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北鎌尾根は北アルプス槍ヶ岳の尾根の一つ。槍ヶ岳は北アルプス南部に位置し、標高3180mで日本第四の高峰である。形が槍の穂先に似ているために槍ヶ岳という名があり、その鋭い形から人気のある山である。この槍ヶ岳はほぼ東西南北に尾根を持っており、そのどれもが鎌の歯のような形のためそれぞれ「東鎌尾根」「西鎌尾根」「北鎌尾根」と呼ばれている(南側の尾根はやはり険しいがふつう鎌尾根とは呼ばれない)。北鎌尾根をのぞく3つの尾根、および南東の槍沢、南西の新穂高温泉からの道は一般ルートであるが、北鎌尾根は一般ルートではなく、バリエーションルートとして扱われている(例えば「アルペンガイド15 上高地・槍・穂高」)。その理由には以下のようなものが挙げられる。
北鎌尾根は困難な一方で、小説(例えば新田次郎「孤高の人」)の中にも登場する有名な尾根であり、バリエーションルートとしては人気が高い。今回の山行でも私たちの他に3パーティーを見かけた。北鎌尾根に取り付くまでのルートは夏季であれば、まず尾根の東側の沢の天上沢に出て枝沢の北鎌沢を経て稜線に登るルートが一般的であるが、尾根の末端から取り付くこともできる。天上沢北鎌沢出合に出るまでのルートは以下の3つがある(下図参照)。
1.のルートは昔からよく使われたルートであるが、現在湯俣から北鎌沢出合までの道が崩壊し、現在では沢歩きを強いられるルートである。私達はこのルートをとった。2.のルートは表銀座の大天井ヒュッテから下降し、北鎌尾根に登り返すため歩行時間が長い。しかし前日に大天井ヒュッテに泊まり、北鎌尾根を登った後槍岳山荘に泊まれば幕営に必要な道具を携行せずに済むため最近利用する人が多いルートである。3.のルートは計画時には知らなかったルートであるが、山行中にこのルートをとっているパーティーがいた。がんばれば1日で北鎌沢出合までたどり着けるだろうが、槍沢を歩くのが長い、水俣乗越まで登らなければならない、水俣乗越から天上沢に下る道が廃道であることが欠点であろう。尾根を末端から登るルート(黄線)は冬期によく登られるルートであり、このルートの場合は湯俣から入るのが最も近い。途中で懸垂下降が必要らしい。
ここを希望した理由はひとえに有名であることにつきる。北鎌尾根といえば槍ヶ岳に登る人は誰でも知っているし、バリエーションルートとしても有名である。有名さと困難さのために山頂に着くと槍岳山荘側から登ってきた人たちに拍手で迎えられるというすばらしいフィナーレを迎えられるらしい。それで1度行ってみたいというのが理由である。今年の1年生は1年生にしては体力があり、まだ3000mを越える山に登っていないので1年生を連れて行くことにした。なお東工大ワンゲルでは4年前に湯俣からのルートで北鎌尾根に登っており、そのときに登った永谷君からいくつか話を聞いていた。ザイルは使わなかったと聞いていたので登攀具としては30mの補助ザイルを持っただけでハーネスなどは持っていかなかった。結果的に持っていった補助ザイルは使わなかった。
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2005年9月9日 |
新宿23:54(5番線)=(快速ムーンライト信州81号)=車内泊
新宿から夜行列車に乗って信濃大町に向かう。4人だったので座席を回転して立川までだべるが、寝にくいので元に戻した。1年生3人は夜行列車が初めてだったが、「夜行列車=寝台列車」と思い込んでおり、座席で寝ることに驚いていた。
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2005年9月10日 |
信濃大町=(taxi)=高瀬ダム…湯俣山荘…千天出合…北鎌沢出合(泊)
JR信濃大町駅 | 5:08 |
6:00 | |
高瀬ダム堰堤 | 6:43 |
7:00 | |
車道終点 | 7:46 |
8:00 | |
名無小屋 | 8:26 |
湯俣晴嵐荘吊り橋 | 9:00 |
水俣・湯俣分岐 | 9:10 |
9:32 | |
中東沢出合 | 10:05 |
千天出合 | 10:52 |
11:10 | |
貧乏沢出合 | 12:30 |
12:46 | |
北鎌沢出合 | 13:00 |
19:30就寝 |
寝にくいながら八王子を過ぎた後に就寝。電気は消えなかった。松本で半分くらいが下車。空いた席に分散して大町まで寝る。信濃大町で栗山に起こされる。みんな寝ており、危うく寝過ごすところであった。
駅で下車するとタクシーの呼び込みがうるさい。高瀬ダムのゲートが開くのが6:30らしいので6時までトイレ行ったり着替えたりして過ごす。タクシーに乗ったらすぐ寝た。いったん七倉で停車、登山届けを出す。すでに大町を出ていたタクシーが何台か停まっており、登山届けを書いている間にゲートが開いて数台高瀬ダムに向かって行った。なお、高瀬ダムに上がれるタクシーの台数は5台と決まっているらしく、混雑時には七倉で待たされるらしい。ゲートを通過するとまたトンネルだったので寝る。
起きると高瀬ダム堰堤の下であった。高瀬ダムはロックフィルダムであり、重力式コンクリートダムに比べて斜面が緩やかなので道がフィルダムの斜面をジグザグについている。ダムの頂部について下車。大町から7660円であった。湯俣へはダム堰堤の右岸、烏帽子岳へは左岸に道がある。右岸には東電の施設があり、「御自由にご利用下さい」と書かれた休憩室があったが、施設には入れなさそうに見えた。湯俣側へ向かうのは私たちの他に2人組がいた。堰堤から少し歩いたところに公衆トイレがあり、用を足す。幸い紙が備え付けられていた。
高瀬ダムから1kmほどの長いトンネルに入る。出口が見えないが、トンネル内には電気がついており、危なくはない。高瀬隧道を出ると硫黄臭い沢を渡り、またトンネル。今度は200mほど。トンネルを出ても道は平坦であり、車も通らないので距離を稼げる。途中で東沢を渡る。渡った先はトンネルであり、トンネルを抜けると水力発電所。ダムのバックウォーターがかなり減ってくるとプレハブ小屋があった。はり紙を読むと釣り師と登山者に開放されているらしい。そこからしばらくで車道終点についた。
車道終点は広くなっており、重機が1台置いてあった。ザックを降ろして休んでいると車が一台やってきて釣り師がひとり降り、どこかへ消えて行った。この道には自家用車は入れないと思うが、地元の人だろうか。さらに休んでいると高瀬ダムで見かけた2人がやってきた。釣りが目的のようで東沢を見たら既に人が入っていたのでさらに奥に来たそうだ。どうやらこの日夜行列車で来て湯俣へ向かうのは私たちだけらしい。ほかにも北鎌尾根に登る人がいないかと思っていたが意外と少ないと思った。
登山道に入る。高瀬川は広い河原になっており、道も氾濫原の樹林帯を行くので平坦である。ザレたところも木で道が作られている。道自体もよく整備されており、足元のじゃまな岩も少ないのですいすい進む。やがて名無避難小屋。その名前から廃虚みたいな小屋を想像していたが、普通の小屋だった。大きくはないが、泊まるには立派な小屋である。しかし、ここに避難小屋があっても使う人が少なさそうだ。そう思っていたら湯俣から単独行の人が下ってきた。名無沢を渡って先へ進む。
一カ所小さなトンネルを通る。沢がクランク状に曲がるあたりは広い河原を歩く。コジ沢を渡ってしばらくは樹林帯で現在地がよく分からない。左手に貯水地の看板が出てくると貯水地へ登る道がいくつか現れる。右岸の沢を渡ると湯俣の晴嵐荘が見えてくる。地図に載っている湯俣山荘はなかった。道はずっと高瀬川の右岸についているので、左岸にある晴嵐荘へは吊り橋を渡らなければならない。
9/10 名無小屋。名前から廃虚みたいなのを想像していたらちゃんとした小屋だった。 |
9/10 湯俣。晴嵐荘が見えてきた。 |
下流から見ると、高瀬川はここ湯俣で右へぐるりと曲がり、水俣川と湯俣川に分かれる。曲がりきったところに堰があり、管理小屋の左を乗り越える。水俣川にかかる吊り橋が見えると道はなくなる。ちょうどそこが水俣川と湯俣川の出合であり、伊藤新道と北鎌尾根への道の分岐にもなっている。もっともどちらの道も現在は廃道である。川の水は、水俣川が透明で湯俣川が白く濁っており、水量比は1対1である。二俣から湯俣川の奥をのぞくと遠くに湯気が上がっているのが見えた。予定がうまくあえばここに泊まって温泉三昧なのだが、計画に従い水俣川へ進む。
ここから先、道があることは期待していないので沢タビに履き替える。遅くとも2001年の時点で道ははっきりしないようだった。せっかくなので道がどうなっているのか吊り橋を渡って少しだけたどってみる。吊り橋自体は古く、上流から下流に向かってわずかに傾いている。10年後には落ちていそうな橋である。渡って左が北鎌尾根への道、右が伊藤新道。北鎌尾根ヘの道はササヤブがかぶっていてよく分からない。続いているのかどうかもよく分からない。伊藤新道の方は硫黄尾根の末端を巻くように続いており、わずかに登って乗り越す尾根のところに社があった。しかし、そこから先湯俣川に下る道がなかった。温泉に行くにも徒渉は必要なようだ。
9/10 水俣川。湯俣川と分かれてすぐ赤い橋がかかる。北鎌尾根へも三俣山荘へ続く伊藤新道もこの橋を渡るらしい。 |
9/10 水俣川と湯俣川が出合う硫黄尾根末端。社があり、吊り橋を渡ればたどり着ける。 |
水俣川に入渓する。両岸狭まっていて行く先がちょっと不安だ。すぐ徒渉して左岸に渡る。水は冷たく、濡れても腰ぐらいにとどめておきたい程度の冷たさ。幸い徒渉の際はヒザくらいの深さで済むので体は冷えない。1年生も夏合宿のクワウンナイ川でスクラム徒渉を経験しているとあって危な気なく徒渉をこなす。河原はある程度の幅を保ちながら伸びており、上ノ廊下の下の黒ビンガのように狭くなることもない。ただの河原歩きであり、簡単な沢登りをしたことのある人なら問題ないと思う。
歩いていると左岸に北鎌尾根への道らしきものが並走しているのに気付く(写真左下参照)。しかし、一枚岩のバンドをロープを伝いながらトラバースしていくように道がついているのを見ると、たぶん徒渉しながら歩いた方が速いし楽だと思う。
9/10 水俣川入渓。水は冷たい。 |
9/10 廃道になった北鎌尾根への道。赤矢印でフィックスロープを示す。たぶん徒渉しながら行った方が速いし楽。 |
広い河原を歩いていると右岸にガレ場が見えてくる。そこが中東沢の出合。岩の量の割に流れている水はわずかであった。湯俣から千天出合までの間で明瞭な枝沢は中東沢だけであり、現在地確認をしておく。中東沢出合から河原は少し狭まり、傾斜も出てくる。滝っぽいところもあるが、依然として河原の中の滝であり簡単に巻ける。途中で辛島が徒渉時にバランスを崩して流されるが、足のつく深さなのでずるずると1mほど落ちていっただけであった。でも辛島はけっこうあせっていた。徒渉は下流に向かって下りながら渡るのが鉄則だというとるのに。
9/10 水俣川F1?河原歩きの中に滝っぽいところもある。河原なので通過は難しくない。 |
9/10 北鎌尾根末端が見えてきた。 |
中東沢出合から30分で川は西に曲がる。そして北鎌尾根の末端が見えてくる。北鎌尾根の末端でもある千天出合まで1km弱の直線が続くが、見えている割になかなか北鎌尾根が近付かない。右岸に橋の残骸と思われるさびたワイヤーが見えたが、橋桁や前後の登山道は見当たらなかった。おそらくここで左岸から右岸に移るのだろう。そこからしばらくで千天出合。
千天出合は天上沢と千丈沢が合わさり水俣川になるところ。その間に北鎌尾根がある。ここから天上沢へ向かい、幕営予定地の北鎌沢出合を目指す。その前に一本。永谷君が南ア・尾白川黄蓮谷で言っていたように黄蓮谷出合と雰囲気が似ている。辛島が濡れた地形図を乾かしたり、菊地が前夜の寝不足のために岩の上で昼寝したりと非常に平和だ。あまりに順調にいって恐いくらいである。高瀬ダムからここまで4時間、あと北鎌沢出合まで2時間といったところだろう。なおアルペンガイド旧版の巻末付録地図には千天出合から千丈沢沿いに伸び、西鎌尾根の千丈沢乗越に至る宮田新道が描き入れられているが、(廃道)と描いてある通り、見あたらなかった。
9/10 千天出合。左が天上沢、右が千丈沢。天上沢へ向かう。 |
9/10 天上沢に入ると滝が出てくる。ただし直登や困難な巻きはなく、ザイルは不要。 |
天上沢に入る。これまでの河原歩きとは変わって沢登りっぽくなる。ところどころシャワークライムを混ぜながら登っていく。滝が現れるが、これは左から巻き。しっかり道がついていた。深くて水の中に入りたくないところはだいたい右岸に道があった。沢登りの難しさとしては初級だと思う。登攀要素はないので北鎌尾根登ろうとする人なら問題ないだろう。
標高1650mで右岸から2本枝沢を合わせる。北鎌尾根を末端から登る場合はこのあたりから取り付くのだろう。枝沢を分けた後、川はだんだんと広くなり水量もだんだんと減ってくる。しばらくは枝沢もなく現在地確認は難しい。やがて沢がクランク状に曲がるところに右岸からガレ沢が現れる。貧乏沢である。大天井ヒュッテから北鎌尾根にアプローチする場合はここへ下ってくる。道は見あたらない。もう北鎌沢出合は近いが、1時間以上歩いたので一本とる。
9/10 貧乏沢出合。左が貧乏沢、右が天上沢。大天井ヒュッテから貧乏沢を経由して天上沢におりるのが最近の主流らしい。 |
9/10 北鎌沢出合。出合には水が流れておらずガレが押し出されているだけ。上方に左俣・右俣が見える。 |
貧乏沢出合まで来ると水量はだいぶ少ない。歩き始めると5分ほどで水が尽き、広い河原が広がっていた。北鎌沢出合までいけば北鎌沢にでも水が流れているだろうと踏んで水は汲まずに歩く。水がなくなって10分で北鎌沢出合。左岸にガレが押し出されており、その下流にテントを張った跡がいくつかある。ここで本日の行程は終了。高瀬ダムから休み含めて6時間と順調にたどりついた。
空身で北鎌沢を確認し、天上沢を遡っても水がないことを調べたあと、テントを立てて薪を拾う班と天上沢下流まで水を汲みにいく班とに分かれる。前者は中山、栗山、後者は辛島、菊地だったが、菊地は暑いといって上半身裸でザックを背負って水を汲みにいった。汲んだ水の量は1人4リットル。北鎌尾根を終えた後、穂高岳への縦走を考えていたので水をたくさん汲んでおいた。水は槍岳山荘などの稜線で買うこともできるが値段が高いので背負いあげた。テント場はV6を張るには少し狭かったので少し広げて快適なテン場を作った。幸い薪はたくさん乾いたものが見つかったので栗山や辛島など水に浸かってしまった者が着ているものを乾かすには十分であった。薪を拾っていると上流からカモシカがやってきて下流へ向かっていった。人間がいることには動じず、悠々と歩いていた。水を飲みにいったのだろうか。
9/10 北鎌沢出合テント場。奥の盛り上がったところが北鎌沢の押し出したガレ。いくつかテントを張った跡がある。天上沢に水はなく、10分ほど下流まで汲みに行った。 |
9/10 カモシカ。薪を拾っていたら上流の水俣乗越の方から下流へ下って行った。 |
この日見たパーティーは2つ。上高地から水俣乗越を越えて天上沢を下ってきた5人パーティーと、貧乏沢を下り3時頃私たちのテントの横を通り過ぎていったパーティー。後者は北鎌沢のコルに泊まると言っていた。北鎌沢出合を出たのが3時だったから5時頃稜線についたのだろう。水俣乗越からのルートは聞いたことがないが、水俣乗越に天上沢へ下る看板はあった気がする。道があったかどうかは覚えていないが。湯俣から来たと行ったら大変だっただろうと言われたが、私が思うに湯俣からのルートが一番楽だと思う。理由は以下の2つである。
メシを作るとき、ガス缶を2つしか持ってきていないことが判明し、明日北鎌尾根はこなせても大キレットへ行くことは難しくなってきた。もっとも一番の目的は北鎌尾根であるのであんまり気にはしなかった。夜は焚き火であったまり、酔っぱらった菊地が勝手に顔を洗いに天上沢を下って水場まで行ったことを除けば、最高の夜であった。
(2005年9月13日記す)