嵓はまだ遠い。このあたりで山田さんが足を痛めた。

 さらにミノブチ岳へ登る。急で滑りやすい土の斜面を登ってミノブチ岳。ミノブチ岳山頂は広く、真ん中に大きなケルンがある。南側は尾瀬沼の眺めが良い。ここへきてやっと広い休めるところだ。俎嵓は目前だが、ここで一本とる。時刻は12:00。

標高2010m付近の湿地帯
10/14 標高2010m付近の湿地帯。実際には干上がっていて笹と赤い灌木が生えている。
ミノブチ岳
10/14 ミノブチ岳から俎嵓を見上げる。

 ミノブチ岳から見る俎嵓はときどきガスがかかり、山頂からの展望は望めなさそうだ。俎嵓はハイマツやシャクナゲ、幹の白い木、白いハゲ部分などいろんな表面があり、上州武尊山の川場剣ケ峰のようだ。ミノブチ岳で休んだので次は俎嵓を通過して柴安嵓の山頂で一本をとることにする。

 比較的水平な道を行き沼尻からの道と合流する。俎嵓の登りはなかなか急で時間がかかる。登り道に転がっている大きな岩には縞模様が見え、堆積岩のようにみえる。しかし、俎嵓の南は火口のようになっており燧ヶ岳は火山のようでもある。どちらだろうかと考えながら登るが、結局尾瀬ケ原にあった看板から燧ヶ岳は火山であることが分かった。火山の形式としては燧ヶ岳の東側がトロイデ、西側がコニーデらしい。火山でも縞模様の岩ができるということだ。どうやって縞模様ができたのだろうか。

 ミノブチ岳から急な道を登ること30分。俎嵓に登り着いた。俎嵓山頂は巨岩が積み重なったところで日本アルプスに多くありそうな山頂である(例えば立山)。山頂はガスっており、北側に少し眺めがある。ところどころ紅葉や針葉樹の緑のじゅうたんが広がっているのが見えた。残念ながら尾瀬沼や尾瀬ケ原、至仏山は見えない。山頂で記念撮影して隣の柴安嵓へ出発。

 俎嵓から50m下って60m登る。下りも登りも急だ。しかし鞍部は平坦で湿地帯に木道が敷いてある。柴安嵓へ登りかえす時まで柴安嵓より俎嵓の方が高いと思っていたが、地形図を見たら柴安嵓の方が10m高いことが分かった。それを後続に伝えようとしたら息が切れてしまって「柴安嵓が俎嵓より10m高い」が「柴安嵓がまないた10mだけ高い」と伝わってしまった。私の家のまないたは10mもの厚さはありません。2cmくらいのごく一般的なまな板です。

柴安嵓〜俎嵓の鞍部
10/14 柴安嵓〜俎嵓の鞍部。
温泉小屋道の入口
10/14 温泉小屋道の入口。上級コース。道の悪さを予感してか高橋さんはうつむき加減。

 柴安嵓の山頂は俎嵓と同じ岩のゴロゴロした山頂で、少し東側によると比較的平坦な土の斜面があった。ここで長めに一本とる。ガスのため眺望はない。山頂には黒い墓石のような標があり「燧ヶ岳開山100周年記念」と書かれていた。建てたのは福島県の桧枝岐村でここではじめて福島県に来ていることに気づいた。この標で全員の集合写真を撮ってもらう。撮ってもらった中高年パーティーと話していたら、おにぎりを一ついただいた。手作りでなかなかおいしかった。私はこの山頂で持ってきたハーモニカを吹いたが、へたくそだったためか反響はあまりなかった。そのかわり持ってきた抹茶砂糖がけのせんべいは大変好評であった。

 燧ヶ岳から温泉小屋へ下る。温泉小屋へ下る道は2つあり、1つは直接温泉小屋へ下る温泉小屋道。もう1つは下田代十字路を経由する見晴新道。柴安嵓から10分ほど2つの道は同じである。分岐まで傾斜は急でけっこう時間がかかる。分岐には標が一つ立っており、下田代十字路へは中級コース、温泉小屋へは上級コースと書いてあった。温泉小屋へは早く着きたかったので、遠回りの下田代十字路経由を避け、温泉小屋道をとった。

 しかし、この温泉小屋道がくせ者であった。温泉小屋まで3時間、はじめは急でガレており、ところどころ笹に埋もれたトラバース、下部は小さな沢が登山道となっており、滑りやすい。この温泉小屋道、温泉小屋の受付の人は勧めておらず、下田代十字路経由の見晴新道を勧めているらしい。しかし、地形図はもちろんのこと、エアリアマップ(2006年版)、アルペンガイド(1994年版)にも一般登山道として載っており、登山者には何の問題もない道のように思える。実にこの温泉小屋道・見晴新道分岐の標の「上級コース」という文字だけが温泉小屋道の実情を正しく示しているに過ぎない。私が下った感じから言ってエアリアマップでは破線にしてもよいと思うし、アルペンガイドでも一般登山道としての紹介を避けてコースメモにでも載せた方がいいルートだと思った。蛇足だが、私の父が30年くらい前に下ったときも道がえぐれていて歩きにくかったらしい。

温泉小屋道の悪路その1、笹ヤブ
10/14 温泉小屋道の悪路その1、笹ヤブ。
温泉小屋道の悪路その2、涸れ沢
10/14 温泉小屋道の悪路その2、涸れ沢を下る。

 はじめはもともとガレている道なのか、道でないただのガレなのかよく分からない道を行く。歩くとガラガラと足元の石が落ちるので慎重に歩く。急な道で等高線に直角になるように道がつけられている。ガレははじめの20分ほどで安定した岩の下りとなる。しかし急傾斜は変わらない。急な下りの中に笹ヤブのかぶった道をトラバースが2回ある。足元が見えず滑りやすい。25,000分の1地形図に載っている原見岩は見つからなかった。

 道にはピンクのテープがところどころ付いているので迷うことはない。しかし、ピンクのテープがなければここが道なのかどうかかなり迷うような踏まれていない道であった。

 地形図によれば燧ヶ岳の西側は上ほど傾斜が急で下へ行くほど傾斜が緩やかになり裾野を広げている。なので下れば下るほど傾斜は緩やかになり、歩きやすくなるはずである。しかし感覚的には急な傾斜は傾きを維持したまま延々と続く。足場になる石は湿っていて滑りやすい。滑りやすいところは左右の笹をつかんで下る。慣れない山田さんの前に高橋さんが歩き、足を置く場所を指示する。

 時刻は15:30。16時くらいにはその日の宿泊地にたどり着くのが山の常識である。だが温泉小屋に着くのは17時頃になりそうである。あんまり遅いと小屋の人に心配されるので少しでも早く着きたい。そこで燧ヶ岳山頂から温泉小屋まで一本と言ったのだが、途中山田さんが足が痛そうだと最後尾の馬渡さんが伝えてきたので1900m付近で一本とることにする。

 ここまで先頭を歩いてきて後続を待つために立ち止まることが多かった私はいったん立て直しを図ろうと考えた。パーティーで最も遅いのは山田さんなので彼女の荷物をすべて持つことにする。幸い山田さんの荷物はもともと少なく、ザック自体も小さかったので私のザックにしがみつくように据え付けることができた。背負ってみると重くはないが、モーメントがかかる。

傾斜が緩くなってきた
10/14 温泉小屋道の傾斜が緩くなってきた。紅葉が美しい。
温泉小屋道の悪路その3、沢筋
10/14 温泉小屋道の悪路その3、沢筋を下る。

 歩き始めてしばらくで傾斜が緩くなってきた。左右も開けてくる。しかし依然として傾斜はありどこまでいけば平坦になるのか分からない。あるとき枝にぶら下がっているピンクのテープに数字が書いてあるのに気がつく。気がついたピンクのテープには「108」と書かれていた。次のテープは105くらいで数字は下るに従い小さくなっているようだ。ここまで何も看板もなく目立つマイルストーンもなかったのでこのテープを見つけてだいぶ気が楽になった。温泉小屋道はガイドブックでも後ろの方に出てくるおまけみたいな道なので、この数字が1になるところが温泉小屋道の端部、温泉小屋なのだろう。

 やがて道には水たまりがあちこちに現れた。水たまりは数を増し、つながり、そして流れ始めた。道はこの小沢沿い、というより小沢そのものが登山道となっていた。滑りやすく歩きにくい。私は2度こけた。他のみんなもそれぞれ滑っていたようだ。私は滑った際にポケットに入れていたカメラを壊してしまい、ディスプレイが映らなくなってしまった。でも撮影する機能は生きていたのでその後も写真を撮ることはできた。

 時刻は17時になる。依然として傾斜の変わらぬ斜面を下る。変わったのは流れる水量くらいだ。まだ明るいが季節は秋。18時には真っ暗になるはずだ。さすがに小屋に何か連絡せねばなるまいと携帯電話を取り出すが予想通り圏外で電話は使えない。ため息をつくと先に行ってもらった高橋さんが小屋が見えたという。「小屋が見えた」と言ってもずっと遠くに見えるならまだ1時間くらいかかるかもしれない。

 しかしその心配は杞憂に終わった。少し進むと黒い屋根の大きな小屋が100mほど先に見えた。あれに間違いない。最後に道は沢と分かれて只見川右岸の木道に出た。そこは今日の宿泊地、温泉小屋の前であった。小屋を見つけた喜びで最後のピンクテープの番号は覚えていない。結局温泉小屋道では下田代十字路との分岐から温泉小屋まで人に会うことはなかった。

 温泉小屋の受付で宿泊手続きする。風呂は19時まで、炊事は外で。ただし食べるだけなら受付前のタタキでもよい、とのことだった。晩飯食べていると風呂に入りそびれるので先に風呂に入った。風呂は内風呂、男女別。25℃の源泉をわかしているらしい。湯は鉄分を含んでおり、顔を洗うと鼻血を出したのかと勘違いした。疲労回復、筋肉痛に効くらしい。

 いつもなら風呂でゆっくりするのだが、この後に飯作りが控えているので早々に出て部屋で飯の支度を行った。30分ほどして女性軍が戻ってきたので外で炊事し、飯を食う。飯は山の定番、カレーライス。外はそこそこ寒かった。

 部屋に戻って21時就寝。部屋は北アルプスの営業小屋的な蚕棚を想像していたが、普通の旅館みたいな畳の部屋であった。しかも予約が入っていた男女2人組が来なかったので我々だけの部屋になった。寝る前にエアリアマップを見て明日の道を検討し、予定の至仏山を諦め、その代わり三条の滝を往復することにした。疲れていたのでさっさと寝る。


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