山ノ中ニ有リ山行記録一覧2001年山行一覧>知床・知床岳〜知床岬

2001年夏 - 知床・知床岳〜知床岬


2001年8月3日(金)〜10日(金)
場所
北海道目梨郡羅臼町、斜里郡斜里町
コース
7月30日
JR上野駅=JR常磐線水戸駅=大洗港(フェリー泊)
7月31日
フェリーにて移動=苫小牧港=JR室蘭本線苫小牧駅(泊)
8月1日
JR室蘭本線苫小牧駅=追分=新得=帯広=JR根室本線釧路駅(泊)
8月2日
JR根室本線釧路駅=羅臼=知床橋バス停・ルサ川河口(泊)
8月3日
ルサ川河口…ルサ乗り越え…ルシャ川河口…コタキ川河口北の番屋(泊)
8月4日
コタキ川河口北の番屋…コタキ川標高610m(泊)
8月5日
コタキ川標高610m…コタキ川左股…知床岳…知床小沼(泊)
8月6日
知床小沼…知床沼北沼北西岸(泊)
8月7日
知床沼…ポロモイ岳…814mピーク付近(泊)
8月8日
814mピーク付近…ウイーヌプリ…知床岬…岬の東の海岸(泊)
8月9日
知床岬停滞(泊)
8月10日
知床岬=釧路(泊・翌朝解散)
参加者
俵田(3), 藤田(3), 中山(2), 永谷(2), 車(1)
参考文献
部室にある資料

知床半島の地図

アプローチ1日目

2001年7月30日

JR上野駅=JR常磐線水戸駅=大洗港(フェリー泊)

 正午、部室に集合。上野で見送りを受けて水戸へ。水戸で吉野屋の牛丼を食べる。まだ400円。水戸からバスで大洗へ。三井君が乗船名簿の佐藤さんの備考のところに「ナイスガイ」と記していた。大洗の港から「さんふらわあつくば号」に乗船、苫小牧へ。23:59発のはずが遅れて0:20頃出航した。酒を飲んで、心ははや北海道へ。1:30就寝。

アプローチ2日目

2001年7月31日

フェリーにて移動=苫小牧港=JR室蘭本線苫小牧駅(泊)

 11時起床。風呂入ったり、記録つけたり、本読んだりして過ごす。揺れることは揺れるが、誰も酔わなかった。風呂では船が揺れると、湯舟の水面が揺れ、ふだんの風呂と違ったものが楽しめた。部屋でトランプをしたが、本当に神経が衰弱した。船の中でやるものではないらしい。20時頃苫小牧港着。ちょっと寒い。バスに乗り苫小牧駅へ。駅から歩いてまた吉野屋の牛丼を食べる。今日まで400円。その帰り、雨が降り出した。濡れた。寒い。駅について、佐藤さんに上富良野の行き方を教え、通路で安眠。

アプローチ3日目

2001年8月1日

JR室蘭本線苫小牧駅=追分=新得=帯広=JR根室本線釧路駅(泊)

 朝一番6:15発の室蘭本線岩見沢行きに乗る。追分で乗り換え。石勝線に乗る。夕張行き。新夕張で下車。1時間ほど暇があるので外でふらふらする。メロンを売っていた。一番安いので1300円。学生に手の出せる金額ではない。駅前のトイレは常に「エリーゼのために」(3和音くらい)がかかっており、おちついて用を足せないと俵田さんが言っていた。駅に引っ込んで特急スーパーおおぞらに乗る。青春18きっぷユーザーの中では18きっぷで特急に乗れる事で有名な「新夕張−新得」間である。さいわい込んでなかったので座る。席のかごにあった車内誌を読みあさる。駅弁に思いをはせ、腹がへってしまった。新得に着いて大雪山に行く縦走パーティーを見送る。根室本線に乗る。帯広行き。寝てしまった。帯広に着いてメシ。スーパーおおぞらで見た情報によると「豚丼」なるものが有名らしい。駅を出て食べる。うな丼のウナギをブタに取り替えた感じだ。うまかった。また根室本線。今度は長い。3時間ほど。となりを走る自動車の方がはやい気がする。きっと気のせいだろう。終点釧路着。今日は釧路で寝る。待ち合い室のテレビを見て過ごす。23時半、最後の列車、特急「まりも」札幌行きが出た後、駅の外で寝る。

アプローチ4日目

2001年8月2日

JR根室本線釧路駅=羅臼=知床橋バス停・ルサ川河口(泊)

 7月30日に部室を出てからはや4日目。やっと入山することができる。6:30起床。釧路→羅臼は4740円と痛い。往復なら10日間有効で8360円。予定通りなら10日で帰ってこられるが、わからないので片道を買う。トイレ付きの観光バスみたいな車両に乗っけられる。羅臼で4時間くらい乗り換え待ち。港でだべって過ごす。羅臼のバス営業所は暖房が効いていて暖かいが外はそれに一枚羽織るものがほしい。営業所のロッカーは100円。普通の駅のロッカーなら1日300円のサイズだ。しかも帰ってから分かったが、何日でも100円だった。相泊行きのバスに乗り、知床橋下車。ここがルサ川河口だ。車道から見える中州で幕営。テントを張って御飯を作っていると、バイカーが「ここがテント場ですか?」と聞いてきた。否定してテントにもぐった。大平洋の波を子守唄に寝た。19:00就寝。

1日目

2001年8月3日

ルサ川河口…ルサ乗り越え…ルシャ川河口…コタキ川河口北の番屋(泊)

ルサ川河口2:30起床
4:07
ルサ川二股4:47
4:59
標高170m付近5:56
6:10
ルサ乗り越え6:58
ルシャ川に出る7:12
7:30
標高165m二股8:29
8:38
落差1m滝8:43
標高130m付近9:35
9:59
ポンルシャ川出合10:36
標高50m付近11:15
11:29
ルシャ川河口12:05
コタキ川河口12:10
番屋13:10
18:30就寝

 2:30起床。さすがに日本の中でも特に東に位置するとあって日の出は早い。4:00には歩き始めることができた。

 ルサ川遡行。とても平坦な川。ルサ川二股までは50mの標高差を2kmかけて登る。河床幅は広くないが、ひらけていてまさに川である。朝ということもあって水もそこそこ冷たい。しかし、深さは足首くらいなので寒い思いはしない。難なく二股に着く。

ルサ川河口
ルサ川河口。ここから山行が始まる。
ルサ川二股
平坦な川を歩き、ルサ川二股に到着。ここから右股ヘ。

 二股は右股が狭く、左股は広い。右股のさらに右に細い流れがある。とりあえず、偵察。右股らしき方を行くと、倒木が多く、長く続いていそうな沢だった。というわけで、予定通り右股を行く。規模の小さい沢で、滝もせいぜい1m、楽に登れるところばかりだった。ただ、沢がくねくねと曲がっているので、どこにいるのか正確に分からなかった。何回か分岐があるが、本流らしい水量の多いところをたどる。T字路があった。水量比左2、右1。右から注いでいる。コンパスをきって右へ。そのあたりからヤブがかかるようになってきた。ハズレだったらしい。沢も流れがなくなり、わきのヤブを歩く。ヤブの中で1本。現在位置を確認する。少し登ると知床の主稜線が見えた。いくつかの山から判断してだいぶルサ乗り越えに近いところにきたようだ。おそらく標高170m付近。

 沢ぞいに歩き出す。すると湿地帯に出た。50平方メートルといったところか。足を踏み入れると、

ズブッ

一度に30cmほど沈む。歩くたびに沈み、ひざくらいまで沈んだので、親切そうに置いてある倒木にのっかる。沈まない。倒木伝いに歩き、沼ステージをクリアする。振り返ると、一年生の車が見事に沼トラップにはまっている。しかも、また下あたりまで。「うおっ、抜けねえ」と、もがいていた。そのようすがあまりに面白いので俵田さんが「おまえ、そのままにしてろ」ととどめ、記念撮影。

 さて、ササヤブの中を歩き出す。ゆるやかな斜面を登る。と思ったら、先を行っていた永谷君の姿が見えない。「どこだあ」と叫んでいると、下の方から声が。どうやら沢の本流があってそっちに下りたらしい。篠をつかみながら下ると沢に出た。土がV字に切れ込んでいる。細い流れをたどると水流はなくなり、ササヤブに突き上げていた。ガサガサガサと登っていくとルサ乗り越え(270m)に着いた。

ルサ乗り越え
ルサ乗り越え、標高270mの知床半島最低鞍部。根室海峡側のルサ川とオホーツク海側のルシャ川のコル。
ルシャ川源頭
ルサ乗り越えから10分。オホーツク側のルシャ川に出た。

 ルサ乗り越えは1.5mくらいの笹に覆われている。ここが知床半島の最低鞍部だ。尾根のどちらを見ても高くなっている。本日の最高点だ。ここからルシャ川の下りにかかる。北側斜面を見ると、ところどころハイマツが群生している。沢に向かってまっすぐハイマツ帯を下る。下りにくい。「これが、知床のハイマツか」というと、俵田さんが「こんなん、体験版にもなんねえよ」とつっこまれた。右の潅木帯にずれて下ると、すぐルシャ川源流部に出た。地図を見るとルサ乗り越えから200mほど。本州と違って、主稜線と川が平行になっている。区切りがいいので一本。

 まわりの植生はフキやササ。川幅は狭く、1mほど。水深も5cmから10cmくらい。ゆるやかに流れている。写真をとったりして出発。沢沿いに下る。この日はルシャ川の中流部でテントを張る予定だったが、3時間半でルサ乗り越えまでこられたので河口まで下ることにする。くもりだったが、途中で通り雨が降る。カッパを着たが、30分程度でやんでしまった。だんだん支流をあわせ、川幅が広くなる。ルサ川でもそうだったが、河原が広くゴルジュは全くない。標高150m付近に滝が一つ。落差1mほどのトイ状。右岸から巻いた。

 標高130mほどの地点で昼飯。といってもカロリーメイト。ポンルシャ川をあわせると川幅はだいぶ広くなり、5mくらい。水深も深いところでヒザ上くらい、だったかな。濡れそうなところは左岸を巻いた。左岸にはしじゅう巻き道のような道が続いていた。川はくねくね曲がり、60°くらい曲がるところもある。俵田さんはショートカットを試み、踏み跡をたどっていったら、熊のフンを見つけたりササに立ち往生したりで、大変な目にあったらしい。

 標高50m付近でまた一本。左岸の236m峰がわかるので、もう河口は近い。おととし、俵田さんと藤田さんは雨の中ルシャ川をノンストップで河口まで突っ切ったそうで、このあたりを通過するころには極度のテンション低下におそわれていたらしい。さいわい、今年はくもりで休むと少々寒いものの、歩けば暖かくなるていどの気温なので快適にすすめた。

ルシャ川河口
ルシャ川河口。広い。
ルシャ川河口に着いて
ルシャ川河口に着いて記念撮影。1日で知床半島を横断したことになる。

 河原が広がり、堰が見えてくるともうルシャ川河口だった。堰をつくった時にひいたと思われる道が左岸にあったのでそこにそって歩く。はじめて見るオホーツク海だったが、1日で半島を横断したからか、いまいち感慨がわかなかった。今日の行程はここでおしまい。

 右岸の道のわきにテントを張る。新しいダンロップのV6だ。フライシートはオレンジ色と目立つ。靴を脱いでごろごろしたり、河口のカモメの様子を見ていると、南側の対岸に黒い動く何かが。

ヒグマだ!

「刺激すんな」俵田さんが指示を出すので、私はそのままザックの中身をごそごそいじり続けた。しかし、クマさんは海岸沿いの道に下りてきて、ノソッノソッとゆっくりこっちへ向かってきた。思ったより小さいクマだ。橋を渡ってきたのでこれは危険と判断し、クマスプレーのみをもって河原のゆるいガケに下りた。しばらく待つ。「やっぱり遺書書いておけばよかったかなあ」そんなことを思う余裕があったので、死ぬつもりはなかった。俵田さんがガケを登ってのぞくと、クマさんは海岸の方へ行っているらしい。「早くどこかにいってくれないかなあ」と思っていたら、ガケの左手からクマさんがニュッと顔を出したのであわてふためきながらガケを登り、手ぶらでゆっくり逃走。俵田さんたちはおととし、クマを監視している人(?)に北へ1kmほどの番屋に行って泊めてもらうよういわれたそうで、それに従い、番屋へ向かった。幸いクマは追ってこなかった。

 番屋に着いて、リーダー俵田さんが番屋の一番えらい人に交渉する。ことばのなまりがはげしくて、なかなか分からなかったが、奥の倉庫に泊めてもらえることになった。しかし、置き去りにしたテントとザックを取りに行かなければならない。「一匹出たらかわるがわる出てくるからいつ行っても一緒だよ」というので、目撃後、1時間ほどして、取りにいった。幸い黒い影は見当たらなかった。高速でテントをたたみ、ザックを背負って番屋へ向かった。

番屋
一晩お世話になった番屋。
番屋の桟橋
番屋の桟橋にて。まもなく夕暮れ。

 倉庫にテントを張り、ウダる。車は食事の用意をしていた。藤田さんと永谷君の乾燥野菜はやはり変な色をしていた。ごはんにシチューをかけていただく。歯を磨いたり雑事を済ませていると日が暮れた。海岸は北東から南西に伸びているので、ほとんど真正面に沈む。重い灰色の雲が水平線の少し上まで伸びていて、本州で見る夏の天気とまったく違っていた。いっとき、雲が晴れ、硫黄山(1562m)が見えた。18:30就寝。

2日目

2001年8月4日

コタキ川河口北の番屋…コタキ川標高610m(泊)

番屋2:00起床
4:09
コタキ川
標高60m付近
5:10
5:21
コタキ川
標高150m付近
6:22
6:34
コタキ川
標高210m付近
7:33
8:00
コタキ川
標高300m付近
8:57
9:15
大岩の巻き9:20
9:37
コタキ川
標高390m付近
9:55
10:30
コタキ川
標高470m付近
11:33
11:50
コタキ川
標高610m付近
12:45
18:15就寝

 2:00起床。くもり。今日はコタキ川を遡行し、三股まで行く。

 番屋を出て、コタキ川の河口へ歩き出す。明け方はクマがよく出ると聞くので、ピーピー笛を吹きながら歩く。騒がしく歩いていたからか、クマにはあわずに済んだ。ルシャ川と似たような広い河原を歩いていくとテッパンベツ川との分岐に出た。流れがゆるやかで分岐に中州があるので少しとまどったが、地図通り左をとっていくと一つの流れになった。

コタキ川北の番屋
コタキ川北の番屋にて出発写真。
コタキ川遡行
コタキ川遡行。テッパンベツ川を分けると暗いゴルジュになる。

 しばらく歩いていくと川は狭くなり、ルシャ川と雰囲気が違ってくる。25000分の1地形図の滝記号から暗く狭い沢になった。はじめの5mくらいの滝は左側の土の斜面を登った。大きな倒木があるところがあった。はじめに濡れなきゃならないと思ったのは、深い淵を持つ1mの滝だった。水流は強くないので水の中に入れば突破できるが、寒いし、くもりだしあんまり濡れたくない。永谷君が「行け、中山」とせかす中で、私は右側をへつることにした。意外とホールドは多いので慎重にやれば落ちない。ちょっと必死にへつっているととなりで、

ドボーン

という音がした。見ると、車が永谷君に突き落とされている。頭のてっぺんまで沈んでいた。さらに3mくらいの並行した2本の滝が出てきた。これも淵が深い。左からへつり、滝の中をトラバースして通った。

コタキ川遡行
コタキ川遡行。右をへつる中山。

 滝は続く。どの滝も淵が深く、へつらないと寒い思いをするので慎重に登った。やがて、大岩に似た岩が出てきた。でもちょっと小さい。沢のど真ん中にあり、目立つ。大岩がゴルジュの巻きの開始点らしいので巻き道を探すが見つからない。その間一本をとる。この先も別にゴルジュではない。あれはニセ大岩だということで、進むことにする。その間、車は濡れた服に体温を奪われ、「寒いっス」とこごえていた。降り始めた雨がなお寒い。

 しばらく沢をたどると、5分ほどで本物の大岩が現れた。今度はニセ大岩より大きく、明らかに登れない滝が奥にかかっている。右側から細い滝が落ちていた。探すと確かに左側に踏み跡がある。それに従い、高巻く。道が途切れるところでできるだけ下を選び、沢から離れないようにした。途中の岩のトラバースで「TRWV」と書かれた黄色いテープがあった。沢への下降点も赤いテープを熱心に探し難なく下れた。巻いていた時間は20分弱。25,000分の1地形図でいうと「コタキ川」の「キ」の字のあたり。

 しばらく歩いて390m付近で昼飯。雨はポツポツと弱く気にはならないが、寒いのがつらい。車はかなり寒そうだ。

 困難と予想していた巻きがうまくいったので、少し気を抜いてしまった。小滝があり、そのわきを登っていたら沢に戻れなくなってしまい、だいぶ登ってしまった。下降点が見つからない。ザイルを出さなきゃならないか、と一時思ったが、俵田さんが何とか下れるルートをつくり、沢に戻れた。25000分の1地形図には「コタキ川」の「コ」の字の先、砂礫のマークがあるが、広いわけではなく、それまでと同じような狭い沢である。

 そんな暗い印象の沢もやがて終わる。右手から小さい沢が合わさり、本流が幅広な滝になっているところを越えると、上方がひらけた明るい沢になった。沢に合わせるかのように雨もやみ、470m付近で休んでいると晴れ間がさした。太陽に感謝。そこからは危ないところもなくのどかな沢登りを楽しんだ。

 1時間歩いて小広いところを見つけ、休む。もう三股は近い。左岸の草地に登り、上流を眺めると25000分の1地形図の標高700m、中股にかかる滝が見えた。まわりのようすから判断して、ここは610m付近のようだ。三股のテン場は狭いらしいし、ここは明るく広いのでここにテントを張ることにする。

コタキ川北の番屋
コタキ川610m付近にて幕営。
コタキ川遡行
上流側をのぞむ。写真にはないが、700m三股の中股にかかる滝が見えた。

 石を避けて水辺から高さ30cmほど離れたところにテントを張った。天気はくもりだが、物を干す。のどかだ。のどかすぎてクマさんがこないことを祈る。運良く、クマさんはこなかった。私は石を積んでダムをつくり、楽しんだ。夕方、雨が降ってきた。18:15就寝。

3日目

2001年8月5日

コタキ川標高610m…コタキ川左股…知床岳…知床小沼(泊)

コタキ川
標高610m付近
2:00起床
6:50
三股7:05
左股・中股分岐7:15
コタキ川左股
標高830m付近
7:49
8:05
コタキ川左股ツメ
標高1050m付近
9:07
9:43
知床岳西方
標高1070m付近
10:08
10:35
知床岳12:15
12:48
1243mピーク
南南東
13:51
14:08
知床小沼14:25
19:30就寝

 2:00起床。霧が濃く、10m先の小滝も見えないのでしばらく待機。すでに予定より1日の貯金があるので余裕を持って知床沼までの予定をこの日は知床小沼までにした。

 6:50。ようやくガスもうすくなってきたので出発する。しばらく昨日と同じような明るい沢を行くと、三股のうち、右股との分岐に出た。私たちは左股に進むのでここは左にとる。また分流する。こんどは右のほうが本流のようなので、右を行く。すると、中股と左股との分岐に出た。中股には昨日見た、高さ20mくらいの滝がかかっている。滝が落ちたところに左から沢が入っている。これが左股らしい。その右岸を登っていくと、テントが一つ張れるか張れないかくらいのスペースがあった。たぶんここがいわれた三股のテント場なのだろう。

 左股をしばらくあるく。いままでと渓相は変わらない。明るい。しかし、頭の上はガスっていて、寒くはないもののちょっとは晴れてほしい。やがて8mくらいの滝にぶつかった。とりあえず直登してみる。藻がすべる。ちょっと怖かったが、登れた。永谷君は右から巻いていた。その先は見るとガスっていて稜線どころか30m先も見えない。やがて水流はなくなり、大きな岩がごろごろしているだけになった。話では左股の奥に大きな雪渓があるとか。しかし、ガスで先が見えない。水流も途絶えているのでこの先雪渓があるのかどうかよくわからない。1時間歩いたので一本。

 一本の間、俵田さんに「雪渓の左側」を行くことを教えられる。歩き出すが、雪渓どころか水流もない。気がつくと沢もツメとなり、カール状に広がってきた。傾斜もきつくなり、そこらじゅうに草が生えているし、どうも雪渓はないらしい。俵田さんが楽しみにしていたかき氷はおあずけとなった。雪渓がないことに気がついてからあわてて左へ登っていく。やがて稜線が見えてきたので登りやすそうなところを目指して登る。急な土の斜面だが、ところどころ岩もあり登りやすい。傾斜がゆるくなるとそこはもうハイマツの群生地だった。

知床岳
コタキ川をつめた先の平原。知床岳が見える。
知床岳南西平原
左と同じ平原。ハイマツの中に巨岩が点在し、これを縫って登る。

 標高1050mライン上で休む。沢タビを脱ぎ、登山靴に履きかえる。まわりはハイマツで、知床岳の方向はそのすそ野でわかるものの、肝心の山頂は雲で隠れ見えない。方向はわかっているので知床岳に向かって歩く。平坦で登りも下りもないが、ハイマツの下、足元に深さ50cmほどの溝が曲がりながら続いており、そこに水がたまっているので落っこちないように歩く。やがてハイマツの生えていない湿地帯に出た。ちょうど広いので一本。昼飯。カロリーメイトをほおばりながら知床岳に登るルートを考える。知床岳は依然頭を隠したままだが、その斜面には岩がごろごろしているところが分散して何ヶ所かあり、それをたどって行こうと考える。岩のないところはハイマツばかりだ。と、一瞬だけ霧が晴れて山頂が見えた。下から見ると台地のような丘のような低い山に見えた。

 知床岳へ。下から見た岩は1mから3m程度のもので岩と岩の間は深いすきまになっている。ハイマツの登りはちょうど登る方向に枝が張り出しているので登りにくい。途中で車が左によってしまい、回復にてまどった。途中の岩の上で一本とる。そのあと、永谷君が暴走、どこか上のほうに行ってしまった。車がハイマツ相手に苦戦し、進むのが遅い。確かに枝をつかみ、枝に乗っかり、バランスをとりながら次のハイマツをつかむという非常に特殊な登り方ではあるが。やがて、稜線に出た。反対側は深く切れおちている。ガスで見えないが、けっこう深そうだ。雨風はなく、歩くにはほどよい気温であった。しかし、この稜線上もまた歩きにくい。岩と岩の間に穴があり、その上に生い茂るハイマツの上を歩かなければならないのだ。一回、ハイマツを踏み外し、スポーンと1m落下した。なんだか立ち上がる気も失せて30秒ほど空を眺めた。真っ白。後続に見られると恥ずかしいので起き上がり、歩き出す。そこから山頂は見えるところだった。「永谷君どこだあ」と声を出すといつも通りの「ああん?」という返事がきた。ハイマツの中をむりやり出るとちょっとだけ刈り払われた山頂だった。

知床岳山頂
知床岳山頂にて記念撮影。
知床小沼到着
知床小沼に到着。

 知床岳1254m山頂は道のように細長くひらけている。稜線上で突出して高いところでもないので山頂は平坦だ。そこに永谷君は座って待っていた。「どっから来たん?」と聞くと「そっち」と稜線と垂直方向に伸びる道をさした。赤テープが見える。10mほどたどると確かにハイマツの中に刈った跡がある。「道」と呼ぶには足りないが、人の通った跡である。聞くと稜線に登っていく途中に巻き道があったらしい。俵田さんは大便のため遅れたが、山頂で待っているとみんな来た。しかし、あんな崖のきわで、もよおすとは度胸があるというか、ただ危ないというか。俵田さんは「目的の一つを達成した」と喜んでいた。目的の2つ目は知床沼、3つ目は知床岬らしい。三角点で写真を撮ったり、唯一のピーク缶を食べてすごした。

 そして今日の目的地、知床小沼へ。知床小沼まではしばらく稜線に沿って進み、1243m峰手前で南東に向かうことにする。見ると三角点から先、踏み跡と赤テープがあるので、それにしたがっていく。ハイマツとかん木帯が続く。登り下りはあまりない。一度間違えて稜線から外れてしまったが、戻ると道があった。北側は崖なのできわを歩く時は、がけ下の白いガスに吸い込まれそうでちょっとこわい。車はバランスを崩し、かなり吸い込まれそうになったらしい。1時間近く歩くと道が稜線から離れ、下り始めた。黄色いテープもついているので確からしい道だ。下はガスって見えない。ちょうど休めそうなスペースがあったのでそこで一本とる。地図を見るがガスで目標物は見つけられないし、似たような地形が広がっているのでどこだかよくわからない。あらためて下り出すと、ガスが晴れ、知床小沼が見えた。かん木帯を抜け、湿地帯へ。田んぼのようにぬかるんでいる。テントを張っても濡れないところを探し、1182.1m三角点峰北東250mほどのあたりにテントを張った。

知床小沼幕営
幕営完了。
湿地帯
知床小沼は湿地帯になっている。テントを張る場所にも一苦労。
霧と永谷
霧と永谷。夕刻、知床小沼は霧に包まれた。

 時々晴れるので、靴下を乾かした。しかし、くもると寒い。知床沼へ向かう赤テープを見つけ、ハイマツで焚き火を試みるが、ハイマツは燃えず、失敗に終わった。

4日目

2001年8月6日

知床小沼…知床沼北沼北西岸(泊)

知床小沼2:00起床
5:05
尾根を登り
きったところ
5:53
6:17
知床沼北沼北西岸8:13
19:00就寝

 この日は半日行程。約2km先の知床沼まで。昨日永谷君が見つけた赤テープをたどる。入り口は小沼の北で、はじめの10mほど登るようになっている。すぐ下り道になり、だんだん尾根になってくる。赤テープが続いているので迷わない。1110mの最低鞍部に下りたあと、急なのぼりになる。道は忠実に尾根をたどっており、道に枝を張り出すハイマツが邪魔である。登りきったあたりで俵田さんからストップをかけられる。ちょっと休めるところで一本とる。俵田さんが追いついてきたのでなんだったのか聞いてみると

大便したくなっちゃって。

なんでも腹にあたるハイマツに刺激されたとか。ちょうど、南東側の景色が見えるところで、雲海が見えた。車に「どうよ?」と聞いたら「山登るといつも雨なんで」といわれた。そういえばこの男、雨男だからこの景色ははじめてなのかもしれない。5年前の情報によると、知床沼の東側に雪渓があるらしいので探す。知床沼の台地の南端、902m地点の西のガレに白いものが見えたので「雪か?」と思ったが、雪にしてもあそこまで下るのは無理だろう。ほかに白いところはない。コタキ川左股の雪渓もなかったし、今年は雪の少ない年らしい。最後に水を入れたのはコタキ川であり、そこで水が手に入れられないとなると、縦走の続行は難しい。ウナキベツ川を下り、海岸線つたいに知床岬を目指すしかない。

 しばらく稜線の道が続く。地形図ではわからないが、意外に稜線は広く、道探しに苦労した。最後のピークを越えると知床沼の全景が見えた。テープにしたがって下る。はじめは沼がよく見えており、そう遠くないように見えたが、下りてくると長かった。平らになり、踏み跡があやふやになってくると、もう沼は近く、ハイマツが広がる中に点在する草地を縫って歩く。ところどころ赤テープがあるので念入りに探しながら歩く。一度南沼に出て、さらに北沼へ向かう。沼に面した幕営適地にザックを置いてトップの永谷君といっしょに後続を待つ。

知床沼
知床沼が見えてきた。
知床沼にて
知床沼にて記念撮影。北沼北西岸より明日行く北東を臨む。雪渓へはむこう側の湖岸をさらに時計まわりに回る。

 俵田さんと藤田さんがやってきた。あれ、あいだにいた車はどこへ?車の捜索が始まった。みんなで「くるまぁー」「笛吹けー」と叫びつつ、笛を吹きながら逆向きに歩いていくと5分ほどで永谷君が車を見つけた。ただ迷っただけで、別に疲れているようでもなかった。ザックを置いた場所に戻り、幕営地を探す。北沼の北岸がいいと聞いていたので北岸を調べる。でこぼこでテントを張るのに適さない。もとの北西岸にテントを張る。

 どきどきの雪渓探し。俵田さんと探しに向かう。沼の北東岸にハイマツと荒れ地帯の境目があり、そこから時計回りに岸にハイマツが広がっている。その境目沿いに道があり、左はポロモイ岳方向、右は沼の岸の飛び石を伝ってハイマツ帯の中に伸びている。どちらにもテープがついている。雪渓は沼の南東にあると聞いており、ハイマツ帯に伸びている道と方向が一致する。そこで右の道を行くことにした。右の道はハイマツがノコギリで切られており、ふつうの山道のようになっている。テープも続いており、まず迷わない。なぜ知床にこんなに人の手の入った道があるのだろうと不審がりながら歩くこと15分。前方にガスが見え、斜面も斜めに下っていくと細長くひらけた草地に出た。草の丈も5cmあるかないかくらいでついさっきまで雪渓があったような感じだ。道沿いに進むと黒ずんだ畳4分の1枚ほどの雪を見つけた。しかし、これは汚くて口に入れられない。探しても飲料に適する大きさの雪渓はなかった。歩いていくとついに広いところが終わってしまった。そこで道が二分しており、俵田さんが右、私が左を調べた。左の道は笹の中の道になっている。テープがあったが、笹が茂り、少々歩きにくい。しばらくで雪はないと判断しもどる。先ほどの雪に触れ、十分ひんやり感を楽しんでから帰る。戻ってみると約1時間かかっていた。

 雪渓がない以上、雪から水を作ることはできない。沼の水が飲料に適するか、沸かし消毒液を入れて飲んでみることにする。念を入れて三角巾でこす。見た感じでは透明なふつうの水だ。当たり前か。飲んでみる。ふつうの味だ。しかし、見た目や味、においでエキノコックスその他の毒を見つけることはできない。回し飲みのあと、みんなの感想は「普通っぽい」「トムラウシの北沼よりキレイだ」。選択肢は2つ。「水がないのでウナキベツ川を下る」もしくは「沼の水を汲んで縦走する」だ。全員の意見が後者で一致したので、残った時間をすべて水作りに使う。18すべてのポリタンを水で満たした。ここで西村さん差し入れのピポビタンゴールドを飲んだ。のどが乾く味だった。その後風もなく、直射日光が照りつけ暑かった。足を沼にひたしたりしてすずんだ。北海道に来てはじめての晴れだった。

5日目

2001年8月7日

知床沼…ポロモイ岳…814mピーク付近(泊)

知床沼2:00起床
4:15
884mピーク
西側ガレ
5:15
5:23
ポロモイ岳南の台地
標高920m付近
6:27
6:40
ポロモイ岳
西のピーク
8:09
8:20
ポロモイ岳8:46
9:05
ポロモイ岳北
標高940m付近
10:02
10:37
ポロモイ岳北のコル11:30
11:42
947mピーク12:35
13:00
標高900m付近13:50
14:09
標高870m付近15:00
15:11
841mピーク付近15:50
18:30就寝

 2:00起床。この日も晴れ。昨日見つけておいた切り開きから登り始める。ハイマツがノコギリで無残に切られており、赤テープもそこここに見うけられる。やがて973m峰から伸びる緩やかな尾根を乗り越え、展望のあるところに出るとポロモイ岳が大きい。道が続いていたので、1時間で884mピークまでついた。もう最後の地図、「知床岬」だ。途中、魚肉ソーセージの袋が落ちていた。

 884mピークの北西斜面のガレ場で道がなくなってしまった。誤ったルートをとって体力を消耗しないようにするため、一本とり、ルート探索。下のほうにあったハイマツの縞枯れはただの縞枯れで道ではなかった。歩けないこともない。しかし、尾根をはずれて歩くのは危険なので稜線沿いに歩くことにする。道はなく、ハイマツの中に赤テープがところどころあるだけだ。884m峰北東のコルからポロモイ岳登りにとりかかる。初めは急登で踏み跡があったが、途中でなくなり、920mの台地に出るとハイマツが広がるばかりである。1時間ほど歩くと左手にハイマツのないところを見つけそこに移動するとどうやら道のようだった。一本。

 道は見ると町境の西寄りについているようだった。この先もしばらく道は続き、ゆるく下ってからポロモイ岳西の990mピークへ向かう。はじめはこの990mピークをポロモイ岳かと思っていた。ハイマツをくぐったりしながら登る。そのうち道がわからなくなり、展望もなかったが、気がつくと西側の崖のふちに出た。少々展望があるので見ると東側にも山がある。むこうがポロモイ岳か。崖のふちを歩くのは危ないし、どうせなら目の前のポロモイ岳西のピークをカットして直接ポロモイ岳に向かえば近いと考える。崖から離れてポロモイ岳西のピークのトラバース開始。と、思ったらかん木が行く手をふさぐ。木をまたぎ、木に乗っかり、木をくぐり、はいつくばる。目の前のポロモイ岳は遠く、1時間半も歩いたので一本とる。後続の俵田さんが来ない。リーダーなので別に心配にはならないが、なかなか来ない。「俵田さーん」と呼んだら上のほうから返事がきた。どうやら上のほうに登っていったらしい。声で交信すると、上には赤テープがあり、なんとか休めるスペースがあるらしい。というわけで俵田さんのほうへ行くことにした。

ポロモイ岳西のピーク
左のガケの上のピークがポロモイ岳西のピーク。このあたりが薮としては最強。

 5mほどがんばって登ると俵田さんがいた。一本とる。ザックをおいて木に登り、現在位置を確認する。ほぼポロモイ岳西のピークだ。ポロモイ岳までは地図では200mほど。しかしハイマツが我が物顔に生い茂っている。何分かかることやら。またハイマツの下に潜る。慎重に赤テープを探しながら歩く。今度は赤テープをたどれたが、道や踏み跡らしきものはなく、あまり意味がなかった。ハイマツに引っかかれたりシャツに穴をあけられたりしながらポロモイ岳992mについた。北側斜面に岩が出ており、ハイマツがなく展望もある。25000分の1地形図に三角点マークがあるので三角点を探す。「三角点どこだあ」と探していたら先に永谷君に「そこにあったぞ」と見つけられてしまった。ヤブがむかついたので三角点を何度か蹴ってやった。休みながら北を眺めると、白骨化したハイマツに覆われたウイーヌプリが遠くに見えた。予定ではそこが明日のテント場である。距離にして4kmといったところか。先はずーっとハイマツのじゅうたんが広がっており、全部燃やしたいと思った。今日の名のあるピークはここだけなのでゆっくり休んだ。

 ポロモイ岳を辞して北へ向かう。稜線の東側を歩くが道も赤テープもなく、歩きづらい。しかも危ないガレがある。後続がいないのに気付き、「ポロモイ岳」の「モ」の字のあたりで待っていたら上から「稜線に道あるぞ」と声が聞こえた。登ると薄いながらも道があり、赤テープもあった。稜線がやせているので道に迷うこともなくたどり、940m付近で一本取った。倒木でひらけたところだった。昼飯にする。日は照り、風もなく暑い。みんなハイマツの日陰に隠れる。しかし、車はこの気候がちょうど合うらしく、「暑くも寒くもなくてちょうどいいです」と答えていた。わけわからん奴だ。

 さらに北へ。また道がなくなったが、だいたい稜線にそって歩く。ポロモイ岳と947mピークの間のコルを過ぎ、少し登ったところに笹が茂るところがあり、ここで一本とる。ここで947mピークを登るか、巻くか相談する。ピークを踏めば展望もあり、確実に自分の居場所がわかるが登らなければならない。巻けば登らないので体力を減らさず済むが、巻きに失敗するとどこにいるのかわからなくなる。調べると、稜線には赤テープがあるので、がんばってヤブを漕いで登ることにする。

 登りにくいものの、意外と順調に登れ、1時間足らずで947mピークに立てた。西側が崖になっており、ハイマツをつかみながら崖のきわを歩くとピークについた。ピークはどこが高いというわけでもなく、ほぼ水平だ。ここで見ると車の靴がワニになっていた。すなわち、つま先から半分ほど、靴底がはがれてしまったのである。ガムテープで修復する。その間ハイマツに乗って北の様子を見る。ハイマツが広がっている。右側は太平洋だが、雲海に覆われている。左側はオホーツク海で船が一隻見えた。

 しばらく稜線沿いに814m峰をめざす。赤テープはほぼ稜線沿いにあった。だんだん稜線が広がり、ハイマツの中にかん木が点在する斜面になった。そこはハイマツに比べて格段に歩きやすいので、ときどき木に登り、かん木帯を探しながら歩いた。少し広いところを見つけ、900m付近で一本とる。次の一本で幕営適地を見つけるよう言われる。もう14:00だった。

 地形図ではわからないが、北側の斜面がはっきり急傾斜になり、眺めのいいところに出た。ここには赤テープもあった。763mピークやウイーヌプリがよく見えた。しばらくそのきわを歩くと稜線が広がり、急な傾斜になった。ハイマツやらかん木やらが生い茂り、幕営どころか歩くのも困難なところだった。1時間歩いて、苔むした岩の上で休んだ。すでに15:00。時間的にも体力的にも危機であった。

 814mピークに五十畑さんたちが切り開いたひと張りぎりぎりに張れるところは遠そうだ。だんだん傾斜がゆるくなってきたところで、ハイマツの間にさかさまに落っこちた。私は正直バテてきていたので、なかなか立てなかった。そこでセカンドの永谷君が暴走。20mほど離れる。ハイマツにかん木が混じり、少し歩きやすくなったところで永谷君を引き止め、空身でテント場を探す。10分ほどで永谷君が人工的に切り開いたところと道と赤テープを見つけ、そこにテントを張ることにする。どうやら道は稜線の西寄りにあるようだ。幕営適地は赤テープから東へ10歩ほど。幕営適地も五十畑さんたちが切り開いたのと違うらしく、二張りほど張れそうな広さだ。倒木があり、草が生えていた。

 もう、気象通報の16時が近かったので急いでテントを張ったり、飯を作ったりする。俵田さんは気象図をかき、永谷君は現在位置確認、藤田さんと私と車は飯を作っていた。結局、814mピークの少し上のようだ。しかし、あとから考えてみると翌日一本目で763m峰まで行けたことから考えて814m峰をすぎ、790mあたりだったかもしれない。明日もこんなハイマツが続くのかと考えると、最後バテ気味だった私は気がめいった。

6日目

2001年8月8日

814mピーク付近…ウイーヌプリ…知床岬…岬の東の海岸(泊)

814mピーク付近3:40起床
4:42
763mピーク5:55
6:14
763mピーク北
標高720m付近
7:05
7:20
標高600m付近8:12
8:26
570mコル東9:20
9:53
ウイーヌプリ
南のピーク
10:50
11:37
ウイーヌプリ12:10
12:48
602mピーク13:37
13:54
602mピークの
北北西ピーク
14:23
14:59
516mピーク下15:25
15:39
412mピーク北16:27
16:43
176mピーク北17:26
17:42
知床岬18:00
18:25
赤岩集落19:10
21:00就寝

 3:40起床。車の目覚ましが鳴らなかったので朝飯をカロリーメイトに変更、1時間で出発した。昨日見つけた道にしたがって、歩く。かん木帯が中心となり、道も注意すればわかるので速く歩けた。一度滝川(という名前の太平洋に注ぐ沢)のほうへ下りそうになってしまったが、赤テープを見つけ、道に復帰した。赤テープはハイマツ帯に突っ込み、やがて道もテープも消えた。763mピークへ向かう。標高差10mほどの急登のあと、ハイマツが白骨化した斜面に出る。永谷君がさらにピークへ向かうので追っかける。やがて斜面はなだらかになり、ハイマツの広がる平坦な763mピークに出た。休めるような空き地はなく、強引に休む。車が大便に行った。

 763mピーク北西の770mピークがみえるが、遠回りになるので磁北線の向きに歩く。ここもハイマツ帯の中にかん木帯があるのでそれを選んで歩く。やがてかん木のほうが多くなり、歩きやすくなる。自然と足も速くなる。笹原で一本。今度は私が大便をした。

 そのあと、道があったのでそれをたどる。赤テープがついている。ハイマツを避け、笹とかん木をたどっているため、歩きやすい。ときどき木に登って方向を確かめる。641mピークに近づき尾根が広くなってきて道もはっきりしなくなると、ハイマツとの境目に沿って歩く。だんだん西に寄ってきて一本。ウイーヌプリ手前の640mピークが見えるところで休む。このウイーヌプリ手前のピークは東側がかん木なので、向こうを登ると楽そうだ。そのためには約500m、目の前のハイマツ帯を横切ることになる。できるだけ東によってからハイマツ帯に突入。かなり濃いハイマツだ。やがて私はバテてしまい、足が上がらなくなった。永谷君が小広いところを見つけたため、がんばってそこまで行って休んだ。深呼吸すると少し落ち着いた。大休止をとって私の様子を見る。

 約30分後、俵田さんが私の水を持ってくれて出発。永谷君がトップ。10mほどでハイマツを抜け、笹原へ。ハイマツを避け、笹原を登る。急登になるとハイマツしかなくなり、ゆっくり歩く。ゆるやかな頂上近くになってハイマツが枯れていたのでそれに沿って太平洋側に出て歩くと、ウイーヌプリ南の640mピークと思われる少し広いところに出た。直射日光が暑いので、ハイマツの影で後続を待つ。車が来た。ガムテープで補修した靴がまた壊れている。俵田さんが来るまで直す。藤田さんも来るが、俵田さんがなかなか来ない。やっと来たと思ったら、息も絶え絶え死にそうだ。いわく、穴にはまってハイマツの突端で全体重を受け、胸を打ったそうだ。ヘタすりゃ骨折かと思われたが、呼吸をして胸が痛くならなかったそうなので骨折ではないらしい。私は俵田さんと同じように大きなケガをしたことがなかったからよくわからなかった。

 時間的に今日中に岬に着けそうなので岬まで行くことにする。ウイーヌプリ泊を飛ばすと、事実上水制限が解除される。みんな喜ぶ。しかし、少なくともウイーヌプリまでは水制限をする。ここで昼飯にする。ほとんど水を飲めないので粉のカロリーメイトは苦労する。なんとか二袋食べることに成功した。朝もカロリーメイトだったが、意外とカロリーメイトは腹持ちすることがわかった。

 次は今日の名のあるピーク、ウイーヌプリだ。ウイーヌプリは過去の火事で頂上付近のハイマツが燃えてしまい、白骨化したハイマツが残っているピークだ。遠くから見ても頭が白いので見つけやすい。まずはウイーヌプリ南のコルまで下る。ハイマツのない急斜面をすべり台のように下り、コルについた。ウイーヌプリの登りを東側から攻めたが、急で針葉樹が突き刺さるようにあたる。網にかかった魚のようにもがきながら登る。やがて視界の上が明るくなってきてハイマツが枯れたところに出た。ここからはヤブを漕がなくてもいい。ヤブを抜けるあたりから永谷君が高速で登り出し、私が白いハイマツの中を歩き始めるころ、頂上を制覇していた。知床岳でもそうだったが、意外とピークハンターなのかもしれない。ちょうどそのとき、鼻水が鼻の中をたれる。軍手でぬぐうと鼻血が出た。俵田さんも前日鼻血が出たらしい。水制限のため、鼻の中が乾燥しているようだ。

 ウイーヌプリ山頂652mに着いた。車が手に何かをぶら下げて登ってくる。

「なにそれ?」

「靴底はがれちゃって」

この男、自分の靴の靴底を持って歩いていた。自然、足の裏は靴下で歩いている。「痛くないのか?」と聞くと、「いや、こっちのほうが歩きやすいんで」やっぱりわけわからん奴だ。

ウイーヌプリにて
ウイーヌプリ山頂にて記念写真。
ウイーヌプリから岬が見える
ウイーヌプリ山頂にて車。左のオホーツク海と右の根室海峡が岬で合わさるのが見える。厳密には岬は見えないが、岬西側の港が見える。

 山頂はさすがにハイマツが枯れており、展望は360°ある。しかし、やはり眺めるのは目的地知床岬だ。白い防波堤が見える。感動する。なぜかはわからないが、右側の根室海峡と左側のオホーツク海で海の色が違う。根室海峡は海の色らしい青なのだが、オホーツク海の色はそれに絵の具の白を混ぜたような明るい色だ。ここウイーヌプリから尾根が伸び、その色の境目で見えなくなっている。根室海峡側では白波立つ中を船が走っていた。ただ、あとで考えてみると、ウイーヌプリから見えた白い防波堤は知床岬南西の文吉湾のものだったと思う。知床岬に防波堤はないので。山頂で休むのだが、暑い。木がまったくないので日陰に隠れることができないのである。風もない。

根室海峡側
東側根室海峡側。左側がこれから行く岬への尾根。ハイマツはない。

 ここからはハイマツも少なくなる。602mピークまではしばらく稜線沿いにハイマツが生えているので、北西斜面に下り、巻きながら歩いた。一部針葉樹林の中のヤブであったが、ヤブでないところのほうが多く歩きやすかった。テープと道もあり、わかりやすい。やがて尾根にもハイマツがなくなるので尾根のすぐ下を歩く。日陰で暑くない。じわじわ登ると602mピークだった。東側はハイマツで西側斜面で休む。北側斜面のハイマツに向けて小便をしようと思って北を見ると知床岬の白い灯台が見えた。手に取るように近くに見える。やる気がじわじわわいてきた。

 602mピークを出て、516mピークへ向かう。地図では登り下りはあまりないが実際はけっこうアップダウンがある。道はあったりなかったりでわかりづらい。尾根を左からまわりこみ、尾根が北と西に分岐するところに出た。516mピークを過ぎて516mピーク北西の440mピークと考え、30分しか歩いてないが、休む。すでに疲れているので1時間歩くのがつらい。

 そのあとはだいたい稜線に沿って道があるのでとぎれとぎれにたどっていく。登りは少ない。岩峰に出る。右の土の斜面からおりる。するとワインレッドの80リットルくらいのザックカバーが置いてあった。目印にもなるので広げて置いておいた。そこから30mほど進んで一本とる。位置確認。どうやら516mピークの下のようだ。さっきの判断が間違っていて、一本前に休んだところはどうやら602mピークの北の560mピークだったようだ。ちょっとがっかり。その分、だいぶ疲れが出た。

 次の一本を412mピークと308mピークとの中間に定め歩き出す。ここは地形図との対応がはっきりしているためどこまで進んだかわかりやすい。尾根も細いのではっきりわかる。道はほぼ稜線沿いについている。516mピーク北西の440mピークは東側を巻き、どこがピークだかわからない412mピークを過ぎて下り始めたあたりで一本取る。歩行時間が12時間を過ぎ、疲れた。休む時間も長くなる。太陽も西日になり、少し涼しくなる。背中を土にべったりつけてすずんだ。あと2本で着くだろう。

 今度は176mピークを目指して歩く。急な下りと平坦な道が続く尾根だ。道はやはり稜線沿いについており、まよわない。途中で東側から西側に尾根を乗り越えていく鹿がいた。やがて尾根はなくなり、眼前は小さな公園くらいの大きさの笹原だ。176mピークの下らしい。一本とる。車がコンパスと笛をなくしたことに気付き、かなりショックを受けていた。あと一本。気合いが入る。

 ラスト一本。「クマが出るかもしれないから笛を吹け」という俵田さんの指示で笛を吹きながら歩く。平坦な針葉樹林の森の中の道だ。獣道が伸びており、北向きの道を探して歩く。ところどころにくぼ地があり、水たまりがあった。やがて明るい広葉樹林の中の草地になり、枯れ沢のようなくぼみを下る。林の切れるところが明るく見える。岬は近い。はやる気持ちを押さえながら歩くと林を抜けた。突然目の前に広い広い笹原が広がり、その先に空が見える。日はもう落ちる。右後ろに灯台があった。

知床岬についた
岬についた。喜びを分かち合う。左から車、中山、藤田。
知床岬の看板
知床岬の看板。

 草地を抜け、地平線の先まで行くと、そこは知床岬だった。ここが山に入ってから6日間追い求めてきた岬だった。岬は崖の上で横には奇岩が横たわっている。眼前は海しかない。その先には暮れる夕日が私たちを迎えてくれた。この先に大地はもうない。終わった。えも言われぬ感動が実感となってきた。写真を撮ったり、ビールを飲んで喜びを分かちあう。

日暮れ
感慨にふけるうちに時間は過ぎて行く。
リーダー俵田
念願の目標、知床岬到達を成し遂げたリーダー俵田。

 風が吹いてきて寒いので知床岬の集落へ向かう。草地の中に灯台へ向かってまっすぐな道が伸びていた。4日ぶりのまともな道だ。車があまりの寒さに永谷君を押し始めた。速く歩いてほしいらしい。灯台を過ぎ、草の生える原野を歩く。また鹿が目の前を通りすぎた。知床岬の集落の浜の北端の岬を越える。強風だ。歩けないかと思った。帽子をしまうのが精一杯だった。浜に下る。急な下りで、風でバランスを崩しそうだった。ジグザグに下り、海岸へ。海岸は石で真水の流れる川を探して歩く。地図には30軒ほど小屋があるはずだが、ほとんどない。あっても廃屋であった。浜に出て10分ほど歩いて小さな、幅1mほどの川を渡る。そこでテントを張ることにした。風が強くてテントが飛ばされるんじゃないかと思った。水はそこで汲んだ。浜の先に一つだけ明かりが見えた。

 そこの川の水は尋常でないまずさだった。そのせいか、血食いもみんな一杯で満腹になり、2杯目をやると全員残すことになるので一杯でやめて寝た。

7日目

2001年8月9日

知床岬停滞(泊)

 初の停滞。なんでも風が強くて相泊まで無線が通じないとか。こんぶを干す手伝いをしたりして一日を過ごした。国後島がよく見えた。西側がガケで15時頃、日が暮れた。

8日目

2001年8月10日

知床岬→釧路(泊・翌朝解散)

番屋の舟
知床岬の番屋の舟。
相泊
相泊。右下の青いビニールシートで囲われたのが相泊温泉(無料)。

 朝、相泊まで舟に乗っけてもらう。パフォーマンスなのか地形が複雑になっているのかしらないが、かなりアクロバットな運転で相泊に到着。無料の相泊温泉に入り、羅臼行きのバスに乗る。羅臼から歩いて3キロメートルくらいの熊の湯(無料)に行く。めちゃくちゃ熱い。摂氏44度くらいある。2分ほどしか入れない。2回つかって出た。車は体を洗ってばかりで、湯船にはちょっとしか入らなかった。その帰り、羅臼知床ビジターセンターに入り、1週間前に見たヒグマについての情報を見る。はく製といえどもヒグマを見た人間には恐怖がつのる。エキノコックスのパンフレットもあったので読む。10年後肝臓の手術をするのかなあ。楽しみだ。バスを乗り継ぎ釧路についた。観光名所らしい和商市場を見たが、学生の財布から見るとお値段が高いという感想だ。解散。めでたしめでたし。


山ノ中ニ有リ山行記録一覧2001年山行一覧>知床・知床岳〜知床岬

inserted by FC2 system