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2004年冬 - 奥多摩・タワ尾根〜酉谷山〜矢岳[1/2]


2004年12月11日(土)、12日(日)
場所
東京都西多摩郡奥多摩町・埼玉県秩父郡荒川村/奥多摩
ルート
12月11日
JR青梅線奥多摩駅=東日原バス停…一石山神社…金袋山…鈴坂丸…ウトウの頭…滝谷ノ峰…酉谷山…酉谷山避難小屋(泊)
12月12日
酉谷山避難小屋…矢岳…大反山…秩父鉄道武州中川駅=お花畑…西武秩父=西武池袋
参加者
中山(M1, 単独行)

タワ尾根〜酉谷山〜矢岳の地図

タワ尾根詳細図

はじめに

 奥多摩と秩父を結ぶ山道をいくつか行ってみたいと考えていた。例えば川苔山から大持山、仙元峠越え、酉谷山から熊倉山、雲取山から三峰神社など。酉谷山から熊倉山はすでに行ったことがあるので、酉谷山から矢岳に行こうと考えた。さらにタワ尾根を使って酉谷山まで行けば一般ルートをほとんど使うことなく縦走ができる。一般ルートはいつでも行けるのでこのバリエーションルートづくしのルートは私好みの山行になった。

 矢岳というマイナーな山を知っていたのは高校のとき初めて雲取山に行って何となく気になったからである。川苔山から酉谷山へと縦走をつなげていくとき、酉谷山のあたりはたくさん看板があり道も複雑である。都県境稜線の南をひたすら巻く水源林道に加えて稜線に出て酉谷山を経由する道、小川谷に沿って日原に下る道、山頂から熊倉山に下る道、今回行く矢岳へ下る道と実に多くの道がある。特に熊倉山と矢岳の道はガイドブックにはなく静かな山行が楽しめそうである。そこで以前川乗橋から鳥屋戸尾根、酉谷山避難小屋泊で熊倉山に行ったことがあった。バリエーションルートが中心だったが、特に道が荒れていることもなく快適に山歩きができた。またバリエーションルートといっても奥多摩のルートはだいたい誰かが歩いているので他の地域に比べて1級低い。そんな快適な山行を期待して今回の山行を計画した。矢岳は分岐に看板があったので知っていたがタワ尾根は最近までよく知らなかった。ただインターネットで調べるとどうやら踏み跡があるらしく、今回の登路に用いることにした。

1日目

2004年12月11日

JR青梅線奥多摩駅=東日原バス停…一石山神社…金袋山…鈴坂丸…ウトウの頭…滝谷ノ峰…酉谷山…酉谷山避難小屋(泊)

1日目コースタイム
東日原バス停9:53
一石山神社10:16
10:28
一石山1007m11:10
金袋山1325m11:53
12:10
鈴坂丸1456m12:28
12:47
ウトウの頭1588m13:01
大京谷のクビレ13:10
13:34
水源林道14:00
滝谷ノ峰1710m14:10
酉谷山1718m15:00
15:14
酉谷山避難小屋15:30
18:30就寝

 朝、家を出て奥多摩駅へ。さらにバスに乗り換え東日原へ。終点で下車し、タワ尾根登山口となる一石山神社へ向かう。日原には水場があったが家で水を汲んできていたのでそのまま歩く。東日原では7人ほど下車し、うち2人ほど私と同様日原川を上流へ向かった。他は鷹ノ巣山や滝入ノ峰経由で三ツドッケに行くのだろう。

 20分ほどで日原川から小川谷が分かれ、小川谷へ向かう。小川谷橋の手前でトイレがあった。分かれてからしばらくで一石山神社に着いた。狭い谷間に猫の額ほどの売店と谷に張り出した駐車場とがある。朝が早いから駐車場はほとんど車がなく一本とって上着を脱ぐ。

 神社にも水があったが手洗い用のようだった。階段を登ると神社の境内。下から見るとずいぶんと立派そうに見えたが狭い神社だった。社が2つありどこから登るのか分からない。少し探すと下流側の社の右手から道が伸びていた。ジグザグに社の上を登っていく。道はしっかりしており砂のような土だが崩れたりはしない。ただ非常に急な勾配で落石防止の壁があり、これを巻くように道がついている。

 あえぐように登っていくとタワ尾根末端の尾根に出る。ベンチがあり尾根の先をさす看板に「展望」とあるが、その下に「無し」と付け加えられていた。かなり疲れるが休むには早いので先を行く。登る先の右手には燕岩が大きい。一石山へはさらに岩の出てくる急登で、上まで登りつくとさっきまでとはうってかわって平坦な尾根が続く。大きなタワ尾根が緩やかに高度を下げ、この燕岩を最後に小川谷にストンと落ちている。たぶんここが一石山なのだが他より高いわけではなく下から見て山に見えるから「山」の名前が付いているのだろう。この一石山山頂は三叉路を示す看板があり、一つは私が登ってきた一石山神社、一つは鍾乳洞へ下る道、一つはタワ尾根上方に続く道。鍾乳洞へ下る道には「岩場危険注意」、タワ尾根上方へは「通行止」と大きく書いてあり、その上に小さく「金袋山を経てウトウの頭」と赤い字で書いてあった。鍾乳洞へ下る道もあるらしいが一石山神社からの登りより危ないのだろうか。

一石山神社
12/11 東日原バス停から歩くこと30分。タワ尾根末端の一石山神社についた。
なだらかな人形山
12/11 一石山からはなだらかな尾根を行き、人形山1176m。巨木に見とれていたら赤テープを見失う。

 歩を進める。一気に300mほど登ったのでさっきまでの谷に比べて眺めがある。そこそこ人が入っているのか道ははっきりしないが、倒木などはなく歩きやすい尾根だった。平坦な道はやがて傾斜が出てくる。1176m峰への登りである。右から広い尾根が合流するところでもともとはっきりしない道はすっかり分からなくなる。何となく右手の尾根に引き込まれ、またもとの尾根のほうに登りながら戻ると大きな木があった。何と言う名前かは知らないが、まわりの木に比べて群を抜いて大きく、傾いているのでおじいさんのようだ。誰もいない山腹で感心してから歩き出すと道が分からない。しばらく迷うが面倒なので右手の尾根に上がってしまう。こっちの方が高いので最終的にこの尾根に登るためだ。尾根を伝っていくと二重山稜の様相を呈してきて、くぼ地を渡って向こうの尾根に渡る。そこでテープを発見。はっきりしないピークだった。後で知ったが人形山というらしい。名前のあるピークまで、と目標を立てて休まず歩く。

 次は1325m峰。先ほどまであれだけ広かった尾根は細くなってくる。岩がでてきたりしてから水源巡視路みたいなのが交差する。右手小川谷側から登ってきて左手孫惣谷へ下っている。だいぶ立派な道で踏み跡と呼ぶのは失礼なくらいである。どこに抜けるのか気になるがまっすぐ尾根を突き進む。枯れたシノのヤブの中に道があり、また尾根が広くなる。道がはっきりしなくなるが少しでも高いところを目指して歩くと金袋山山頂に着いた。10cm×3cmくらいの小さな看板がかかっており「袋」の文字が消えていた。標高が付してあったので地図の上での場所が確認できる。別に広くなっているわけでもなく、とりわけ高いわけでもなく、ぜんぜん山頂っぽくないのだが、きりがいいので一本とる。人もおらず静かな山だ。

水源巡視路と十字路
12/11 人形山を過ぎると尾根も細く急になり、水源巡視路と十字路になる。尾根を巻くようについているが、どこに出るのだろう。ここは直進する。
鈴坂丸の登り
12/11 金袋山からしばらくで尾根は狭まり篠の中の道になる。これを抜けると鈴坂丸1456m。ウトウの頭が正面に見えるはずだが、木に隠れて見えなかった。

 金袋山を出ると次は鈴坂丸1456m。タワ尾根の中でももっとも平らなあたりである。尾根が細くなりまた枯れシノのヤブ。歩いていると水道局の古い石柱が多い。なだらかになると鈴坂丸。ここも看板を見つけることができたが金袋山同様ぱっとしない山頂だ。タワ尾根は広い山頂が多い。

 鈴坂丸から緩やかに下り。ウトウの頭が見えるはずだが木に隠れてはっきりしない。ほとんど平坦な道が続き楽である。ウトウの頭の登りに取りかかると尾根は細くなり急になる。依然として道ははっきりしないため、孫惣谷側を巻いていくのかと思ったらどうやら正しくないようで稜線に戻ると踏み跡があった。登っていくと広葉樹林帯から常緑樹に変わってきて足元が暗くなる。ウトウの頭はまだかと登っていると上から鈴の音が聞こえてきた。これまで人に会わなかったがさすがに奥多摩、登る人がいるものだ。聞くと孫惣谷から私の知らない尾根を登り、鈴坂丸に着いてからウトウの頭を往復しているらしい。いやはやマニアックな登り方だ。私も変なところをよく登るが脱帽である。特にこのタワ尾根は全体的に緩やかなので迷っても何とか強引に下れそうなのでさまようには適しているかもしれない。

 ひとしきり登ってから平坦な道を行くとウトウの頭。展望はまったくない。鳥の彫られた看板がぶら下がっていた。この先暗い苔の生えた奥秩父っぽい雰囲気が出てくる。道もところどころ分かりづらく道を探しながら歩くのが楽しい。尾根自体ははっきりしているので方位磁針と地図をつき合わせる必要はなくただ目の前の道を探すだけだ。

ウトウの頭
12/11 ウトウの頭1588m。この登りで下りの人に会ったが、鈴坂丸の枝尾根から登り、日原へ帰る途中と言っていた。かなりの通だ。
大京谷のクビレ
12/11 大岩にぶつかったら左を巻いて大京谷のクビレ1540m。小川谷側からの風が冷たいが、日がさす。

 登ったり下ったりしていくと大きな岩のところに出る。赤テープは左下を示しており、この岩を巻いて下る。下ったところが大京谷のクビレ。やはり小さな看板があった。孫惣谷側が明るく隣の天祖山らしき山が見える。下から石灰採掘と見られる音がした。次の一本で水源林道までたどり着けるので、ゆっくり休む。小川谷側からの風が冷たい。記録を書いていて明日下水処理場へデータ回収に行くことを考えてしまった。こんなに疲れて大丈夫だろうか。

 次はカラ沢の頭1602m。かなり急な登り。岩の左手の土の斜面を直登する。カラ沢の頭の看板は見つからなかった。登ってしまえばまた平坦なシノのヤブ。傾斜もゆるくのんびり歩く。また少し傾斜がついてくると水源林道に出た。背丈を越えるヤブをかき分け、突然立派な道に出ることを期待していたのだが、思ったよりあっけない。ちょうど農林水産省と東京都の看板が並ぶところだった。タワ尾根はバリエーションルートだが地形的に無視できるほど小さくなく、水源林道でも要所なのだろう。他にもいくつか看板があった。

大京谷のクビレから天祖山
12/11 タワ尾根からはほとんど展望はない。この大京谷のクビレから天祖山が見えるくらいである。採石場の音が聞こえてくる。
水源林道
12/11 水源林道に出る。農林水産省と東京都の赤い鳥獣保護区の看板が並ぶところである。

 ここまでタワ尾根を登ってきたらタワ尾根を発する長沢背稜の山まで登ってみたい。道を探すと、「<雲取山・長沢山|酉谷山・一杯水>」という看板の右の笹ヤブに踏み跡があった。これをたどることにする。急登を行くと倒木が道をふさいでいたが道は続いていた。だんだん山は丸くなってきて水平になるが滝谷ノ峰を示す看板は見つからない。進んでいくと下り始めてしまったので、急いでコンパスをきると稜線はこのまま西へ雲取山の方向へ伸びていたので引き返す。木々の間から大きな酉谷山が見えた。

滝谷ノ峰へ
12/11 タワ尾根を発する滝谷ノ峰へ登ってみる。入口は「<雲取山・長沢山|酉谷山・一杯水>」という看板の右手。笹をかぶっている。
滝谷ノ峰から酉谷山
12/11 滝谷ノ峰へは意外と登りが続く。滝谷ノ峰には特に看板も何も見当たらなかった。そこで撮った酉谷山。

 どうせなら水源林道に戻らず稜線をそのまま歩きたい。適当な稜線を歩く道はないかと探していると笹ヤブの中に踏み跡がある。鹿の足跡かもしれないがこれをたどっていくと滝谷ノ峰北東の肩についた。稜線はヤブではなく獣道が続いているので難しくはない。道につまったとしても水源林道まで出るのはそう難しくないだろう。ところどころ岩が出ているところがあり小さな上り下りをしながら全体的には下っていく。地面が土になっているところでは鹿の足跡がいくつか見つけられた。秩父側に下っていく足跡もあった。

滝谷ノ峰を振り返る
12/11 滝谷ノ峰を振り返る。笹ヤブの山である。長沢背稜南面を巻く水源林道を通らず、稜線沿いを行く。
長沢背稜の道
12/11 長沢背稜の稜線の道は獣道が続いているが古くは道だった感じがした。ところどころ岩が出ており登り下りがめんどくさい。鹿の足跡の多い道だった。

 最低鞍部でいったん水源林道に出て一つか二つ山を巻いて酉谷山直登ルートに入る。水平方向に1km近い登りで長い。登っていると疲れるので、あさってのデータ回収作業が心配になってくる。いっそ今日のうちにむりやり下山してしまおうかと思うが下山するにしろしないにしろ、酉谷山までは行かねばならないので黙って登る。酉谷山のピークに近づくと小さなくだりもあってニセピークが多い。2つほどニセピークを越えると酉谷山山頂につく。

 3年ぶりの酉谷山である。前はここから熊倉山に向かった。酉谷山山頂は南側に展望があり、山が連なっているのが見える。一番手前にあるのがタワ尾根でありウトウの頭や大京谷のクビレが形から分かる。山頂には人がおらずゆっくりしてから酉谷山避難小屋に下る。

酉谷山からタワ尾根を望む
12/11 酉谷山山頂からタワ尾根を望む。バス停からも遠く、切り立った山もなく、鈍重な尾根である。玄人好みと言えるだろう。
酉谷山山頂
12/11 今回の山行で最高点となる酉谷山山頂には誰もいなかったので、相棒の100lザックを撮ってみる。さびしい。

 こんなに遠かっただろうかと思いながら稜線を歩いていくとやっと水源林道に下る道に出る。すぐ酉谷山東の肩でさらに10mほど下るときれいな酉谷山避難小屋である。手前にはちゃんと水が流れており水がなかったら今日中に下ろうと考えていた私は泊まることにした。

 小屋に入ってみるとすでに若者が一人いた。私と同じくらいの歳である。聞くと夏に2ヶ月かけて北アルプスから南アルプスを経て日本横断をしたという。あまりに驚いて荷物を解くのをほどほどに話に聞き入ってしまった。何でも北アルプスは親不知から野麦峠まで歩いたとか。野麦峠は焼岳から安房峠を越え乗鞍岳を越えた先である。ふつうそこは北アルプスとは呼ばない。ヤブがひどかったといっていた。ヤブがひどいにも関わらず、方位磁針の使い方は詳しくないようだった。おおむねこっちが南、という使い方で何とかなったらしい。南アルプスについては鋸岳〜甲斐駒の鞍部の六合石室から寸又峡温泉まで。光岳からは大無間山をとらず池口岳の方に向かったという。2000mの稜線が南に続く方がこちらだったからとか。27日間の食料を背負ったため50kgくらいになったのではないかといっていた。驚き驚きの連続でもう脱帽である。もともとチャリダーで北海道も九州も旅したらしいが、その中でちょくちょく山に登っていたそうだ。羅臼岳なども登っているらしい。私が知床に行ったことを言うとすごいと言われたが、その言葉はよっぽど彼に当てはまるものだった。今回は金峰山から奥秩父を縦走し、雲取山から酉谷山経由で奥多摩駅、石尾根を登り返して雲取山に戻り、雁峠から柳沢峠、大菩薩嶺、小金沢連嶺、笹子峠、三つ峠山行って都留市に下りる。そのあと御正体山にとりかかり山伏峠から丹沢全山登って大山に下りるらしい。それが終わったら北八ヶ岳に雪山初挑戦して、春まで四国八十八ヶ所を回るといっていた。3月に筑波大を卒業してから現在無職、翌年4月から自衛隊幹部候補生として雇ってもらうらしい。あまりの自由の満喫っぷりに少しうらやましくなった。

 だいぶ長く書いたが話を聞いている途中で16時になったので黙って気象図をとらせてもらう。気象図を書いていたらおばさんが一人来てあわてて広げていた荷物を片付ける。気象図をとり終わってもおじさんが2人来たので計5人、小屋には適正な人数になった。全員単独行だった。おばさんは古里から登って来ておじさん一人は天祖山から明日熊倉山へ。私が矢岳に行くといったら誰も知らなかった。そこそこ話も弾み、寝た。


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