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2006年春 - 西上州・三国山〜大上峠[1/3]


2006年5月3日(水・祝)〜5日(金・祝)
場所
長野県南佐久郡川上村・南相木村・北相木村・佐久穂町・群馬県多野郡上野村・甘楽郡南牧村/西上州・佐久の山
コース
5月2日
新宿駅23:54発快速ムーンライト信州81号乗車(車内泊)
5月3日
小淵沢3:09下車(仮眠)6:11発車=(JR小海線)=6:55信濃川上駅7:05=(川上村営バス)=7:29梓山…新三国峠…三国山…蟻ケ峰…大蛇倉山…舟留(泊)
5月4日
舟留…石仏…弥次の平…赤火岳…ぶどう峠(泊)
5月5日
ぶどう峠…新三郎…十石峠…大仁田越…大上峠…臼石荘=(佐久穂町営バス)=羽黒下=(JR小海線)=佐久平=(長野新幹線)=上野駅
参加者
単独
天気
3日、4日、5日とも晴れ
06上信国境縦走(三国山〜大上峠)の地図

はじめに

 5月の連休はどこへ行っても人が多い。今年の読売新聞6日夕刊でも1面に立山・雷鳥沢のテント村の写真が載っていた。連休は多くの人が休みなのだからどこへ行っても人が集中するのは当たり前であり、山もその法則から逃れられない。

 一方で私は人込みが嫌いである。それは下界の満員列車でも山の鎖場の行列でも変わらない。何が嫌いって立ったまま待たされたり、人だらけの中で長時間過ごすのが嫌なのだ。

 そんな私は連休にジレンマに落ちいる。休みなので山に行きたい。しかし、山は人でいっぱいである。そんなジレンマを解消するのがヤブ山である。ヤブ山に登るにはつらいヤブ漕ぎが必要であり、多くの人はヤブ山を登ろうとしない。したがって連休中であってもヤブ山はすいているのだ。

 で、連休は私はヤブ山へ行くことにしている。関東近辺の2000m以下の山(上越国境除く)なら雪もないし、5月だと本業の沢登りも寒くて行けないのでちょうどいいのである。

 行くヤブ山は手あたりしだいというわけではなく、見当をつけている。それは県境縦走である。県境は多くの場合山の稜線であり、登山道のないヤブ山が多いからだ。別に人のいない山に登るのに県境である必要はないのだが、あっちこっちの県境を登って自分の歩いた区間を眺め、ニヤリと不気味にほほえむのがたまらない快楽だからである。具体的な県境には東京在住という点から関東各県の県境を想定している。

 今回は県境縦走のうちまだ歩いていない群馬・長野県境の三国山〜荒船山を歩くことにした。ただし、実際に実行したのはその2/3ほどの三国山〜大上峠である。敗退の理由は大上峠に水がなかった、靴擦れが痛いの2点である。

 この三国山〜大上峠の区間は山のガイドブックで示されるような一般ルートは一切ない(昭文社エアリアマップ「西上州 妙義山・荒船山」2005)。したがって当初の動機である人のいない山に行く点には問題がない。そして結論を言うと、行きのバスを降りてから帰りのバスに乗るまでの56時間、山で歩いている人に出会わなかった(車で移動する登山者除く)。この時間は自己新記録でもある。山ではあたりまえの「すれ違ったらあいさつ」をまったくしない山行になった。

 なお、参考文献として上野信弥「関東ぐるり一周山歩き」および日本山岳会中央分水嶺探査を用いた。

0日目

2006年5月2日(火)

新宿駅23:54発快速ムーンライト信州81号乗車(車内泊)

 2日夜。快速ムーンライト信州に乗るべく新宿へ。5番線ホームにつくと知っている顔が見られる。高校山岳部の先輩のAさんである。曰く大学の山岳部と一緒に北鎌尾根に行くとか。ひさしぶりの再会に発車までしばらくお話をする。さらに車内では発車してからやはり高校山岳部の後輩のN君と会った。彼も同様大学山岳部で白馬にいくそうだ。さすがに山男の列車とあって人は多かったが知っている人に2人も会うとは思わなかった。ちなみに私は自分の行く山について、あまりにマイナー過ぎてひどく説明に困ったことを加えておく。

1日目

2006年5月3日(水・祝)

小淵沢=(JR小海線)=信濃川上駅=(川上村営バス)=梓山バス停…三国峠…三国山…蟻ガ峰…大蛇倉山1962m峰…舟留…舟留西の平坦地

コースタイム
小淵沢3:09下車・仮眠
6:11発車
信濃川上駅6:55
7:05
梓山バス停7:27
7:35
三国峠9:55
10:07
三国山10:27
10:37
蟻が峰12:01
12:20
大蛇倉山13:30
13:57
船留15:03
船留西の平坦地15:14
18:10就寝

 3:09小淵沢駅下車。寝ている人はいない。駅前で水を汲んですぐシュラフひいて寝る。5:30ごろモソッと起きて小海線に乗り、信濃川上駅下車。梓山経由川端下行きバスは去年と違って混雑していた。見ていると梓山バス停で降りたのは私の他に1人、川端下へは7人ほどであった。梓山で降りたもう1人はバスを降りてすぐ出発してしまった。私は降りてからサンダルから山靴に履き替えるためにしばらく時間がかかったため、そのあと彼とは会っていない。小屋泊の荷物だったことから考えておそらく小屋のある十文字峠方面へ向かったのだろう。

 私は新三国峠へ向かう。今回のルートで梓山から三国山までは去年と同じルートだ。今回は5連休と時間がたくさんあるのでのんびり車道を登っていく。去年はショートカットした車道も危険を冒さず車道沿いに登っていった。二本木沢沿いの旧道は25,000分の1地形図に載っていてこちらの方が近いのだが、エアリアマップにはこの道がなく道は不詳である。県境稜線に着くまで冒険したくないので今回は避ける。そのうち登ってみたい道でもある。途中1540m付近の水場で水を汲み、9:55に新三国峠到着。三国峠にはライダーが数人いて、単独行の人と少し話し、写真を撮ってもらった。さすがにライダーだけあって三国峠同様車道が県境稜線を越えるぶどう峠、十石峠へ向かうといったら分かってくれた。たぶん、ここで「十石峠に行きます」と言われてそのルートを分かってくれる人は登山者よりもライダーの方が多いに違いない。

新三国峠。ライダーに写真を撮ってもらう
5/3 新三国峠。ライダーに写真を撮ってもらう
御巣鷹山を示す看板。しかし、道は御巣鷹山まで続かない。
5/3 御巣鷹山を示す看板。しかし、道は御巣鷹山まで続かない。

 新三国峠から三国山へ。トイレの右手から笹ヤブの中の道とは思えない道を行く。そしてとてもそこまで通じているとは思えない「←御巣鷹山」という看板。今回、御巣鷹山の近くを通るのでこの看板に偽りがないかどうかを調べることができる。結論を先に述べると偽りであった。すぐ稜線に出て三国山へ縦走する。三国山まではエアリアマップにも道が赤線で示されており、今回の山行の肩ならしに過ぎない。しかし、意外と息が上がってしまい、三国山にたどりつくころにはへとへとになっていた。新三国峠から20分しか歩いていないがまた一本とってしまった。こんなことでは先が思いやられる。天丸山方面へは去年と同様「筍(?)」の赤ペンキ[TITWV]があった。今回改めて現物を見ると「管」にも見える。「管理」の管だろうか。

 蟻ヶ峰へ踏み出す。三国山から大上峠まで25kmに渡る群馬・長野県境縦走が始まる。5分下ると鞍部に着き、看板を発見する。杭付きの看板と木に打ち付けられた看板2つ。杭付きの看板には杭の部分に「三国峠」とあり、看板には3方向の指示があった。それぞれ「梓山に至る、直林道に下る」「中津川より秩父市に至」「十文字峠・甲武信岳至」とあった。「梓山に至る」はこの鞍部から南へ三国峠の林道へ下る道、「中津川より秩父市に至」は三国山から松尾尾根を下る道を示しているのだろうか。いずれも明瞭な道は見えない。また木に打ち付けられた看板には「ソラ峠を経由 ハマダイラ S.50.9.14 安中山の会」と示してあった。「ソラ峠」とは「空峠」をさすのだと思うが、この資料には見る「空峠」はどこにあるのか分からない。いったいどこなのだろう。道らしきものは県境稜線の北側を三国山を巻くようについていた。そしてもう一つの木に打ち付けられた看板は「関東ぐるり一周山歩き」(P.50)にも載っている分水嶺歩きの看板である。その文面は"NIPPON ZYUDAN BUNSUIRE ARUKI MISAYAMA A.C"である。この"MISAYAMA A.C"とはおそらく山岳会(A.C.=Alpine Club)だと思うが、分水嶺歩きは果たして成功したのだろうか。Googleで「MISAYAMA 分水嶺」をキーワードに探しても見つからないので結果は不明である。

旧三国峠
5/3 旧三国峠。看板には以下のように書いてある。「梓山に至る、直林道に下る」「中津川より秩父市に至」「十文字峠・甲武信岳至」
蟻が峰遠望
5/3 蟻が峰遠望。

 この廃れた三国峠から1764m峰まではおおむね道があり、すいすいと進む。ところどころ岩が出ていたり笹があったりするが赤ペンキ、赤テープもあり問題ない。1764m峰からは笹ヤブが現れる。道はあるが、傾斜が急なのでアップアップになる。登りきった舟窪1870mはゆるい二重山稜となっており、うまく倒木をよければテントが張れそうだ。さらに笹ヤブの急登を行く。最後の50mの登りは笹ヤブがなく、傾斜は急だが比較的楽に登れた。山頂は平らで歩いて行くと西の端に三角点。蟻ヶ峰1978.6m三角点峰である。「高天原山」「蟻ヶ峰」と2つの看板もある。25,000分の1地形図には三角点しか描かれていないが、エアリアマップによるとこの山は「蟻ヶ峰」「神立山」「高天原山」「ショナミの頭」「蟻ヶ峠」の5つの名があるらしい。いくらなんでも多すぎるだろう。普通、和名倉山/白石山みたいに名前は2つしかないものだが。ここの地元の人はこの山について会話が成り立つのだろうか。今回の山行で最高点となる蟻ヶ峰は眺めがよく、八ヶ岳や金峰山がよく見えた。

蟻が峰の登り
5/3 蟻が峰の登り。山頂直下はヤブがない。
蟻が峰山頂
5/3 蟻が峰山頂。小さな看板があった。

 さて蟻ヶ峰からさらに北へ大蛇倉山へと向かう。蟻ヶ峰からは東へ東沢の頭へ伸びる尾根もあるので注意して歩くとすぐ尾根が分岐した。この尾根の分岐は明瞭であった。北側斜面には窪地にわずかな雪渓が残っているが、厚さ5cmほどであり溶かして飲料にするほどは残っていない。下方には南相木ダムが見える。尾根の分岐をうまく見分けられたのに気が緩んだのか、気付くと稜線の長野側斜面を歩いていた。気付いてすぐもとの稜線に戻る。ヤブはなく、ただの樹林帯なので稜線への復帰は簡単だった。その辺には黄色と黒の工事用ロープが備え付けられており、ひょっとしたら日航機の墜落事故の際に使われたルートなのかなと思った。鞍部についてから1922m峰へ登り。岩峰を長野側から巻いたりしながら登っていく。依然としてヤブはなく歩きやすい。中央分水嶺探査でこの区間を担当した山岳会が利用したと考えられる鞍部から長野側三川への道は気がつかなかった。

昇魂之碑分岐
5/3 昇魂之碑分岐。看板は錆び、意外に古い。
日航機墜落の火事跡
5/3 日航機墜落の火事跡。離散した火の粉が国境稜線までとどいたのだろう。

 登りもひと段落したところで昇魂之碑分岐に出る。白い鉄製の看板があり、柱の部分には「60年日航機遭難地慰霊登山道」、水平方向にはそれぞれ「三国峠に至る」「昇魂碑に至る」「三川に至る」と書かれている。「山と高原地図web」で打田さんが言及している昇魂の碑から県境稜線に至る道であろう。

「お巣鷹の尾根」を登路として利用し、長野との県境尾根に出て大蛇倉山と蟻ヶ峰に登る団体登山客を迎える民宿のバスに出会ったのだ

「山と高原地図web」http://www.mapple.net/yama/column/column.asp?id=008(残念ながらリンク切れ)

 さらに打田さんは同サイトでこの道をエアリアマップに載せると述べているので、来年の2007年度版にはこの県境稜線〜昇魂の碑の道が赤線で示されるだろう。ちょっと見たところでは下まで行けるかどうか道は怪しかったが。また方向指示のある長野側の三川へ下る道はよく分からなかった。そこからしばらく登って1922m峰。1922m峰からは東側の眺めがよい。天丸山や両神山が見えた。墜落現場も植林された木々が整列しており、周りと比べて明るい緑であることと、車道が見えることから判別がついた。耳をすますと鐘の音が聞こえてくる。おそらく下で慰霊に訪れた人が鐘を鳴らしているのだろう。事故は私がものごごろつく前に起こり、事故のことは大人になってから知った。しかし、登っていて機体の破片の火が燃え移ったと思われる焦げた木があちこちに見られることから、事故の生々しさを目の当たりにし、思わず手を合わせずにはいられなかった。眺めがよいので普段なら記録のために景色の写真を撮るところだが、亡くなった方に悪いので写真は撮らなかった。事故に遭われた方の御冥福を祈る。

大蛇倉山から御座山を望む
5/3 大蛇倉山から御座山を望む。
大蛇倉山から奥三川湖を望む
5/3 大蛇倉山から奥三川湖を望む。ダムの名前は南相木ダム。

 1922m峰からはシャクナゲのある針葉樹林になる。それでも道はある。登っていくと大蛇倉山1962m峰。群馬側がガケで山頂部は長野側に向かってゆるく低くなっている。北側に露岩があり、眺めがよい。御座山へ伸びる稜線が一望できる。今日泊まる予定の舟留もすぐ下に見える。舟留の南側は木もまばらで簡単に歩けそうだ。しかし、大蛇倉山の北側に「苔に覆われた崖がある」という中央分水嶺踏査の報告もあり、気が抜けない。大蛇倉山山頂にも木の焦げたあとがあり、事故の影響が広範囲に渡っていたことが予想できる。ゆっくり休んで出発。

 群馬側の端からシャクナゲのヤブに突入するが、いきなり身動きがとれなくなる。これはいかん、といったん撤退。山頂に戻り、露岩横の何となくヤブが薄く見えるあたりに改めて突入する。急な下りでやはりヤブだが何とか下れる。下っていると岩から小さなつららが数本垂れているのを見つけ、心が少し和むが、依然としてヤブの中、気合い入れて稜線をはずさぬよう下る。大蛇倉山北へ250mの露岩でひと休みする。振り返ってみても全然進んでいない。20分で水平距離250mって進んでない。この先関東外周県境でもっとも薮の濃い区間(舟留〜1847m峰、「関東ぐるり一周山歩き」による)があるというのにこんな所でもがいている暇はないのだ。何とか気合いで下り、舟留との鞍部に出るとヤブは薄くなる。この下りはこの日の最もつらいところであり、逆コースだったら私は大蛇倉山に登れる自信がない。

大蛇倉山の下り
5/3 大蛇倉山の下り。シャクナゲのヤブ。今日一番のヤブ。
舟留先の平坦地に幕営
5/3 舟留先の平坦地に幕営。

 しかし道はなく、倒木の多い道を行く。舟留手前のピークを越えて舟留到着。御巣鷹山へ至るとおぼしき赤ペンキがあるが、何と書いてあるか読めなかった。何にしろ、三国峠にあった「←御巣鷹山」の看板は道が通じているという意味であれば偽りであった。少なくとも現在では。舟留からやや暗い樹林帯を3分ほど下ったあたりに平坦地を見つけそこに幕営した。舟留からは切り開きとピンクテープがあり、明日のルートが楽かもしれないと期待を抱いた。一方でここから1847m峰までは関東外周県境でもっとも薮の濃い区間であり、この行程がどのようなものか想像がつかない。不安になりながら床についた。


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