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大寺山は東京都と山梨県の県境の山である。位置は奥多摩湖の奥、多摩川が丹波川と小菅川に分かれて、その間の山である。あんまり有名ではないが、奥多摩湖岸の山に登ったことのある人であれば見たことのある人も多いと思う。例えば鷹ノ巣山から見えるが、白い仏舎利塔の建つ山である。緑の中に真っ白の建造物が見えるのでかなり目立つ。
大寺山は1000m足らずの山であり、大寺山だけだと3時間程度のハイキングコースとなるので、鹿倉山と合わせて登ることが多いようだ(例えば「アルペンガイド 奥多摩・奥秩父・大菩薩」1997年)。コースは丹波から鹿倉山に登り、大寺山をたどって丹波川・小菅川二俣となる深山橋バス停まで歩けるよう東西に整備されている。私のとったコースはこれではない。目的は県境縦走なのだが、県境はこのルートにちょうど十字になるように南北に通っている。とったコースは丹波川の鴨沢バス停〜大寺山〜庄の指(しょうのさす)バス停である。小袖川遡行の続きにあたる。
先週山に登っていないし、2週連続で家にいるのもなんだかと思い、どこかに行こうと考えた。夏なので涼むのに沢登りが一番よいのだが、ひとり沢登りは恐いし、つまらないので県境縦走をすすめることにした。この区間はひょっとしたら丹波川と小菅川を徒渉する可能性があると思ったので、夏やってもいいかと思っていた。だが、結局徒渉はなかった。本当は三頭山まで登っておきたかったが、途中で疲れて下山することにし、大寺山だけ登ることになった。
日帰り |
2005年7月30日 |
JR青梅線奥多摩駅=鴨沢バス停…大寺山北尾根…大寺山…庄の指バス停=JR青梅線奥多摩駅
JR青梅線奥多摩駅 | 8:23 |
8:30 | |
鴨沢バス停 | 9:03 |
9:08 | |
道崩れ | 9:25 |
大寺山北尾根末端 | 9:35 |
9:45 | |
大寺山 | 10:50 |
11:06 | |
庄の指バス停 | 11:43 |
11:58発車 |
前日飲みが入り、終電で帰って家で仮眠。朝、4時半に起きて列車を乗り継ぎ、奥多摩駅へ。奥多摩湖までの臨時バスが出て、予定通りの丹波行きはあんまり混んでいなかった。鴨沢バス停で中高年の集団といっしょに下車。
今回の山行で核心部と考えていたのは大寺山北尾根の取付きである。鴨沢バス停から丹波川対岸を見れば分かるように、丹波川右岸は急な斜面になって川に落ちている。木が生えているのでよく見えないが、特に露岩もあり、そもそも大寺山北尾根末端にたどり着けるかどうかが問題だった。
丹波川の水位を確認する。あまりに水位が下がっているようであれば徒渉を考えたのだが、完全に泳ぎになるのでやめておく。釣り人がいたので水中に擾乱をおこすと怒られそうだし。地形図通り、上流の橋まで迂回する。
青梅街道に沿って歩いて行くと立派なアーチ橋が見えた。諸畑橋である。諸畑橋というバス停もあった。鴨沢の隣は鴨沢西バス停だと思っていたので通り過ぎたかと思っていたが、後で調べると「鴨沢−諸畑橋−鴨沢西」の順であった。諸畑橋を渡り、丹波川右岸へ。右岸の上流側には人が住んでいるのか建物があった。下流側へ向かうと平成16年に小留浦の浮橋が水位低下のため取り外されているという看板があった。そんなところに浮橋があったかどうかよく覚えていない。山側にグラウンドを分けるが、子供の声もなくあんまり使われていないように見えた。グラウンドへの道を分けると通行止めの看板。地形図では奥多摩湖に沿って道があるはずなので、気にせず突破する。
すぐ沢の治山工事現場があり、ショベルカーが動いていた。奥多摩湖が埋まらないように砂防の堰を作っているようだった。下側から巻く。もう一本、工事中の沢があったが、ここは人がいなかった。この沢が地形図にも示されている大寺山への登山道になるのだろうが、工事をしている間は人は入れないだろう。湖岸の道に戻る。と、見事に道がないところが出てきた。水平幅3mほどに渡って地滑りが起きていた。木が落ちてきたのか、木ごと落ちたのか、穴には木が倒れていた。上から巻くことにする。しかし、けっこう急な斜面なので10歩ほど戻ってから登りにとりかかった。木をつかみながらトラバース、下降もなんとか木を使うことができたが、セルフビレイをとりながら行きたいところであった。
いつ崩れたのか分からないが、ここからいよいよ道が荒れてくる。元はよく整備された湖岸の道だが、人が歩いていないために細かい木や石が落ちている。小さい沢を渡り、一番懸念していた鴨沢対岸の露岩へ。しかし、露岩は近付いてみるとただの吹き付けコンクリートであった。吹き付けコンクリートの下端は工事中も使ったのか道になっており、簡単にトラバースできた。
そして大寺山北尾根末端に到達する。東京都水道局の標があるだけで何の変哲もないところだが、地形的には立派な尾根であり小袖川の対岸にあたるため、位置は容易に特定できる。県境は小袖川と大寺山北尾根の間をまっすぐ結ぶように通っているので、尾根末端の堆積地に出てから大寺山に登ることにする。対岸には2人ほど釣り人が見えた。県境をたどるなら小袖川の橋から泳ぐか何かして大寺山北尾根末端にたどりつくべきなのだろうが、ここは目をつぶって諸畑橋で勘弁してもらう。
そして大寺山北尾根をたどる。尾根は明るい木のないところで背丈をこえるヤブになっている。ヤブははじめだけだろうとヤブの中に突入。しかし、ヤブの成分にトゲのある植物があることが分かり、ペースは急速に落ちる。半袖を着て来たので腕は引っかかれるばかり。10mほど登ってこのルートを断念する。敗退も考える。進むにしてもこのヤブ地帯は行きたくないし、帰るにしてもこのヤブは避けたいのでトラバースしてヤブを脱することにする。東側へ20mほど移動し、何とか植林帯に出ることができた。
息を落ち着けて考える。このままヤブが尾根を覆っているのであれば、夏に登るのは不可能である。そうならば今日はさっさと手をひいて帰り、冬に再チャレンジすればよい。しかし、今日の行動時間はまだ1時間。ホリデーパス2300円+鴨沢までのバス代も払っているし、大寺山くらい登っておきたい(この日の計画は大寺山のあと三頭山も登り、笹尾根を行けるだけ行って下ろうと考えていた)。植林帯もヤブ地帯と平行して登って行けそうなので、とりあえず斜面をジグザグに登りながら植林帯を行こうと決めた。
ヤブ地帯の様子を見ながら登って行く。ときどき人が入るのか間伐した木が転がっている。踏み跡のようなものもあり、これを活用しながら登る。けっこう急な登りをこなしていくと、登り50mほどでヤブ地帯が消えた。トラバースして尾根に出る。どうやらこのヤブ地帯は尾根に沿って伐採を行ったあとに生えてきたものらしい。あと50年くらいすれば広葉樹林帯に変わるのだろう。ヤブの上は周りと同じ植林帯で、道だろうか、溝のようなものが尾根に沿って続いている。ヤブは全くないのでこの森が続けば大寺山まではたどり着けそうだ。
大寺山で大休止をとりたかったのでゆっくり休まずに登る。先ほどまでとはうって変わって登りやすい。尾根が左に曲がる辺りは地形図でも分かり、しばらくで平らになってきた。腰ほどの高さの笹をかき分けて行くと、いくつかの廃屋を見て仏舎利塔の下にたどりついた。大寺山山頂である。なんだか山の中に似つかわしくない人工的な白くて大きな建造物だ。仏舎利塔は四角形で四方から階段で中段まで登ることができる。四面に金色の仏が安置してあり、階段にはなぜか獅子の像が狛犬のように立っていた。塔が白くてまぶしいため、塔を出て南側で休む。南側が日影になっているわけではないが、木があるので少しは涼しい。大の字になって少し休む。
大きな仏舎利塔とその周囲に廃屋。不気味な山頂だ。ここなら肝試しにはいいかもしれない。仏舎利塔は中段に階段で登ることができるだけで中に入ることはできない。というか中があるのかどうかもよく分からない。上にも登れるようにはなっていないので、眺めもない。なんなのだろう、これは。説明文の書いた看板がどこかにあるのかもしれないが、ぐるり一周する元気はなかったのでよく分からない。ただ、あとで分かったが、どうやら日蓮系の宗教団体が建てたようだ。白い西洋風の建物と仏。人類が滅んだあと、宇宙人が来て、これを見たらどう判断するのだろう。変なの。
ここは平らで道が分かりにくい。東の陣屋・深山橋から、南の大成から、西の鹿倉山からと3つの道の交差点になっている。大成からは砂利の車道が通じており、おそらくこの仏舎利塔を作るときにひいたのだろう。コンパスを持ち、慎重に尾根を読みながら出発する。まず、車道の左の台地に登り、南へ。すぐまた車道に出た。車道は洗濯機やら重機やらが残置されており、いったん途切れていた。コンパスきって樹林帯に入り込む。
少し下ると民家だろうか、赤と青の屋根が見えてきた。人がいると面倒だなと思いながら下りつくと、そこは民家ではなく廃屋だった。仏舎利塔を建てる際、作業員が詰めていたらしく、「南無妙法蓮華経 日蓮」と書かれた碑が建っており、「東京仏舎利塔」と書かれたトラックが数台残置されていた。きっと日蓮系の宗教団体なのだろう。また砂利道があり、整地されているため、地形がよく分からない。
南側のプレハブ小屋の下を下る。すぐ東京都の「植林しました、自然を守りましょう」というような主旨の看板がある。その辺から尾根がはっきりし出す。「NTT仏舎利支」と書かれた電柱と電気ケーブルがあり、これらはちょうど尾根をたどって下っていたので、これらに沿って下る。780m付近で少し広くなり、その下は少し尾根らしい区間。いつしかNTTのケーブルはどこかに行き、電気ケーブルに沿って下る。急な尾根で森には人の手が入ったらしく、丸太が斜面に水平に置かれていた。右手がガケになっており、下を除くともう車道が見えた。地滑りしないように工事してありそうなのでケーブルに沿って下る。ケーブルは誰かがひいたのだろう、人の下れるレベルの斜面が続いた。
そしてケーブルに従って出たところは民家らしきものの裏だった。人が住んでいたら面倒だなと思いながら、こそこそ表に回るとそれは廃業した宿であった。ちょうどバス停があり、確認すると庄の指というバス停であった。県境の一つ東京都よりのところであり、最後の小尾根を間違えたことになる。もっとも県境はもっと傾斜が厳しいので下れるかどうか怪しい。
予定はここから三頭山に登り返すはずだったが、はじめのヤブで疲れたので諦めて帰ることにする。その前に三頭山の取付きがどのようになっているか調べておこうと思い、山梨県側へしばらく歩く。大寺山側は擁壁が続いており、この辺は登りも下りもできない。やがて物音がすると思ったら県境に出た。道路の看板に「ここから山梨県」と書かれているので確実である。ちょうど人がいた。何をしているのかと思ったら、小菅川の対岸で切り出した材木を、ワイヤーを操作してこちらがわに運んでいるらしい。地形図に載っている橋があるかどうかを聞きたかったが仕事中だったのでやめておいた。もっとも見える小菅川は奥多摩湖のバックウォーターではなく、川だったので徒渉できそうだ。それだけ確認して庄の指バス停に戻った。
バス停に戻ってから時刻表を確認してみるとちょうど5分後にバスが来る予定だった。11:55のあとは15時台。これを見て帰る気が湧いてきた。待っていると小菅からバスが来たので、乗り込む。小菅へ向かう車線の方に立っていた上、まだ12時だったので、バスの運転手に「駅に行くのか?」と確認された。
3時間足らずと何だか短い山行だったから物足りない感じもしたが、そこそこ疲れは出た。何とか大寺山だけでも登ることができてよかった。三頭山は冬に登ればいいと思った。
(2005年7月31日記す)
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