2003年春 - New Zealand旅行[5/37] - シドニー空港→クライストチャーチ

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2003年春 - New Zealand旅行[5/37]

シドニー空港→クライストチャーチ


1日目

2003年2月26日

シドニーSydney→クライストチャーチChrist Church | ハグレー公園Hagley Parkのベンチ(泊)

クライストチャーチChrist Churchの中心、大聖堂Cathedral

↑クライストチャーチChrist Churchの中心、大聖堂Cathedral

 6時に起きる。朝飯が出た。7時シドニー空港着。ちゃんと座席を見ないで降りたらしく、ここで筆箱を忘れたらしい。降りて"Transfer"の看板に従い、出国ロビーに移る。途中、またX線検査があった。

 ロビーでいろんな店をうろうろする。成田空港より店が多い。でも歩くと靴が壊れるので、ほどほどにしてイスに座っていた。で、手荷物をチェックすると筆箱がない。"Transfer"のX線検査で忘れたかと思って聞きに行ったがなかった。"pen case"って言っていたら通じなかったが、向こうの人に"pencil case?"って聞かれて通じた。でもなかった。

 イスに戻って家から持ってきたパンを食べた。NZは卵とか持ちこみ禁止なので、食べた。でも食べきれなかった。11時半、搭乗手続きで飛行機に乗って、クライストチャーチに出発した。パンを食べて満腹にもかかわらず、この機内で機内食が出るという問題が発生した。食いきれないかと思ったが、ゆっくり食べて食べきった。

 3時間ほどでNZが見えてくる。サザンアルプスには雪がかかっていた。ただただ広い牧草地を過ぎてクライストチャーチ空港着。クライストチャーチ国際空港に着いて入国審査。そこのモニターでは「All Passports」「すべてパスポート」など4か国語で表示があったが、日本語の表示の意味が最初わからなかった。たぶん、直訳すれば「空港を通る(ための)もの全て」すなわち、「パスポートと旅券」だろう。とにかくパスポートと帰りの旅券を見せたら通してくれた。そのあと、麻薬犬に荷物をかがれて、荷物検査。荷物検査では食べ物と土のついているものを申告した。食べ物は伝染病を入れないため、土のついているものは外来の植物を入れないため。食べ物ではチーズおかきが乳製品のチーズでひっかかった。おにぎりを見せたら、"Japanese sushi?"とか聞かれた。寿司は携行食じゃないっての。土のついているものでは山靴、サンダル、沢タビ、テントの4点。履いている靴を見せたら向こうは"Oh..."と言葉につまっていた。わたしもやりたくてやったんじゃないんですけどね。テントはどこか向こうへ持っていって広げたらしい。結局、チーズおかきだけ違反だったらしい。

 入国審査の後、両替を済ませ、市街地へ向かう。出たところはなんかさびしいところだ。バスはどうやっていったらいいんだろう。もう17時なので、はやく宿に着きたい。YHAに行きたい。空港を出てバス停を探す。バス停の柱みたいなのが見つからない。探しているとタクシーが来た。が、タクシーには用がない。高いし、だまされたくもないし。何とかあしらおうと「バス停はどこだ」と聞くと「もうバスは行ってしまった」といわれた。まだ17時だぞ。「もうバスはないのか」、と聞くと「ない」。となれば選択肢は2つ。タクシーに乗るか、歩くか。歩くのはもう夕方だし、初めて来たところだし、市街地まで15kmだし、避けたい。タクシーのおっちゃんが「$5安くする」とか販売攻勢をかけてくるので、折れた。

まもなくChrist Church International Airport
まもなくクライストチャーチ国際空港。旅が始まる。
Hagley Parkのカモ
どこの宿もあいておらず、ハグレー公園のベンチで一夜を明かして。カモは元気だった。

 ただし、上の会話はわたしの英語力と記憶力に難があるため、必ずしも正しいとは限らない。で、ここが唯一だまされたかもしれないところ。バスは21時ころまで確かにある。それは帰国の前々日に知った。でもけっこう粘ったつもりだから、「今日のバスがないのか」を尋ねたと思うのだが。少なくともはっきり覚えているのはおっちゃんが「バスがある」とはまったく言わなかったことだけ。もう少し英語ができればなあ。果たしてだまされたのか、自分の英語力が足りなかったのか、それはおっちゃんのみが知る。

 Christ ChurchにはYHAが2つある。City CentralとRollestonの2軒。Rollestonのほうが近いのを知っていたので、Rollestonに行ってくれと言った。タクシーのおっちゃんにはどこから来たのかとかいくつか聞かれたが、ぶっきらぼうに答えた。車が日本と同じで左側通行だった。ロールストンRollestonのYHAの前に着いて、払う。$25。ちなみにバスだと大聖堂前から空港まで$4である。

 YHAに入って「泊まりたい」と聞くと、今日は満室といわれた。近くのYMCAを紹介された。なんか知らんが、ここChrist ChurchではYMCAが宿泊施設をやっている。行ってみると$55の部屋しか空いてないといわれた。これは高い。日本でなら安いんだろうけど、まだ旅行も始まったばかりだし、すでにタクシーに乗っているので、あまり金を使いたくない。それでお断りして出た。次にもう一軒のYHAを回ってみた。ここは玄関のところに「すいません、今日は空きがありません」と張り紙があったので、聞く必要がなかった。なぜこんなに混んでいるのかはよくわからなかった。特に催しがあるとも思えなかったのだが。

 すでに時刻も遅い。回るのが面倒になってハグレー公園Hagley Parkに向かった。そこでしばらく体育座りをして、ボーっとする。もう19時を回っているのにまだ明るい。変な国だ。しかし、まったく空きがないとは。考えるのが面倒になって、ここのベンチで泊まろうと考えた。こんなに遅いのにジョギングをしている人がいる。とにかく暗くなるまで寝ることはできないのでボーっとしていた。少し寒かったのでフリースを着た。野宿するのに適したベンチを探し、ヴィクトリア池Lake Victoriaの北西岸の暗いベンチを見つけ、そこに腰を下ろした。この公園は入り口にゲートがあったし、トイレに鍵がかかっていたので、管理が厳しいかもしれない。出てけといわれたら出るとしよう。21時ころやっと暗くなって寝る。

 寝つくときは誰かに刺されたりして死ぬだろうか、日本には明日の夕刊かあさっての朝刊に「NZ、邦人男性一人刺殺」とか出るのだろうか、21年間そこそこ充実した人生だったとか、そんなことを考えていた。


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